第10話 性行為と恋人(京都・ガスト京都常盤店/川原家・自室)[2023/1/4 Wed]
すっと伸びた咲良の手に視線が集まる。
「――何かな? 咲良ちゃん」
至極落ち着いた様子で、橘が問いかけた。
一方で、僕と伊織は意外な表情を隠せない。
そもそもこの集まりで一番受け身で然るべきは咲良なのだ。
その咲良が積極的に手をあげて質問したことが、少しばかり予想外だったのだ。
「――さっきの説明にも含まれていたのかもしれないけれど、――このヴァーチャルな恋人同士って、どこまでスルのかな?」
「スルって……、どういう意味? 咲良ちゃん?」
学校では大人しい印象のある咲良。
だからむしろ伊織の方が、前傾姿勢を取った。困惑気味に。
「え、何も変な質問じゃないよ? 伊織ちゃん。スルって、ほら、手を繋いだり、抱きしめたり、それから、恋人ならキスしたり、……たり、ね?」
最後の「たり」の前の単語を発音しなかったのは、咲良の遠慮だろう。
良識とも言う。そもそも四人だけの部屋じゃなくって、ガストだし。
彼女がその単語を口にしなくても、三人ともそれが何なのかははっきり分かった。
「ふふふ。面白いね、咲良ちゃんはやっぱり。うん、さっき言った通りだよ。『そこで起こるさまざまな出来事に関しては、恋人であることに必ずしも強制されず、それぞれがそれぞれの判断で対応すること』ってところね。そういうことをするかしないかも、それぞれに任せるってこと」
橘はそう言って、確認するように、僕らを見回した。
「それ本当に禁止しないのか? その……いろいろなこと」
「うん。禁止しておいた方が、安心じゃない?」
僕が問いかけると、伊織が同感だと言わんばかりに追従してきた。
でも橘は大仰に首を左右に振った。
「伊織、川原。言いたいことはわかるよ。でもそれはそれで恋人交換としては不自然じゃないかな。やるかやらないかは脇に置いても、その『可能性』も潰したんじゃ何の恋人らしさもありはしない」
いや、そこ重要だろ。脇に置くなよ。
「それにさ。そもそもの目的は、この一ヶ月の時間を経て、お互いの関係性や相性みたいなものを確認することなんだ。そんな近視眼的な『安心』を優先してしまったら、本当に重要なものを見失ってしまうだろ? ――伊織」
伊織が膝の上に置いていた右手の甲に、橘は手のひらを重ねた。
目の前で行われる、その行いが妙に癪だった。
「じゃあ、逆にさ。交換した後の恋人が、その恋人に対して独占欲を示すみたいなのはどうなんだ? 例えば、あるじゃん、独占欲の強い彼氏が彼女と他の男を話させないとか?」
「――え、誠大、私にそんなことをしようとしてるの? キモい。私のこと好きすぎじゃん?」
「ちげーよ。例えばだよ、例えば。……ルール確認のための例え話だよ」
橘は顎に手を当ててしばらく考える。
「――アリだな。それも同じ条項の解釈でいけると思う。『恋人』として自然な行動は何をとってもらってもいい。ここでの『恋人』の定義はそれぞれの常識に従うということでいいんじゃないかな?」
「わかった。そういうことなら辻褄は合うと思う」
僕は納得して頷いた。
でもこうして改めて考えると「恋人」って何なんだろう、ってなる。
その定義そのものが難しいのだと気付かされたりする。
よく恋愛マンガなんかで、恋人になることを断る時に「友達でいよう」だなんて言うヒロインがいるけれど、あれは具体的に何を拒絶していたのだろうか?
それはここで橘が言うところの契約としての「恋人」関係だったのだろうか?
僕はお正月に伊織とハグをした。
正直言って、とてもドキドキした。
彼女には気取られないようにしたけれど。
抱擁は「恋人」の十分条件ではないのだろうか。
――きっと違うのだろう。
じゃあセックスをすればどうなのだろう。
それだってセフレという言葉が世の中にあるくらいだ。
「恋人」の十分条件にはなりやしない。
じゃあ、「恋人」って何だ?
常識による「恋人」の定義って何だよ?
それは契約に過ぎないのだろうか?
「――川原、何やってんの?」
「いやWikipedia先生に『恋人』って何か聞いている」
「おーい。どこ向かっての〜、誠大〜」
「ん、まぁ、一応、的な、何か?」
――――――――
恋人(こいびと、旧仮名: こひびと)は、恋しく思う相手。20世紀後半以降の日本語の用法では、特に、相思相愛の間柄にある、相手方。恋愛の相手。愛人(あいじん)。情人(じょうにん、じょうじん)。思い人(古語: 思人)。
【Wikipediaより引用】
――――――――
「――だ、そうです」
「うん。なんか賢くなった気もするけれど、そのままっちゃ、そのままよね?」
「――そうだな」
そもそも「恋しく思う」って何だよ!? みたいな話になってきて、余計に出口の無い議論に突入してしまいそうだ。Wikipedia先生にもAlexaくんにも、きっとまだ恋愛は早いのだろう。――知らんけど。
「まあ、恋人の位置付けは置いておいて、――他に疑問点はあるかな?」
これで最後だという雰囲気で、橘が僕らを改めて見回した。
「じゃあ、僕から最後の項目について確認の質問しても良いかな?」
「……どうぞ」
「最後の『恋人
「――ご明察」
それから橘は言った。
改めて、僕と咲良、そして伊織の一人ひとりの目を確認するように見つめると。
「――だから、この恋人
橘はやおらドリンクバーのグラスを掲げた。
なにやらわからないまま僕らも釣られて追従する。
「――楽しんでいこうぜ!」
そして橘遥輝が音頭を取って、僕らはそれをぶつけ合った。
ガストのテーブルの上で、祝宴の始まりを宣言するみたいに。
*
ランチを兼ねての集まりだったから、ガストを出たのはまだ昼の2時過ぎだった。
まだ夕方までは時間があったけれど、橘と伊織は用事があるからと帰っていった。
二人きりになった後、咲良が家に寄りたいというので、彼女を連れて家に帰った。
「ただいまー」
「おかえりー」
「お邪魔しまーす」
自宅のリビングルームには、絵里奈がいてNetflixでアニメを見ていた。
先日完結したばかりのバンドもののアニメ『ぼっちざろっく』だ。
連れてくると言っていなかったから、咲良の姿に驚いていた。
「絵里奈ちゃん、こんにちわ」と咲良が手を振ると、嬉しそうに手を振り返していた。
この半年ほど、咲良は我が家にしばしばやってくるようになった。
だから何度も顔を合わせるようになり、絵里奈は次第に咲良と仲良くなっていた。
昔から一緒に遊んでいた伊織に比べると、まだ距離感はあるのだけれど。
「じゃあお兄ちゃんたち上の部屋に行っているからな。――邪魔すんなよ」
「分かってるって。私だって忙しいから。今日中に『ぼっちざろっく』完走しないといけないんだから!」
「ふふふ。じゃあ、絵里奈ちゃんまたね」
「は~い」
絵里奈は一階でテレビを見ているようなので、安心して僕らは二人で僕の自室へと入り、扉に鍵をかけた。
それから僕らは二日ぶりのセックスをした。
明日から一ヶ月、離れ離れになるから。
その分まで身体に刻み込むみたいに。
貪るように身体を交わらせた。
一階の絵里奈に聞こえないように、息を殺しながら。
物音を立てすぎないように、気をつけながら。
自分の部屋のベッドに横たわる、伊東咲良の肌はやっぱり白くて滑らかだった。
明日から僕と咲良は恋人同士ではなくなる。
南伊織が僕に恋人になるのだ。
なんだか可笑しくて笑いがこみ上げてくるのを、僕は必至で押し殺した。
咲良の身体に顔をうずめながら、
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