第13話 デートの誘いとフロンティアホール(京都・京都駅前予備校)[20231/6 Fri]
「――ほい。カフェラテ。トールで良かったよな」
「あ、サンキュー」
八人掛けの白い長机。その一角で伊織が顔を上げた。
机の上には筆記用具に分厚いルーズリーフと、B5版のテキスト。
予備校のテキストではない。どこかの問題集か何かだ。
ちょっと覗いたら化学のテキストだった。
紙カップに入ったタリーズのカフェラテを受け取ると、伊織は黒縁の眼鏡をクイッと上げた。なんだかすごくわざとらしい。何アピールかは知らないけれど。
「伊織、――目、悪かったっけ?」
「ん? 悪くないよ?」
「じゃ、なんで眼鏡」
「だって雰囲気出るでしょ?」
「まさか、伊達?」
「まさかしなくても、伊達。っていうか、眼鏡ですらないから。サングラスだし」
「え? なんでサングラスする必要あるんだよ?」
「え? だって、ちょっと勉強してそうでしょ?」
「おまえなぁ……」
彼女が眼鏡をクイクイ動かす。
黒縁メガネの力で、いつもよりかは勉強してそうに見えるのは事実だった。
その仕草はバカっぽかったけれど。
「――それに変装にもなるでしょ?」
伊織が、声を潜めた。
「――それはそうだけどさ」
僕も声を潜める。周りに聞かれてはいけない秘密だからだ。
周囲で勉強していた自習生が一人、こちらをちらりと見た。
とはいえ声は潜めた方が目立つことも無きにしもあらず。
それでもひそひそ話は続く。
「まあ、ちょっとは気を使ってるんだよ。誠大もバレちゃ困るんでしょ?」
「お前がな」
「でも一緒にいる誠大がノーダメって訳にも行かないんじゃない?」
「そりゃまぁ……、そうだろうけど」
「私、生徒証? みたいなのも無いし、逃げて終わりだけど、誠大はそうも行かないもんね~」
「お前なぁ、性格悪いぞ。――そんなこと言うんだったらカフェラテやらん。返せ」
「それはそれ。これはこれ。カフェラテはカフェラテ。――ゴクゴク」
幼馴染はプラスチックの蓋に開いた飲み口から、カフェラテを啜った。
少し熱そうにしながら。カップを離した唇には白い泡が微かに残った。
「これでも返せって言う? 飲む? 飲んだら間接キスだぞ~」
「う……。あ、――まぁ、恋人同士だから問題ないという考え方もあるな」
「ここに来て乗っかるんだ。恋人
「いや、まあ、冗談だよ。そういう意味では乗らんよ」
「じゃあ、ま、頂けるものは頂いちゃうね。ごちそうさまー」
「ハイハイ」
僕は観念して、自分のコーヒーを机に置く。
肩に掛けていたブルートゥースのヘッドホンで両耳を塞いだ。
タリーズコーヒーの一杯はさっきやっていた勝負の賞品。
問題集の見開きに掲載された実力テスト。
どちらが高得点を取れるか、時間制限付きの一本勝負をしたのだ。
負けたほうがアバンティ1Fにあるタリーズコーヒーに飲み物を買いに行く。
そういう条件で。しかも奢りで。
絶対に負けないと思ったんだけどなぁ。
意外と伊織も勉強しているらしい。
「――誠大、私が点数取れたの、まぐれだとか思っているでしょ?」
「思ってないよ」
勉強でまぐれというのは実際のところは稀だ。
受験勉強はやっていると思うけど、結構、公平な世界だと思う。
きっと伊織もやるべきことはやっていたということだろう。
橘たちとチャラチャラしているだけじゃなくて。
「私が点数取れたの、意外だとか思っているでしょ?」
「――それ思ってた」
「ほらね」
「ほらねじゃねーよ。そりゃまぁ思うだろ。いつもそんな勉強してそうでもないし」
すると伊織は伊達メガネを右手親指と人差し指で挟み、二度ほど上下させた。
「私、真面目ですから」
「うるさいよ」
*
昨日。1月5日。
恋人
夕方に突然我が家にやってきた南伊織。
二人っきりの僕の部屋。
ベッドから立ち上がった彼女は、僕の肩に手を置いて言った。
「それなら、誠大。私ととりあえず一回デート、しよ?」
肩に触れる彼女の手のひらを感じながら、僕は彼女の顔を見上げた。
しばしの沈黙の後に、僕は口を開いた。
「――うん、やめとく」
「じゃあ、どこに行こうか? ……って、えええ?」
伊織は二歩、後ずさった。
「まさかのノリツッコミ」
「ていうかこの流れで拒絶とか思わないじゃん。――私じゃなかったら、ちょっと傷ついているよ?」
「伊織じゃないと、やらんよ」
「いやそれもどうなんだろう? 私、信用されてる? それとも軽視されている?」
「両方じゃね?」
僕が真顔で返すと、伊織はムスッとした表情を作って小さく溜息を吐いた。
そのまま、またベッドの端へと腰をおろす。
「はー。誠大、ノリが悪い」
「ノリが悪いんじゃない。誠実なんだ。誠大なだけに」
「『誠大は誠実にはちょっと足りない』じゃなかったっけ? 実際には『うかんむり』と『横線二本』。なんか超懐かしいんだけど」
「『実』と『大』の漢字の違いな。古い話持ち出してくんなぁ~。中学の現国教師が言ってたやつじゃん」
「つまり、誠大は毎日『ウニ』を食べると、誠実な人間になれるって結論だっけ?」
「そんな結論出ないよ。ていうか、現国教師も現国教師だし、
そのリア充集団に橘と伊織は含まれていた気がする。
もちろん僕と彼方は含まれていない。
「で、最終的にはあの先生――えっと、吉原先生だっけ? 女子生徒に手を出して、学校辞めてたしね。――『誠実』とは?」
「笑えねぇー」
ていうか先生元気かな。クラスの頭空っぽ集団に「
中学生相手に本気で恋してしまったことも含めて。
「でも、なんでデートのお誘いを断ることが誠実なの? この私からの」
五本指を自分の胸に押し当てる、伊織。
なんだかアニメ化版なろう小説の悪役令嬢みたいに。
「――あ、まさか、咲良ちゃんへの義理立て?」
「ばーか。ちげーよ。そんなんじゃないよ」
「じゃあ、何?」
「うーん。なんか、恋人
「なにそれ? おぼこい」
「おぼこい?」
「あ、――お子様っぽい、ってこと」
「おぼこい……ね」
スマホを開いて
あれ? 僕、京都出身だったのに、なんで知らんかった?
そりゃあ、もちろん伊織とデートしたい気持ちは、正直、ある。
手を繋いで街を歩くのなんて想像しただけで心臓がバクバクする。
メチャクチャ照れくさいけれど。
こっ恥ずかしさと、嬉しさと、興奮とは、恋愛ではいつも隣り合わせだ。
でも、ただ言われるがままに踊るのは違うんじゃないかって思うのだ。
橘の敷いた「恋人
僕と伊織の関係性は、そんなに軽いものじゃない。
こういう考え方が「おぼこい」のかもしれない。
大人ならもっとカジュアルにデートや性行為を楽しむものなのかもしれない。
でも、それなら僕は子供のままでいい。
まだ子供としてこの関係性を大切にしたい。
そんなアダルトでリア充な考え方は、僕の人生にいらない。
少なくとも今は。
「でもさ。デート出来ない理由はそういうノリの問題だけじゃないんだ」
「――え? 何?」
僕がわざと真剣な表情を作ると、伊織がベッドの上で呼応して目を細めた。
「――冬休み。――まじで勉強できていない」
「それな〜!」
幼馴染は人差し指を二本立てて、僕に向けた。
明日は金曜日。土日を挟んで祝日――成人の日をまたいで火曜日からもう学校。
それなのに学校の宿題さえ終わっていないのだ。
これでも、進学校に通う、受験生なんですぜ。
予備校で先輩方の顔を見てからどうしても意識してしまう。
「大学入学共通テストは一年後」なんだって。
*
1月6日の金曜日。デートじゃなくて自習。
僕が通っている予備校の京都駅前校にやってきていた。
フロンティアホールはそこまで混んでいるわけでもなく、平常運転だった。
学校が休みで勉強場所を求めてくる生徒もいれば、流石に正月中くらいは家にいたいと思う生徒もいて、相殺している感じだろうか?
ちなみに高3生と予備校生の校舎はイオンモール近くの京都南校だ。
雰囲気に気を使ってか、校舎は建物単位で分かれている。その間、徒歩五分。
きっと向こうの校舎はもっと殺気立っているだろうし、混雑しているのだろう。
フロンティアホールももっと混んでいるのかもしれない。
むしろ、みんなそこまでいくと、個別自習室を使うのかもしれない。
ちなみにフロンティアホールというのは自習できるオープンスペースである。
数学の証明問題が
顔をあげると斜向かいでは黒縁メガネをかけた伊織が真剣な表情で化学のテキストと向き合っていた。右側の髪がサラリと垂れている。
その横顔が少し新鮮だった。
思い出すのは小学生の頃。夏休みの宿題をうちや南家で一緒にやったりした。
南家のダイニングテーブルや、うちのリビングのローテーブルを囲んで。
その時の彼女と、同じといえば同じなのだけれど、違うと言えば、全然違う。
あの頃は化学なんて難しいものはやっていなかった。
あの頃はお互いに彼氏彼女なんていなんかった。
あの頃は伊織がメガネなんて掛けていなかった。――今でも伊達だけど。
あの頃の僕らはまだ子供だった。――今が大人なのかどうかは知らないけれど。
「あれ? 誠大? 今日も自習来てたの? それなら言ってくれれば良かったのに」
突然、背後から声を掛けられた。コーヒーを置いて、僕は振り返った。
そこに立っていたのは、肩からトートバッグを掛けた、宮下彼方だった。
茜色のスカートから黒いレギンスに包まれた細い足が伸びている。
「――おう、彼方」
「あ、友達と一緒? ――ごめんね」
「いや、いいよ、別に。特別な意味があるわけじゃないから」
「そっか。――ていうか、えっと? 予備校の友達? 他校の子?」
何を誤解したのか、彼方はどこか気まずそうだ。
「違うよ。ちょっと秘密だけどな。――あれ、伊織だ」
「えっ?」
驚いたように視線を動かす。眉が中央に寄って、少女の表情が急速に曇った。
伊織は顔を上げ頬に掛かった髪を耳に掛けると、伊達メガネを外した。
「ども~。あけましておめでとう。宮下くん……じゃなくて、『さん』? おじゃましてます」
正体を晒した伊織は、僕に向けるよりも少しだけ余所行きの笑顔を浮かべた。
誰にも好かれる、愛らしい、人気者の笑顔を。
「――どうして、ここに南さんがいるの?」
その張り詰めた声に、僕は彼女の顔を見上げた。
隣に立つ僕の親友――宮下彼方。
氷のように冷たい目が、怒気を孕んで、どこか寂しそうに、僕を見下ろしていた。
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