KHM060 / 承前 心音とイデアの前奏曲
第1話 取引をしよう、アンナ嬢
目を閉じて、問いを投げかける。
革命が起こったのはいつか。
革命のきっかけは何か。
前年、
〈
天星歴二十五年、黒曜月から
〈王狼〉の行動は。
常のとおりであり、正しかった。小隊を組んでの索敵。数日で
気づいたときには、〈王狼〉は罠にかけられていた。家族や協力者もろとも捕らえられ、殺し合いが始まった。それを見て笑っていたのは、革命軍にへつらう品性の欠片もない見張りの兵だった。長い冬の暇つぶしの遊び。彼らはそう言って笑った。
助けてくれたのは、誰だ。先代だった。
その時の先代は、なんと言った。二つのことを言ったのだ。僕の目をのぞきながら。
けれどね、知っているかい、ルー。革命家アンナ・ビルツは、〈王狼〉の殺し合いに同意したんだよ。賢い彼女は、君たちを確実に殺す機会をうかがっていたのさ。
だって、そちらのほうが効率がいいのだもの。ビルツ
目を開ける。朝の弱い光が
怒りで、皮膚の下が熱い。すべては、仲間たちの死を命じた彼女のせいだ。どうしてだ。何故。彼らは僕にとっての家族だった。そのことを君は承知していたはずだ。君が命じれば、僕たちを助けることだってできたはずだ。誰一人死なずに、今ここに、いてくれたかもしれないのに。
立ち並ぶ書架を抜けた。ルーは立ち止まる。
アンナ・ビルツが。
「……何の用だ」
ルーは怒りを隠しもせずに、問いを投げつけた。アンナ・ビルツは
その一連の動作が、ルーにとっては
「朝食の準備が出来たから、呼びに来たの」
「不要だ」
「そういうわけにはいかないわ」
僕の仲間を殺すよう命じた口で、今さら意見を聞きたいなんて。
結構なことだ。
〈
裏を返せば、問わなければ扉は開かない。これが厄介で、とにかく思い出すためには、どんな
それでも、問い続けるしかない。仲間は死んだ。ルーにできることは、彼らのことを正確に思い出すことだけだ。
「八つ当たりとか、かっこわる」
左隣から、ティカの不機嫌な声が飛んできた。ルーは鼻を鳴らし、テーブルに置かれた新聞を広げる。
「意味の分からない指摘はやめろ、ティカ・フェリス」
「分かるでしょ。大人なんだから」朝食のサラダを食べながら、ティカが
「今の僕はいつもどおりだ」
「三日前とはぜんぜん違う」
「あぁそうだな。三日より前の僕のほうが、どうかしていた」
あえて声を大きくして、ルーは返事をした。
興味もない新聞を、さらにめくる。十日後に迫った
「いい朝だな、
「……わたくしは、母親ではないのだわ」
彼女はため息をついたが、ディエンの冗談に少しばかりほっとしたようでもあった。すすめられた席につき、朝食に手をつけることなく話を切り出す。
「これからのことを、あなたたちと相談したいの」表面上は落ち着いた声音だ。「レイモンドさんを、探しに行かなければならないわ」
レイモンド・ラメドは姿を消した。三日前のことだ。彼の姿はどこにもない。けれど、彼の残したものは、重い
「いいよ、あいつのことなんて。放っておけば」ティカはすげなく言ったあと、不自然なほど明るい声で付け足した。「それより
「お祭りにはサーカスもくるんでしょ?」双子のうちの赤毛のほう、ヴィナが明るい声で付け足せば、すかさず金髪のニケが言葉を継いだ。「おもちゃも見て回りたいな」
「そうそう、そういうことさ!」
ティカが上機嫌に立ち上がった。「ま、サーカスの喜劇は、ボクからすればまだまだってかんじだけどね! とにかく、祭りの季節なんだ。楽しまなきゃ損ってやつでしょ」
馬鹿らしく思いながら、ルーは新聞をめくった。
たしかに
けれど、元々は死者を
ルーはちらりと視線を上げた。彼女は浮かない顔をしている。けれど、ティカたちを否定することもしない。実際のところ、本来の彼女の仕事はそれなのだ。祭りに向けて花を育て、街の人間にこれを渡す。ビルツ
お綺麗なことだな。ルーは胸中で吐き捨てた。そんなもので、死んだ人間が生き返るはずもないのに。
視線があった。アンナの視線は一瞬だけ揺れ、けれど結局、逸らされない。
「ルーさまは、どう思うかしら」
「レイモンド・ラメドを探しに行くべきだろう」ルーは冷ややかに言った。「屋敷に連れ返す必要はないが、生活に困っていないかは確認すべきだ。少なくとも、僕にはその義務がある。彼は僕の心を正しく戻してくれた恩人だから」
「……正しく」
ぽつりと呟いて、彼女が痛みをこらえるような顔をした。目をそらした。そのことに、ルーは腹の底が震えるような喜びを感じた。けれどそれも一瞬だ。
くだらないな。何もかもが
廊下の向こうで、電話の呼び鈴が鳴っている。
*****
「――大丈夫よ、
お願いよ、と念押しして、アンナは受話器を置いた。一つ息をついて、のろのろと隣を見る。
壁に背を預けたディエンが、面白がるように
「五回だな」
「……何がかしら」
「あなたが大丈夫、と繰り返した数だ」
アンナは唇の裏を噛んだ。からかわれている。
少し腹が立った。アンナは大きく息を吸い込み、吐き出す。
「そんなことをしている場合じゃ、ないでしょう」アンナは、ディエンをいさめた。「今は大変なときなのに」
「ふむ。たしかにな」ディエンが見知らぬ赤毛のうさぎの人形を撫でながら――こんな状況なのに、人形を
「そうじゃないでしょう。レイモンドさんがいなくなったのよ。あなたの相棒とも呼ぶべき人が」
「あぁ、それなら問題ない」
アンナは眉をひそめた。ディエンが唇の端を吊りあげる。相変わらず治安の悪い……だが自信に満ちた笑みだ。
「レイは良いやつだが、二番でな」
「二番?」
「俺の中の優先順位の話だ」ディエンはアンナの手をとった。「一番はあなただよ、
あっけにとられたのもつかの間、アンナは怒りで顔がほてるのを感じた。「優先順位ですって? ふざけてらっしゃるの?」
ディエンの目が面白がるように輝く。
「ふむ、気を悪くしたか」
「当然なのだわ。こんなにも大変な時なのに」アンナはますます腹が立って、手を振りほどこうとした。
「こんなにも大変、は二回目だな」
「そういう言葉遊びは結構よ。ねぇ、離して」
「それは出来ない相談だ。俺も、この機会を逃したくなくてね」
「機会なんて、っ、」
強い力で引っ張られた。ディエンは自身の心臓のあたりに、アンナの手を導いて、考え込むような顔をする。「ふむ、もう少し刺激がほしいところだな」
アンナは
「……どういうつもりなの」
ディエンは悪びれもせずに肩をすくめた。
「なに。ここ最近、どうにも何かが足りない気がしていてね。あなたに触れてもらえたのなら、欠けた何かも埋まるだろうと思ったのさ。どうにも、これだけでは足りないようだが」
「っ、気持ち悪いのだわ」アンナは顔を歪めた。「わたくしは、あなたのものじゃない」
「だが、ルーのものでもない」ディエンは目を細めて言った。「あの男が失ったのは、あなたへの恋心だ。そうだろう?
アンナは唇を震わせた。胸の奥からせりあがった何かで、息が詰まる。それを、けれど、無理矢理に飲み下した。「だとしたら、何だというの」
掴まれたままの手をぎゅっと握りしめ、アンナは挑むようにディエンを見る。
「こうなることを一番恐れていたのは、ルーさまだわ。だったら、わたくしのすべきことは、嘆いて立ち止まることじゃない。あなたに慰めてもらうことですらない。ルーさまの苦しみを、少しでも取り除くことよ」
「……ふむ、なるほどな」ディエンは、満足げに呟いた。「そうだった。困難なときほど、あなたの目は美しくなる」
アンナには到底理解できない感想だった。それでも、ディエンの手の力が緩んだので、急いで距離を置く。そのまま立ち去るつもりだった。できなかった。
「俺が教えてやろうか。アンナ・ビルツという人間を」ディエンが言った。「あなたは、それを知りたいのだろう? ルーの苦しみを理解するために。だから、レイを探すかたわら、ずっと
「……それは……」
「だが、
アンナは唇を引き結んだ。反論の余地がない。そしてそのことを、ディエンも正確に理解している。
「革命の頃、俺はアンナ・ビルツの側近だった。彼女と過ごした時間は、誰よりも長い」そう前置きして、ディエンはじっとアンナを見る。「取引をしよう、
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