第15話 星砂の命者
君たちを呼んだのは他でもない、と彼は言った。
ビルツ
そこには、レイモンドが立っている。彼のそばに丸テーブルがあり、銀の三つ輪を組み合わせた飾りが置かれていた。
記憶にあるよりもずっと美しい。すりきれたソファに浅く座ったアンナは、飾りを呆然と眺めながら思う。でも、なんだか綺麗すぎないかしら。
まるでこのためだけに、表面を何度も
レイモンドが銀の飾りを持ち上げ、部屋を見回す。窓際に立ったディエンと双子たち、戸口の壁にぴんと伸ばした背を預けるダグラス、本棚の陰にたたずむフラウと、顔をうつむけたティカ、ソファのそばに立つルー。
レイモンドは、最後にアンナのほうへ視線を向けた。髪と同じ赤銅色の目は、
「これに心当たりは?」
「……
レイモンドが「なるほどね」と呟いて、視線を落とした。鍵につながる鎖を眺め、ささやかなため息とともに握り直して言う。「アルヴィムだよ。彼が持っていた」
「そのはずはない」ルーが
「言えない理由があったんだろ」レイモンドが言った。
「言えない理由?」
「質問を変えよう」ルーの言葉を無視して、レイモンドは再び、アンナを見た。「アンナさん。あなたはどうして、俺たちを
予期せぬ問いかけに、アンナは戸惑った。
「どうして、って……それは……あなたたちと裏庭の世話をしたかったから……」
「なぜ?」
「えっ」
「なぜなんだ?」レイモンドは
「それくらいにしておけ、レイ」
ディエンが警告するように遮った。レイモンドが不服そうな顔をして、口を閉じる。
アンナはそろりと息を吐き出した。そこにいたってようやく、自分が息を止めていたことに気づく。身をかがめたルーが、心配そうにアンナのほうへささやいた。「大丈夫か」
アンナは、ぎこちなく
アンナの指先が、胸元の
まるで、その時を待っていたかのようだった。
「……
アンナは耳を疑った。
「待って。どういうことなの……? 知らないのだわ、そんなこと」
レイモンドは冷ややかな眼差しで首を振る。
「そういうだろうね、君ならば。これが真実であれ、間違いであれ」
「間違いよ。わたくしは
「でも、魔女についてずいぶんと調べていたんだろう? この
知らない。そんなことは。そう言うべきだった。けれど実際には言えなかった。
アンナは知らないのだ。けれど、アンナ・ビルツはどうだろう。記憶を失う前の自分は?
「アルヴィムを呼ぶべきじゃないのか」見かねたように、ダグラスが口を挟んだ。「レイモンドくん、やきもきする気持ちは分かるが……
「彼なら来ませんよ。俺が殺した」
空気が凍りついた。
レイモンドは落ち着きをはらっている。彼はゆっくりと重心を移動させた。
「それに、アンナ・ビルツが魔女を呼ぶ理由について語ったのは、アルヴィム本人だ」レイモンドは言った。「彼はアンナ・ビルツの協力者だった。彼女に代わって、今年も同じように魔女を殺すと言った。俺は
ありえない、と呟いたのは誰だっただろう。アンナ自身か、ルーか、ダグラスか。それとも別の誰かか。
いずれにせよ、レイモンドは落胆も
「俺は、この選択が間違いだとは思わない。アルヴィムを殺すことで、君たちを守ることができるからだ。アンナ・ビルツ、あなたはどうだ? あなたはアルヴィムの言うとおりに、俺たちにとっての敵なのか? それとも、すべてはアルヴィムの
「そ、れは……分からないわ……」レイモンドが
「そこは今の論点じゃない」
「でも、」
「アンナ・ビルツ。仮に記憶がないのが真実なら、思い出してくれ。今、ここで」レイモンドは叱るように言った。「自分が悪なのか、善なのか。君自身にしか決められないんだ。だから、」
「いい加減にしてよ!」ティカが鋭い声で叫んだ。
レイモンドの表情がこわばった。その背中を、ティカがにらみつける。
「もうたくさんだ。自分のことを
「……棚にあげてなんかないし、責めてもいない」レイモンドは振り返らずに答えた。「可能な限り、最悪の
「違う。ボクたちの気持ちなんか、どうでもいいんでしょ」
ティカは吐き捨てるように言った。
「レイモンド。君が守りたいのは、君の気持ちだけだ。そのためなら、君以外の誰かを平気で悪にする」
「俺は別に、誰かを悪になんてしてない。その人の行動が、本人を悪たらしめるんだ。俺はそれを正すだけ、」
「はっ。それがリンダルムの
「っ、その話は関係ないだろ!」
痛みをこらえるように顔を歪めて、レイモンドが振り返った。
ティカが唇を引き結ぶ。一瞬だ。すぐに、そんな反応を示した自分が許せないと言わんばかりに、声を震わせながら言った。
「関係あるでしょ。分かんないの? どれだけ言葉を飾ったって、今の君は、どう見ても悪だ。あいつらと同じように」
「違う、俺は正義だ」レイモンドは強い口調で言った。「君たちが理解していないだけで、これが正しいことなんだ」
〈
「動くな!」
少女の
ヴィナが
「俺の罪の名前を呼んでくれ」
ニケを
「どういうつもりだ」
「俺はここから出ていく」レイモンドは、先よりもずっと落ち着いた声音で返した。「逃げ切るには、魔女の力が必要だ。だから俺の罪の名前を呼べ、ディエン。そうすれば、ヴィナは君に返す」
「
「客観的に見れば、そうだろう」レイモンドは
ヴィナの目から涙がこぼれた。ディエンが
ぱちりと空気の
レイモンドが、ヴィナを床に突き飛ばす。
赤銅色の髪の青年は、素早く身を
「本当に行くのか、
「っ、」
もちろん、と返事をしかけたアンナは、部屋の
窓ガラスの
窓ガラスで切ったのだろう。右のまぶたの上から流れた血を親指でぬぐって、ディエンが低い声で言う。
「レイは本気だ。〈
「……攻撃……」
「仮にルーに襲われても、鍵を使って攻撃をやめるよう命じることができる。それだけじゃない。あなたを殺すように命令することも、できるはずだ」
アンナは立ちすくんだ。冷たい波が、胸の奥からこみ上げる。それは
どうして、こんなことに。そう思った自分に気がついて、アンナは唇の裏を強く噛んだ。心の内だけで、己を
分かりきったことを言わないで。何もかも上手くいっていると、わたくしが
取り戻さなきゃ。漠然とした恐怖に駆られながら、アンナは成すべきことを必死で考える。後悔も自己嫌悪も、そのあとでいい。これ以上、取りこぼすべきじゃない。大切なものを。大切な人を。
「レイモンドさんを
ディエンが値踏みするように目を細めた。
「レイは、あなたを疑っている。説得などという生ぬるい手段は使えないだろう」
「
「仮に鍵を使われたら?」
凍えるような恐怖が、
あなたの好きという言葉があれば、わたくしは何度だって前を向ける。
なにがあっても。
「……わたくしを、
*****
アンナは、ディエンとともに
倒壊した
「レイが
「数は?」
「二匹」ディエンはくたびれたうさぎの人形を抱えなおた。獲物を狙う熊のように、腰をわずかに低くする。「ルーと俺とで一匹ずつだ。そこを
アンナが
レイモンドはルーの
「やっぱり、君も邪魔するのか! ディエン!」
「なに、そう緊張するなよ! いつもの
人形を落として、ディエンが右手を伸ばす。レイモンドが舌打ちとともに叫んだ。『
青の毛皮を持つ
『
ディエンの言葉を合図に、うさぎの人形が内側から
レイモンドの体が、つかの間、がら空きになる。
「っ、レイモンド・ラメド!」
アンナは眼鏡を
音が一気に遠ざかった。景色が
そしてアンナは、レイモンドの罪を見る。
*****
俺が駆けこんだとき、
天井に近いところに鉄格子がはめられていて、その向こうに星を散りばめた夜空がある。まるで絵画だ。けれどもちろん、それは明かりとりのための小窓だ。青白い月明かりがさしこんで、床に打ち捨てられた人影を照らしている。
それは、ぼろきれのようだった。手足や体が、あらぬ方向に曲がっている。ぴくりとも動かない。首のあたりから、ちぎれた細長い
あぁ、と俺はうめいた。足から力が抜けて座り込む。手の中で、紙がかさりと音を立てた。彼からもらった手紙だった。
彼は革命軍側の兵士で、哀れにも国王軍に
親友だった。
だから守ろうとしたのだ。
その頃、俺の父親は
父の関心はすぐに、子供たちへ向けられるようになった。親友は男で、今年で二十歳だった。父の求める被検体ではなかったから、適当に理由をつけて、遠ざけて隠すことも簡単だった。
親友はけれど、
俺はすんでのところで彼を連れ戻し、その食事に強い鎮静効果のある薬草を混ぜるようになった。
意識がもどるたび、彼は死んだ子供の数を俺に尋ね、答えを聞いて
彼の言葉は正義で、正しかった。けれど正しさを
どうして理解してくれないんだ、と俺は
リク、俺は君を死なせたくなかった。親友だったからだ。唯一、俺の手で守ることのできる正義だったからだ。
俺は、君と、あの日の約束にすがっていたのだ。
君は、けれど、違った。
親友は死んだ。俺を
だから俺は死をもって、あなたの正しさを否定する。
「――違う」
明確な否定の声に、アンナはびくりと体を震わせた。
振り返る。すぐ後ろに、レイモンドがたたずんでいた。魔女の正装を着た青年は、暗い眼差しでアンナをにらむ。
「俺は、この過去が罪だとは思わない。アンナ・ビルツ」
背中を乱暴に押されると同時に、アンナは真っ暗な世界から追い出された。
*****
アンナが悲鳴をあげてうずくまる。視界の片隅でそれを
「どけ……!」
青の
左肩に焼けるような痛みがはしった。
ルーは舌打ちとともに振り返る。蒼白な顔をしたレイモンドの、追撃の短剣を払いのけた。さらに一歩踏み込んだ。狙いは右腕だ。レイモンドは
そこで、金属のこすり合うような音が響いた。
ルーは顔をこわばらせた。体がぴたりと動きを止める。レイモンドが、〈
「心外だな。俺が、君に命じるわけないだろ」レイモンドは苦い笑みを浮かべた。疲れきっているが、覚悟も決めている表情だった。「本命はこっちだよ」
レイモンドは、
「っ、……」
地面に
「短剣の刃に、
そうだ。
そして〈
ばちっと、
二人はビルツ
秋。ありえない。
彼女と僕が
「鍵は開けておくわ」鉄格子の向こうで、真っ黒なワンピースを着たアンナが淡々と言う。「あなたには逃げる権利を与えましょう。今までよく仕えてくれたもの。わたくしからの恩情よ」
「……僕が必要としているのは、そんなものじゃない」
吐き捨てるような返答は、ルー自身のものだ。
当然だ、これは僕の記憶なのだから。そのことを理解した瞬間、ルーのなかで何もかもが
まさに今、彼は秋の地下牢にいる。アンナと
「君は、」
「――ルーさま!」
女の鋭い声が聞こえた。体を揺さぶられて、ルーは現実に引き戻される。
あの、アンナ・ビルツが?
ひどく
あの日の問いかけを投げつける。
「君が、〈
記憶の中、秋の
必要な犠牲だったの、と言う様子に、
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