第18話 ロリコンとカミングアウト(南家・ダイニング)[2023/1/8 Sun]
『書を捨てよ町へ出よう』とは、寺山修司による評論、戯曲、映画の名前である。
なお僕は読んだこともなければ、見たこともない。
ただそのタイトルだけは知っている。
本当ならちゃんとその本を読むべきなんだろうけれど。
僕は未だその機会に恵まれていない。――すみません。読みます。
ちなみに今の時代なら『スマホを捨てよ町に出よう』にでもなるのだろうか。
とはいえスマホは持ったまま外に出られるので、あまり意味をなさない気がする。
そもそも町に出るときにこそ、スマホは所持すべきであり。
家に引きこもってYouTubeやSNSをネットサーフィンしていても色々な気付きや出会いはあるもので、大人たち――特に高齢者たちのの言う「ネットの上に引きこもっていては気付きがない。やっぱり若者は外に出て人と交流しなけりゃいかん」みたいな常套句は、ただの世迷い言だと思う。
とはいえ、その言葉に一片の含蓄も無いかといえばそんなことはない。
町に出ることが驚くべき展開や出会いを与えてくれることがあるのもまた事実だ。
ネット上以上にレアリティの高い、意味のわからない遭遇。
そういった偶然に、僕らのテンションは爆上がりする。
「それで何が言いたいの? 誠大? 何か面白いことでもあったの?」
「まさにそれだよ、伊織。伊織に言われて、僕、今日、Vドラッグに寄ったわけね」
「――誠大。――前置きが長い」
大体、テンションが上っている人間は、無駄に饒舌になるわけである。
南家のダイニングテーブルで、前に座る伊織に、今日あった出来事を話していた。
志保さんが作ってくれたお汁粉を突きながら。
志保さん――伊織のお母さんは、今もキッチンで洗い物をしている。
姉の遙香さんは、隣の和室でまたNetflixを見ている。韓国のドラマ。
僕が来ると常にNetflixを見ている気がするけれど、大丈夫なんだろうか?
大学生には冬休みの宿題とか無いんだろうか?
「――それで誰と会ったの?」
「それだよ、伊織。聞いて驚け」
「もったいつけすぎ。くだらない人だったらグーパンね」
「暴力反対。すぐ手が出るのは伊織の悪いところだぞ」
「いつも出てないし。そうね、最低でも米津玄師レベルね」
「え? ハードル高すぎない? 人生一番レベルじゃん。それは無理だわ」
「まぁ、私も流石にそれは無いと思っているけれど。誰? 私も知っている人?」
「ああ。ちょうどこの前、伊織と話していた時に話題に上がった人物さ」
「え〜? わかんない。誰だろう? 板垣退助の亡霊?」
「僕ら自由民権運動の話とかしてたっけ? そもそも亡霊って、いつから僕は霊能力者になった?」
「いや、まぁ、私、日本史選択だし」
「僕もだけど。この文脈で『話していた時に話題に上がった人物』に歴史上の人物って普通は含まれないよね?」
「じゃあ、誰なのよ? もったいつけずに教えなさいよ」
頬杖をつく伊織の前で、僕は一つ息を吸った。
「――吉原先生」
「……誰だっけ?」
伊織さん。忘れていました。
まぁ、
「ほら、中学の先生。現国の教師の」
「あ〜、誠大のこと『
「うん。省略して説明すると何のことかわからないけどね。『誠実』になるは『ウ
「中学生女子に手を出して、学校を辞めていった吉原先生ね」
「そう、その吉原先生」
その2つしかエピソードが無いというのも、ひどい覚えられ方だ。
中学生女子に手を出したといっても僕らはその詳細を知らない。
対象となった女子生徒は僕らより一学年上だった。
相手の女子生徒は生徒会長までやっていた生徒だったので、僕も顔を知っていた。
僕らのひとつ上だから、今、ちょうど高校三年生ということだろう。十八歳。
「へー。先生、まだこのあたりに住んでいたんだ。ああいう事件があると、学校の近くに住みにくくなるし、どこか遠くに移り住んでるとばっかり思っていた。――よくあるじゃん? そういう事件の後に山奥の故郷に引っ越すみたいなの。ドラマだと」
「うん、あるけどね。――だからびっくりしたんだよ」
「でも、それだけ? 吉原先生、Vドラッグに一人で買い物に来ていたの?」
ところで今、話題に上がっているVドラッグであるが、近所にあるドラッグストアである。いわゆる薬や化粧品もさるものの、お菓子系が結構安くて、そのあたりを買う時には、この地域の人間はスーパーよりもVドラッグを使いがちだ。
日曜日の昼、自宅で学校の宿題の仕上げをしようとしていた僕は、伊織から「退屈だし、家に来て、一緒にやらない?」とLINEで召喚された。
それは良いのだが、そのタイミングで伊織が志保さんからVドラッグへのお遣いを頼まれたらしく「ごめんだけど、来るついでにVドラッグに寄って買ってきて」と、買い物リストをLINEで送付されたのだ。
誠大
〉え? なんで? それ自分のお遣いじゃないの?
南伊織(いおりん)
〉いーじゃん。彼氏(キャッ!)なんだし。
何が「彼氏(キャッ!)」だ。彼氏が家の用事を横流しする対象だなんて、聞いたことがない。そもそも咲良との交際で、こんなシーンはなかった。――まぁ、あるわけないか。
でもそのお陰で面白い遭遇があったわけだから、人生はわからないものである。
つまり、『書を捨てよ町へ出よう』。
「――それがさ、女の人と一緒だったんだよね。まるでカップルみたいだった。いや、新婚さん、のレベルかも」
「へー。相手はどんな人だったの?」
「これ、多分だけど、あの中学の時の生徒会長さんだと思う。僕らより一個上の」
「え? あの私たちが中二の時に先生が学校を辞めるきっかけになった相手の人?」
「そうそう」
「つまり、学校を辞めてからも、二人は交際を続けていたとか、そういう話?」
「そういう話、……なんだと思う」
「マジで? 吉原先生、マジで?」
僕らにとって中学生の時のあの事件は、一瞬のニュースでしかなかった。
一時期うなされるだけの麻疹みたいな存在。
先生が学校を辞めた後、僕らは日常に戻っていった。
まるで何事もなかったように。
でもその裏で、別の日常は、ずっと続いていたのかもしれない。
「――なんか懐かしい話、してんじゃん?」
「遙香さん」
隣を見るとさっきまで和室でだらけていた遙香さんが立っていた。
「吉原先生かー。私も国語の授業持たれてたよー。ちなみにあの先生、地元がそもそも京都だから、引っ込む山奥の故郷なんて無いわけよ」
彼女は僕の隣の椅子を引いて、「よいしょ」と腰を下ろした。
「遙香さん、いつまでこっちにいるんですか?」
「ん? 明日までね。明日、成人式だし。家族のお祝いもあれば、近所のメンバーとの飲み会もあるんで」
僕の質問に答えると遙香さんはキッチンにいる志保さんに「私もお汁粉欲しい〜」と手を振った。向こう側で志保さんの「はいはい」という返事が聞こえた。
「お姉ちゃんの時も吉原先生って、そういう噂とかあったりしたの?」
「んー、どうだろうねー。まぁ、ああいうロリコンは、いつまでも病気みたいにロリコンだから。当時もあったのかもしれないし、なかったのかもしれないね」
机の上に置かれたポットから湯呑にお茶を入れると、遙香さんは「ふーふー」と息を吹きかけた。
「ロリコン――なんだ。まぁ、そっか。中学生に手を出すんだもんなぁ」
「そうそう、ロリコン、ロリコン。大体、そういう奴って、一見、純粋そうに見せておいて、結局、相手が大人になっちゃうと『やっぱり、君は僕の思っていたタイプの女の子じゃなかった』とか言って離れたりするんだよ。……アチアチ」
中指と親指ではさみながら、遙香さんは口元から湯呑を遠ざける。
「なんだか見てきたように言いますね。――遙香さん、何かありました?」
「無いよ、無い、無い。なんにも無いよ」
「お姉ちゃん、今も、彼氏いないもんね」
「ほっとけ〜」
遙香さんは湯呑を机の上に置くと、伊織の額を中指で弾いた。
「いたっ」と伊織。大して痛そうでもない一撃だったけど。姉妹のじゃれ合いかな。
「でも多分、Vドラッグで見たの、あの時の先輩だったし、きっと今も続いているんだと思いますよ。二人、なんだか、すごくいい雰囲気だったし」
いい雰囲気だったのは本当だ。なんだか「いつか彼女と、ああいう風な夫婦になれた良いな」って思うくらいに、いい雰囲気の二人だった。
僕にとってその彼女が咲良なのか、伊織なのか、それとも他の誰かなのかはまだわからないけれど。
「そっか。誠大くんが、そう思うのなら、そうなのかもしれないナァ。でも人間関係なんていうのは、
「そういうもんですかねー。でも相手の人、十八歳だと思うから、もう結構大人だと思いますよ。三年間以上続いていることになるのかな?」
十八歳はもう結婚だって出来る年なのだ。少女から大人の女性に変わる時期。
「そっか。十八歳かぁ。だったらもう結婚だってできるもんね。じゃあ、もうそのまま行っちゃうのかもしれないね、吉原先生」
遙香さんは湯呑からお茶を飲み込んだ後、「ふぅ〜」と湿った息を吐き出した。
横顔にある瞳は、どこか憂いを帯びていた。
そんな遙香さんの瞳と言葉。それに煽られるみたいに僕は自身を振り返る。
恋愛は炎にたとえられる。「燃えるような恋」だとか。
それはどこか「消えてしまう」ことを含意しているようにも思う。
強く燃える恋は、すぐに燃え尽きてしまう。
穏やかなとろ火みたいな恋は、長続きする、みたいな。
僕はまだ多くの恋愛経験を持たない。
ちゃんとした恋人は咲良が初めてだ。
昨日、スターバックスで話した言葉を思い出す。
僕らの恋はまだ「燃えて」いる。それはそうだと思う。
交際が一年に届く前に始まった「恋人
それは、僕らの関係をどう変えてしまうのだろうか?
僕たちは、この試練をちゃんと乗り越えられるのだろうか?
咲良への思いが恋だとして、伊織への思いは何なんだろう?
これも恋なのだろうか? それとも別の何かなのだろうか?
ずっと一緒に育ってきた関係性――幼馴染。
それは燃えるような恋ではないかもしれない。
でも彼女との関係性は、そんな炎にも劣らず大切なものに思える。
それは「恋人
視線を上げると、伊織の視線と、ぶつかった。
「――あ、……おう」
思わず変な声を漏らしてしまった。
そんな僕を見て、伊織は一つ溜息を漏らす。
「ねぇ、誠大。――今、咲良ちゃんのこと考えていたでしょ?」
「ん? いや、言うほどでもないけど。――わかるの?」
「なんとなくね」
「彼女の前で、別の女の子のこと考えるなんて、誠大くんもイケナイ男の子になったもんだねぇ〜」
ニヤニヤと笑みを浮かべる遙香さん。
その言葉に違和感を覚えて、思わず振り向く。
「え? ちょっと彼女って? えっと、僕の彼女は、遙香さんの知らない――」
「あ、ごめん、誠大。お姉ちゃんにはバレちゃってるの!」
目の前の伊織が、僕に向けて両手を合わせた。
遙香さんは、僕の方を見て引き続きにこやかな笑みを浮かべている。
「バレちゃってる……って?」
「恋人
「――え? ちょ、マジで?」
「うん。この前、LINEのメッセージ、見られちゃって」
申し訳なさそうに頷く、伊織。
恐る恐る隣を見ると、遙香さんがニヤニヤの笑みを更にスケールアップしていた。
「君たちも高校生なのに、なかなか面白いことしているよね〜?」
「えっと、違うんです、遙香さん。これには理由がありまして。決して僕が言い出したわけではなく。伊織も被害者というか」
「まぁ、別に、私は、誠大くんや伊織を『不潔だ〜』なんて言ったり、誰かに言いつけたりするつもりはないから、あんまり気を使わなくていいよ?」
「え? そうなんですか?」
どこかホッとしたような、変な気分だ。
そう言ってもらえるのはありがたいが、それはそれで良いのか戸惑う。
「大学だとそういうスワッピングっぽいの、もっとガチな感じでいっぱいあるしね」
「え……? そうなんですか?」
「うん。私の友達でもいたし、サークル単位で怪しいところもあるし」
飄々と言う遙香さん。
マジか。大学生の性事情どうなってんの?
ていうか遙香さんの通っている大学、結構、いい大学ですよね?
「むしろ応援しているかな? 私は伊織と誠大くんはくっ付くべきだと思っていたから。――昔から」
「――お姉ちゃん! ――勝手なことばかり言わないでよ!」
「わー、勝手なこと言ったら怒られちゃったー。お〜、こわ〜」
伊織は結構本気で怒って見せるが、遙香さんは冗談っぽくおどけてみせた。
こういう風に憎めないキャラで通せるのも、遙香さんのすごいところだ。
結構、無茶苦茶なことをやっても、こんな感じで切り抜けてしまう。
「なになに? 何だか三人で盛り上がっているじゃない。お母さんも混ぜてよ。はい、遙香の分。そしてこっちは私の分」
「あ、お母さん、サンキュー」
キッチンから現れた志保さんは、遙香さんの目の前にお汁粉の入ったお茶碗を置いた。彼女は机の上の箸置きから自分のお箸を取り出すと、嬉しそうにその小豆色をかき混ぜ始める。中から白いお餅が頭を出す。
志保さんは、伊織の隣に座ると「――それで?」と続きを促した。
僕はどうこの苦境を潜り抜けたものかと頭を撚る。
伊織も同じく悩ましそうな表情を作っている。
だけどそんな僕らを嘲笑うように、遙香さんのムーブは宙を舞った。
「えっとね。伊織と誠大くんが、この正月からお試しでお付き合いを始めたんだって〜!」
「――ちょっと、お姉ちゃん!」
「――遙香さん! まって、まって、まって!」
僕と伊織が前のめりに、遙香さんの口を押さえようと、両手を伸ばす。
そんな中、志保さんは一人、両手を合わせて満面の笑みを浮かべた。
「まぁ、それってとっても良いじゃない? おめでとう! 二人共!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます