第4話 知らない女に負けっぱなしでいいわけ?
たちの悪いことに、自分は過去の自分自身にさえ
結果、アンナは考えすぎて体調不良になり、翌日は朝食もそこそこに寝室へ引き上げる羽目になった。
アンナは閉じた
きっと、もうすぐ昼食よね。アンナはルーのことを思い出し、ひっそりとため息をついた。でも、起きたくない。
「恋のひけつ、その
そのとおり、
「恋のひけつ、その
四六時中ずっと一緒にいないと不安なんて、重い女すぎて嫌気がさしてしまうに違いないわ。
「恋のひけつ、その
だから。
「待った」何気なく聞いていた声にはっとして、アンナはベッドから飛び起きた。「どうして、あなたたちがここにいるの?」
ベッドの端にちょこんと腰かけた
アンナは慌てて二人から本を取り上げた。双子は互いに目配せし、アンナのほうをじっと見る。
「レイモンドのくれた退屈な本より面白いね。マミィ」
「ダディというものがありながら、浮気しようとしているんだね。マミィ」
「わたしたちという可愛い子どもがありながら!」
「……わたくしは、あなたたちのお母さんではないのよ」アンナは双子の合唱にため息をついた。「ねぇ、教えて。どうして、あなたたちはわたくしの部屋にいるの?」
ヴィナとニケは悪びれもせずに答えはじめた。とにかく二人の声の調子はぴたりと一緒で、どちらが喋っているのか、途中からアンナも判別できなくなるほどだ。
「お屋敷の探検にあきちゃった」
「お部屋にもどっても、ダディはどこにもいないし」
「レイモンドは、私達のことがうるさいって」
「ろとうに迷った、かわいそうなわたしたち!」
「けれどさいわいにして、マミィのお部屋が開いてたのです」
「マミィを起こさないように、二人でご本を読んでたのよ。とびきりかわいい
「でも、ちょっと分からないところもあったね」
ひとしきり交互に話したあと、双子は
「どうして、男のひとと女のひとが一緒のおふとんで寝ると、子供ができるの」
*****
「それで、パンケーキで
「……だって、答えられないじゃない……子供の作り方なんて……」
ティカの呆れた視線に肩を落としながら、アンナはフライパンにパンケーキの生地を落とした。
昼食前の
作業台でスープ用の野菜を刻んでいるのはフラウだ。そのそばで、いかにも『見守るのが仕事です』と言わんばかりの顔つきで、ティカが丸椅子に座っている。
アンナは尋ねた。
「ティカさん。今日はやけに早くから、ここにいるのね?」
すまし顔から一転、ティカが居心地悪そうに目をそらす。
「食事当番だからだよ」
「嘘。いつもフラウさんに任せきりじゃない。あなたが来るのは、いつだって、
「う、うるさいなあ。適材適所ってやつで、空気読んでるんだよ。ていうかね、ボクだって本気を出せば、料理くらいできるんだから」
「んふ」
「強がってもない」すかさず反論したあと、ティカは両腕を組んだ。「というか、アンナこそ大丈夫なわけ。体調悪いなんて珍しすぎでしょ」
「それは……だって……」
ルーさまとの関係に悩んで眠れなかったの、という言葉を持て余して、アンナは口を閉じた。ため息のかわりにパンケーキをひっくり返す。
まさか昔の自分に
何とも言えない沈黙が落ちた。さりげなく振り返ったアンナは、同じように自分のほうを眺めていたらしいティカと目があう。
互いに慌てて視線をそらした。
そらしたものの、アンナはふと、ティカが自分に何かを相談したがってるんじゃないか、ということに気づく。そして、それはどうもティカも同じだったらしい。
「……あの、さ」ティカがいささか尊大に切り出した。「悩みとかあるなら、聞くけど。つまり、体調崩しちゃうくらいの相談ってことならさ」
「それをいうなら、ティカさんだって」アンナは苦労してパンケーキを皿へのせながら言った。「何か、わたくしに言いたいことがあるんじゃない? たとえばその……うっかり
再びの沈黙。規則正しく響く包丁の音。ほとんど意味のない無言の駆け引き。
最初に口火を切ったのは、フラウだった。
「じゃあ……私の恋の話……聞いてくれる……ティカちゃん……」
アンナたちは驚いてフラウを見やった。え、嘘。今の聞き間違いじゃなかったよね、という心の声は、間違いなく二人の間で一致していたはずだ。
「恋って……」ティカがまじまじとフラウを見つめた。「フラウが?
「ふ、えへ……えへへ……」フラウはだらしなく笑った。「もちろん、ティカちゃんのことは好きだよ……一番はね、変わらないから安心して……」
「ありがと……っていやいや、そうじゃなくて!」ティカは身を乗り出した。「誰なの、相手は?」
「あの、白くてふわふわのお兄さん……」
うっとりとフラウがつぶやいたので、アンナとティカは顔を見あわせた。
「アルヴィム先生のことだわ……」
「ちょっと、なんでよりにもよって、あんな得体の知れない男なんだよ……アンナ。その辺の
「そんな……! わたくしは先生の保護者じゃないのよ。そんなこと言われても困るし、むしろフラウさんに手を出した先生が許せな、」
「お兄さんは……」フラウが夢見心地の言葉で、アンナたちの言い争いを遮った。「強いんでしょ……うふ……ふふふ……強い人は何でも守れるもの……私が守りたいのはティカちゃんだけ……だけどね……強い人は……好き……」
片手に包丁を持っていることも相まって、なんというかこう、どこかの戦闘部族のような恋の理由だ。
もちろん、誰かを好きになる理由なんて、自由であるべきだけれど。結論らしきものに辿り着いたところで、ルーの姿が脳裏をよぎり、アンナの気分が沈む。
誰かを好きになる理由と同じくらい、誰を好きになるかという自由もあるはずだ。
だから、ルーさまが昔のわたくしのことを好きだったとしても、それを否定することはできないのよ。
ひとしずくぶんの涙がこぼれそうになったところで、黒のワンピースが軽く引っ張られた。赤毛と金髪。女の子と男の子。
ヴィナとニケは、服の
「マミィ、だいじょうぶ? 泣きそう?」
「誰かにいじめられた?」
「悪い男は、正義の味方がやっつけようか?」
双子たちがあまりにも真剣に言うので、アンナは目元をぬぐってごまかしながら微笑む。
「大丈夫よ。ちょっと目にゴミがはいっただけ」
「っていうのは、建前だね」
ティカがねぎらうように、子供たちの肩を叩いた。黒髪の少女は床に膝をつき、双子たちと同じ位置からアンナを見上げてみせる。
「悩み事があるんでしょ。それも、ボクに相談したいやつがさ。当ててみせようか。きっとルーのことだ」
先に相談しなよ、といわんばかりの勝ち誇ったティカの口調に、アンナは思わず唇をとがらせた。
「あっ、ティカさん。ずるい」
「ずるくもなんともない。そもそも、ボクの相談は急ぎじゃないし、このまま何もなければ、問題にもならないはずなんだから」ティカはそっけなく言って、アンナを見た。「それで? とうとうルーに告白でもされた?」
えっ、とヴィナとニケが目を丸くしたので、アンナは慌てて首を横に振った。
「違うのだわ! その、えっと……」アンナは仕方なく、慎重に言葉を選ぶ。「ルーさまには、他に好きな人がいるんじゃないのかしらって……それだけよ」
「……は?」
ティカの声が一段低くなったので、双子どころかアンナもびくりと肩を震わせてしまった。野菜を切り終えたフラウが楽しげに言う。
「へ、へへ……ティカちゃん、いらいらしてるね……」
「えええ……どうし、」
アンナの戸惑いの声は途切れた。立ち上がったティカが、ずいと顔を寄せてきたからだ。
「どうして?」アンナの言葉の続きをゆっくりと繰り返し、ティカが不機嫌そうに言った。「こっちのセリフだよ。どうして、まだそんなことで悩んでるわけ?」
「そっ、そんなことって……」
「ボクはあいつのこと好きじゃないし、あいつはボクのことを好きじゃない。このことは何回も言ってるし、なんなら見りゃ分かるでしょ? それなのに、なにさ? 君ったら、春から今まで、何度も何度も同じところをぐるぐる、ぐるぐると犬みたいに……!」
「だって、仕方ないじゃない!」アンナは必死に反論した。「ルーさまの好きな人が、今の人とは限らないでしょう……っ!」
ティカが両腕を組んで黙り込んだ。納得したというより、「あぁそう。そうくるんだ、ふうん」という顔つきだ。
双子のヴィナとニケが心配そうに意見した。
「ねぇ。マミィは結局、ダディのことが好きなんだよね?」
「安心して。ダディはマミィのことが大好きだもん」
「だから、ルーってひとがどうであろうと、マミィは何も心配しなくていいんだよ?」
アンナは返事に詰まった。そういうことではないの、と否定できなかったのは、またしても双子の泣きそうな眼差しに心が痛んだからだ。
ティカがぱちりと指を鳴らし、「わかった」と結論づけるように言った。
「その
「んふ、ティカちゃん……」フラウが言う。「なにか良いこと思いついたって顔してるね……私も手伝う……?」
「当然。それから、君たちもだよ。ヴィナとニケ」
双子がぱちぱちと目を動かした。
「わたしたちも?」
「そうだよ。君たちの働き次第では、アンナが本当にマミィになるかもね?」
ティカの意味ありげな言葉に、子どもたちは期待に満ちた顔で互いを見やる。
アンナは慌てて声をあげた。
「ちょ、ちょっと、ティカさん? なにを考えてらっしゃるの」
「舞台作り」ティカはまったく説明になっていない返事をして、アンナの手をつかんだ。「ほら、一緒に来て」
ティカに引っ張られるようにして、アンナは
心地よい夏風が吹き抜けて、
シルバーグラスのひげのような葉の隙間から、
白石の小道に落ちる夏影を互いに踏んで、アンナたちは
池のそばで話し込む男性陣が、アンナたちに気がついた。
ルーがはっとしたようにアンナを見る。美しいが、表情に
二人きりの夜の時間を思い出して、アンナは頬を染めた。ルーの気持ちに対する悩みは尽きない。けれど彼を見れば、胸がくすぐったくなるような幸せを感じるのも事実なのだ。
だって、ほんとうに嬉しかったのだもの。あのとき、あの時間は、わたくしとルーさましか知らない。裏庭の片隅でひっそりと咲く、小さな
ティカが咳払いをした。アンナが我に返り、池の近くにしゃがみこんでいたレイモンドが渋い顔で言う。
「なにしに来たんだ?」
「君には用ない」
「はぁ?」
不愉快そうな声をあげるレイモンドを無視し、面白がるような顔つきのディエンとアルヴィムの横を通りすぎて、ティカはアンナとともに夜明け色の青年へ詰め寄る。
ルーの
ティカがルーを見上げ、不敵に笑った。
「
ルーの
「……なんのことだか分からないな。ティカ・フェリス」
「そう? ならよかった。ルーが
空気が凍りついた。
見え透いた挑発だ。それなのにルーの返事はない。アンナは不安になって、ルーをそろりと見上げる。彼は虚をつかれた表情を浮かべていたが、アンナと目があうなり視線を斜め下にずらした。
「いや、それは……」
ルーの歯切れの悪い返事は、いくら待っても言葉が続かない。
やっぱり、ルーさまが好きなのは、今のわたくしじゃないんだわ。アンナは血の気が引いた。どうしよう。どうすればいい……?
突然、ティカがアンナの手ごと腕を上げた。一同の注目を集めたことを確認し、舞台女優ティカ・フェリスは、開幕を
「それではここに、『第一回・わたしの真実の恋人は誰!?
アンナはぽかんと口を開けた。恋人。アピール。告白。いくつかの言葉が断片的に頭のなかで響いて、やっと、ティカの提案がとんでもないことに気づく。
「待って……待って待って待って!」アンナはティカの手を引きずり下ろして、ひそひそと抗議した。「いきなり何をおっしゃるの……! そっ、そんな
「こうでもしなきゃ、君たちの
「そんな、」
「ルーのこと、好きなんでしょ」ティカはアンナの胸元に指を突きつけた。「なら、昔の女ことなんか忘れさせるくらい、彼を夢中にさせてみなよ。知らない女に負けっぱなしでいいわけ?」
ティカの言葉に、アンナの反論の意志がぐらっと揺らいだときだった。
夏の庭に拍手が響く。アンナはさっとアルヴィムをにらんだが、彼は白銀の髪をぶんぶんと振って否定した。
「違う、俺じゃない。あっ、大会は全力で楽しみたいと思うけど」アルヴィム・本日も一言余計・ハティは言い訳しつつ、アンナの後ろを指差した。「拍手したのは彼だよ」
アンナは振り返り、目を丸くした。
小道から現れたのは
若い頃は、さぞ婦人たちを騒がせたであろう、老紳士である。
そしてそれが真実であるとアンナは知っている。
男はアンナの事情を知る、唯一の家族なのだから当然だ。
「……
「やぁ、
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