第5話 選択の代償
「僕たちを利用するとは、どういうことだ」
「言葉のとおりよ、ルーさま」
フラウの声が響きわたったことで、処刑台広場は
暴力の嵐が吹き荒れる処刑台のたもとで、しかし、アンナは平然と、ルーに向かって言う。
「私には、民からの悪意が。この国には、新しい精神的な柱が必要なの。銃声が聞こえるかしら? ダグラス
「あなたも、ティカさんも、レイモンドさんも、誰かが死ぬのを良しとしないでしょう。だから必死で止めようとする。この姿をフラウ・ライゼンが魔女の力で
「……そう上手くいくはずがない」
「あら。ルーさまは、フラウ・ライゼンの力を見くびっているのね」
「違う」
アンナが口を閉じた。ルーは彼女の手を
「僕が君を助けるからだ」
「……そう」アンナは無表情になり、乾いた声で言った。「それ、私の一番嫌いな言葉だわ」
頭上から
二人の間に、刃を
「相変わらず、右からの攻撃が苦手だねぇ」
距離を置いたルーに、のんびりとした声がかかった。
アンナをかばうように、白銀の髪の男が立っている。覚悟はしていた。けれど、やはり、ルーの胸は締めつけられた。
ルーと相対する男は、若緑色の目をしている。白を基調とした衣服は、男が戦闘のときに好んできていた服だ。彼が握る短剣は、ルーの持つそれと同じ形をしている。というより、ルーの短剣が、男のそれと同じなのだ。
かの男は、ルーに戦う
あるいは、かつての〈
その男――アルヴィム・ハティへ、ルーは短剣の切っ先を向ける。
「来るだろうと思っていました。先代」
「予想していたのに、その動きかい? だとすれば、腕が相当に
「そんなことは、どうでもいいでしょう」ルーは目を細めた。「僕が知りたいのは、あなたがアンナに協力するか否かです」
「協力するよ、もちろん」アルヴィムが、にっこりと微笑んだ。「それでアンナ・ビルツが苦しむのならね」
*****
どうしてあの時、見つけられなかったんだろう。ティカは走りながら後悔した。
フラウさんはいないみたいだ、なんて。あいつの言葉を信じなければよかった。馬鹿レイモンド。なんで、ちゃんと確認しなかったんだよ。君ならできたはずでしょ。ボクより、たくさんのものを見れるじゃないか。いるかもしれない可能性を考えることだってできたはずだよね。それなのに。
それなのに? ティカの理性がせせら笑った。それなのに、じゃないでしょ。レイモンドのせいにしないでよ。ボクが見つけるべきだった。ボクが慎重になるべきだった。たくさんの可能性を、ボクが考えるべきだったんだ。それなのに、文句ばっかり言って、頼りきりでさ。
だから、こういうことになる。
引きちぎれそうなほど痛む
議会の人間とおぼしき男たちは、血だらけで地面に倒れている。それで終わりにすればいいのに、街の人間たちは、言い争ったり、殴りあったりしていた。
その中心に、フラウはたたずんでいた。
見慣れた白と黒の魔女の正装に、
「待ってたよ、ティカちゃん」
「待ってた? 馬鹿言わないでよ」ティカは親友に向かって、厳しく言い返した。「いったい、どういうつもりなのさ? 関係のない人たちを傷つけるようなことをして。いい? 今すぐやめさせて。みんなに謝るん、」
「い、や」
フラウのはっきりとした否定に、ティカは思わず口をつぐんだ。
「うふ。驚いてるティカちゃん……かわいいね……みんなもきっと、あなたを愛してくれる……」
「は……? 愛する……?」
「そう。この国の人たちみんなが、愛してくれるんだよ。ティカちゃんのこと。だってこれから、あなたは聖女になるんだもの」
ティカはたじろいだ。フラウはいったい、何を言っているのか。
沈黙を、けれど、フラウは純粋な疑問と捉えたらしい。夢見心地で、陰気な親友は言う。
ぜんぶ、台本どおりなのよ、と。
「たくさんの人が、戦ってるでしょう? これはね、アンナ・ビルツが
無茶苦茶だ。そんなのできるはずがない。ティカは、そう言いたかった。けれど言えなかった。
言えるはずがない。
「そうよ、できる」見たことないほど満ち足りた笑みを浮かべて、フラウが手を伸ばす。「私ならできるよ。
ティカは凍りついた。
フラウの言葉も、態度も、死ぬ間際の姉にそっくりだったからだ。私は正しいと、何度も繰り返していた姉と。彼女はそれにすがっていた。それを、けれど、ティカが否定した。
だから、姉さんは死んだ。ティカの喉奥に、冷たい何かが
「っ、ティカ!」
レイモンドの余裕のない声が響く。我に返ったティカは、群衆の狭間で
つまるところ、ティカは諦めたのだ。
けれど、彼はそうではなかった。
『消えろ!』
レイモンドの
まるでレイモンドの願いを叶えたみたいに。
あるいは、ティカを害そうとする悪意を退けるかのように。
「っ、
ぶつかってきたのは、ずた袋なんかじゃない。レイモンドだ。おびただしい血を流す右肩を押さえ、真っ青な顔で地面にうずくまっている。
何度も斬られたのだ。今ここで。
「……レイモンド?」
血の気がひいた。ティカはそろりと名前を呼ぶが、返事がない。嘘。冗談でしょ? ティカは慌てて、レイモンドの体に触れた。「レイモンド! ちょっと、しっかりしてよ!」
ティカは、
「やれやれ、
穏やかで冷たい、
ティカは顔をあげる。背中に嫌な汗が伝った。いったい、いつの間に。フラウの隣に、一人の老紳士が立っていた。
アンナの
ティカは直感する。こいつが、レイモンドに斬りつけたのだ。
「ねぇ」フラウが不機嫌そうにダグラスを
「これは手厳しいね、
「白々しい……あなたのところの兵士が、ティカちゃんを撃とうとしてた……」
「ならば、我々はレイモンドくんに感謝せねば。彼の願いが、
レイモンドの腕に添えた手に、ティカは力をこめる。
「っ、レイモンドを悪く言わないでよ」
「悪く? まさか。これは事実だよ、お嬢さん」ダグラスは穏やかに言った。「彼には様々な選択肢があった。なんせ、
ティカは血の気が引いた。こみあげた無力感と
「おや」ダグラスが、申し訳なさそうな表情を浮かべてみせた。「存外、
そこで、ダグラスが言葉を切った。長剣を
金属音が響き、突進してきた
「ヴィナっ!」
彼が見つめる先で、フラウが赤毛の女の子の首元をつかんでいた。
「ふ、ははっ! まさかディエンくんの
「っ、うるさい……っ!」金髪の少年ニケが、涙声で叫んだ。「ヴィナを離してっ! 人殺し!」
「人殺しとは、心外だ。私は誰も殺してなどいないよ」
「っ、嘘だ! おまえがダディを殺したんでしょっ! ニケも、ヴィナも……ちゃんと……っ、ちゃんと分かって、ひっ」
ダグラスが、少年の
「殺したのは、レイモンドくんだよ。彼が選んだ結末だ」
「っ……ぁ……」
「そうだ。せっかくだから、君も選んでみようか――
心底嫌そうな顔をしながらも、フラウが呟いた。
『包丁を自分の首元に突きつけなさい、ヴィナ』
赤毛の少女の体が、不自然に
ダグラスが、ニケから刃を引いた。わざわざ地面に落ちた短剣を拾い、ことさら優しく、少年の手に握らせる。
「要するに、君はディエンの
ニケが
「さぁ、賢く選択してくれ。二人とも」
ヴィナの泣き声がいっそう大きくなった。その声に背中を押されたように、ニケが短剣を握りしめて、立ち上がる。蒼白な顔で、ティカたちのほうへ近づいてきた。かぼそい声で言う。「どいて……ティカお姉ちゃん……」
息ができないほど、ティカは胸が痛くなった。駄目だ。そう思う。だって、おかしい。こんなの、おかしいでしょ。
ボクたちは誰も間違っていない。おかしいのはダグラスたちだ。
ボクなんかじゃ、止められない。
人質がある限り、ニケは
武人のダグラスに、勝負を挑むなんて無理だ。
今のフラウに、ボクの説得が通じるはずもない。
ボクは。
「――私を頼ってくれてもいいんだよ?」
フラウの声がした。短剣を持つ少年の
「心配しないで。言ったでしょう? ぜんぶぜんぶ、ティカちゃんの望むとおりにしてあげる。それが私の願いなんだもの」
そうか。ティカはぼんやりとした頭で、不意に悟った。そうだよ。ボクに力はない。けれどボクがフラウを選べば、きっとすべてが丸く収まるだろう。そういうことなんだ。だからダグラスは、賢く選択しろと言った。弱いボクにできるのは、それしかないから。
あぁ、なんでかな。
なんでボクは、ボクの手で、誰かを助けることができないんだろう。
「っ、ボク、は……」
悲しくて、悔しくて、ティカの目から、涙がこぼれ落ちた。けれど、全部個人的な感情だ。だから我慢した。我慢しなきゃって言い聞かせて、ボクは親友のほうへ手を伸ばした。彼女が嬉しそうに駆け寄ってくるのがみえる。ボクは、全然嬉しくない。でも、仕方ないじゃないか。
ボクは天才じゃない。英雄でもない。武人でもない。
偽物なんだよ。
だから、こうするしかないんだ。
そう思った。その時だった。
「……ふざけるなよ」
ひび割れて、苦しげな声が聞こえる。ティカは、はっとした。
うっすらと目を開けたレイモンドが、ティカの腕に触れて、繰り返す。
「ふざけるな、ティカ。俺は、そんなことのために、君を助けたんじゃない」
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