第45話 決意の水曜日と変転の序曲(南家・玄関口〜学校・教室)[2023/1/18 Wed]

「――本当に来たんだ? 朝から」

「いや、来るって言ってたじゃん」

「そうだけど、まさか、わざわざ朝から遠回りなんて。――彼氏ムーブがあからさまじゃない?」

「え? ――ひどくない? 頑張って早起きしたのに」


 僕が唇を尖らせると、伊織は声を抑えるように笑った。

 冬の風は冷たいけれど、彼女の笑顔は温かかった。

 横縞ストライプのハイネックに、もこもこした明るいベージュのフリース。


 1月18日水曜日の朝。

 僕は伊織の家に立ち寄っていた。通学経路を変えて。

 少し遠回りだけど太秦天神川駅から地下鉄で京都駅に行くなら通学路の途中だ。


「予定通り今日は休むんだな? それで――大丈夫だったか?」

「うん。朝ごはん食べてから抗原検査キットやってみたら陰性だったし、今日だけ念のため様子見たら、明日からは行くよ」

「じゃあ、明日からは、伊織がまた迎えに来てくれる感じ?」

「いやー、それはどーだろーな〜」


 伊織は親指と人差指でL字を作って、顎に当てる。

「うーん」もしくは「考える人」の絵文字みたいに。


「……うそうそ。体調が悪化したりしなかったら、行ってあげるから。ね? だからそんな残念そうな顔しない」

「――いや、残念そうな顔なんてしてないけれど?」

「いや、してるじゃん。めっちゃ」


 そう言って伊織は右指を立てた。目尻に皺を寄せて笑いながら。

 うむ。見解の相違というやつらしい。

 残念な顔なんてしてないんだからね! ――多分。


「時間、大丈夫?」

「ん? まぁ、大丈夫。――場合によっては京都駅からバス使う」

「富豪だ!」

「俺の230円が火を吹くぜ……」


 なおその分、昼ごはんがワンランク下がります。――残念。

「それじゃあ、行くよ」と鞄を担ぎ直した僕の言葉に「うん」と頷く伊織。


「――あ、ちょっと誠大」


 僕が門扉の前に背を向けようとした時に、彼女が呼び止めた。

 振り返ると、彼女が家の扉を閉めて、駆け寄ってきた。

 少し寒そうに、フリースの前を閉じながら。


「――何? 伊織」

「あ、――うん。――あのね」


 幼馴染が、口ごもる。少し言い出しづらそうに。

 なんとなく、彼女が言いたいことが分かった。


「――咲良のこと?」


 伊織がコクリと頷く。


「――今日、――言うの? 咲良ちゃんに?」

「……うん、そのつもり。昨日、話があるって、LINEでも伝えた」

「そっか。――大丈夫?」

「……何が?」


 僕が軽く首を傾げると、彼女は視線を泳がせた。


「無理、――してないかなって」

「――無理はしてないよ。……いや、してなくもないかもしれないけれど、――大切なことだから」

「――大切なこと」


 伊織が復唱する。

 大切なこと。大切なもの。

 ――大切なひと。

 想起される並列的な表現パラレリズムが、僕の頬を熱くする。

 伊織にとっても、そうなのかもしれない。


「だから心配しないで。――まぁ、どういう風な話になっちゃうかは、わからないけどさ」

「うん。――できたら慎重にね? 私も、咲良ちゃんを傷つけたくはないから。――私はもし関係を変えるにしても、恋人交換スワップの期間が終わってからでいいんだよ? ――だから本当に無理はしないでね。――もし今日、話が終わらなかったら、それはそれでいいから」

「わかったよ。――とにかく、伊織は心配しなくていいよ」


 僕はその頭を手のひらで触れた。

 伊織はそれを振り払ったりはしなかった。


「――そうだ。良かったら伊織のスマートフォン、学校から取って来ようか?」

「いい。明日、自分で取りに行くから」

「不便じゃね?」

「いいの。あのねぇ。取ってきてもらうには私のロッカーの鍵を渡さないといけないんだよ? それに、しばらく誠大にスマートフォン預けないといけないし。そんな破廉恥なこと、出来るわけないじゃん!」

「……あ、……見られたくないものが」

「あるに決まってるでしょ? ――プライベートなんだから」


 そう言って南伊織は、横を向いた。頬を膨らませて。唇を尖らせて。

 だから甘んじて五日間ものスマホ無し生活に甘んじたのだろう。

 確かに取ってきてもらいたいなら、遙香さんにでもお願いできたはずだよな。


「――じゃ、行ってくるよ」

「うん。――行ってらっしゃい」


 右の肘に左手を当てながら、伊織が小さく手を振った。

 

 なんだかいいな、――と思う。

 大人になって彼女と結婚したら、こうやって送り出してもらえるのだろうか?


 それはとても幸せな未来だっていう気がした。


 天神川に沿って歩きながら、僕は空を見上げる。

 昨日まで少し曇っていた空。今日の冬はとても青い。

 快晴の中、遠くから子どもたちの声がした。



 *



 校門に入ったあたりで、遠目に宮下彼方の背中が見えた。


 ――そういえば、マフラー返してもらわないとな。彼方に。

 そうは思ったけれど、わざわざ駆け出す気は起きなかった。

 朝から走るのも、ちょっとしんどかったから。


 というか既に京都駅から半分走るみたいな早歩きだったのだ。

 バス停に着く寸前に京都市バスが行ってしまった。

 だから結局、僕の230円は火を吹かなかった。――富豪、時刻表に勝てず。

 仕方なく、学校まで朝の道を歩いた。結構な早歩きで。


 ふと、思い出す。月曜日の夜のことを。

 先に予備校を出た彼方は、待っていた誰かに駆け寄っていった。

 夜の八条通りに立つ男。その姿は橘によく似ていた。


 彼方に、そのことも尋ねたいと思った。

 だけど今からC組に行くのも微妙な時間帯だ。 

 また予備校ででも聞くのがいいだろう。

 それに橘には他にも聞くべきことがある。

 それならまとめて橘に聞くのが良いのかもしれない。


 天神川の橋で昨日見たコート姿は、――橘だったのか?



 *



「――ちょっといいか。橘?」


 昨日はとやらで休みだった橘も今日は学校に来ていた。

 さっそく何人かの女子と男子に囲まれている。


 先週あんなことがあったにも関わらず、橘の人気は変わらずだ。

 むしろ伊織との間に亀裂が入ったという噂が広まったせいで、女子からのアプローチが増えている、ということまでありそうだ。


 僕が声を掛けると、そんな人垣もすっと後ろへと開いていった。引き潮みたいに。


 週末を挟んで花京院眞姫那の討ち入り事件の記憶も色褪せた。

 僕の浮気疑惑写真の拡散も止まった。

 恋人交換スワップのカミングアウトに関する話題もフェードアウトしつつある。

 それでも僕と橘が、一連の事件における渦中の人物であることに変わりはない。

 だから、二人が向き合うことは周囲にそれなりの反応を生むのだ。


「おう、おはよう。――なんか用か? 川原? もうすぐホームルーム始まるぜ?」


 橘は椅子に座ったまま、空を仰ぐみたいに僕を見上げた。


「大して時間は取らせないよ。――橘さ、昨日の夕方、伊織の家に行った?」

「――なんで?」


 少しだけ目を細めて、イケメンは爽やかな笑みを浮かべた。

 一見、優しそうに見える情だけど、その実、まったく笑っていない。

 自分の有利に導くために、ただ相手に発言を促す方略だろう。

 ――橘の行動には全て理由がある。

 ――だから恋人交換スワップにもきっと。


「いや、そんな特別なことじゃないよ。――ただ太秦天神川駅から帰る時に、伊織の家の近くで橘を見かけたからさ。――逆方向に歩いているところだったけど」

「ふーん、そっか。――それで何? 『おまえ学校休んだくせに、何ほっつき歩いてるんだー』とか、そういうこと? 担任みたいなムーブで?」

「そういうことじゃないよ」


 冗談めかした橘の発言に、数人の女子が可笑しそうに笑いを漏らした。

 そもそも、橘はきっとそんなことを思ってはいない。

 僕の論点を把握した上ではぐらかしているのだ。

 ――いや、なんならはぐらかすつもりすらないのだ。


「じゃあ、どういうことさ? 川原」

「――伊織に会いに行ったのか? 昨日」


 さすがに僕の発言に、笑っていた女子も静かになる。空気が張り詰めた。


「行っていないよ? 誠大が何を見たのかしらないけどさ。俺は昨日、伊織に会いに行ったりはしていないよ」

「――そうか。――だったら」


 僕は橘の言葉を受け止めて、考えを巡らす。

 ――あれは僕の見間違いだったのだろうか。

 橘は鼻持ちならない狡猾なイケメンリア充だけど、嘘はつかない男だ。


 その机を「邪魔したな」と離れかけた瞬間、――ふと気づいた。


「――会ったのか? 昨日」


 僕が質問を変えると、橘はニンマリと笑みを浮かべた。

 自分と近いレベルの対戦相手を見つけたゲーマーみたいに。


「ノーコメントだよ。――川原誠大くん」


 机の上に右肘を突いて、橘は僕にそう告げた。

 ――つまりそれが、正解だと言わんばかりに。


 ――僕は気づいたのだ。

 一連のやりとりで、僕が発言させられる中で、質問が変わっていたことに。

 初めの質問は「伊織の家に行ったか?」だった。

 それに対して、次の質問は「伊織に会いに行ったか?」だった。

 橘は一つ目の質問に答えることを避けて、二つ目の質問にNOノーと答えたのだ。

 つまり橘は「伊織の家に行っていない」とは言っていないのだ。

 だから僕は新しく質問したのだ。遙香さんとのことに絞って。答えはYESだった。

 

 総合すれば、昨日あったことが見えてくる。

 橘は遙香さんと会っていた。その用件や、内容は知らない。

 そして橘は家まで遙香さんを送り、伊織には会わずに帰ったのだ。


 物音がして、皆の視線が教室前方へ動く。

 担任の教師が入ってきた。

 橘が目配せをする。

 取り巻きたちは自分たちの席へと戻っていった。

 仕方なく僕もそれに倣う。担任が来たなら話し続けるわけにもいかないから。

 そんな僕の背中に、橘が呟いた。


「――ということは昨日、お前は、伊織の家に行ったんだな? ――川原」

「――ああ、そうだよ。橘」


 きっと彼は、それで全てを察しただろう。

 ――橘遥輝とはそういう男なのだ。

 結局、一連の会話で、より多くの情報を吐き出させられたのは、橘ではなくて僕だったのかもしれない。


 自分の座席に戻って、椅子を引いて座った。

 斜め前の机、――伊織の座席は今日も空席だ。

 でも明日にはきっと、彼女もまた戻ってくる。


 その時、ポケットの中で、スマートフォンが何度か振動した。

 LINEメッセージの着信だ。

 こっそり取り出して、画面をスワイプ。

 担任にばれないように、メッセージを確認する。



【眞姫那】


 〉今日のお昼休み、少しだけお話できまして?



 メッセージは花京院眞姫那からだった。


 月曜日に契約を交わしたばかりの同盟相手。


 悪役令嬢めいたメッセージは、秘密会談への召喚状だった。






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