KHM060 / 承前 心音とイデアの前奏曲

第1話 取引をしよう、アンナ嬢

 目を閉じて、問いを投げかける。


 革命が起こったのはいつか。


 天星歴テンセイレキ二十五年、黒曜月コクヨウヅキ。とりわけ厳しい、冬の日だった。


 革命のきっかけは何か。


 前年、翡翠月ヒスイヅキ。さる貴族が一つの村を狩り場に見たて、女子供を獲物とした。表向きは税を支払えなかった者たちへの処罰だ。されど国王は、全てを見抜いた上で異様な狩りを面白がり、貴族に称号を、村人にはさらなる狩人かりうどを差し向け、長い冬の暇つぶしの遊びに興じた。貧しい村民の多くが死に、国王の末娘アンナ・ビルツは心を痛めた。


王狼おうろう〉にくだされた命令と、その時期は。


 天星歴二十五年、黒曜月から二月ふたつきほど経った頃だ。大罪人アンナ・ビルツを探し出し、市中引き回しのうえ、我が足元に引っ立てろ。民の前ではずかしめのうえ、斬首とする。国王はつばをまき散らして命じ、〈王狼〉は下命を拝した。


〈王狼〉の行動は。


 常のとおりであり、正しかった。小隊を組んでの索敵。数日で隠れ鴉カシェ・フルーがアンナ・ビルツの潜伏先を探り当てた。ヴェリスの東端、ブレンラル地方、ロレーヌていの北に広がる森だ。向こう見ずな子犬テメリテ・シオはしかし、アンナ・ビルツ一派を取り逃がし、いたちごっこが始まった。〈王狼〉は、革命軍側の人間を殺した。革命軍は、〈王狼〉の人間を殺せなかった。こちらの有利は確実だったが、肝心のアンナ・ビルツを捕らえることは叶わなかった。そして再びの黒曜月、厳冬の日。


 気づいたときには、〈王狼〉は罠にかけられていた。家族や協力者もろとも捕らえられ、殺し合いが始まった。それを見て笑っていたのは、革命軍にへつらう品性の欠片もない見張りの兵だった。長い冬の暇つぶしの遊び。彼らはそう言って笑った。嘲笑あざわらっていた。その間も僕たちは生きるために殺し合いを続け、殺した相手を食べ、最後は僕一人になって、革命が終わった。


 助けてくれたのは、誰だ。先代だった。

 その時の先代は、なんと言った。二つのことを言ったのだ。僕の目をのぞきながら。


 可哀想かわいそうにね、ルー。君は自分自身の名前が魔女の名前となるほどに、罪を重ねてしまった。


 けれどね、知っているかい、ルー。革命家アンナ・ビルツは、〈王狼〉の殺し合いに同意したんだよ。賢い彼女は、君たちを確実に殺す機会をうかがっていたのさ。


 だって、そちらのほうが効率がいいのだもの。ビルツてい地下牢ちかろうで再会した彼女の言葉を思い出し、ルーは刃で切りつけられたときのような痛みを感じた。


 目を開ける。朝の弱い光が書架しょかの隙間から差している。ルーは、ヴェリスの歴史書を力任せに閉じ、歩き出した。


 怒りで、皮膚の下が熱い。すべては、仲間たちの死を命じた彼女のせいだ。どうしてだ。何故。彼らは僕にとっての家族だった。そのことを君は承知していたはずだ。君が命じれば、僕たちを助けることだってできたはずだ。誰一人死なずに、今ここに、いてくれたかもしれないのに。


 立ち並ぶ書架を抜けた。ルーは立ち止まる。図書室ライブラリの扉から、ちょうど彼女が入ってきたからだ。


 アンナ・ビルツが。


「……何の用だ」


 ルーは怒りを隠しもせずに、問いを投げつけた。アンナ・ビルツはおびえたように青の目を揺らす。けれどすぐに、それを取りつくろう。背筋を伸ばし、ぎこちなく視線をあわせて、話しかけてくる。


 その一連の動作が、ルーにとっては忌々いまいましいものでしかない。


「朝食の準備が出来たから、呼びに来たの」

「不要だ」

「そういうわけにはいかないわ」ひるむ。取りつくろう。ぎこちなく視線をあわせる。そのあとに、アンナ・ビルツは言葉を続ける。「これからのことを決めないと。ルーさまの意見も聞きたいの」


 僕の仲間を殺すよう命じた口で、今さら意見を聞きたいなんて。


 滑稽こっけいすぎだ。笑えなかった。ルーは舌打ちして、図書室を出る。彼女がついてくる気配はない。鍵が壊れてから三日だ。とうとう、ルー・アージェントを一人にしておくということを、アンナ・ビルツは学んだらしい。


 結構なことだ。


 食堂ダイニングに向かいながら、ルーは再び自問自答を繰り返す。とにかく、記憶の欠落を補うにはそれしかなかった。


王狼おうろう〉の鍵は、感情にひもづいた記憶をも封じていたらしい。今や鍵は壊されたが、記憶の扉は閉まったままだ。だから自分に問いかける。そうして初めて、扉の先の答えが浮かぶ。


 裏を返せば、問わなければ扉は開かない。これが厄介で、とにかく思い出すためには、どんな些細ささいなことでも問い続けるしかない。空が青いのは何故かと問うようなものだ。当たり前のことに対して、質問をたてようという気になれるかどうか。


 それでも、問い続けるしかない。仲間は死んだ。ルーにできることは、彼らのことを正確に思い出すことだけだ。


 食堂ダイニングにはいり、手近な椅子に座った。斜め向かいの双子が、テーブルに広げた本から顔をあげる。おびえたような目だ。忌々しい彼女の青を思い出し、ルーは目をすがめた。子どもたちが、通りがかったディエンにしがみつく。


「八つ当たりとか、かっこわる」


 左隣から、ティカの不機嫌な声が飛んできた。ルーは鼻を鳴らし、テーブルに置かれた新聞を広げる。


「意味の分からない指摘はやめろ、ティカ・フェリス」

「分かるでしょ。大人なんだから」朝食のサラダを食べながら、ティカが刺々とげとげしく返す。「なにが気にいらないか知らないけど、自分の機嫌の悪さを隠しもしないとか、ばっかみたい」

「今の僕はいつもどおりだ」

「三日前とはぜんぜん違う」

「あぁそうだな。三日より前の僕のほうが、どうかしていた」


 あえて声を大きくして、ルーは返事をした。


 食堂ダイニングの入り口で、彼女の立ち止まる気配があった。動揺が伝わって、ルーはささやかな満足を得る。顔を見る気はなかった。どうせ、泣きそうな顔をして、それを取りつくろって、背筋を伸ばしているのだろう。


 興味もない新聞を、さらにめくる。十日後に迫った煌華祭ファル・ヤードの宣伝が目に入った。


「いい朝だな、アンナ嬢レディ・アンナ」ディエンが穏やかな声をかけた。「俺の隣に座るといい。ヴィナたちも、母親がいたほうが喜ぶだろう」

「……わたくしは、母親ではないのだわ」


 彼女はため息をついたが、ディエンの冗談に少しばかりほっとしたようでもあった。すすめられた席につき、朝食に手をつけることなく話を切り出す。


「これからのことを、あなたたちと相談したいの」表面上は落ち着いた声音だ。「レイモンドさんを、探しに行かなければならないわ」


 食堂ダイニングが静かになった。


 レイモンド・ラメドは姿を消した。三日前のことだ。彼の姿はどこにもない。けれど、彼の残したものは、重いおりとなって屋敷の空気に沈んでいる。〈王狼おうろう〉の鍵を壊したこと。アンナ・ビルツは、魔女を殺して薔薇十字ロザリオを得ようとしているという糾弾。


「いいよ、あいつのことなんて。放っておけば」ティカはすげなく言ったあと、不自然なほど明るい声で付け足した。「それより煌華祭ファル・ヤードの準備でしょ。とびきり綺麗な花だけじゃないよ。可愛いドレスに、祭りの露店のグルメ!」

「お祭りにはサーカスもくるんでしょ?」双子のうちの赤毛のほう、ヴィナが明るい声で付け足せば、すかさず金髪のニケが言葉を継いだ。「おもちゃも見て回りたいな」

「そうそう、そういうことさ!」


 ティカが上機嫌に立ち上がった。「ま、サーカスの喜劇は、ボクからすればまだまだってかんじだけどね! とにかく、祭りの季節なんだ。楽しまなきゃ損ってやつでしょ」


 馬鹿らしく思いながら、ルーは新聞をめくった。


 たしかに煌華祭ファル・ヤードは年に一度の祭りだ。市がたち、露店が並び、街中に花が飾られる。ティカのような馬鹿な若者ほど、浮かれ騒ぎを起こす。


 けれど、元々は死者をいたむための祭りなのだった。美しい花々は死んだ人の魂で、三日の間、うたげで彼らを歓待する。最後の夜に炎をおこし、花々をくべ、死した彼らの平穏を祈る。


 ルーはちらりと視線を上げた。彼女は浮かない顔をしている。けれど、ティカたちを否定することもしない。実際のところ、本来の彼女の仕事はそれなのだ。祭りに向けて花を育て、街の人間にこれを渡す。ビルツていの裏庭は花々の楽園であり、三年前の革命で、アンナ・ビルツはとにかくたくさんの人間を殺したからだ。すなわちこれは義務であり、罪滅ぼしでもある。


 お綺麗なことだな。ルーは胸中で吐き捨てた。そんなもので、死んだ人間が生き返るはずもないのに。


 視線があった。アンナの視線は一瞬だけ揺れ、けれど結局、逸らされない。


「ルーさまは、どう思うかしら」

「レイモンド・ラメドを探しに行くべきだろう」ルーは冷ややかに言った。「屋敷に連れ返す必要はないが、生活に困っていないかは確認すべきだ。少なくとも、僕にはその義務がある。彼は僕の心を正しく戻してくれた恩人だから」

「……正しく」


 ぽつりと呟いて、彼女が痛みをこらえるような顔をした。目をそらした。そのことに、ルーは腹の底が震えるような喜びを感じた。けれどそれも一瞬だ。


 くだらないな。何もかもが色褪いろあせて見えて、ルーは席を立つ。

 廊下の向こうで、電話の呼び鈴が鳴っている。


 *****


「――大丈夫よ、叔父様おじさま」アンナは電話口のダグラスに向かって、何度目か分からない言葉を繰り返した。「大丈夫。だって、皆がいるのだもの……だから安心して。それより、そちらの街で……えぇ、そうよ……レイモンドさんか、アルヴィム先生の居場所が分かったら、連絡してね」


 お願いよ、と念押しして、アンナは受話器を置いた。一つ息をついて、のろのろと隣を見る。


 壁に背を預けたディエンが、面白がるようにまゆをあげた。


「五回だな」

「……何がかしら」

「あなたが大丈夫、と繰り返した数だ」


 アンナは唇の裏を噛んだ。からかわれている。

 少し腹が立った。アンナは大きく息を吸い込み、吐き出す。


「そんなことをしている場合じゃ、ないでしょう」アンナは、ディエンをいさめた。「今は大変なときなのに」

「ふむ。たしかにな」ディエンが見知らぬ赤毛のうさぎの人形を撫でながら――こんな状況なのに、人形をう余裕があるらしい――、のんびりと言った。「ルーの様子がおかしい。ヴィナはニケと離れたがらないし、ティカ・フェリスはあからさまに暗い話題を避けている。フラウ・ライゼンは……さて、どうだろうな。楽しくティカの世話を焼いているようだが」

「そうじゃないでしょう。レイモンドさんがいなくなったのよ。あなたの相棒とも呼ぶべき人が」

「あぁ、それなら問題ない」


 アンナは眉をひそめた。ディエンが唇の端を吊りあげる。相変わらず治安の悪い……だが自信に満ちた笑みだ。


「レイは良いやつだが、二番でな」

「二番?」

「俺の中の優先順位の話だ」ディエンはアンナの手をとった。「一番はあなただよ、アンナ嬢レディ・アンナ。俺はあなたの目を見るためだけに、ここまで来た」


 あっけにとられたのもつかの間、アンナは怒りで顔がほてるのを感じた。「優先順位ですって? ふざけてらっしゃるの?」


 ディエンの目が面白がるように輝く。


「ふむ、気を悪くしたか」

「当然なのだわ。こんなにも大変な時なのに」アンナはますます腹が立って、手を振りほどこうとした。

「こんなにも大変、は二回目だな」

「そういう言葉遊びは結構よ。ねぇ、離して」

「それは出来ない相談だ。俺も、この機会を逃したくなくてね」

「機会なんて、っ、」


 強い力で引っ張られた。ディエンは自身の心臓のあたりに、アンナの手を導いて、考え込むような顔をする。「ふむ、もう少し刺激がほしいところだな」


 アンナは禿頭とくとうの大男をにらみつけた。


「……どういうつもりなの」


 ディエンは悪びれもせずに肩をすくめた。


「なに。ここ最近、どうにも何かが足りない気がしていてね。あなたに触れてもらえたのなら、欠けた何かも埋まるだろうと思ったのさ。どうにも、これだけでは足りないようだが」

「っ、気持ち悪いのだわ」アンナは顔を歪めた。「わたくしは、あなたのものじゃない」

「だが、ルーのものでもない」ディエンは目を細めて言った。「あの男が失ったのは、あなたへの恋心だ。そうだろう? アンナ嬢レディ・アンナ


 アンナは唇を震わせた。胸の奥からせりあがった何かで、息が詰まる。それを、けれど、無理矢理に飲み下した。「だとしたら、何だというの」


 掴まれたままの手をぎゅっと握りしめ、アンナは挑むようにディエンを見る。


「こうなることを一番恐れていたのは、ルーさまだわ。だったら、わたくしのすべきことは、嘆いて立ち止まることじゃない。あなたに慰めてもらうことですらない。ルーさまの苦しみを、少しでも取り除くことよ」

「……ふむ、なるほどな」ディエンは、満足げに呟いた。「そうだった。困難なときほど、あなたの目は美しくなる」


 アンナには到底理解できない感想だった。それでも、ディエンの手の力が緩んだので、急いで距離を置く。そのまま立ち去るつもりだった。できなかった。


「俺が教えてやろうか。アンナ・ビルツという人間を」ディエンが言った。「あなたは、それを知りたいのだろう? ルーの苦しみを理解するために。だから、レイを探すかたわら、ずっと図書室ライブラリにこもっている」

「……それは……」

「だが、薄々うすうす気づいてもいるはずだ。書物に、アンナ・ビルツの心は記されていない」


 アンナは唇を引き結んだ。反論の余地がない。そしてそのことを、ディエンも正確に理解している。


「革命の頃、俺はアンナ・ビルツの側近だった。彼女と過ごした時間は、誰よりも長い」そう前置きして、ディエンはじっとアンナを見る。「取引をしよう、アンナ嬢レディ・アンナ。俺があなたに、アンナ・ビルツについて教える。その代わりに、あなたは俺の望む時に、一緒に過ごしてほしい」

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