第19話 彼女の姉と成人式(京都・京都ホテルオークラ)[2023/1/9 Mon]

 琵琶湖疎水沿いの車道を足早に渡る。

 冷たい風が肌を打つ。コートの襟がバタバタと揺れた。

 太陽は道の伸びる南の方角にある。南中。

 僕にとっての冬休み最終日、1月9日。快晴。空の透明度は新年明け一番だ。


 遠くから喧騒が聞こえる。

 落ち着かない熱気が冬の空気を伝って伝播している。

 ここまでも何人かにすれ違った。

 スーツ姿の男性に、振り袖姿の女性。

 大人と呼ぶにはまだ未成熟で、子供というには十分大きい境界線上の先輩方。

 体と年齢を持て余した存在。それが成人。

 1月9日は、成人の日、である。


 橋を渡って歩くと、本丸の人だかりが視界に入ってきた。

 東山・岡崎エリアにあるイベントスペースみやこめっせ。

 同人誌の即売会や企業のイベントなんかも行われるこの場所がメイン会場らしい。

 どうにもテンションのおかしな感じの人たちが、わらわらと。

 ――卒業した僕が知っている高校の先輩もいるのだろうか?

 一瞬そんなことを思ったけれど、よく考えたら在校年の被っている先輩はいない。

 今年の成人――もとい二〇歳はたちは僕が中三の時、高三だった先輩だから。

 なんだかちょっとっホッとした。先輩後輩の上下関係は苦手だから。


 成人の日。京都市が主催する例年通りのイベントは「成人式」ではない。

「京都市はたちを祝う記念式典」という名前らしい。

 二〇二二年四月、去年の民法改正により「成年年齢」が一八歳に引き下げられた。

 だから、法律上では成人するのは一八歳。だから「はたちを祝う」会なのだとか。


 でもそれだったら、成人の日に祝う必要なくね?

 とか思う。きっと、「それはツッコんだらあかんやつやで」なのだろう。

 最近、なんか世の中で、そういう感じの話、多すぎません?


「――あ、遙香さん」


 卒業式みたいな、雑多な感情を含んだ喧騒の中、僕は目的の女性を見つけた。

 これだけの人だから自然な発見は絶望的かと思ったけれど。

 赤い色の振り袖姿、周りの女性陣よりも少し高い身長。

 そこらにいる二〇歳はたちよりも柔らかで背筋の伸びた佇まい。

 艶やかな着物に「着られて」いないのは、彼女だけのように思われた。


「あ、誠大くん。――よっ、早かったじゃん」

「――あれ、誰? 彼氏?」


 その隣には緑色の振り袖を着た女性がもうひとり立っていた。

 目があったから首を少し前に出して、挨拶する。向こうは小さく首を傾げた。


「ちがうちがう。妹の彼氏」

「あ、……えっと、伊織ちゃんの?」

「そうそう」

「いえ、違いますから。幼馴染です」


 反射的に否定をすると、遙香さんが目を細めた。


「――彼氏、なんだよね? 誠大くん」

「あ、……はい。……そうです。彼氏です」


 その視線に射竦められる。昔から、遙香さんには敵わない。

 だめだな。まだ自分で自分を「伊織の彼氏」だって騙しきれていないみたいだ。

 恋人交換スワップ。中途半端はむしろ良くないのかもしれない。


「え? なになに? なんかあるの」

「何でもないよ。夏子。ただ単なる高校二年生の初々しい恋愛ってだけのこと」

「えー、いいなー。高校二年生か〜。恋愛的にも楽しい時じゃん。戻りたい」

「受験勉強とかもあるけどね」

「それは戻りたくない」


 夏子と呼ばれた遙香さんの友人は、ちろりと舌を出した。

 髪はアップにしていて、きれいな装飾の入った赤い髪飾りをつけている。

 遙香さんみたいに飛び抜けているわけじゃないけれど、綺麗な人だと思った。

 少し吊り目で鋭い印象があるけれど、笑った顔には人懐っこい幼さが滲んだ。


「それで彼氏くんがなんで一人で?」

「迎えに来たんでしょ? これから私、家族で、お祝いランチだから」

「あ、そうなんだ。で、妹さんの彼氏がお迎え? もはや家族の一員じゃん。やばい。完全に取り込まれているじゃん。逃げられない。もしかして彼氏、車運転したりするの? あ、高校二年生だったらさすがに免許ないか」

「――志保さん……えっと、おばさんが近くに車をとめていて」

「誠大くん、うちの妹の尻に敷かれているんで、きっと派遣されたんだよね?」

「いえ。――あ、はい」


 図星である。志保さんは駐禁を取られないように車の中。

 僕か伊織が呼びに行くことになったんだけど、「二人共行く必要って無いよね?」ということで、何故かじゃんけんすることになり、見事敗北した僕がここにいるわけである。


「えー、さっそく尻に敷かれているか〜。妹さんも遙香に似て、煮ても焼いても食えないタイプの女の子なのかな? 私、何回か、会ってるよね?」


 夏子さんはニヤニヤと笑みを浮かべる。猛禽類みたいに動く視線が好奇心を示す。

 ゴシップ好きな人のようだ。まぁ、女子の大半はそうだと思うけれど。経験上。


「伊織はそういうタイプじゃないよ。あの子は私と違って素直だよ。純情」

「お姉さんは、純情とは言い難いからね。その浮き名は中学時代から……」

「こらこら、夏子。調子に乗りすぎ。妹の彼氏に、変なこと吹き込まないでよね。ワンチャン、将来、義理の弟になる相手なんだから。――ね、誠大くん」


 両腕を抱えるように腕を組み、遙香さんは僕を窺った。

 

「いやまぁ、それは、――まぁ、そうかもしれませんね」


 また答えにくい質問を振るものだ。

 そもそも恋人交換スワップで彼氏を演じているだけの僕に、伊織との「将来」なんて考える権利なんてあるんだろうか。

 もし考えるとするならば、それは橘と伊織がいつか本当に別れた後。

 でももし、この恋人交換スワップで、四人の関係が変わってしまったら?

 僕らの未来は、本当に遙香さんの言うような世界線へと進むのかもしれない。


「そっかー。それじゃ義理のお姉さんの武勇伝なんて、聞かせるわけにもいかないね〜」

「――夏子」


 遙香さんが声を低めると、夏子さんは「ごめんごめん。ジョークよ、ジョーク」と肩を竦めた。

 遙香さんは笑顔を作っていたけれど、ちょっとその奥に何かがあるような気がした。――「武勇伝」か。


「じゃあ、夏子、また夜の宴会でね」

「あ、うん。わかった。みんな遙香に会えるの楽しみにしてるからね」

「あはは、マジで? わかった。私も楽しみにしてるね。――行こっか、誠大くん?」

 

 振り返ると遙香さんは、その体を僕にぶつけてきた。

 僕の左腕に右腕を絡める。何の冗談かはしらないけれど。


「――ちょっと遙香さん」

「じゃあね、夏子!」


 僕の声なんかスルーして、彼女は振り返ると、左手を振った。

 遙香さんの髪からは、どこか大人の女性の香りがした。

 それでいてどこか落ち着く、――伊織に似た、あの家の匂いがした。


 *


「じゃあ、明日のランチ、誠大くんにも参加してもらいましょうよ」


 言い出したのは志保さんだった。

 手を合わせて瞳をきらきらとさせる姿はどこか幼くて、この人が伊織の「お母さん」だということを、忘れさせる。

 やっぱり、志保さんは、志保さんだ。昔から変わらない。いつまでも本当に若いまま。綺麗で優しい彼女は、昔から近所の男子たちのアイドルだった。


「――え? なんでよ? ちょっとそれどうなの? ねぇ、誠大だって困るよね?」

「え〜、いいじゃない。伊織ちゃん。彼氏ってことは、将来の旦那様かもしれないんでしょ?」

「旦那様。……ウケル。……でもそうだよなぁ、伊織? まさか遊びで誠大くんと付き合っているんじゃないんだろう? お姉ちゃんと違って、伊織は純粋だもんな」

「――お姉ちゃん!」


 姉の自虐に、伊織は諌めるように語気を強めた。遙香さんは、口笛を吹く。

 ていうか、これ僕、どうリアクションとって良いんだろうか。

 遙香さんは僕らの関係が「恋人交換スワップ」だと知っているけれど、志保さんはそうではない。伊織が元彼と一旦分かれて、僕と新たに付き合っていると思っているのだ。


 女は三人寄ると「姦しい」だなんて言うけれど、目の前で起きていることがそれなんだと、理解した。川原家には女性は二人だからなぁ。


 1月9日は、成人の日。家族でお祝いをする。

 お父さんは単身赴任で東京だ。仕事は相変わらず多忙を極めているらしい。

 大晦日とお正月の三ヶ日は戻ってきていたらしいけれど、その後、東京へと「とんぼ返り」していったとのこと。

 もともとホテルのランチ席を家族四人分予約していて、キャンセルするなら今日中にキャンセルしないといけないのだと、志保さんは言った。でも折角だし、と。


「だって。女三人で成人のお祝いっていうのもどうにも締まらないでしょ? やっぱりほら、男性は一人くらいいないと。ねぇ、誠大くん?」


 ――ねぇ、と言われてもなぁ……。


「うーん。でも、誠大とお父さんじゃ立ち位置が違いすぎない? ほら、誠大ってどこまで行っても近所のお子様がきんちょのレベルじゃん?」

「まぁ、伊織の言うこともわかるけど。誠大くんそれなりに身長もあるし、――一七五センチくらい? 一八〇は無いかな? あとそれなりにイケメンだしさ」

「そう、イケメン。私も誠大くんのこと好きよ。昔からいい子だったけれど、最近、ますます男前になってきて、私が高校生か大学生だったら放っておかないかも?」

「お母さん――」

「冗談よ〜。ねぇ、誠大くん? ――あ、明日って、誠大くん、空いている?」


 そう言って僕を覗き込む上目遣いの志保さんの瞳。

 その目に覗き込まれると、僕に出来る返答なんて限られていた。

 まるで魔法に掛けられたみたいに。 


「――はい、空いていますけど。――宿題も終わりましたし」

「うん。じゃあ、決まりね!」


 *


 ホテルオークラ京都は京都市役所の隣、河原町御池の角に立つホテルだ。

 京都の中では由緒正しいホテルで、かつ地下鉄京都駅直結。

 その最上階にトップラウンジ・オリゾンテからは京都東山が一望できる。

 眼下に流れるのは、観光スポットとしても有名な鴨川。

 さっきまでいた「みやこめっせ」も「あそこだな」とわかる。


「――めっちゃ景色いいですよね」

「なに、誠大、今更?」

「でしょ? 私、結婚前から時々デートでもあの人が連れてきてくれていたから。それからずっとお気に入りの場所なの。そのころは娘の成人式に自分で連れてくるようになるなんて思っていなかったけれどね」


 懐かしそうに、そして自慢気に目を細める志保さん 

 高級感のあるラウンジのランチはブッフェスタイル。

 ファミリーレストランみたいな安物と違って、自由に取れるもの全てに何だか高級感があって、冬休み最終日にして気分は爆上がりした。

 それでいてこの景色である。――来て良かった!


「お母さんがお父さんとの結婚前って、――めちゃ若いよね?」

「そうねぇ、結婚したのが一六歳の時だから、まだ中学生だったかな」


 志保さんは思い出すみたいに、首を傾げた。

 ちょっとそれって、犯罪レベルでは?

 ――口に出しては言えないけれど。


「――血は争えないなぁ」

「え? 何の話?」

「こっちの話」


 遙香さんは、視線を窓の外へとそらした。


「よく考えたら、あれだよね。――今だと、お母さん、結婚できなかったってことだよね? ほら、成人年齢」


 伊織が人差し指を立てると、志保さんは「そういえばそうね」と頷いた。

 去年、民法改正により「成年年齢」が一八歳に引き下げられた。

 だから今日のイベントも「京都市はたちを祝う記念式典」だったわけだ。

 それに合わせて、男性と女性がそれぞれ一八歳と一六歳から結婚可能だった婚姻制度は、両性とも一八歳に統一された。つまり女性に関しては、結婚可能年齢は一六歳から一八歳に引き上げられたのだ。


「そういえばそうねぇ」

「お母さんはもし当時、一六歳で結婚できなかったらどうしたの? 結婚可能年齢が一六歳で良かった? それとも今みたいに一八歳だった方が良いと思う?」


 伊織が問いかける。そういえば昔だと伊織も結婚可能年齢ということか。

 ということは合法的に結婚して、セックスして、子供を産める年?

 赤ん坊を抱いている伊織の姿をイメージする。橘の横で。橘の子供を。


「とても難しい質問だけど、もしあの時にあの人と結婚していなかったら、遙香にも伊織にも会えていなかったわけでしょ? それから誠大くんとも。それはやっぱり、嫌かなぁ」

「お父さんはいいんだ」

「まー、あの人は、あの人だし」


 志保さんは、悪戯っぽく舌を出した。茶目っ気たっぷりに。

 

「――いや、僕は、会えている可能性もありますけどね。普通にご近所だし、志保さんが結婚しなくても我が家の出産に影響はないので」

「あ、そっか。でも、こうやって食卓を囲むことは無かったでしょうね」

「かもしれませんね」

「私が二〇歳年の離れた、誠大くんと二人でデートするなんて、考えにくわよね〜」

「お母さん。そういうこと冗談でも言うと、伊織がヤキモチをやくから」

「はぁ~? 私はヤキモチなんてやかないわよ」


 その時、何かが振動する音が聞こえた。

 伊織と志保さんは気づいていないようで、お喋りを続けている。

 遙香さんは脇に置いていたハンドバックの口を開くと、中からスマートフォンを取り出して、こっそりと画面を確認していた。


「――あれ? 遙香どうしたの?」


 急に立ち上がった遙香さんに、志保さんが問いかけた。


「あ、うん。ちょっと車に忘れ物してきたみたいで、取ってきてもいいかな? ――車のキー借りていい?」

「そうなの? 良いけれど。場所、覚えている?」

「うん。地下駐車場でしょ。わかる、わかる」


 遙香さんは、志保さんから鍵を受け取ると、ハンドバックを手にして、「じゃ」と、テーブルを離れた。

 伊織は「何だろうね?」と首を傾げ、僕は「さぁ」と返した。


 むしろスマートフォンの着信との関係性が気になった。

 二人は気づいていないみたいだけれど。僕だけが気づいている。


 *


 十分経っても、遙香さんは帰ってこなかった。


「まぁ、ついで、お手洗いでも寄っているんじゃないかしら」

「それか迷っている? お姉ちゃん、結構、方向音痴だったりするし」


 *


 二〇分経っても、遙香さんは帰ってこなかった。


「ちょっと遅いかもね。お母さん」

「そうねぇ、ラストオーダーの時間も近づいているし。――もったいないわね」

「――ちょっと僕、見てきます。お手洗いも行きたいので、ついでに」

「そう? じゃあ、お願い。やっぱり男の人は頼りになるね」


 隣に座る志保さんの指先が二つ、僕の上腕に柔らかく触れた。

 

 *


 何だか気になったのだ。

 さっきの遙香さんの動き。

 遙香さんが離席する前、彼女の携帯に着信があった。

 二人は気づいていなかったけれど。


 そのメッセージを見て、彼女は席を立ったのだ。――明らかに。

 僕たちに「忘れ物をとりにいく」なんて


 それは触れてはいけないプライベートなのかもしれない。

 僕はそれでも、知りたいと思ったのだ。

 理由はとくに無いのだけれど。僕には知る権利があるという気がした。


 エレベーターを降りて、地下駐車場に入る。

 南家の自動車。青いSUZUKIのクロスビー。

 僕は灰色の構内で、すぐにそれを見つけた。


 駐車場の南家の自動車周りに人影はなかった。

 ――もう遙香さんは、駐車場にはいないのだろうか?

 ――すれ違った? それともトイレか、他の場所にいるのだろうか?


 それでも一応、車まで行って確認しようと思って近づいた。

 あと一〇メートルほどという距離になって気づく。

 ――車内に人がいる。


 そこで足を止めた。生唾を一つ飲み込んだ。

 別の車の物陰に潜んでクロスビーの車内を覗き込む。


 南家の車の中で、蠢く人影は、二つ。

 遙香さんが、誰かに抱きしめられているのが見えた。

 男だ。首筋に手を当てられて、その唇が奪われている。  

 相手の男の顔は、よく見えなかった。


 しばらくの間、車の中でまぐわい合う二人から、目を離せなかった。


 やがて冷静になった僕は、その場を離れた。

 車の中の二人のことを、自分の心の中へと閉じ込めて。

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