第17話 元の恋人と本当の想い(京都・烏丸御池スターバックス)[2023/1/7 Sat]
地下鉄烏丸御池駅。エスカレーターを駆け上がる。
「――なぁ、咲良。帰る前にさ。……少し話したいんだけど、いいかな?」
『いいけれど。……遥輝くんは帰った?』
咲良が電車に乗る前にと、急いで掛けたLINEコール。
その電話口でも彼女は橘のことを「遥輝くん」と呼んだ。
「まだだけど。多分、次の電車に乗っていくと思う。あいつには言っていないから、大丈夫だよ」
『うん。――じゃあ、いいけど。……そんなに遅くはならないよね?』
「それは、大丈夫だから」
もう八時半を過ぎて、九時に迫る時間だ。ここからの距離を考える。あまり時間を掛けると、山科の自宅まで彼女が帰り着くのが十時を過ぎることになってしまう。
『上にあがったらいい? 改札口くらい?』
「いいかな?」
『じゃあ、行くね』
通話を切る。改札口のすぐ内側にあるパン屋「志津屋」の前。
スマートフォンを手にしたまま待っていると、すぐに咲良は現れた。
頬を赤くして、息を弾ませながら。
*
烏丸御池にある「餃子の王将」。
集まった僕らは、脂ぎった中華料理に舌鼓を打った。
「咲良は、新海誠、あまり好きじゃないんじゃなかったっけ?」
「うん。あまりアニメ映画って見ないし。うちはジブリすら見てない家だったし」
「――って、言っていたよね」
我が家は家族全員で「新海誠」好きだし、それが当たり前みたいな感じだった。
だから咲良と付き合いだしてしばらく経った頃、誘ったのだ。
「一緒に見に行かないか?」って。
どこかで『すずめの戸締まり』の公開情報を目にしたときのことだったと思う。
人生で初めてできた「彼女」と、新海誠作品を見に行くというのは、なんだかとっても「デートっぽくていいな」と思った。
誰とも見に行かなければどっちにしろ母と妹で見に行くと思っていたけれど。
いつも純愛っぽさがあって、その世界観が僕は好きだった。
ボーイミーツガールの多い作風だし高校生カップルが見に行くにも最適かなって。
『うーん、私、ああいうアニメ映画ってちょっと苦手かな? ごめんね』
『あ、ううん、気にしないで。別にいいよ。まぁ、僕は好きだけどな』
そんな感じで軽く誘ってみたら、断られた。
それからしつこく誘ったりはしなかったけれど。
何度か行った映画デートは、全て実写の作品だった。
「まぁまぁ、人間、『食わず嫌い』ってあるからさ。だから、咲良から誠大が家族で『すずめの戸締まり』見に行ったって話を聞いてさ。彼女が見ていない、見る予定がが無いって言うから、『それはもったいない!』って強引に誘ったんだよ!」
「――そっか」
それで、行くんだ。
僕が誘っても行かなかった映画に。
橘が誘えば行くのか。
「あ、うん。本当はあまり乗り気じゃなかったんだけどね。遥輝くんが、強引で――。チケット代も遥輝くんが出してくれるって言うし、つまらなかったらその次に何でも言うことを聞いてくれるとか無茶苦茶なこと言うし」
そう言って。咲良は苦笑を浮かべた。ちょっと気まずそうに。
彼女も覚えているのかもしれない。
僕が同じ映画に誘って、彼女が断ったことを。
「面白かっただろ? 今更『つまらなかった』なんて通らないぜ? 泣いてたし」
「うん。面白かったよ。新海誠作品のこと、みんながどうしてそんなに言うのか分かった気がする」
「だろう? ――な?」
橘が僕になんだか目配せしてくる。その意味はよく分からなかったけれど。
だけど彼女の「初めて」は橘遥輝との思い出に、染められた。
それは確かなことみたいだ。なんだか微かな喪失感を覚えた。
「だから『君の名は。』も『天気の子』も見ようぜって、勧めていたんだよ」
「咲良。それ、どっちも見たことなかったの?」
「――うん」
僕が尋ねるとと、咲良はどこか申し訳なさそうに頷いた。
本当に「食わず嫌い」だったわけだ。
でも僕は彼女に「食べさせる」ことができなかった。
橘遥輝はそれを強引に食べさせたのだ。
「まー、映画はやってないけどさ。Amazon Prime Videoとかに入ってるじゃん? だから俺んちか咲良の家で、一緒に見ようって誘ったの。お家デート?」
「――それ、……OKしたの?」
「え、あ、……うん。……一応? だって一応、彼氏と彼女だし」
僕は思い出す。咲良の家で一緒に見た映画。
並んで見て、そのまま腰に手を回し、ソファーで交わした口づけを。
「でも、すぐにじゃないよ? あ、ほら、もう学校も始まるし」
「――え? そうなの? 俺、別に明日でも明後日でもいいよ? 学校始まる前に」
「――橘」
「ん? なんだよ? 川原」
「……いや、……何でもないよ。新海作品は『秒速5センチメートル』とかいいぞ」
思わず嗜めるみたいな声を出してしまった。
その言葉に橘が眉を寄せた。
だから思わず取り繕うように、――鬱アニメを紹介してしまった。
二人で一緒に見て、鬱になってもらうくらいが、丁度いい気がした。なんとなく。
「ありがとう、誠大くん。また見てみるね」
文脈を理解できていない咲良が、無邪気に感謝の笑顔を返してくれた。
なんだかいたたまれない気持ちがしたけれど、特に修正はしなかった。
それから僕らは、明々後日から始まる学校の話とか、宿題の話とかをした。
橘から、呼び出された時には、「恋人
でも橘がその内容に具体的に言及しなくても、僕はすでにお腹いっぱいだった。
咲良が「遥輝くん」と呼ぶ度に、橘が「咲良」と口にする度に、焦燥を覚えた。
それに二人は、並んでソファー席に座っている。だから時々その肩が触れあった。
その接触が視界に入るだけで、僕は胸が締め付けられた。
やがて三人が食べ終わり、午後八時を過ぎた時計を確認すると解散した。
お店で会計を済ませると、僕らはまっすぐ地下鉄の駅へと向かった。
烏丸御池駅は南北に走る烏丸線と、東西に走る東西線の結節点。
僕と橘は東西線で西に向かう。一方で咲良は東へと向かう。
乗り場は同じなのだけれど、便利の良い下り口が違うのと、彼女がちょっと改札前のドラッグストアで買うものがあるというから一旦先に手を振って別れた。
「――ごめん、ちょっとトイレ。先に帰ってて」
東西線のホームへと階段で降りてから、橘に断りを入れる。
「ん? ああ、じゃあ、先に帰っておくよ。またな」
後ろ手を振って、僕はエスカレーターを駆け上がった。
お腹に手を当てて、腹痛でトイレに駆け込もうとする人間を演じながら。
橘から見えない場所まで上がると、僕はスマートフォンを取り出した。
恋人
*
「あまり遅くはなれないけどね。でも、うん。私もちょっと話しておきたかった気もするし。三〇分だけね」
「ありがとう。――ここはおごるよ」
地下鉄の改札を出たところにスターバックスコーヒーがある。
「いいよ、いいよ。誠大くんは、おごりとかあまりしない主義でしょ? ――あ、もしかして、遥輝くんが映画の代金おごったって言うのを聞いて、意識しちゃった? ごめんね。でもあれは私が『行きたくなかった』からだよ」
「分かっているけれど。――やっぱり、ちょっと意識しちゃかもね。ごめん」
「ううん。こっちこそ。――じゃあ私は自分の分、払っていいかな?」
「じゃあ、いつもどおり、そうしようか」
咲良はカウンターで、カモミールティーのティーラテを注文した。僕はソイラテ。
受け渡しカウンターで出来上がりを手にすると、二人掛けのテーブルに座った。
二人で並んで座るようなカップル席に座りたい気持ちだったけれどやめておいた。
さっきの橘に対抗しているのが「あからさま」過ぎる気がして。
――それに一応「恋人
「どうしてた? この3日? 咲良」
「うーん。どうだろ? 誠大くんは?」
両手でティーラテの紙コップを包みながら尋ねる咲良。
ちょっと躊躇したけれど、僕はこの3日のことを正直に話した。
1月4日にガストで集まった会議と、交換期間前の最後の咲良とのセックス。
その次の日、1月5日から僕らの「恋人
1月5日は家族で『すずめの戸締まり』を見に行ったこと。
その晩に、伊織が我が家に押しかけてきたこと。
1月6日は、伊織と一緒に予備校に自習に行ったこと。
彼方に少し注意されて、午後からは駅前デートしたこと。
そして今日、1月7日は一日中、学校の宿題とか勉強をしていたこと。
なお、南家が、ラーメンを食べにいっていること。
僕はざっくりと時系列順に話した。
「ふーん。だから今日、誠大くん、ラーメン食べていたんだ。伊織ちゃんのこと意識して?」
「え、そこ? いや、咲良。それは違うから。考えすぎだから」
「どーだか」
咲良は唇を尖らせた。ちょっと冗談っぽく。
それは嫉妬だろうか。嫉妬だったら良いな。むしろそう思う自分がいた。
「でも、結構、勉強してたんだね。大きなイベントが始まったって感じなのに」
「まぁ、普通に冬休みも終わるし、前半戦、宿題に手をつけてなかったからな。普通に自業自得」
「それは私もそうだったかも。クリスマスイブだけじゃなくて、誠大くんと、初めての冬休みだったし」
「――そうだよな。初めての冬だったんだもんな」
「それが新年明けてから『恋人
僕もだよ。未だに、なんでこんなことになっているのか、わからない。
「やっぱり伊織ちゃんと誠大くんって、仲良いよね。以前からなんとなく思っていたけれど。――私、学校のクラスは別でしょ? だからいつもの三人の様子ってあんまりわかんなくって」
「そう? まぁ、幼馴染だからね。幼稚園からの付き合い。それだけだよ」
「うん。それだけなんだよね。でも『特別』ではあるんでしょ?」
「――どういうこと?」
「……うん。……なんでもない。……上手く説明できないから、いいや。――あ、そうだ。私と遥輝くんの方の話をするね」
咲良は話を逸らすみたいに、自分たちのことを話し始めた。
1月5日、初日に、橘から声を掛けられて、早速、外で会ったこと。
1月6日、ファミリーレストランで、一緒に学校の勉強をしたこと。
1月7日、『すずめの戸締まり』を見に行ったこと。
その内容は、大体、王将でご飯を食べながら聞いた内容と一致していた。
その端々から窺われるのは、橘の持つ積極性だった。
咲良はその積極性を比較的、好意的に受け止めているようだった。
まだたったの3日だけれど、その思い出を語る咲良の言葉は楽しげだった。
ひとしきりお互いのエピソードが交錯した。
たった3日で、僕らの間には、知らない出来事が蓄積していく。
付き合うまでの人生がそうであったように。
それ以上に現在進行形で異なる物語が紡がれていく。
そのすれ違いこそが「恋人
「――なぁ、咲良、一瞬だけ恋人
「……『呪い』って。――うん、いいよ。何?」
頬に掛かった髪をかき上げて耳に掛ける。
空色のイアリングが耳朶に揺れた。
「咲良って、僕のことを好きでいてくれているよね? 橘じゃなくて」
「ちょっと誠大くん。恥ずかしいよ」
「――ごめん。でも、橘との話を聞いていると不安になっちゃって」
「もう。――そんなこと心配しないで。当たり前だよ。恋人
咲良はそう言って、頬を赤らめた。本当に恥ずかしそうに。
「むしろ、誠大くんはどうなの? 伊織ちゃんと仲良しだけど。本当に好きなのは、――私、なんだよね?」
「――もちろんだよ。伊織はあくまで幼馴染。『恋人
そう言うと、咲良は、満足したように、「うん」と頷いた。
彼女の言葉が嬉しかった。
僕もあらためて言葉にして、どこか安心しているみたいだ。
「まだ、始まったばっかり。『恋人
「うん。誠大くんも伊織ちゃんに浮気したらだめだからね」
念を押す咲良に、僕は「そんなのしないよ」と、笑顔を返した。
いつか咲良の言葉も、自分の言葉も、信じられなくなる日がくるのかもしれない。
そんな予感を、心のどこかで感じながら。
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