間章あるいは魔女の断片

Posthumous manuscript -Witch-

 ここらが潮時しおどきだな、とディエンは思った。


 ヴェリスの東端とうたん、ブレンラルと呼ばれる土地だ。点在するおかの間を埋めるように、美しい緑をたたえた耕作地が広がる。ロレーヌ伯爵はくしゃくの治める領地はしかし、今や見渡す限り兵士で埋め尽くされていた。赤と白と黒の軍服が絶え間なく激突し、大砲の吐く灰煙はいけむりが陰鬱な雲となって大地を覆っている。銃声、馬のいななき、悲鳴にも似た兵士たちの怒号。丘の下から聞こえるのは、そればかりだ。


 そして、自分を含めた百人近くの反乱軍は、周囲をすっかり敵に囲まれている。


 状況はいたって簡単だ。我らが革命家の旧友にして、協力者である貴族を助けにきた。しかし想定以上に国王軍の数が多く、到着したと同時に囲まれた。


 傍観せよ。さもなくば殺す――要約すれば、その二言に収まる警告が敵よりもたらされ、革命軍は動けなくなった。そのすきに国王軍はロレーヌ家の兵士と屋敷を攻め始め、ほどなくして、今度はロレーヌの屋敷から使者が来た。協力者の親書をたずさえて。


「お願いです、アンナ様! 我らをお助けください!」貧相な使者は、必死の形相で訴えた。「ロレーヌ嬢はあなたを待っている! あなたの助けを!」


 革命家と祭り上げられた小娘は、答えなかった。先ほどからずっと、崩れた土塁どるいの上に立ち尽くしている。戦況を眺めているのではなく、未練がましく屋敷を見つめているのだ。薄っぺらい背中にはたっぷりの悲壮感が塗り込められていて、ディエンはうんざりした。


 先導者の迷いは、集団を弱くする。まして、革命が始まって一月あまりで結成された軍だ。誰も彼もが、一応は小娘の命令を待っているふうよそおっているが、夢だけを見て彼女についてきた若者は泣きそうな顔をしているし、金目当ての傭兵ようへいはちらちらと逃げ道を探している。


 もちろん、ディエンは後者だ。

 だからこそ、ここが潮時しおどきだ。


 ディエンは素早く、はかりにかけた。小娘を殺して国王軍の手土産にするか、彼女を見捨てて陰気な戦場から逃げるか。さすがは国王の娘というべきか、前払いの金は悪くない。一月ひとつき二月ふたつきか、酒と女で遊ぶだけの休暇をとってもいいかもしれない。


 強い風が吹いた。


「……リリア・ロレーヌなんて名前、知らないわ」


 全員の意識が、一斉に小娘へ向けられた。若者たちの戸惑い、使者の驚き、傭兵ようへいの不審。それらに混じって、ディエンも一欠片ひとかけらだけの興味を小娘へ向ける。


 彼女は相変わらず背を向けたままだ。灰色の髪が、煙まみれの風に揺れている。


「そんな……ありえません……!」使者が裏切りに声を震わせ、食ってかかった。「あなたはロレーヌ嬢レディ・ロレーヌ御学友ごがくゆうだったはずだ……! だからこそ、俺はここへ……!」

「知らないと、わたくしは言ったはずよ。下がりなさい」

「帰れるはずがないでしょう! このままでは、リリア様は殺されてしまう! 国王がそういう人間であると、他ならぬあなたなら、」

「ディエン!」


 小娘がディエンの名前を呼んだのは、偶然、彼が使者の近くにいたからだろう。


 ディエンは手早く、剣をさやから抜いた。使者の首裏くびうらやいばを差し入れ、斬り捨てる。やかましい声はぴたりと止んだ。乱れに乱れていた兵士たちの気配が、凍りついた。


 地面に落ちた使者のむくろから、ディエンは親書を取り上げる。


「焼いて捨てなさい」


 相変わらず背を向けたままの彼女が、素早く言った。


「いいのか?」ディエンは薄ら笑いを向けた。「リリア・ロレーヌは大切な友人なんだろう? だから、あなたは俺たちを引き連れて、ここまで助けに来た」


 いくばくかの沈黙があった。それだけだ。小娘が振り返る。


「わたくしがいつ、お前の意見を述べることを許したというの?」


 ディエンは口を閉じた。彼女の言葉ではなく、その眼差しの鮮烈さにかれたからだった。


 青の目には、王者にふさわしい冷酷で強い光と、夏の陽炎かげろうのように揺らめく悲しみの影がある。


 来なさい、と言って、小娘は地面に広げた地図のほうへ向かった。


「東、南、西」軍に見立みたてた小石を次々と置き、小娘は言う。「すでに三方を国王軍に囲まれているわ。わたくしたちの逃げ道は、北側――ロレーヌ邸の裏に広がる森しかない」

「だが、手前にはロレーヌの防衛線ぼうえいせんがあるだろう」ディエンは、屋敷にいたる細い道を指で叩いた。「国王軍とロレーヌの兵が戦っている。中を通れば戦いに巻き込まれるぞ」

「いいえ、彼らはわたくしたちを攻撃できないわ」

「何故」

「ほうっておいても、ロレーヌは、わたくしたちを援軍とみなすでしょう」小娘は目を細めた。「そして国王軍には、あらかじめ協力を申し出ればいい。彼らに代わって、わたくしたちがロレーヌの屋敷へ火薬を運ぶ、と」


 ディエンは小娘をじっと見た。彼女は――アンナ・ビルツは視線を返さず、ロレーヌていに置かれた小石を指で弾く。


「屋敷に火をつけ、混乱に乗じて北側の森へ抜けましょう。この方法ならば、わたくしたちは生き残ることができるわ」


 *****


 がたん、と幌馬車ほろばしゃの揺れる音がして、ディエンは目を覚ました。


 あくびをみ殺しながら身動みじろぎする。馬車はすでに街中を走っていた。赤茶色の煉瓦れんがが積まれた窓つき長屋テラスハウスが延々と続き、軒先のきさきの花々が午睡ごすいの日差しを浴びている。そこからさらに首を上に傾ければ、秋を予感させる、くすんだ青の空が見えた。


 青か。ディエンは先の夢を思い出しながら、馬車の中に体をおさめた。まったく、あとどれだけ待てば、彼女の青を再び見ることができるのやら。さしたる不満もないままにディエンはぼやき、うさぎの人形についた麦わらを指でつまんで落とした。


 リリア・ロレーヌが死亡したブレンラルの戦いから、一年近く。アンナ・ビルツの革命は見事に成功し、国王を含めた王族と、多くの貴族が断頭台送りにされた。城には議会が設けられ、アンナ・ビルツの選んだ商人たちが合議制でまつりごとをしている。


 彼女の手腕は実に見事だった。戦場であれ、政治の場であれ、判断には一切の無駄がなく、すきもない。そうであるがゆえに、異論を唱える者もいない。


 そんな彼女に、ディエンは最後まで従うつもりだった。政治は戦場よりも退屈だったが、彼女の目を見ていられるなら悪くないように思えたのだ。


 ところが三ヶ月前、アンナ・ビルツは、ディエンを含むすべての護衛を解任した。ディエンは城に立ち入れなくなり、そうこうするうちに、アンナ・ビルツは拠点を王城から自身の屋敷へ移した。


 政務のかたわら、裏庭バックガーデンの手入れをしているらしい。うわさを聞きつけたディエンは屋敷へ向かったが、中に入ることは叶わなかった。


『裏庭に出入りできるのは、魔女だけなのさ』門番らしき白銀の髪の青年は、微笑みとともに言った。『でも……そうだね。せっかく来てくれたんだ。俺に協力してくれるなら、魔女になる方法を教えてあげようか?』


 ディエンの望みは、アンナ・ビルツの青の目を見ることだけだった。だから、門番の提案を承諾した。


 それがまったくの善意からでないことは、承知の上だ。


 幌馬車ほろばしゃまった。御者に賃金を払い、うさぎの人形片手に坂道を登る。やがて目的地についたディエンは、屋根のかしいだ建物を見上げて、「ふむ」とひとりごちた。


「ずいぶんと、おんぼろな教会だな」

「失礼すぎるだろ。それは」


 横合いから、不機嫌な返事がとんできた。


 ディエンはひょいと眉をあげる。今しがた登ってきたばかりの坂道に、若い男の姿があった。


 黒の修道服、片腕には果物と野菜のはいった籐籠、そして赤銅色しゃくどういろの髪と目。彼は大股おおまたでディエンに近づき、不躾ぶしつけな視線をぶつける。


「二十三点」ぼそっと青年が呟いた。

「なにがだ?」

「君の人柄に対する評価さ」

「ふむ。十点満点中、二十三点とは、よほど気に入ってくれたらしい」


 ディエンの冗談に、青年がきつく眉根を寄せた。


 腰元の鞄を開け、青年が一枚の紙切れを食い入るように読み始めた。どうにも見覚えがあると思ったら、ディエンが送りつけた履歴書だ。優しい見た目であること、寡黙であること、教養があること……あとは、なんだったか。とにかく、細かすぎる依頼者を満足させられるよう、嘘八百で履歴書を埋めた記憶しかない。


 とりあえず、愛想よく笑っておくか。適当な結論をだして、ディエンは唇の端を釣り上げた。

 

 青年が口元を引きつらせる。


「……とにかく、だ」自分へ言い聞かせるように、青年は慎重に言った。「今回の依頼で、俺が重視するのは一つだ。君は強いんだな?」

「もちろんだとも。俺は傭兵ようへいだ」ディエンはほがらかに返した。「どんな相手であれ、お前が望むのならば殺してやるさ。レイモンド・ラメド」


*****


 白銀の髪の青年の要求は、ディエンがレイモンドと親しくなることだった。

 ディエンの望みは、アンナ・ビルツの青の目を、再び見ることだけだった。

 だから彼は要求をみ、レイモンドと出会った。


 単純だ。望みも、行動も。

 少なくとも、この頃のディエンにとっては、そうだった。

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