KHM200 / 終章 灰雪と銀狼のプロローグ

第0話 おはよう、アンナ

 遠い昔に春の国とうたわれ、革命によって王が広場で処刑され、その三年後に同じ広場で人々は再び争った。彼らの暴力を鎮めたのは、一人の魔女だという。


 彼女の祈りは花を呼んだ。矢車菊コーンフラワーの青、雛芥子ポピーの黃、藤花ウィステリアの紫。それから薄紅ピンク薔薇ばらと、純白の白百合しらゆり。息をのむほど美しい花から、やわらかな記憶の片隅にとどまる道端の野花まで。すべての争いは幾枚もの花弁に包まれ、花々が彼らを祝福する。


 悲しき争いは幕を閉じた。しかして魔女は姿を消し、さらに三年が経つ。


「彼女はいったいどこに行ったのか。国を出てしまった、辺境の廃村はいそんに身を隠した、いやいや実は人々に混じって暮らしていて、ふとしたときに花の奇跡を見せている」

「はいはい。最後のは、この前の旅座たびざの演目でしょ。夢見てないで、ほうきを動かして」

「ちょっとお! もう少し私の話をきいてくれたっていいでしょ! そもそもね、あの時に来てた女優さんは、花の魔女と暮らしたことがあるってうわさで、」

「――すまないが」


 ルーが声をかければ、店先で箒片手にかしましく話していた少女たちが飛びあがった。二人はそろって振り返り、頬を染めて箒を後ろに隠す。


「まぁ、ええっと、ルーさん」熱弁を振るっていたほうの少女が、そわそわと濃紺色のワンピースを引っぱった。「お花ですよね? でもあの、店主マダムはちょうど出かけていて……」

「聞いている。だから、取り置きをお願いしていたんだ」


 ルーは少女たちの後ろにあるショーウィンドウへ目をやり、棚の手前に置かれている花瓶を指差す。


「たぶん、あの薔薇だ……これがフローラ女主マダム・フローラ覚書おぼえがきなんだが、確認してもらえるか?」


 ひったくるようにして受け取ったのは、もうひとりの少女だった。友の恨みがましい視線もものともせず、にっこりとルーに向かって微笑む。


「もちろんですわ。ルーさんは店主マダムのお得意様ですし。少し待っていてくださいね」


 ちょっと、ずるいわよ! ずるくなんてない、ぼんやりしてたあんたが悪いんでしょ。互いに言いあいながら、少女たちが店のなかに駆けこんで行く。ぱたぱたという足音はあまりにも平和だ。ルーは思わず表情をゆるめながら、石造いしづくりの店の壁に背を預けた。


 フローラ女主マダム・フローラは、六年前の革命で貴族の夫を亡くした。世にいうところの未亡人だが、もとより夫とは不仲だったらしい。これ幸いとばかりに田舎へ引きあげ、昔からの趣味だった草花に関わる仕事をはじめた。


 彼女の手にかかれば、倒壊寸前の酒場も、小洒落こじゃれた花屋に様変わりする。心地よい日差しをとりこむ大きな窓は特注品だ。二階を抜いて、高い天井とはりをむき出しにし、青々とした蔓植物つるしょくぶつや、匂い袋用のラベンダーをるしている。艶木つやきのカウンターは酒場時代の流用らしい。今は酒瓶の代わりに、優美な曲線を描く花瓶と、色とりどりのリボン、それから珍しい異国のがらの包み紙が広げられていた。


 いつかアンナと一緒に訪れたい。そんな店のひとつだ。


 早咲きの薄紅薔薇ピンクローズを三輪受け取って、ルーは通りを歩く。


 古く、こじんまりとした街だ。石畳いしだたみ大雑把おおざっぱにしかかれておらず、ところどころ欠けた部分には昨日の雨が溜まっている。冬の終わりの澄んだ空気のなかで、新芽をつけた街路樹はのびやかに枝を伸ばしていた。


 途中で立ち寄った郵便屋で、ルーはレイモンドからの手紙を受け取った。月に一度、きまって最初の火曜日に送られてくる手紙には、ディエンの双子の反抗期の話と、新しい議会への愚痴ぐちつらねられていて、最後には体調を気遣う言葉で締められている。


 あくまでもおまけとして同封されているのは、ティカ率いる旅座たびざ宣伝紙チラシなのだった。フラウの写真の腕は日を追うごとに上達しているらしい。画角のなかのティカ・フェリスは美しい笑みと蠱惑的こわくてきなまなざしをしている。その片隅に、「あいかわらずだよ」というレイモンドの走り書き。


 そう、相変わらずだ。

 僕たちは相変わらずの日々をもう三年も送っている。


 処刑台広場で花を呼んだあと、君が長い眠りについた。あの日からずっと。


 ルーは裏口から家に戻った。街はずれの家は半一軒家セミデタッチドハウスで、同じ間取りの部屋が二つ連なった構造だ。隣人がおらず、壁で仕切られてもいないので、広々と使える。裏庭バックガーデンはない。けれど丘のふもとに建てられた家は、放棄された牧草地で囲まれていて、春になれば野花が楽しめる。その景色も、彼女と見たいものの一つだ。


 ならば、彼女はいつ目覚めるのだろう。不安と弱気。この三年で、いちばん馴染みのある感傷を、ルーは深呼吸とともに追い出す。


 階段をのぼり、一番日当たりのいい寝室の前に立つ。ゆっくりとまばたきをして、扉を開ける。なかに入る。眠るアンナへ声をかけようとして――ルーは息をのんだ。


 大きな両開きの窓からは冬の終わりの日差しがたっぷりとそそぎ、窓台に置いた待雪草スノードロップのふっくらとした花房を照らしている。


 ベッドは、しかし、もぬけの殻だった。


 くしゃりと丸まったシーツと毛布があって、そこに小さな青薔薇あおばらの花びらが幾枚も散っている。違う、ベッドだけじゃない。どうして気づかなかったのか。青の花弁は床にも散っていた。点々としたあとは、誰かが通った道に違いない。ベッドから降りて、ルーの足元に続き、彼が登ってきたのとは反対側の階段へ。


 心臓が痛いほど鳴った。ルーは花束を放り出して、部屋を出た。


 花びらを追いかけて、階段を駆け下りる。玄関から外へ。澄んだ冷たい空気のなかに、太陽の暖かさがにじんでいる。


 冬の終わりの空気を白い息で染めながら、ルーは青い花の道をたどっておかをのぼった。脇道にそれる。


 青い花弁に混じって、待雪草スノードロップ幾輪いくりんも咲いている。

 水たまりには青空が映っていて、白い雲が気持ちよさそうにたなびいている。


 そうして、とうとう見つけた。彼女だった。

 言葉があふれて、なのにのどに詰まって、出てこない。


 彼女は背を向けて、丘のうえにたたずんでいた。灰色の髪と、白のワンピースを風に遊ばせている。小さな素足すあしはやわらかな草花で受け止められていて、やっぱりたくさんの花弁が散っていた。


 青くて小さな花びらだ。

 涙みたいだった。


「……花を、止められなくて」


 彼女はぽつりと言った。振り返る。困ったように笑い、涙のかわりに青い花びらをひとつだけ目元からこぼす。


「申し訳ないのだけれど、名前を呼んでくださる?」

「……アンナ」

「そっちではなくて。あのね、私の魔女の名前を、」

「いやだ」

「……いや、なの?」

「綺麗だから」


 短く返して、ルーは彼女に近づく。手を伸ばせば触れられる距離で立ち止まった。

 彼女は青の目を大きく揺らして、顔を伏せる。


「……私は、生きてていいのかしら」


 ルーは表情をゆるめた。両手をのばして、彼女を抱きしめる。ささやかなぬくもりに泣きたくなった。


「君が生きたいと望むのなら」ルーは言った。「少なくとも、僕は君と一緒に生きていたい」

「私もよ」

「なら、いい。君は生きていいんだ、アンナ」


 彼女が小さく鼻をすすった。身動みじろぎのあと、その小さな手がルーの背中をぎゅっと握ってくれる。「うん」


 たったひとつのその言葉を、ずっとずっと待ちわびていた。


 ルーは彼女から身を離す。ほんのりと色づいた目元に口づけを落として、微笑みを向けた。


「おはよう、アンナ」


 泉の青色の目をぱっと輝かせて、彼女が背を伸ばす。涙のかわりに色とりどりの花弁がこぼれる。


 ルーの頬に口づけを返し、アンナは彼を抱きしめた。

 春一番の花のような笑みとともに。


「おはようございます、ルーさま」




 <了>

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