第42話 可愛い幼馴染と傷心の真実(南家・玄関口)[2023/1/17 Tue]
冬の空。冷たい風が頬を撫でる。
身体が震えるのは寒いからだろうか。
それともずっと会いたかった君の姿を見れたからだろうか。
「――おっす。伊織、――大丈夫?」
扉口から現れたパーカー姿の幼馴染。
自然な挨拶みたいに僕は右手を上げた。
「もしかして、――お見舞いに来てくれたの?」
「――うん。――そう。――お見舞いに」
「そっか。ありがと」
伊織はすこし照れくさそうに俯いた。
家の中から「――誠大くん? ――入ってもらったら〜?」と声がした。
遙香さんの声。また実家に戻っているみたいだ。
その声に肩を竦めて、伊織は僕の顔を覗き込む。
「ごめんね。――時間あったら上がっていく?」
「あ、――うん。大丈夫? 上がって?」
そもそも上がっていくつもりだった。お見舞いに来たのだから。
もちろん、彼女さえ大丈夫だったら、だけど。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんいるし、ちょっと病み上がりだから、あんまり綺麗にできてなくて、アレなんだけど」
「――病み上がり?」
おうむ返しに僕が問いかける間に、彼女は「入って」と扉のノブに手を掛けたまま僕を招き入れた。「お邪魔します」と、その脇を通って土間に足を踏み入れる。
彼女は寒そうに首を引っ込めながら、扉を閉めた。
「――外、寒いね。やっぱり」
「そのパーカーじゃ、寒いよな」
外だったらマフラーでも掛けてあげたくなるところだった。
そういえば彼方に貸したマフラーがまだ返ってきてないなぁ。
「だよねー。先週末からずっと引きこもりだったし。うー、さぶ」
彼女はそう行って両腕をさすった。
パーカーにゆったりとした紺のスウェット。
それはまさに引きこもりに適した服だ。
誰か他の男と会うときに着るような服ではない。
「――部屋着?」
「お? 何それ? 失礼だなー。部屋着だけど。――だって部屋だし」
天神川の前ですれ違ったと思った。――橘遥輝。
あいつが来ていたわけじゃないのだろうか。
「――確かに。部屋でリラックスしているところに押しかけたのはこっちだもんな。確かに部屋着が妥当」
「でしょ? でもこれお気に入りだから。ギリで、Amazonの配達とか受け取りに出ても大丈夫なやつだから」
そう言って伊織は袖口を掴んで広げて見せた。
その基準が、何基準なのかはわからないけれど。伊織基準ではそうなのだろう。
両腕を広げると、ささやかな胸の膨らみが少しばかり強調させる。
悪戯っぽい笑顔が、たまらなく可愛いかった。
「調子は大丈夫なの? LINEの返事も全然ないから心配したよ」
クロックスのサンダルを脱いで廊下に上がった伊織。
それを追いかけて、玄関口で靴を脱ぐ。
「――ご心配かけて申し訳ございませんでした。LINEはね〜、スマートフォンをね〜、学校に忘れてきちゃったみたいだから〜、見れてないの。ごめんね」
「――は?」
思わず真顔になる。
見上げると、右手を真っ直ぐ立てて片目を閉じた伊織の顔。
「いや、だって。スマートフォンだよ。金曜日から、ずっと。――は?」
「だから金曜日からずっと学校に置きっぱなしなんだって」
「――どこに?」
「多分、個人ロッカー?」
個人ロッカーというのは一人に一つ割り当てられる鍵の掛かるロッカー。
学校に置いておきたいものなどを置いておけるようにと学園が用意してくれる奴。
「――なんで?」
「知らないよ〜。なんとなく記憶はあるんだけど、――まぁ、忘れ物ってしたくてするわけじゃないよね?」
それはそうだけど。よりによってスマートフォン。
「でもスマートフォンだろ? 取りに行けよ。大事じゃん」
「――え? 何、恐い。ちょっと誠大、顔が
後ずさる伊織。ちょっと引くみたいに。
僕はその反応で我に返る。
確かに、なんでこんなに
水曜日、そして木曜日の事件のことを思い出す。
涙を流した伊織。学校を早退した伊織。
それからLINEへのメッセージには返事がなかった。
既読もつかなかった。だから心配した。
それは異常事態だったから。
でもそれがただ「学校にスマートフォンを忘れて帰ったから」というだけの話だったのだとしたら――。
急激な脱力感が全身を襲う。
自分が心配したのは何だったのだろう、――と。
きっと篠崎さんも同じだ。彼女も心配していた。
しかしまぁ、それ本当だとしたら、なんとはた迷惑なことだろう。
体中に広がった脱力感が、余韻になって揺れる。
「いつまで玄関で話してんの〜。誠大くんも、上がればいいじゃん」
ダイニングに繋がる暖簾から遙香さんが顔を出した。
そしてそれだけ言うと、あっさり背を向けて戻っていった。
今日の遙香さんは、どこかちゃんとした格好をしていた。
炬燵でだらだらしていることが多いイメージなだけど。
今、帰ってきたばかりなのかもしれない。
「――上がる? よね?」
「まぁ、少し話したいかな。四日ぶり? ――だから」
そう呟くと、伊織は握った手を口元に当てて、可笑しそうに微笑んだ。
「四日とか、五日とか、そんなの会ったり、話したりしないのザラだったのにね。恋人
「うるさいよ。ほんと。――マジで心配したんだからな」
「――
僕は肩を竦めた。どこか照れくさくて。
「ダイニングでいい? ――それとも、部屋?」
彼女がそっと視線を二階に向ける。
あの日、恋人
「伊織の部屋で話しても大丈夫? ちょっと個人的な話もしたいし、――あんまり遙香さんにも聞かれたくないっていうか」
「ん――、わかった。――じゃあ、五分待ってね。ちょっと片付けたいから。さすがに」
そう言って振り返ると、伊織は階段の手摺に手を掛けた。
背後からそんな彼女を引き止める。
「あ、その前にさ、――伊織。一つだけ聞きたいんだけど」
彼女の顔がまたこちらを向く。
少し上気した頬。どこかのぼせているみたいに。
「何?」
「――さっきまで、橘、来ていたりした?」
一瞬、空気が止まる。
僕の目を見たまま。伊織はゆっくりと首を横へと傾けた。
「来てないけど? 何の話? どうして今、遥輝の名前が出てくるの?」
「――いや、来てないならいいんだ。実は天神川でそれっぽい姿を見たから。――あいつもお見舞いに来たのかなって」
「へー、そうなんだ。――来てないけどなぁ。人違いじゃない?」
「まぁ、そうだろうな。――ごめん、引き止めて。じゃあ下で待っている」
「うん。五分ね」
そう言って伊織は階段を駆け上がっていった。
あれは橘ではなかったのだろうか?
それとも伊織が嘘をついているのだろうか?
そうは見えなかった。
そうであってほしくはなかった。
――でも、元気そうでよかった。
階段を昇る幼馴染の背中を見て、ちょっと泣きそうになった。
それだけ僕は、彼女のことを心配していたのだ。
――今更ながら、そんなことに気づいた。
「――よう、少年。――お見舞いご苦労さま」
待ち時間を潰すためにダイニングに入る。
遙香さんがマグカップを片手に立っていた。
背中を戸棚に預けて。何か考え事をするみたいに。
「土曜日ぶりです。遙香さん」
「――ああ、そうだね。――あの日は門前払いして、すまなかったね」
飄々とした顔で、遙香さんはそう嘯いた。
そのわざとらしい態度で、僕は気づく。
――この人に、僕は踊らされていたのではないか?
なんだか話の筋が繋がったように思えた。
あの日、遙香さんは言った。
『――伊織、今は、誠大くんにも会いたくないみたい。――ごめんね』
だから僕の中で関係づけて理解された。
涙を流して学校を早退した伊織、LINEを見ない伊織、一人心を閉ざす伊織。
それらが一本の糸で結ばれたのだ。
「遙香さん。確認ですけど、土曜日に僕が来た時、伊織は本当に言ったんですよね? 僕には会いたくない――って」
僕は淡々と尋ねる。コートは脱がずに、ポケットに手を突っ込んだまま。
マグカップを口元から外した遙香さんは、ゆっくりと口角を上げた。
右肘に左手を当てたまま。腕を組むみたいに。
「――ああ、言ったよ。あの時は、まだコロナの疑いが晴れていなかったからね」
「コロナ?」
その言葉を反復した僕に、彼女はわざとらしい表情を浮かべた。
「あれ? 言ってなかったっけ?」と、両眉を上げて。
「そうさ。伊織、木曜の午後から調子が悪くなったみたいでね。金曜の朝には三九度近く熱が出ていたんだ。抗原検査キットで確認したら陰性だったんだけどさ。それでもあれって感染してすぐには結果が出ないだろ? だからしばらくは隔離しようってことになったんだ」
コロナ? 高熱? 何のことだ?
伊織は先週の事件で傷ついて、それで学校を休んでいたんじゃないのか?
「――でも、そんなこと、――一言も」
「あれ? おかしいな。学校にも『体調不良で欠席する』って伝えたはずだけど?」
確かに、先生もそう言っていた。だけど――
「コロナの疑いだなんて、――一言も」
「そりゃ、PCR検査したわけでも、抗原検査キットで陽性が出たわけでもないから、そうはっきりと言うわけにはいかないだろ? それを言ったら濃厚接触者の対応とか色々面倒な波及効果もある」
遙香さんはそう言って穏やかな笑みを浮かべた。
きっと彼女は、僕の誤解を知った上で、ミスリードしていたのだ。
「つまり伊織は、木曜日の午後から体調を崩して、金曜日から普通に高熱を出して、週末も寝て養生していたってことですか?」
「そうそう、そういうこと。まぁ、スマートフォンを学校に忘れてきたっていうのは、不運だったけどね。――まぁ、体調不良の時って、不注意になるからそれも仕方ないか」
「――でも気づいたなら取りに来れば……」
「おやおや。三九度出して、コロナの疑いがある女の子に、片道30分以上かけて学校までスマートフォンを取りに行けって、君は言うのかい? ずいぶんと酷じゃないか?」
「……そう……ですけど」
遙香さんは人の悪い笑みを浮かべた。――楽しそうに。
この人はきっと全部わかった上で、僕との会話を楽しんでいるのだ。
でも結局は、全部、遙香さんの言うことの方が正しいのだ。
そして何より、伊織の心が無事だったのなら、それが一番なのだ。
でも、もう一つの疑問に関してはどうなのだろうか――?
階段を上がっていった伊織の表情を思い出す。
彼女を疑うわけじゃない。だけど僕だって不安なのだ。
「遙香さん。……一つだけ、追加で聞いてもいいですか?」
「なんだい、少年?」
「僕が来る前に、橘が、――橘遥輝が伊織に会いに来ませんでしたか? この家に」
遙香さんは一瞬固まると、視線をゆっくりと僕の方へ動かした。
そして目を細めたまま、こう言った。
「――来てないよ。――君がくるまで誰も伊織に会いになんて来ていない」
「……そうですか」
彼女の返答はどこか意味深だった。
その言葉に含みを感じないわけじゃなかった。
でもその裏側へと踏み込んでも、余計に踊らされてしまうだけな気がした。
二階から伊織の声がした。部屋が片付いたから「上がってきていいよ!」と。
「――行ってあげたら?」
「――はい。――言われなくても」
「ふふふ。ちょっと反抗的だね」
「いつまでも遙香さんの弟分じゃないですから」
「あはは。――そんなこと、思ってないさ。――君には伊織の
顎を上げて「はやく行ってあげなよ」と促す遙香さんに、「言われなくても」と僕はダイニングを後にした。
生唾を一つ飲み込む。
手摺に左手を掛ける。
階段に足を置く。
一歩、また一歩。
二階へと到達する。
僕は伊織の部屋をノックした。
「――伊織、――入っていいか?」
部屋の中からがさがさと物音がする。
やがて扉が外開きに開かれた。
部屋の中から、頬を火照らせた少女が顔を出す。
「いらっしゃい、誠大。入っていいよ!」
僕を見上げる幼馴染。
きっと僕はずっと彼女のことが好きだった。
君を失った五日間で、今度こそ気づいたんだと思う。
自分自身の気持ちに。
だから今日、君に告げようと思う。
病み上がりの君に。僕の思いを。
きっかけが恋人
この思いは、――きっと本物だから。
僕は君の部屋へと、足を踏み入れた。
ずっと好きだった幼馴染と、今度こそ本当の恋を始めるために。
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