第9話 どうして
教会にたどり着き、扉を開く。あとは、ルーとレイモンドが、元の世界で
なんて。
「ふむ。そう簡単に行くはずもないか」若い男を
「のんきに感想言ってる場合じゃないでしょ!?」ティカが半泣きになりながら振り回したウサギの人形の顔面に、
「なるほど、
「ディエンさん!」アンナは思わず
そもそも、教会にたどり着くまでも、それなりの数の
「みえっ!」
さらに教会の奥へ進もうとしたところで、アンナは
「なかなか、可愛らしい悲鳴だったな」
「っ、か、からかわないでくださる……!?」アンナは赤面して、ディエンをにらんだ。「お礼は言うけれどっ……ありがとう……っ!」
「どういたしまして」
例の、治安の悪そうな笑顔を浮かべられた。まったく、何も面白くないのだわ。アンナは唇を曲げ、息を
「というか、男の人はどうなさったの?」
「ティカに預けてきた」なにやら
なるほど、魔女の
「……それって、わたくしたちのほうに、
「御名答」ディエンが楽しげに目を細めた。「ケロちゃんたちを存分にぶっつぶせるというわけだ」
「っ、そういうのはいらないのだわっ……!」
というか、ケロちゃんって、そんな
げこ、という
教会は、入り口から続く長い
いずれにせよ、隠れる場所はほとんどない。
登ったって、追い詰められるだけでしょうし……っ。息を切らしながら弱気になったところで、アンナはディエンがうずうずと
潰すつもりなのかしら。
駄目よ。そんなの、絶対に夢見が悪くなるのだわ……っ。
からからの
「っ、」
なんとか倒れずに踏みとどまったが、
目があった。
そう思った次の瞬間には、
アンナは息をのむ。どうして? 単純な問いかけには、同じくらい単純な答えが返ってきた。
もしかして、
だから、わたくしの目で殺せたとか?
……そのためには、ちゃんと蛙さんを見ないといけないわけだけれど。早速浮かんだ懸念事項を、アンナはなんとか無視した。勇気を出すのよ。がんばって。今日の夢見が心配だけれど。何よりもう、今から泣きそうだけれど……っ!
「ディエンさん!」
ディエンは、壁からはいだタペストリーで
「さすがは
*****
右、左、右、右、それから下。
荒れ果てた教会中に、げっ、という低い鳴き声が響く。
大蛙は、
腹の立つ顔だ。ルーは
アンナの無事が分かったうえで、彼女の姿がここにないからだ。気が散る理由がどこにもない。
これが彼女を助けるために必要なことであるというのなら、なおのことだ。
ルーは走りながら、短剣を構えた。右足で、強く地面を踏み込む。
黒の体毛で覆われた後ろ
あるいは、ルーたちの
『
ルーは目を閉じた。ばちん、と空気が
ごく短い距離だが、ルーは
巨体が揺れた。視界の外からの
レイモンドから教えられたとおりに、ルーは呟いた。
『
細い鎖は
ルーは短剣を逆手に持って、
刺されたにも関わらず、あざ笑うように
それは黒い
レイモンドは、そうやってルーに説明した。
だから自分たちは、対策をたてたのだ。
「傷つけたな、とでも言いたいのか」ルーは冷ややかに笑った。「愚かだな。血を流すなと言われているんだ。僕が不用意に刃物を使うわけがないだろう?」
『――
レイモンドの声が響き、短剣の
がちん、と歯車がきしんで、悲鳴をあげるような音がした。
床の上で、
「
*****
ティカが
「あぁもう、わかってるけどっ! そういうのは、この
「ティカさん、頭を下げて!」
もうやだっ! と文句を言いながらも、ティカは隣を走る若い男の腕を強く引いて、その場にうずくまってくれた。
アンナは
派手な音も光もない、地味な作業だ。
それでもなんとか、
アンナは眼鏡をかけなおし、周囲をさっと見回した。
アンナたちは、一足先に
黒い水たまりは足元にあった。ティカたちと合流できさえすれば、すぐにでも飛び込むことができる距離だ。
順調。
そのはずなのに、アンナのなかで何かが引っかかる。
アンナが見れば、
でも……いいえ、違うわ。気になるのは、そこじゃない。アンナは眼鏡の
本来であれば、アンナの目は魔女に対しての効力しか持たないはずだ。目と目をあわせれば、魔女の罪を暴いて彼ら彼女らを狂い殺す。魔女の力によって生み出されたものを見れば、それを消すことができる。たとえば、冬の屋敷で、
ならばどうして、
魔女を殺すときに見えるはずの罪の名前が、見えないのだ。そのことに気づくと同時に、アンナの背中にひやりと冷たいものが走った。
魔女の未練には罪の名前が存在しないから。単純に、それだけの理由であればいい。
けれどもしも、魔女の未練にも罪の名前があるとしたら?
だって、魔女の未練は
ティカが辿り着いた。その後ろで、配達員の男が顔をあげた。アンナは己の
今まで、どうして気づかなかったのだろう。
若い男の目は、深く、底のしれない泥沼のように濁っている。
アンナはティカを突き飛ばし、素早く眼鏡を
教会中に響き渡っているはずの
いつもならはっきりと見えるはずの罪の過去は、しかし、全く見えない。
真っ暗だ。
まるで、本のページをインクで真っ黒に染めたように。
そうであるのに、罪の名前だけはアンナの脳裏にはっきりと浮かぶ。
『――
薄気味悪さを覚えながらも、アンナがぽつりとつぶやく。
配達員の男の口角が、つり上がるのが見えた。
*****
「な、んっ……!」
突然のことに、レイモンドは言葉を詰まらせてしまった。
黒い水たまりが大きく波打った。何かが飛び出した。何かじゃない、黒い
若い男。
自分たちが助けた配達員。
彼はまるで
『
ディエンの低い声に、レイモンドは我に返った。
いつものとおりに、ちぎれた人形の四肢という教育上よろしくない
そうだ。まずは魔女の未練を消滅させることだ。レイモンドは、
ルー・アージェントは〈
集中しろ。油断するな。レイモンドは己を叱りつけて、
『
小瓶が割れ、
レイモンドはすぐさま、ルーのほうへ向かった。加勢は必要ない。そのはずだったし、実際そうだった。
陽の光が届かぬ薄暗い地面で、ルーが若い男に馬乗りになっている。暴れる男の体を、片手で器用に押さえているのは
ルーはためらいなく短剣を振りかざした。若い男の体のあちこちから、黒い
ルーが
一つは、金属の
そしてもう一つは、若い男がささやき声。
『殺せ』
短剣が、若い男の胸に突き立った。その体は一度大きくはね、次の瞬間には黒い
短剣が、乾いた音をたてて地面に落ちた。
ルーはしかし、微動だにしない。背を向けたまま、地面に座り込んでいる。彼の周りの空気は奇妙なまでに静かで、冷たかった。
まるで、冬の夜のように。
「……ルーさま……?」
不安そうな声が聞こえて、レイモンドは振り返った。アンナだった。柱の
ルーが、ふらりと立ち上がった。アンナに近づき、なんの
空気が凍りついた。
「っ、は……?」
レイモンドは
誰に? ルーにだ。待てよ。待て。なんでなんだ?
ルーの指先が、アンナの
本気なのだ。本気で、アンナを殺そうとしている。レイモンドは動けなかった。情けないことに、
駆け寄ってきたディエンが、ルーの
凍てつくほどの殺気が
ルーが地面に倒れ込んだ。アンナも首元を押さえ、地面に座り込む。近づいてきたティカが話しかけたが、アンナの反応は
「……どうして……ルーさま……こんな……まるで冬みたいな……」
ルー・アージェントは〈
彼らが最後に受けた命令は、国王に反意を示したアンナ・ビルツを殺すことだった。
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