第5話 幼馴染とハグ(南家・伊織自室)[2023/1/1 Sun]

 さて問題です。


 あなたの前には好きだった幼馴染の女の子がいます。

 その少女は高校の同級生で、学年で一番くらいの美少女です。

 そんな彼女は、これまたイケメン同級生の彼女であったりもします。

 そんな彼女が「お互いに気がない」ことを確認するために大きく両腕を広げてきました。

「さあ、私を抱きしめてごらん」とでも言うように。


 さて、こんな時、あなたが選ぶべき選択肢は以下の内のどれでしょうか?


 1.「冗談はやめとけ」と流す。

 2.「は、何やってんの?」と冷たくあしらう。

 3.逆に自分が両腕を広げて、攻守を交代する。

 4.そっと抱きしめる。

 5.そのまま押し倒して、行けるところまでいく。


 ――と、恋愛アドベンチャーゲームなら選択肢が出るだろうが、現実はそうもいかない。

 どうしようもなく、中途半端な空気で、時間は選択を待たずに流れていく。


 僕は、生唾を一つ飲み込んだ。

 彼女が無邪気に開いた腕を前にして。


「何も気にしていないふり」を維持するのに、経過時間の処理は重要だ。

 返答に困る「不自然な間」はそれ自体で、意味を持ってしまうのだから。

 その間が生まれないギリギリのタイミング。

 なんとか僕は口を開いた。


「――めんなよ、伊織。余裕だし」

「ほう、そうなんだ。じゃあ、来てみてよ。私の方が余裕だし」


 なぜだか意地の張り合いみたいになる、小学生の頃から成長しない幼馴染二人。

 僕はベッドの縁に座ったまま、状態を彼女の方へと向ける。

 そして開く彼女の両腕の下に、自分の両腕を差し入れた。

 そしてその背中に開いた手を添える。触れる。


「――やるな、誠大」

「――言ったろ、余裕だって」

「幼馴染だから?」

「そうだよ。幼馴染は性別を超える。一生変わらない人間関係さ」


 僕はそのまま彼女を抱き寄せた。

 触れた背中と脇は、想像していた以上に華奢だった。

 男と女の身体はやっぱり違うんだな、なんて思った。

 小学生の頃から成長していないなんていうのは、嘘だった。


 幼馴染を抱きしめる。

 彼女も胸の膨らみが、僕の胸板に押しあたって崩れた。

 彼女の左肩に顎を乗せる。

 伊織の顔が僕の左肩に乗る。

 彼女の吐息が、音になって僕の鼓膜を揺らした。


「――どう? なんともない? なんともないでしょ?」

「ああ、もちろんなんともないよ。伊織はどうなのさ。僕とハグして実はドキドキしました、とかあるんじゃないの? ワンチャン」

「なにそれ? あるわけ無いじゃん。私が好きなのは遥輝だけ。誠大とハグしたって、ぐんまちゃんの特大ぬいぐるみに抱きついているのと変わらないわ」


 ぐんまちゃんって何だよ?


「――なにそれ?」

「知らないの? 群馬県のマスコットなのよ。結構可愛いいんだから」

「持ってるの?」

「お姉ちゃんの下宿にある」

「――そっか」

「――うん、そう」


 僕は南伊織の身体をじっと抱きしめ続ける。

 彼女の感覚は、とても心地よくて、また、どこか懐かしかった。

 

「――こうしていると小学生のことを思い出さない?」

「そうかな? ――そうかもな」

「そうよ。小学生の頃はいつも一緒だったもんね。誠大と私」

「そうだったかな。そうだったよな」

「――変わらない。――誠大との関係は変わらない。だから、変わらないでいてね」


 伊織はどこか懇願するみたいに、そう言った。

 僕たちの関係は変わらない。

 誰よりも近い「幼馴染」という関係

 性別を超えた関係。

 成長していく中で、それぞれを応援しあえるそんな関係。

 僕が男性として、伊織が女性として、生きるジェンダーは違っても。

 このハグはそんな関係性の確認作業なのだ。


 でも現実と理想はちょっと違う。

 小学生の時にはこういう風に抱き合っても、ただのじゃれ合いでしかなかった。

 心臓がこんなにバクバクと拍動することはなかった。

 股間の分身がこんなに膨れ上がることもなかった。

 

 そんな理想と現実の齟齬を、彼女にそれを気取られないことを願った。

 ピンク色の柔らかなワンピースに身を包んだ南伊織を抱きしめながら、


 何秒、何十秒、何分そうしていただろう?

 ただ抱き合うことで気分が高揚して、それでいて安らいで。

 僕は幼馴染の腕の中で、元旦らしい幸福な一年の始まりを感じていた。


「――ねぇ、誠大。……もう、いいよね?」

「……あ、うん」


 僕は知らない間に腕に力を込めていたみたいだ。

 伊織は僕の腕の中から、僕は伊織の腕の中から抜け出した。

 一つのベッドの上、彼女の顔が、ほんの十センチの距離にある。

 伏せていた目が、僕の方に向けられる。


「――ねぇ、誠大」


 その瞳はどこか潤んでいるように見えた。

 それが僕の思い違いだったとしても。

 紅い唇はすぐそばにあった。

 奪おうと思えばすぐに奪えるような距離に。


「あのね。恋人交換だけどさ――」

「ああ――」


 僕たちは本題へと立ち返り、その先へと進んでいこうとする。

 でもその時、鍵をかけたドアノブがガチャガチャと音を立てた。


 驚いたように伊織が僕を突き飛ばした。

 突然の衝撃で、僕はベッドから「おわっ」と、あえなく転げ落ちた。

 ドアノブの金属音に続いて、木製の扉をノックする音が2度鳴った。


「伊織〜、誠大くん〜。お菓子持ってきたわよ〜。鍵かけているの〜? 部屋の前に置いておこうか」


 志保さん――伊織のお母さんの声だ。

 伊織は急いで立ち上がると、扉口へと駆けつけた。

 きっと変な推測をされてはたまったもんじゃないと思ったのだろう。

 ただでさえ志保さんは昔から、伊織を僕とくっつけようとしたがる傾向がある。


 伊織が扉を開けると、そこには志保さんが立っていた。

 満面の笑みで。お盆にコップと洋菓子を載せて。


「――あけましておめでとうございます。誠大くん。今年も娘をよろしくね」


 *


 一階に降りると伊織の姉の南遙香が和室のこたつに入ってテレビを見ていた。


「あ、遙香さん。ご無沙汰です。――本年もよろしくお願いします」

「――ん? おお、少年。帰るのかい? あけおめ、ことよろ〜」


 口に挟んでいた草加せんべいを左手で抜き取る。


「去年のM-1グランプリですか?」

「そうそう、年度末忙しくてねー。まだ見れてないのさ」


 首を半分こっちに向けて、遙香さんは気だるそうに流し目を送ってきた。


「あー、去年の準決勝は豊作でしたからねー。決勝もウェス――」

「ちょっと待った! 何? 誠大くん、今、しれっとネタバレしようとしてなかった? もしかして優勝コンビの名前言おうとしたりしてないよね?」


 あ、やべえ。やっちまいかけたかも。

 でも正月元旦までM-1の優勝コンビ名を耳に入れないでいることなど可能なのだろうか。

 Twitter開いたらいやでも、目にしてしまう気がするのだけれど。


「い、いやだなぁ、遙香さん。僕がそんな極悪な人間に見えますか?」

「極悪なことをしている人間は、案外、その自覚が無いものだよ。少年」


 なかなか社会の真理めいたことを言う遙香さん。


「――あと、誠大くんは昔から、ちょくちょく極悪だからね」


 自覚症状のなかった極悪人だったらしい。僕、サイコパスでした?

 遙香さんは、一旦、一時停止ボタンを押すと、こたつに入ったまま上体をこちらに向けた。


「我が家に誠大くんが来るのって結構、久しぶりなんじゃない? 懐かしいね」

「もしかすると三年ぶりくらいかもしれませんね。中学の時くらいかな?」

「最近よく来ているわけでもないんだね?」

「はい。今日が再デビュー戦ですね」

「ほー。一人暮らしをしていて、めったに実家にいない私が、そんなレアタイミングに遭遇するとは、なかなかの行幸だね」


 なんだか相変わらず持って回ったような言い回し。

 こういうキャラになったのは高校時代に演劇部に入ってからだと思う。

 ただし中学二年生頃に発症したオタク趣味の時代からその片鱗を見せていたかとは思う。

 いわゆる中二病ですね。

 でも南家の長女が、若干変人ながら、聡明で偉大な人物であることは有名な話だ。

 小中高それぞれに、そこそこの伝説があったりする。


「でも元旦から我が家に来るとは。そんなに伊織のことが大切なのかい? 親族の集まりを蹴飛ばしてでも、駆けつけたくなるくらいに?」


 なんだか多分に誤解を含んだ言い回し。


「親族の集まりは、コロナのせいでこの三年間無いんですよ」

「なんとまぁ、コロナ如きで親族の集まりを自粛するとは軟弱な!」

「――医療関係者に怒らますよ?」

「平身低頭! 五体投地!」


 畳の上に伏して、日本中の医療従事者に土下座する、20歳の乙女。


「それで? その様子じゃ、伊織と付き合いだしたっていうわけでもなさそうだね。今日は正月早々から、なんの用事だったんだい?」


 体を「よっこいしょ」と起こすと、遙香さんは畳の上であぐらをかいた。


「……おっとこれは詮索し過ぎかな? いけないね。年を取るとどうも恥知らずになるらしい。すまない。無理には答えなくていいんだよ、少年」


 年を取るって、あなたまだ二十歳ハタチじゃないですか。


「ちょっとトラブルがあって、伊織に呼び出されたんですよ。若干の怒られ案件で。あと伊織とは幼馴染でそれ以上でもそれ以下でもありませんからね。これはずっと変わらない定理」

「そうか〜。怒られ案件か〜。それは聞かないほうが良いやつ? めっちゃ聞きたいけど」

「ご明察。ご容赦くださいませ」


 僕が肩を竦めると、遙香さんは「わかった、わかった」と右手をパタパタした。


「――ところで、橘遥輝のやつは元気かい?」


 一瞬、ギョッとした。

 口にしなかった「トラブル」が橘絡みだと見抜かれたのだろうか。

 遙香さんの様子を伺う。表情は飄々としたままで、そういうことでもなさそうだ。

 単純に橘の近況を聞いているみたいだった。


「まぁ、元気にイケメンやってますけど?」

「あいつがまだ伊織の彼氏をやっているんだよな?」

「え、あ、はい。――伊織の彼氏だから聞いたんじゃないんですか? それ以外に遙香さんと橘の接点ってありましたっけ?」

「ん? まぁ、ちょっとね」


 そう言って遙香さんは曖昧な笑みを浮かべて、視線を横にずらした。

 きっと今度は遙香さんの「聞かないほうが良いやつ」なのかもしれない。

 僕の知らない接点がどこかにあるのかもしれない。

 京都の街は、百万人都市でも、どこか狭い。


 だから「橘が恋人交換を持ち出した」なんて遙香さんの耳には入れない方が良いのだ。

 

「ん? あれ、どうかしましたか?」

「いいや。――なんでもないさ」


 気づけば遙香さんが僕を見て楽しそうに目を細めていた、

 よくわからないけれど、あまり気にするのはやめよう。

 もともとよくわからない人だから、詮索するとドツボにはまる。


 僕が帰る旨を伝えると、遙香さんは「ああ、私は、笑いの頂上決戦の続きでも見るよ」とテレビのリモコンを掲げて見せた。「じゃあ、またな」と。


 靴を履いて、南家の玄関口の扉を開く。

 その時、遙香さんに聞かないといけない質問をふと思い出して、和室へ続く襖を開いた。


「――遙香さん。遙香さんの下宿に特大ぐんまちゃん人形があるって本当ですか?」

「ん? ああ本当だよ、少年。いつか君も抱きしめに来るといい。――私じゃなくて、ぐんまちゃんをね」


 最後はロクでもないネタな気がしたので、返事をせずに襖を閉じた。


 *


 南家の門扉を出て、川沿いの道に出ると、冬の強い風が吹いてきた。

 今年は暖冬だとか言うけれど、一月の京都はやっぱり冷える。

 春になると桜並木になる道も、今は裸の木の枝ばかりが連なる。

 北に並ぶ双ヶ丘を望んで、ホゥ、と息を吐いた。


 帰り道、音楽でも聞きながら歩こうかとスマートフォンを取り出す。

 そこでLINEのメッセージが届いていることに気付いた。

 画面をスワイプしてLINEを立ち上げる。

 メッセージは咲良からだった。


【さくら】


 〉 あらためてあけましておめでとう。今年も一年間よろしくね。

  明日の2日、誠大くんは予定とかあるかな? 空いている?

  もし空いていたらデパートの初売りとか、一緒に行かない?

  お年玉貰えたから、ちょっと行きたいなーって。

  2023年の初デート?

  どうかな?


 とりあえず、「イイね」のスタンプを返す。


 〉 いいよ。ちょっと出先だから、家に帰ってからまた連絡するね。


 送信すると、五秒もせずに「既読」がついて、またスタンプが飛んできた。

 大きなハートを飛ばしている可愛い女の子のスタンプだ。


 僕はスマートフォンをポケットに突っ込んだ。

 新年の初デート。でもそこで告げないといけないのは、恋人交換スワップの話なのだ。


 それってとても不誠実なことなのじゃないかと、今更ながらに思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る