第8話 女友達とドーナッツの穴(京都駅前イオンモール)[2023/1/3 Tue]
「恋人交換って、――なんだか不純だよ、誠大くん」
ドーナッツの穴から非難めいた声が飛び出した。
それから彼女はチョコレートの掛かったオールドファッションにかぶりついた。
「――だよなぁ。彼方は当然、そう思うよなぁ」
僕はアイスコーヒーのグラスを傾ける。中の氷がカタリと音を立てた。
引き続き、外は寒い。でもジャックインザドーナツの中は暖房が効いている。
だから冬だけどアイスコーヒーとのセットにしたのだ。
1月3日。受験生らしく通っている予備校の自習室に勉強に来た。
僕らは昼休憩に校舎を出て、イオンモールのドーナッツ屋まで足を伸ばしていた。
いつもならコンビニのパンかおにぎりくらいで、誤魔化すのだけれど。
今日はお正月の三ヶ日ということもあり、気分転換も兼ねて。
「そもそも僕らは、受験生なんだからね。誠大だって、他の女の子と遊んでいる時間なんて無いんだよ? 本来は」
「――え、そっち? 母親かよ」
宮下彼方は可愛い顔で唇を尖らせた。
唇はぷっくりと膨れて紅い。艷やかで、なんだかそれだけで女性らしさが増す。
さっきつけていたピンク色のリップスティックの効果だと思うけど。
コスメって凄いのな。それも含めて彼方の努力だって、知っているのだけれど。
「でも、誠大の恋愛は誠大のものだしさ。自分の気持ちに従えばいいと、僕は思うんだけどね」
「ああ、――そうだよなぁ」
ストローでアイスコーヒーをかき混ぜる。
ミルクが入って褐色になったその表面がゆらゆらと揺れた。
でも問題はいつも自分の気持ちというのが本当には分からないということ。
四択問題のマークシート問題集みたいに、巻末を答えが載っていたらいいのに。
選択の順番だってきっと未来の答えに影響を与える。
ずっと前に選んだ選択が未だに僕の現在の答えに影響を与えているのだ。
「確認だけど、これって誠大が考えたことじゃないんだよね?」
「もちろん違うよ。言い出したのは橘だよ」
「――橘くん、……か。――だよね」
そう呟いて、彼方は斜め下へと視線を落とした。微かな溜息を吐きながら。
耳から下がる淡い青色のイヤリングが揺れた。
「誠大は、――橘くんと仲いいんだよね?」
「うん、まぁ、仲いいというか、腐れ縁というか……。悪くはないよな」
「――だよね」
言ってしまってから、少し「しまった」と思いもした。
ちょっと不用意だったかもしれない。
彼方は橘のことをよく思っていないのだ。
二人の間には確執があったのだ。もう時効なのかと思っていたけれど。
ドーナッツをお皿に置くと、宮下彼方は両手でマグカップを掴む。
手の甲までをセーターの袖で覆っている。ミルクティーを赤い唇に流し込んだ。
暖かそうなハイネックの白いセーターに左胸に大きなボタンがあしらわれている。
白いセーターに黒のスカートというファッション。
休日に少しリラックス気味に自習室へとやってくる女子高生。
そんな感じの服装としては百点満点の出で立ちだと思う。個人的に。
「彼方は、やっぱりまだ橘のことを許してないっていうか、――あんまり良く思ってないんだよな」
彼方はちょっと言いにくそうに、でもはっきりと「うん」と頷いた。
「自分でも大人気ないかなって、思ってはいるんだけど。――でも、どうしても、ちょっと生理的にね。――思い出すのは思い出しちゃうし」
「――中学の時の話?」
「まぁ、……基本的には」
そう言って彼方は肩を窄めた。
中学時代、僕も伊織も、橘も彼方も同じ学校に通っていた。
今と違って、僕と伊織、橘の距離はもう少し遠かった。
むしろ彼方が、僕にとっては無二の親友だった。
クラスのはみだしものとして、ボッチ同士で傷を舐めあっているだけだったのかもしれないけれど。
「橘くんには、誰をも寄せ付けない、『正義』みたいなのがあるんだよ。もっと緩い言葉で言えば『こだわり』なのかもしれないけれど。――時々、無茶苦茶でも、自分の『正義』が通るって信じている」
「正義? ――あいつって善人だっけ?」
彼方は頬に垂れた髪を、耳に掛ける。
目を伏せると、ゆっくりと首を左右に振った。
「違うよ、誠大くん。――正義っていうのは、善悪じゃない。正義っていうのは、世の中の理屈を作って、周囲を従わせる基準だよ。橘くんは、それを押し通すんだ。彼の持っている世界観に周囲を嵌め込んでいく。はまらないパズルのピースに居場所なんてないんだ」
だから宮下彼方は、僕らの中学で居場所を失った。
橘遥輝には、宮下彼方という存在は理解できなかったのだから。
「だから誠大には気をつけてほしい。気をつけて付き合ってほしい。――本当なら、距離をとってほしいくらいだけど、……そうもいかないんだよね?」
「――だな。――伊織がいるから」
橘は伊織の彼氏だから。それが続く限り、僕が関係を切ったとしても、距離を取るわけにはいかない。
「だよね。ごめんね、こんなこと言って。――なんだか重い彼女みたいな台詞だよね、こんなの」
マグカップで口元を隠しながら、彼方は気まずそうに微笑んだ。
「いや、全然いいけどな。ここまで気兼ねぜずに腹割って話せるの、彼方くらいだし。――助かる」
「――え、――そう?」
みるみる間にその顔に微笑みが広がっていく。
そういう彼方の笑顔を、僕は単純に「可愛い」と思う。
高校に入り、自分らしさを手に入れた彼方は、和らいだ表情もするようになった。
中学の頃、教室だといつも硬い表情をしていたのだけれど。
「本当に癒されるな。彼方が笑ってくれるのは。彼方はいつも笑顔がいいよ」
僕がそう言うと、彼女は恥ずかしそうに両手で顔を覆った。
「ちょっと、誠大くん、突然、そんな恥ずかしいこと言わないでよ。――あー、ヤバい。僕、めっちゃチョロイやつになってるじゃん」
「ははは。――彼方はいいよ。そのままでいいんだよ」
僕はなんだかほっこりして、アイスコーヒーをまた一口吸い込んだ。
「――でも、そのままじゃ駄目なんだよ」
「……ん、何か言ったか?」
「ううん、なんでもない」
*
中学生の時、宮下彼方は物静かな男子だった。
いろいろなことに関して奥手で、主流派男子のノリに全く乗れていなかった。
そんな主流派男子の象徴が橘遥輝だったわけだけれど。
僕もその頃、中学生時代は、少し荒れていた。
父親が意識不明からの死亡という出来事もあり、それなりに心はすさんでいた。
そんなわけで、なんだかボッチ同士の、連帯みたいなのが生まれたのだ。
僕と宮下彼方の間には。
彼方は僕に心を開いてくれた。
だから僕も彼方には隠し事をしないことにした。
宮下彼方は中学生時代、僕の一番の理解者で、僕の安らぎだったんだと思う。
――でもすぐに僕は知ることになる。
僕と彼方では、抱えているものがまるで違うということに。
それでも僕は彼方の背中を押したのだ。――自分らしく生きてほしいと。
彼方の生き方に僕は責任なんて持つことはできなのに。
高校に進学するタイミングを契機に、宮下彼方は「彼女」になった。
女子の制服を身にまとった彼女は、中学校ではついぞ見せなかった清々しい笑顔を浮かべていた。
春の入学式。緊張しながらも純粋な希望を瞳に浮かべた彼女の横顔。
桜の花びら舞うその情景は、僕の記憶に残る鮮明なシーンだ。
*
それから一年半ちょっとが過ぎて、可愛くなった宮下彼方が頬を膨らませている。
「――だから、恋人交換なんて、……橘くんのアイデアにあんまり引っ張られないでね。誠大くん」
「ああ、気をつけるよ」
僕はボンゴレビアンコのパスタをすする。
ジャックインザドーナツのランチメニューはドーナッツだけではない。
まぁ、それはどうでもいいんだが
「ところで彼方、そのネックレス可愛いな」
「え? あ、うん。ありがとう。――昨日の初売りで買ったんだ。えへへ」
二年前まで男子だった友人は、天使みたいな笑顔を浮かべた。
*
【はるき・いおり・まさひろ・さくら】
遥輝
〉田舎からようやく戻ってきたぜー。というわけで「恋人交換」の作戦会議したいんだけど、明日って空いている?
南伊織
〉おかえり。はー、本当にやるんだね。了解。場所は?
さくら
〉わかりました。私も明日は大丈夫です。
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