恋人をスワップ、君にリトライ ――ずっと好きだった幼馴染と僕はまた恋を始める。
成井露丸
PROLOGUE (2022/12/31→2023/1/1)
第1話 初詣と恋人(京都・八坂神社)[2022/12/31 Sat]
「なぁ、
そんなことを
大晦日の深夜。肌を切る寒気にマフラーを上げていたところ。
冬の風がバタバタとブルゾンのフードを揺らした。
「なんだって?」
「だからさ。少しの間でも彼女を交換しないかってこと」
正直、橘が何を言い出したのか、しばらく意味がわからなかった。
京都の繁華街、四条通りは混んでいて、僕らは八坂神社に向かっている。
実質感染者数が史上最大規模な時期の人混みの中を。
コロナ禍3年目を終える年の瀬。Twitterに流れるYahooニュースでは感染者が鰻登りだと言うけれど、もう誰も引きこもったりしない。
これ以上、人生を「自粛」に奪われるのはたくさんだから
視線を東に飛ばす。十メートル程先に、女の子二人の背中が見えた。
この春から付き合いだした。僕の恋人だ。
そして僕の幼馴染だ。
「――彼女の交換って、何言っているんだよ? 人をモノみたいに」
「駄目か?」
「駄目かどうか以前の問題だと思うけれど? なんでまた?」
交通規制が入った大通りの脇で、警官が赤く光る棒を振って誘導している。
深夜営業中の和菓子屋を左手に、僕らは小さな横断歩道を渡った。
白い息が橘の口から夜空に向けて吐き出された。
氷結する張り詰めた空気の中へ。
「マンネリって言っても、『伊織に飽きた』とかそういうんじゃないんだ。なんて言うかなぁ。――俺と伊織って付き合って四年になるじゃん。そのうちの三年はコロナだったわけだけどさ。あまり遊びにも行けないまま受験勉強も本格化するし。実質的に、高校時代も終わる。――なんか、これで良いのかなって」
「は? じゃあ、なおのこと伊織との時間を大切にすればいいじゃん? どうしてそれが恋人交換の話になるのさ?」
「そりゃそうなんだろうけどさ――」
橘は頭を掻いた。少し苛立たしそうに。「分かんないかなぁ」と。
いや、分からんよ。全然。
突然彼女を交換しろなんていうイケメンは、ヤリチンか、パリピか、クソ野郎だ。
これ、一般常識ね。アンダースタン?
でも、まぁ、そういう欲望を持つ気持ちは分からなくもない。僕も男だからね。
でも女の子はどうなんだろう?
そういう好奇心を抱えていたりするのだろうか?
少しの間でも僕と恋人になることを、――南伊織は望んでくれるんだろうか?
伊織と二人で街中を歩くデート姿を想像する。
ブルゾンの奥で心臓が強く締め付けられた。
――なんだか呼吸が、苦しくなる。
「……どうした?」
「――なんでもない」
立ち止まった僕に、橘が振り返った。
顔を上げると、少し先で伊織と咲良が振り向いて手招きしている。
なんだか気になるものでも見つけたらしい。
どうせ甘味処か何かだと思うのだけれど。
こういう場所は何かと値段が張るから、要注意だ。
調子に乗ってお金を使っていると、知らぬ間に財布が寂しくなってしまう。
「ねぇ、男子二人、何話してたの?」
「なんでもねーよ。それより、伊織。何見てんの?」
「あ、うん。お抹茶と団子。美味しそうじゃん?」
橘が隣に立つと、伊織が、店内のガラスケースを指差した。
ダウンジャケットのポケットに左手突っ込んだまま。
「伊織ちゃんと『寒いね』って言っていたら、なんだか店内からホワッて温かい空気が流れてきてね」
隣へと咲良が寄り添ってきて、追いついた僕を見上げる。
白い頬が、ほんのりと紅く染まっている。
「それで抹茶? ――そして団子」
「うん。そう。大晦日からお正月は『和』のイベントだからね。雰囲気も出るし、いいんじゃないかなって」
大晦日は全世界共通でやって来るものだとは思うけれど。気持ちはわかる。
「咲良って甘い物好きだっけ? 和菓子とか」
「うん、好きだよ」
「そっか。抹茶も飲めるの? 苦いけど」
「うん、飲めるよ」
「そっか」
そうだよな。うん。
まだ僕はまだそんな簡単なことさえ、咲良のことを知らないんだよな。
「ねぇ、時間あるかな?」
「そうだな。まだ新年まで三〇分以上あるから、除夜の鐘には間に合うと思うよ」
「……じゃあ、入ってもいい?」
ちょっとだけ控えめに、それでいて甘えたように微笑む彼女。
首筋に黒い髪が、サラリと垂れた。
「まぁ、僕はいいけど。向こう二人は?」
「伊織ちゃんがもう『食べる気満々』だからね」
そう言って横に動かした少女の視線を追う。
店内に入ったところに立つ伊織と橘の姿が見えた。
幼馴染が左手を腰に当てて「早く来い」と言わんばかりに手招きしている。
もう食べるって、決めているのかよ。
「
「『ってね』じゃないよ。マストチェックって、なんかおっさん臭くない?」
「また、そうやってノリが悪い。だからいつまで経っても彼女一人できないんだぞー、って、いるか、咲良ちゃんが。ええっと、……咲良ちゃん、こんな奴のどこがいいの?」
「え、ええぇ?」
何故か突然の巻き込みリプ。咲良は少し困ったような視線を僕に送ってきた。
まだこの種のやり取りに慣れないのだろう。
「お金のことなら心配しないで。ここは俺が持つよ。まあ、今後のこともあるから、ここは伊織の機嫌を取っておかないといけないからね」
そう言って、橘はポケットからスマホを取り出して見せた。
お得意のPayPay払いか。――何が「お得意」なのか、知らんけど。
兎にも角にも橘はPayPayばっかりで支払う。
いつも金払いがいい橘は、実家が太いのかもしれない。いや、太い。
医者だったかな? 橘の親。
「え? 今後のことって何?」
「まぁ、それは新年のお楽しみということで」
爽やかな笑顔で返す橘が、僕へと意味ありげの視線を送ってきた。
――あ、さっきの話ね。
「何? 誠大は知っているの? あ、男二人の悪巧み? あやしー」
幼馴染は眉を寄せてくる。なかなか鋭い。
少し栗色のボブヘア。ちょっとだけボーイッシュな雰囲気。
彼女は高校生になってから、ぐっと女性らしくなった。
そんな伊織を、僕の恋人にする。
手を繋ぐ。隣を歩く。キスする。
想像してから、――僕は深呼吸をした。
「何かあるの? 橘くんと、本当に悪巧み?」
「ん? まぁ、そうかもね。まだどうなるか分からないけれど」
「じゃあ、お互いさまだね。私たちも悪巧みしてたし」
「――え?」
一瞬真顔になった僕に、咲良ははにかんだような笑みを浮かべた。
「お団子とお抹茶。女子二人の悪巧みの成果」
「ああ、そういうことね」
僕らの悪巧み比べたら、それはどんなに無垢な悪巧みだろうか。
「でも男の子二人で『通じ合っている感じ』はなんかいいですね。憧れちゃう」
「そう? そんな良いものでもないよ。ロクなこと考えてないし」
「それでもいいですよ。男の子同士の友情って女の子同士のそれとどこか違うから」
「どのへんが?」
「うーん、男の子の方が、何かを『分かち合』っている、っていうか。……よくわかんないけど」
「――そっか」
分かち合っている。
その言葉が胸をチクリと突き刺した。
橘遥輝と川原誠大は「分かち合」おうとしている。
自分たちの恋人を、モノみたいにして。
それに君は「憧れる」と言うのだろうか。受け入れてくれるのだろうか。
店員さんに案内されて、二人が店内に入る。
僕らもその後を追った。
明るい店内で口にしたお団子とお抹茶は美味しかった。
空腹だった臓腑に、それは温かく染みた。
抹茶に含まれるコーヒーより濃いカフェイン。
それが深夜の僕を覚醒させて、その思考を明晰にした。
*
夜の八坂神社。四条通りの行き止まりへと到着する。
京都にある初詣スポットの一つ。 春には桜の花見スポットにもなる。
本殿の前に四人で並ぶと、僕らは神様に祈った。
2023年は僕らにとって高校生最後の年。これから受験勉強も本格化する。
学業成就を。無病息災を。交通安全を。それから、――恋愛成就を。
誰も口には出さない。
願い事は口に出したら叶わないって、知っているから。
「何を願ったの? 咲良は」
「秘密。……誠大くんは?」
「同じく。――秘密さ」
「そっかぁ」
そう言って、君は幸せそうに笑った。
きっと僕の願い事を誤解して。
君が僕の心の中を覗けたのなら、どう思うのだろう。
幻滅するだろうか。それとも変わらずに好きでいてくれるだろうか。
心の中は覗けない。だから僕たちはやっていける。
咲良は、伊織に誘われて、出店の明るい光へと甘酒を買いに行った。
気づけば隣には、橘が立っていた。
「俺は、伊織のことが変わらずに好きだよ。でもさ、その気持ちを、ちゃんと確かめたいんだ。一度、違う相手とバーチャルでもいいから付き合ってみて、伊織に対する俺の気持ち、伊織の俺に対する気持ちを確かめたい。――その上で、進路を選びたいんだ」
やおら始まったのは、さっきの続きの説明みたいだ。
「随分勝手だな。――伊織は知っているのか?」
「これから話す。でも、きっとわかってくれる」
「随分、信頼しているんだな、伊織のこと」
「もう四年の付き合いだからな」
こちとら幼稚園の年少からだから、十三年の付き合いだよ。
まぁ、「男女の」じゃない付き合いの方だけれど。
「こんなことは川原にしか頼めないんだよ。伊織の幼馴染のお前なら安全だしさ。それにお前なら俺のこともきっと信用してくれると思ってさ。万が一もないって。約束は守る奴だって」
「――そりゃどうも」
空を見上げる。京都の空に星は無い。
境内を見渡す。大人のカップルの姿。新婚の夫婦だろうか。
僕らはいつか結婚して、家庭を作り、そして生きていく。
それならその相手は誰であるべきなんだろう?
彼女って何だ? 彼氏って何だ? 恋人って何だ?
コロナ渦に入って三年が過ぎた。
僕たちは「コロナ世代」だなんて言われて、世間からは同情の目で見られる。
確かに僕らの青春は迷子だったかもしれない。
中三の修学旅行は中止になったし、高校の文化祭だって縮小続きだ。
それでも時間は過ぎていく。
誰かに同情されても、僕らの時間が戻ってくるわけじゃない。
だから僕らは僕らの人生を、僕らのやり方で生きていくしかないんだと思う。
もう常識なんかが、僕らを救ってくれないことを、僕らは知っている。
自粛も、同調圧力も、僕らを助けてはくれない。
ただ逸脱することだけが、何処かへと連れて行ってくれるのかもしれない。
『なぁ、誠大。最近マンネリだから、彼女、交換しないか?』
橘遥輝が僕――川原誠大のことをどこまで理解しているのかは知らない。
川原誠大が彼――橘遥輝のことをどこまで理解しているのかは知らない。
――南伊織も、――伊東咲良も。
「――いいよ。――やってもいい。恋人交換」
「本当か? じゃあ、決まりだな。詳細は、また後で相談しよう」
「うん、分かった」
僕は橘の方を見ずに、そう答えた。
南伊織と伊東咲良、二人の背中を視線で追いながら、
だから僕はその時、橘がどんな表情をしていたかを知らない。
だから橘はその時、僕がどんな表情をしていたかを知らない。
もしお互いにその表情を見ていたら、これからの未来は変わったのかもしれない。
やがて甘酒を二人分ずつ持った伊織と咲良が戻ってきた。
僕は咲良から、橘は伊織からそれぞれ受け取る。
「サンキュー」
「どういたしまして」
まだ熱いそれを夜空の下で、口に含む。
白いドロリとした液体が、身体の中に入っていく。四人の体の中へ。
四人が一つの罪を共有したみたいで。
四人が一つに繋がったみたいで。
ようやく君と繋がったみたいで。
それがどこか僕を、奥底から興奮させた。
その時、鐘が鳴った。重く深く響く音が、体を揺らす。
次第に境内がざわめき始める。
どこからともなく生じたカウントダウン。
五、四、三、二、一、……
――ハッピーニューイヤー!
八坂神社の円山公園。木々に囲まれた京都の片隅で、歓声が上がる。
僕らは二〇二三年へと突入したのだ。
「――あけましておめでとう。――誠大くん」
「おめでとう。咲良」
そして彼女の細い指が、僕のポケットへと忍び込んだ。
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