第8話 まぁ、これくらいは普通というか
レイモンド・ラメドにとって、順序立てて物事が進まないというのは、とびきり
どうして
すべて終わる頃には、ティカはふくれっ面になっていた。だから言いたくなかったんだよ、といわんばかりの顔つきで、ぼそっと呟く。
「だから言いたくなかったんだよ」
アンナは苦笑いした。幸いにして、レイモンドの文句は飛んでこなかったから、伝令役の
「簡素というには、家具がなさすぎるな」男を床に下ろしたディエンが、そっけなく言う。
「まさにはりぼて、という感じね」アンナもうなずき、肩に止まっている
『見えないよ。ただの鳥なんだから、当然だろ』
いくぶんか平静を取り戻したレイモンドが応じた。『色々と言いたいことはあるけど』と前置きし――ディカが舌を突き出した――、彼は話を続ける。
『とにかく、君たちにはそこから出てもらわないと』
「場所を一致させる必要があると、言ってたわよね」アンナはゆっくりと言った。「わたくしたちと、
『そうだ。そっちに飛ばされる直前に、君たちは黒い沼に沈んだろう? 間違いなく、あれが入り口だ』
「ふん、ずいぶんと強気じゃんか」ティカが
『確かめたんだよ。だからこれは事実だ』レイモンドがむっとしたように言った。『いいかい? 君たちが消えたあとには、衣類も死体もなかった。だから、黒い沼が君たちをどこかへ移動させたと仮定したんだ。あとは、ルーに手伝ってもらって、
粘液が付着した部分が黒い沼になることに気づいたのが、
最初の三回は完全なる失敗だった。
次の三回も結果は同じだったが、
『だから、
「えぇ、それはもちろん、だけれど」アンナは純粋に感心して尋ねた。「この短い時間で、よくそこまで分かったのね……?」
頭の回転が速い人間は、何人もいる。ルーもそうだ。けれど彼は直感で判断を下す。戦場ではわずかな
それと比べると、レイモンドは対照的だった。短い時間の中でもじっくりと考え、試行して、結論を出す。だから、その解にいたった経緯を話すことが出来るし、どこまでが手がかりになりうる事実で、どこからが解決しなければ課題か、というのを説明できるのだ。
それはある意味、完全で完璧な解を示すよりも重要だ。特にこうして、誰かの理解と同意を得ながら、物事を進める場面においては。
ルーが優秀な戦士とするなら、レイモンドは指揮官とか戦略家とか、そういう呼び方がふさわしい。
視界の端で、ディエンが得意げに唇の端を釣り上げる。頼りになるだろうと言わんばかりだったし、この時ばかりはアンナも彼に同意した。
『あー……っと……』レイモンドが気恥ずかしさを誤魔化すように言葉を探している。『まぁ、これくらいは普通というか……ティカさんには難しいかもしれないけどさ……』
「ちょっと。なんでそこで、ボクが出てくるのさ?」ティカが不機嫌な顔でうめいた。
「じゃれあいも、ほどほどにな」ディエンは面白がるようにたしなめてから、アンナのほうを向いた。「さて。目下の課題は、
アンナは
二階の窓からのぞくかぎり、通りでは、相変わらず
アンナは指の背を口元に当てる。この
形も色も同じだし。
なにより、わたくしたちを追いかけてきてるんだから。
そこまで考えて、アンナの頭に、
全員の視線が集まった。アンナはゆっくりと言う。
「ねぇ。今、そっちの
『……最初の服屋があっただろう』おそらくは
「それって、
ティカがはっとしたように呟いた。「ここのこと……?」
アンナはうなずく。
「魔女の
「ええ……っと……でもボクたちは、
「いいや。
「人の少ない場所が一番だわ。さっきみたいに、誰かが巻き込まれたら大変だもの」
『――それなら』
そう切り出したのはレイモンドだ。なにかをためらうような静けさは一瞬で、彼は言葉を続ける。
『街の東側の教会はどうかな。あそこなら、今は使われていないし、建物の広さも十分だと思う』
「そうしましょう」アンナは
*****
アンナたちが動き出したのを確認して、レイモンドとルーも教会に向かった。
夏の日差しに照らされた大通りは、活気に満ちていた。
だから、なのだ。きっと。レイモンドは思う。ここには若い人間が多いから。どちらかというと、女性ばかりだから。女というのは美しい異性に
だから、ルーとすれ違った女性が黄色い悲鳴をあげたり、立ち止まって熱っぽい視線を投げつけてきたりする。
……いや、だから何? って感じだよな。それ以上でも、それ以下でもないし。気にするとか、そういうこともありえないわけだし。レイモンドは誰にともなく言い訳した。
ただ、俺は確認しなきゃいけないだけだ。アンナの
すなわち、ルーという青年が、アンナに害を成そうとしているかどうか。
実際のところ、アンナどころか、自分の恋心――どう見たって恋だろこれは――にも振り回されているとしか思えない、この男が……というところはあるけれど。
「行き先に、」
ルーが
いやいや。
「行き先? 教会のことか?」レイモンドは平然としたふりで尋ねた。
「そうだ」ルーがちらりと、視線をよこした。「教会に向かえと、言った理由は?」
「あぁ」
なるほどね、とレイモンドは心のなかで呟いた。いくぶん冷静になる。ルーはルーで、俺のことを疑っているらしい。
まぁ、そういう説明しかしなかったのだから、当然だろうけど。魔女の
そうやって、俺との思い出さえも道具として見るんだ。死んだ親友の非難めいた声が聞こえた気がしたが、レイモンドはこれを無視した。
「詳しいんだよ」レイモンドはゆっくりと答えた。「君も
「あっさりと肯定するんだな」
「隠し立てするようなことじゃない。ただ、積極的に言いたくないっていうだけの話でさ」君にもあるだろ、とレイモンドは心の中だけで付け足した。
「魔女の
「そうだね」レイモンドは肩をすくめた。「それも教会がらみだ」
大通りの角を曲がって狭い裏道に入る。人の数がぐっと少なくなった。建物の日陰は、ほんの少しばかり涼しく、夏らしい濃い色となって地面を染める。
「三年前の革命のころ、教会の
レイモンドは、そうやって切り出した。
「なんせ、教会は王と仲が良かったからね。万が一、王がアンナ・ビルツに負ければ、あっという間に後ろ盾を失ってしまう……そこで、教会の人間は考えたのさ。たとえ王が死んでもいいように、新しい
「神様の子供」ルーが
「そうさ。もちろん、パンケーキみたいにレシピがあるわけじゃない。だから教会はまず、神様の定義を定めた。すなわち、神とはたった一つの感情を有するものである。慈悲の神が抱く感情は慈悲だけ、美の神が気にかけるは美しさだけだ、とね。あるいは、
例えば、君ならどうする、とレイモンドは尋ねた。
「革袋のなかに、一つだけ豆をいれる」
「もしくは、革袋に詰まったたくさんの豆を、ただ一粒を残して取り除いてしまってもいい……いずれにせよ、ルーの言った方法が魔女の
ルーがちらりとこちらを見やった。くすんだ赤の目に影が落ちたように見えたのは、単純に日陰の下にはいったから、というだけかもしれない。
いずれにせよ、何か悪い予感がする程度には察しがいいということだし、事実として、そのとおりだった。
レイモンドは声を低くして言う。
「革袋が人間、豆が感情と思ってくれ。死体に感情はない。一方で、魔女の
「……だから、死体に
「実際はそうはならずに、魔女の
「上手くいったのか?」
「失敗だ。どちらの方法も。すべて」レイモンドは吐き捨てるように言った。「四十三人が死んだよ」
それはすなわち、レイモンド・ラメドという青年が、守りきれずに取りこぼした命の数でもある。
ちょうどその頃、アンナ・ビルツのしかけた革命が終わりを向かえた。国王は断頭台へ、王と
当然、神の子などという馬鹿げた夢を見る
そのはずだった。
「なのに、革命が終わって半年後に、魔女の
正義だ。この行いは。レイモンドは強く思う。かつての自分は誰も救えなかった。されど、悲しいと嘆くばかりでは何も変わらない。失敗は次に生かされなければならない。
実際、反省すべき点はいくつもあったのだ。レイモンドが事実を正直に伝えた何人かは、その事実自体の重みに耐えられずに死んだ。レイモンドと親しくしていた何人かは、『他ならぬラメドご子息様のため』という修道士たちの甘言に
そして君はそれを、馬鹿げていると思ってるんだろ。不意に、そんな声が聞こえた。もちろん幻聴であることは分かりきっている。レイモンドの頭の中で、首に
そんな
だから俺は死をもって、あなたの正しさを否定する。
レイモンドは深く呼吸した。どうしようもない感傷も、頭にこびりついて離れない手紙も、いつものように切り捨てて隣を見る。
夏の日差しのなか、ルーが難しい顔をしていた。言葉を探すような、何かを
「あぁ、いや……」視線に気づいたルーが、
「えっと……それは、なんだろうな。つまり、俺を
ルーが素直に
驚いた。同時に、もしかして彼は自分のことを疑ってはいないのでは、と気づいた。レイモンドという男を
レイモンドは、あっけにとられて呟いた。
「……分かりづら……」
ルーの
「そんなにか……?」
「そんなに、だとも」レイモンドは、すかさず
「……アンナとは問題なかった」
「そのアンナさんだって、いまだに君が自分のことを好きかどうか、不安がってるみたいだけど?」
ルーがあからさまに
レイモンドは両腕を組んで、ため息をついた。急に、何もかもが馬鹿らしくなる。心の中だけで、アンナの叔父に報告した。ルーは
「君は、さっさとアンナさんに告白したほうがいい」
「迷惑をかけているつもりは、」
「さっきの洋服選びなんて、まさに君とアンナさんのための時間だろ」
レイモンドは追撃をかけた。ルーが
「……やっぱり、君もそう思うか……いや、だが……」
「なにか言いたそうだな」
「
「……そんなに好きなら、早くアンナさんに告白しろよ」
レイモンドは、頭をかきむしりたくなった。一体、なにをどうやったら、そういう結論になるんだよ。
「君たち、付き合いが長いんだろ。ならもう、準備はできてるようなものじゃないか」レイモンドはうんざりしながら言った。
「……長いと、言うほどのものでもない」ルーがぼそぼそと反論する。
「じゃあ、アンナさんに初めて会ったのは?」
「彼女が、六歳の時だ」
それは十分長いだろ、とレイモンドは
「その時からずっと好きだった、ってわけだ」
「その時は違う」ルーは何故か、早口で否定した。「僕は従者で、彼女を護衛する立場だったんだ。そういうやましい感情は抱いてない。明るくて、にぎやかで、僕のような人間にも優しくしてくれる……心の広い人だとは思っていたが……」
「はぁ、そう。じゃあ、やましい感情を抱くようになったのは?」
「彼女が学舎に通うようになって、僕に手紙を……」
ルーの言葉が途切れた。気恥ずかしい過去を話していることに、今さら気づいたのか。レイモンドはからかい半分に思ったのだが、どうにも彼の様子がおかしい。
ルーは、やけに真剣な面持ちで口元へ手を当て、目を細めている。
「どうかしたのか?」
「いや」ルーは何度か目を瞬いた。「何かが妙だと、今思ったんだが……」
二人の会話はしかし、
レイモンドの肩に舞い降りた鳥は、くちばしを動かしてアンナの声を伝える。
『教会が見えたわ。これから中に入ろうと思うのだけれど、準備はいいかしら』
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