KHM200 / 終章 灰雪と銀狼のプロローグ
第0話 おはよう、アンナ
遠い昔に春の国とうたわれ、革命によって王が広場で処刑され、その三年後に同じ広場で人々は再び争った。彼らの暴力を鎮めたのは、一人の魔女だという。
彼女の祈りは花を呼んだ。
悲しき争いは幕を閉じた。しかして魔女は姿を消し、さらに三年が経つ。
「彼女はいったいどこに行ったのか。国を出てしまった、辺境の
「はいはい。最後のは、この前の
「ちょっとお! もう少し私の話をきいてくれたっていいでしょ! そもそもね、あの時に来てた女優さんは、花の魔女と暮らしたことがあるって
「――すまないが」
ルーが声をかければ、店先で箒片手にかしましく話していた少女たちが飛びあがった。二人はそろって振り返り、頬を染めて箒を後ろに隠す。
「まぁ、ええっと、ルーさん」熱弁を振るっていたほうの少女が、そわそわと濃紺色のワンピースを引っぱった。「お花ですよね? でもあの、
「聞いている。だから、取り置きをお願いしていたんだ」
ルーは少女たちの後ろにあるショーウィンドウへ目をやり、棚の手前に置かれている花瓶を指差す。
「たぶん、あの薔薇だ……これが
ひったくるようにして受け取ったのは、もうひとりの少女だった。友の恨みがましい視線もものともせず、にっこりとルーに向かって微笑む。
「もちろんですわ。ルーさんは
ちょっと、ずるいわよ! ずるくなんてない、ぼんやりしてたあんたが悪いんでしょ。互いに言いあいながら、少女たちが店のなかに駆けこんで行く。ぱたぱたという足音はあまりにも平和だ。ルーは思わず表情をゆるめながら、
彼女の手にかかれば、倒壊寸前の酒場も、
いつかアンナと一緒に訪れたい。そんな店のひとつだ。
早咲きの
古く、こじんまりとした街だ。
途中で立ち寄った郵便屋で、ルーはレイモンドからの手紙を受け取った。月に一度、きまって最初の火曜日に送られてくる手紙には、ディエンの双子の反抗期の話と、新しい議会への
あくまでもおまけとして同封されているのは、ティカ率いる
そう、相変わらずだ。
僕たちは相変わらずの日々をもう三年も送っている。
処刑台広場で花を呼んだあと、君が長い眠りについた。あの日からずっと。
ルーは裏口から家に戻った。街はずれの家は
ならば、彼女はいつ目覚めるのだろう。不安と弱気。この三年で、いちばん馴染みのある感傷を、ルーは深呼吸とともに追い出す。
階段をのぼり、一番日当たりのいい寝室の前に立つ。ゆっくりとまばたきをして、扉を開ける。なかに入る。眠るアンナへ声をかけようとして――ルーは息をのんだ。
大きな両開きの窓からは冬の終わりの日差しがたっぷりとそそぎ、窓台に置いた
ベッドは、しかし、もぬけの殻だった。
くしゃりと丸まったシーツと毛布があって、そこに小さな
心臓が痛いほど鳴った。ルーは花束を放り出して、部屋を出た。
花びらを追いかけて、階段を駆け下りる。玄関から外へ。澄んだ冷たい空気のなかに、太陽の暖かさがにじんでいる。
冬の終わりの空気を白い息で染めながら、ルーは青い花の道をたどって
青い花弁に混じって、
水たまりには青空が映っていて、白い雲が気持ちよさそうにたなびいている。
そうして、とうとう見つけた。彼女だった。
言葉があふれて、なのに
彼女は背を向けて、丘のうえにたたずんでいた。灰色の髪と、白のワンピースを風に遊ばせている。小さな
青くて小さな花びらだ。
涙みたいだった。
「……花を、止められなくて」
彼女はぽつりと言った。振り返る。困ったように笑い、涙のかわりに青い花びらをひとつだけ目元からこぼす。
「申し訳ないのだけれど、名前を呼んでくださる?」
「……アンナ」
「そっちではなくて。あのね、私の魔女の名前を、」
「いやだ」
「……いや、なの?」
「綺麗だから」
短く返して、ルーは彼女に近づく。手を伸ばせば触れられる距離で立ち止まった。
彼女は青の目を大きく揺らして、顔を伏せる。
「……私は、生きてていいのかしら」
ルーは表情をゆるめた。両手をのばして、彼女を抱きしめる。ささやかなぬくもりに泣きたくなった。
「君が生きたいと望むのなら」ルーは言った。「少なくとも、僕は君と一緒に生きていたい」
「私もよ」
「なら、いい。君は生きていいんだ、アンナ」
彼女が小さく鼻をすすった。
たったひとつのその言葉を、ずっとずっと待ちわびていた。
ルーは彼女から身を離す。ほんのりと色づいた目元に口づけを落として、微笑みを向けた。
「おはよう、アンナ」
泉の青色の目をぱっと輝かせて、彼女が背を伸ばす。涙のかわりに色とりどりの花弁がこぼれる。
ルーの頬に口づけを返し、アンナは彼を抱きしめた。
春一番の花のような笑みとともに。
「おはようございます、ルーさま」
<了>
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