第Ⅱ部 CONFUSION (1/11-1/18)
第26話 幼馴染彼女と一緒に通学(川原家・ダイニング/学校・教室)[2023/1/11 Wed]
1月11日。恋人
朝起きてから家を出るまでがこんなに幸せな気分なのはいつぶりだろう。
牛乳をたっぷり入れたコーヒーで食パンと目玉焼きを食べていると、階段を絵里奈が「おはよう」と降りてきた。上の寝室から母親の声も聞こえる。
インターホンからの呼び出し音が部屋に響いた。
ちょうど液晶画面の近くに立っていた絵里奈がボタンを押す。
時計を見ると時計の針が7時半を少し過ぎていた。
「はい~。――あれ? 伊織お姉ちゃん? わっ、2日連続!」
『あ、おはよう絵里奈ちゃん。――お兄ちゃん、起きてる?』
「うん、今日はいるよ。ご飯食べてる。あれ? もしかして、今日もお誘い? 上がって、上がって」
興奮気味な絵里奈がチラチラとこちらを振り返る。
僕の妹もワイドショー好きな女性の卵なようだ。
『え? 誠大、まだ家出る準備できてない感じ? ちょっと上がっている時間は無いかなぁ〜。JRの時間あるし』
「そっか。――お兄ちゃん、出る準備できてるの?」
「おう。今出るって言ってくれ」
「はーい。伊織お姉ちゃん、お兄ちゃん、今すぐ出るって。『今すぐに君のもとへ駆けつけるよ!(キリッ)』だって」
「言ってねーよ!」
なんだか変にテンションの上がった妹の発言が現実を捻じ曲げる。
中二病かよ! とか思ったけれど、そもそも妹は中3だから適正だった。
ピーナッツバターを塗ったトーストの最後の欠片をコーヒーで流し込む。
「じゃあ、絵里奈、行ってくる」
「いってらっしゃーい。あ、伊織お姉ちゃんと仲直りしたなら、またお姉ちゃん、家にも連れてきてよ。私も久しぶりにお喋りしたいし」
「分かったよ。ていうか仲直りって、喧嘩していないからな」
「どーだかー」
コートを羽織り、鞄を手に取ると、僕は玄関へと向かった。
あからさまな好奇心の目を向ける妹をダイニングに残して。
「――お待たせ、伊織」
「じゃあ、いこっか、誠大」
昨日の別れ際に話して、今日から、一緒に登校出来る日は一緒に行くことにした。
恋人
伊織の横に並ぶ。隣にボブヘア揺らす幼馴染の横顔がある。
彼女の右手が視界に入る。それに伸ばす自分の左手を想像する。
「――どうしたの?」
「いや、なんでもないよ。――今、何分?」
小首を傾げる彼女に、誤魔化しの質問。
「えっと、40分ちょっと前?」
「花園駅49分発だったから、ちょうどかな?」
「うん、走らなくても良さそう。川原家でのタイムロスも考慮に入れた私の適切な時間でのお迎え。完璧でしょ?」
「はいはい。完璧です。さすが伊織さま」
「素直でよろしい」
僕らは北に向かって、歩きだす。
地元の中学に向かう青い制服を着た女の子三人とすれ違う。
脇を自転車に乗るおばさんが抜けていく。
隣に南伊織がいる。
今日も一日が始まる。
*
JR京都駅で降りると、いつもどおり構内を抜けて八条口に出た。
歩いて八条通りを西へ。都ホテルとイオンモールを左手に。
「今日は、バスには乗らないんだよな?」
「乗らないわよ。――昨日は特別」
「そりゃどうも」
「別に、誠大のためってわけじゃないんだからね」
悪戯っぽく、意味深な笑みを返すと、伊織は視線をそらした。
昨日の朝、伊織がバスに乗って追いついてくれたから、二人で話せた。
体育館裏での時間。なんだかそれは二人の秘密の時間みたいだった。
「そういえば、昨日、めっちゃ蜂、怖がってたな。伊織」
「もう。そんなこと忘れてよ。何なの? 意地悪なの?」
「そういうわけでもないけどさ。変わらないなー。可愛いなぁー、って」
背中に鞄をぶつけられた。ちょっと痛い。
「もう、からかわないで。だいたい蜂は怖いんだからね。アナフィラキシーショックで死ぬことだってあるんだから」
「大げさな。あれってアレルギー持ちじゃないと起きないんだろ。伊織って蜂毒アレルギー持ちだっけ?」
「――持ってないと思うし、きっと違うけど。――蜂は恐いんだからね」
「はいはい。でもまぁ、アナフィラキシーは恐いよな。確かに。関係ないけど、この前、コロナワクチンでアナフィラキシー起こして死んだ人がいるってツイッターで誰かが言ってた」
「ふーん。まぁ、ツイッターだし」
「まぁ、ツイッターだし。すぐ処置したら大丈夫らしいけどね」
「そっか。じゃあ、私が蜂に刺されたら、おぶって保健室に猛ダッシュしてね? ――あ、お姫様だっこでもいいよ」
伊織を両手で抱えて、保健室に駆ける自分の姿を想像した。
なんとなくドラマみたいで、悪くなかった。
「じゃあ、その日のために、体重制限をよろしく」
「――怒るわよ?」
「グエッ」
すでに横腹に握りこぶしが突き刺さっていた。
*
二人で校門を抜けて、校舎へと向かう。
何人か見知った顔を見つけて「おはよう」「おっす」などと言葉を交わす。
下駄箱置き場に入ったあたりで、ふと違和感を覚えた。
何かがいつもと違う。周りの人間の動きや、視線が違う。
「――伊織。なんか僕らってちょくちょくと見られていない?」
「そう? わかんないけど。気のせいじゃない?」
そうか。伊織や橘は一年生の時から、クラスの中心で、有名人だった。
だから視線を集めるのは当たり前なのかもしれない。
もしかしたらこれは伊織と一緒にいることで集まる視線なのかもしれない。
――でも、それだけじゃないような。
違和感を拭えないまま、僕は下駄箱から上履きを取り出す。
履き替えると、二人一緒に教室に向かう。
廊下の向こうに見知った少女の姿を見つけた。
「――おはよう、彼方」
「あ、誠大。おはよう。あれ? 今日は南さんと一緒に登校?」
なんだかニコニコ。とても笑顔だ。良いことでもあったのだろうか。
「まぁ、そんな感じかな。まぁ、せっかくアレの期間でもあるしってことで。――まぁ、アレのこと自体は学校のみんなには秘密だけどな」
「へー、ちょっと驚いた……。カマかけてみただけだったんだけど。本当は『偶然、校門で会っただけだよ』とか、言われるかなーって思っていたのにね。――うん、わかってるよ。学校のみんなには秘密だよね。――アレのことは。まぁ、僕はCクラスだから、あまり話題になることも無い気がするけれど」
意外そうな表情を浮かべた彼方は、すぐにいつもどおりの優しい笑顔に戻った。
彼方は変わらない。性別は変わったけれど。
結局、宮下彼方は僕にとって一番のオアシスなのかもしれない。
「おはよう、宮下さん。――なんだかごめんね」
「おはよう、南さん。ううん、全然いいよ。誠大からお願い事されるのは慣れているし、僕はいつでも誠大の味方だし。――ねっ」
「お、――おう」
彼方は上半身を屈めて、上目遣いに僕の表情を覗き込んだ。
「――そういえば、やっぱり誠大としばらくこういう関係になるから、自然と宮下さんと話すことも増える気がするし、あらためて挨拶させてもらっていいかな?」
「あ、うん。いいよ。南さんとは中学から一緒だったけれど、ちょっと距離あった気がするし。あらためて、で」
距離があった、という表現に強い含みがありそうな気がした。
だけど彼方の表情を窺うと、そういうことでもなさそうだった。
「えっと。私のことは下の名前で呼んでくれていいよ。伊織とか、ちゃん付けでもいいけど?」
「じゃあ、伊織ちゃんって呼ばせてもらうね。僕のことも彼方でいいよ? ちゃん付けでもいいけど、あまり慣れないかなぁ」
「じゃあ、彼方ちゃんで。――よろしくね」
「うん、よろしく。伊織ちゃん」
すっと差し出した伊織の右手に、彼方は手を重ねた。握手する二人。
彼方からいつも伊織に向けられる敵意めいたものが、今日はまるでなかった。
笑顔を浮かべる僕の親友。何か心境の変化でもあったのだろうか。
――正直、二人が仲良くしてくれるに越したことはないのだけれど。
それから二言三言ことばを交わして、僕らは別れた。
彼方はCクラス、僕らはBクラスだ。
*
下駄箱で感じた視線の違和感は、教室に入ってより強くなった。
廊下では微妙だった違いが、今は明白に感じる。
「――なんか変じゃないか? 伊織?」
「うん。……見られているよね? ……なんか、バレてる?」
教室の引き戸から二人で入ると、さざ波のように向けられる視線。
僕と伊織は小声で言葉を交わす。
教室の中のいくつかの机にまとまった集団がひそひそ話を始める。
何かが起きているのは、わかった。
自分たち二人へ向けられている視線が、おかしい。
でも、それが何なのかはわからなかった。
そんな視線をかい潜るように、僕と伊織は隣にならんだ自席へと向かう。
「おはよう、伊織。――川原くん。――二人一緒に登校してきたんだ?」
「え? あ、うん。ちょっと事情があってね」
机に近寄ってきた篠崎澪に、伊織が顔を上げる。
「じゃあ。――本当だったんだ。――噂になっている話」
「――噂? 何それ?」
伊織が怪訝そうに眉を寄せる。
噂? まさか、恋人
「最初は信じられなかったんだけど。昨日、伊織、橘くんと『冷却期間』だって言ってたでしょ? ――だから、もしかして本当なのかなって。――でも、まだ橘くんと別れてはいないんだよね? ――じゃあ、二股ってこと? ――伊織、そういうタイプじゃないよね?」
「――ちょっと待って。澪。何のこと? 全然、話が掴めないんだけど」
首を傾げた後に、伊織は僕に困ったような表情を見せる。
僕だって、わからない。――でも、なんだか嫌な予感はした。
篠崎がブレザーのポケットからスマホを取り出す。
画面を何度かタップすると、その画面を僕らへと向けた。
「昨日の夜から、女子の間で、この写真が出回っているのよ。――ねぇ、これ、伊織と川原くんだよね?」
それの写真に写っているのは、間違いなく伊織と僕だった。
体育館裏で抱き合い、見つめ合っている二人。
だれがどう見ても恋人同士みたいな、――僕と伊織だった。
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