第6話 無垢の遊炎
つかんだ
レイモンドは、思わず笑ってしまいそうになる。おいおい、そういう顔は俺の得意分野だろ、なんて。軽い
でもな、ディエン。それはお前だから出来たことなんだ。下手くそな冗談であっても、お前相手なら笑わざるをえない。
今になって思うよ。お前は強かった。誰よりも。最後まで。俺はお前の人生を半分も理解していなかっただろう。そのなかには、俺の嫌悪する事実もあったのかもしれない。なんといっても、お前の書いてきた
それでも、思うんだ。
お前はやっぱり、俺の誇りだ。
そんなお前に、一歩でも近づきたいと思っている。
なぁ、ディエン。生きるっていうのは、そういうことだろう。
「……レイモンド……」
泣き出しそうなティカの声を無視して、レイモンドはなんとか体を起こした。剣で
よくないな。
よくない。
でも、まだやれるはずだ。
「らしくない声だすなよ、ティカ」レイモンドは普段のティカを
「っ、でも、君、傷が……!」
「それはまぁ」返事にやや詰まったのは、本当に痛かったからだ。「大丈夫っていうかんじではないけどさ」
ティカが不安げな顔をする。いや、さすがにそこまで完璧なやせ我慢は無理だって、とレイモンドが思ったところで、視界に影が差した。
「……なんで、ティカちゃんと
顔をあげる。
すぐ近くまで来ていたフラウが、鬼のような形相でレイモンドをにらみつけている。その後ろでは、ダグラスが
けっこうというか、かなり怖い。ただそれ以上に、冷静に周囲を観察できている自分に安心もする。レイモンドは、ティカの腕から手を離し、唇の端を
「分かりきったことを聞かないでくれよ」レイモンドは気づかれないよう、地面へ指先を
「なんですって……?」
「まぁ、そのへんはティカとじっくり話しあってもらうとして、さ――俺としては一つ、お礼を言いたいことがあってね」
ダグラスの
恐れはなかった。
嘘だ。怖いけど、やってやる。そういうことだ。
レイモンドは、地面に描いた紋様に左手をかざした。長剣を引き抜いたダグラスが駆け寄ってくる。それよりも早く、ほとんど感覚のない右手でニケを抱き寄せ、レイモンドは自らの罪の名前を呼ぶ。
『――
ばちっと、空気が
そうだよ、とでも返してやるべきだったが、さすがに余裕はなかった。無理やり動かした右腕がちぎれそうだ。笑ってしまう。というか俺、さっきから笑いしか出てないんだけど、大丈夫なのか?
「な、なんで……」光の内側で、ティカがぽかんとした声で呟いた。「どういうことなの、レイモンド……? 罪の名前は、誰かに呼んでもらわないと駄目なんでしょ……?」
「それが思いこみだった、ってことだ」レイモンドは、ニケの無事を確認しながら返した。「フラウさんが、どうして魔女の力を使えているのか、ずっと考えていたんだ。彼女の周りにいる誰かが名前を呼ぶことも考えたけど……君を大切に思っているフラウさんが、それを許すはずがない」
「だから、自分で呼んだって思ったわけ?」
「仮説だけどね」
「
「相変わらず、俗っぽい言い方が好きなんだな。君は」
軽口で返せば、ティカがむっとしたような顔をした。生意気だが、いかにも彼女らしい反応に、レイモンドはほっとする。
そうさ。君にはそういう顔のほうが似合うよ。そんなふうに言えば、きっと君は、ますます機嫌を
「手短にいこう」レイモンドは顔をひきしめた。「俺がダグラスを引き受ける。だからティカ、君はフラウさんを止めるんだ」
「それは……」ティカが、あからさまにひるんだ顔をした。「そうしたい、けど……でも……」
「できるよ」
「……っ」
「できる」レイモンドは強く言いきった。ティカの
ティカの目が大きく揺れた。泣くのだろうか。そんなレイモンドの心配は、けれど、
黒髪の少女は一度だけ顔を
「生意気だよ、レイモンドのくせに」
「そこは素直に、ありがとう、だろ」
レイモンドは笑みを返して、ティカの手を離した。
ダグラスが三度目の
砕け散る様子は、
レイモンドは、ディエンの双子を抱えて後ろに飛びすさった。間一髪で避ける。目の前の地面がえぐれるのは、なかなかに壮観な光景だ。というか、そうとでも表現しないとやってられない。
『
光が弾け、赤銅色の毛並みをもつ
ダグラスの
『命を成せ、
ダグラスの足元が水面のように揺れ、赤銅色の鱗をもつ巨大な大蛇が飛び出した。「いいねえ、面白い!」男が笑い、長剣をふるう。
水滴とも光の粒ともしれない何かが、
いっそ、飛び道具でも喚んで多方向からダグラスを攻めるか? 駄目だ。それじゃあ、周りの無関係な人まで巻き込んでしまう。
「っ、レイモンドお兄ちゃん!」
ニケの悲鳴に、レイモンドは我に返った。真っ二つになった
レイモンドは、ニケに
だとすれば、戦争なんてものはすべからくクソだ。最低だ。最悪だ。
体を震わせるニケへ、レイモンドは呟いた。「……大丈夫だ。君は、俺が守るから……」
「誰が、誰を守るというんだね?」
ダグラスの
老練の戦士は、すぐ近くにいた。一歩踏みこめば、レイモンドの首を体から切り飛ばせる位置だ。彼は
「君では私に勝てないよ、レイモンドくん。機会があったとすれば、魔女の力を最初に使ったときだった。不意打ちこそ、弱者が強者に勝利するただ一つの道だ」
「はは。まさか、あなたから忠告をいただけるとはね……」レイモンドは、引きつった笑みをうかべた。
「忠告ではなく、失望さ。君は、この
何十回と斬りつけられるよりも、ずっと重くて痛い言葉だった。
レイモンドは、強く
相棒を殺すことはできたのに、目の前の元凶を殺すことには、いまだにためらいを覚えている。
我ながら安い正義だ。ディエン、このことを考えるたびに、俺はいつだって、俺のことを笑いたくなる。ちょうど目の前のダグラスみたいに。
でも、さ。こうも思うんだ。
今の俺を、お前はきっと笑わないだろう。
それどころか、相手のことを笑ってやれとさえ、言うだろうな。
「……おかしな話だよ」レイモンドは、ダグラスの視線を真っ向から受け止めた。「あなたの話を聞いていると、まるで死にたがっているように聞こえる。王家の人間ってのは、みんなそうなのか?」
「まさか。私はのんびりと余生を楽しみたいと思っているよ」ダグラスが肩をすくめた。「ただねえ、平和な世界というのは刺激が足りない。生きるか、死ぬか。そういう命のやりとりを続けるほうが、よっぽど人生に張りあいが出るというものさ」
「時代遅れだ。革命は三年も前に終わった」
「だが、不和も争いも、
「ご高説どうも」レイモンドは地面に指先を
指先でひっかくようにして、レイモンドは紋様を描く。
レイモンドとダグラスを分かつように、再び光の壁が現れた。老いた狂戦士は
気力だけでニケを抱え、レイモンドは走る。即席の光の壁。それも二回目だ。ダグラス相手に同じ手が通じるとは思わなかった。実際、すぐに壁の砕ける音がする。背後からの一閃をかろうじてかわし、レイモンドは地面を転がりながら、もう一度、紋様を描いた。「もう一枚!」
新しい光の壁。剣に斬りつけられる鈍い音。わずかな足止めの合間に、レイモンドは距離をとる。走りながら打開策を考える。右腕からは痛みというより、猛烈な寒さが這いあがってくる。血の流し過ぎだ。悪態をつく間に、壁の砕ける音がする。だから、次の壁を喚ぶ。
「っ、もう……もういいよっ! レイモンドお兄ちゃん……! お兄ちゃんが死んじゃうっ……!」
ニケが、ぼろぼろと両目から涙をこぼした。馬鹿言うな。いいわけないだろ。そんなふうに返したつもりだったが、たぶん、音になってない。
足がもつれて、レイモンドは地面に倒れこんだ。もはや痛みというより、寒さと眠気が強い。
死の足音がする。
じゃあ、諦めるのか、なんて。
まったく、笑える冗談はよしてくれよ。
「勝つんだよ……っ! 俺の……俺たちの正しさで……っ! なぁ、そうだろっ!」レイモンドは振り向きざまに指先を宙に踊らせ、無我夢中で
指先が結ぶは
刃をかざし、ダグラスがそれを受け止めた。勢いを殺しきれずに、その体が後退する。しかして彼の顔に、純粋な驚きの色がにじむ。
光嵐が人の形をしていたからだ。
「ダディ……!」
ニケの声がした。相棒そっくりの光の影が、ダグラスへ
「ほんと、最高だよ……おまえってやつはさ……」
*****
「ぜったいにボクより前に出ないで。みっともなく泣かない。え? 怖い? ばか。ここまで来れたのに、今さら弱気になるな。ディエンの子供なら、それくらいできるでしょ」
もぎとった
「ゔう……わかったけど……ぉ……ティカお姉ちゃん、ぜんぜん優しくない……ぃ……」
「ああもう、面倒くさいなぁ! だからガキの世話は嫌いなんだよ!」
「ヴィナだって、子供の相手は嫌だもん……っ……!」
「はぁ!? ボクのどこが子供だっていうのさ!?」
思わずヴィナに詰め寄ったところで、ティカの耳が足音を拾う。
あぁそう、いい加減に待てないってことね、なんて。
ヴィナを背中にかばいながら、ティカはまっすぐに前を見た。定まらない視線とふらついた足取りで、こちらに近づいてくる男が五人。そんな彼らを従えて、相変わらず陰気な顔をしたフラウが非難がましい目つきをしている。
ティカは
「ヴィナに手を出したら、絶交だからね」
フラウと男たちが立ち止まった。ティカの親友は、ぎゅっと
「騙されてる?」ティカは鼻先で笑った。「このボクが、いったい誰に騙されてるっていうのさ?」
「全員……だって、アンナちゃんは私達を殺すために
「ふうん。それで?」
フラウがぽかんとした顔をした。
「……それ、で?」
「そうだよ。それで?」なにも言わないフラウに腕を組み、ティカはやれやれと息をついた。「
親友の顔が
ボクは君に傷ついてほしくない。でもね、それ以上に、君に誰かを傷つけてほしくない。
フラウ。君はぜったいに、誰かを傷つけたことを悔やむだろう。その選択をした己を許せないだろう。なんで分かるのかって? 馬鹿言わないで。
ボクは君の一番の友だ。
「フラウ・ライゼン」親友の名前を呼び、ティカは華やかに笑ってみせた。「ボクはぜったいに君を止める……どんな手を使っても、ね!」
ティカは地面を
案の定だ。焦ったように
『っ、私を守って!』
一人目の男と交戦する直前で、ティカは、身を低くした。
そうさ。ボクは天才じゃない。英雄じゃない。武人じゃない。
けれどこれが舞台であるのなら、なんにだってなれる。
ボクは、本物だ。
男が
ティカはあえて視線を左へ流す。男の意識がそちらへ向く。そうして
「……っ、」
ティカは半身を引いたが、間に合わなかった。
ぱっと鮮血が散る。傷は浅い。料理中に間違えて指を切ってしまった。それよりも少し深いくらいだ。けど、結構というか、かなり痛いんですけど?
「……うそ、」
フラウの
「うそ、うそ、うそ……!」フラウが両手で顔を
ざっと、空気が音をたてて変質した。
まずい。ティカは慌てて、一番近くの男の手から剣を奪い取る。ならばと言わんばかりに、男は自分で自分の首に手をかけようとした。いや、そういうならばはいらないから!
ティカは仕方なく、全力で男の急所を
辺りを見回せば、他の男たちも似たような有様だった。武器を持っている者は、自身にその切っ先を向けている。武器を持っていない者は、己の首を締めようとしている。全員を止めてまわるなんて、とても無理だ。
このままでは人が死ぬ。フラウのせいで。
「あぁもう……っ! だから、それをやめろって言ってるんだよ、ボクは!」ティカは無意識のうちに口を動かす。『
ティカ・フェリスの罪の名は、ただしく彼女に魔女の力をもたらした。
周囲のあらゆる物体に、
ある男の剣が、彼の右目に突き立った。しかして彼に傷はなく、身代わりに剣が砕けた。
ある男の手が、その
その繰り返しだ。すべての男たちの暴力が、同じ空間にある物質の破壊に置換されていく。誰かが死のうとするたびに、次々と紫の光が弾け、破壊されたなにかの破片が舞う。
あぁ、けれど、フラウの魔女の力も絶対なのだ。ティカは唇を噛んだ。男たちは止まらない。気絶しない限り、彼らは何度でも自分を殺そうと試みる。身代わりになる物体の数のほうが限られていて、紫の刻印はどんどん数を減らしていく。
このままじゃジリ貧だ。どうにかして、フラウを止めなければならない。指先が
得体の知れない力に頼りたくない。だってさ。そういう物に手を出した物語って、たいてい
なにより、フラウ。君の前でくらい、格好良くありたいってのもある。
じゃあ、そのために、今のボクにきれる手札は?
親友を救うために、ボクが支払えるものはなんだ?
「っ、フラウ!」
ティカはあえて、親友の名前を呼んだ。フラウがびくりと体を震わせて顔をあげる。その泣き顔で、ある考えが浮かんだ。一世一代、我ながら天才的なひらめきだ。
ティカは走った。
紫の光が散る。たくさんの物が破壊される。それと同じ数だけ、誰かを殺すための暴力が振るわれる。生きることと死ぬことが目まぐるしく入れかわる戦場を抜けて、ティカはフラウのもとへ飛び出した。
跳躍。親友の驚いた顔を見下ろす。ティカは左手の人差し指を、とんっと、自身のこめかみにあてた。
美しく笑って、魔女の力に命じる。
『ボクを身代わりにしろ!』
フラウが目を見開き、悲鳴をあげた。
『やめてッ!』
魔女の声が響き渡り、男たちが
ティカは、フラウに抱きつくようにして地面に倒れこむ。膝を強く打ちつけて、じんと
あぁいや、まぁ、右手を切ったところも痛いけどさ。
息を整えて、ティカは半身を起こした。見下ろす先で、フラウが泣き出す寸前の顔をしている。
ティカは、にっと笑った。
「どうだった? ボクの舞台は」
「……ゔう……」フラウが顔をぐしゃぐしゃに歪めて泣いた。「……最高だった……最高だったよ、ティカちゃん……ごめんね……ごめん……私……」
「馬鹿」
春の日と同じようにティカは顔をほころばせ、大切な親友を抱きしめた。「ちゃんと止めてくれて、ありがとう。フラウ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます