第8話 今の君と、僕で、恋をするために

「説明して。何をしていたの」


 静かな声でアンナに問われ、ルーは深く息をついて短剣をしまった。


 辺りは夕闇ゆうやみに染まり始めている。糸杉が黒々とした影を落とす細い道。地面にちらばった武器と、そのそばで気絶する男たち。


 ティカとフラウの姿はどこにもない。さりとて今からなら、二人に追いつくこともできるだろう。あれこれと次の手を考えながら、ルーはアンナに向かってぞんざいに肩をすくめる。


「別に。見たままだ。男たちに攻撃されたから、応戦した」

「正しく説明してちょうだい。この人達には、魔女の力が使われていたんでしょう。だからわたくしが、止められたんだわ。誰がこんなことをしたの」

「フラウ・ライゼンだ。彼女の罪の名前を呼んだのはティカ・フェリスだが」

「……ルーさまたちが、ティカさんたちに何かをしたのね」

「魔女の力を封じようとしただけだ」執拗しつようなアンナの問いかけに、いささかうんざりしてルーは返した。「さぁ、もういいだろう。君は屋敷に帰れ。夜に外を出歩くのはおすすめしない」

「いいえ」

「……アンナ」


 面倒だな、という舌打ちをルーが飲み込んだところで、ディエンがアンナたちのほうへ近づいた。


 彼の表情を見たらしい。アンナのかたわらで、レイモンドが引きつった顔で呟く。


「悪いくせが出てるぞ……ディエン……」

「俺はいつもどおりさ、レイ。言いつけを守らない人間をしかりにきただけだ」

「それは、わたくしのことかしら」


 禿頭とくとうの大男は喉奥を鳴らして笑い、眉根を寄せるアンナの両肩に手を置いた。


「そのとおり。俺たちは忙しいんですよ、アンナ嬢レディ・アンナ。あなたの子供のような質問につきあう時間も、理想まみれの説教を聞く時間もない。ティカ・フェリスを追いかけて、魔女の力を封じなきゃならんのでね。そのためには、綺麗事ばかり求める小娘は足手まといだ」

「小娘。なるほどね」少しばかりの沈黙のあと、アンナはディエンを見上げた。「わかったわ。じゃあ、身をかがめなさい」

「は?」

「早く」


 ディエンが不審ふしんな顔をしながらも腰をかがめる。それに一つうなずいたアンナは、彼の頬を平手で打った。


「わたくしをかろんじるのも大概たいがいになさい、ディエン」


 怒りを抑圧したアンナの声音に、ルーは目を丸くした。レイモンドは首をすくめ、ディエンも面食らったような顔をする。


 アンナは小さく息をいて、青の目をゆがめた。


「わたくしは綺麗事が欲しいのではないの。誰にも傷ついてほしくないのよ。ティカさんだけじゃない。あなたたちだって」

「……俺たちが傷を負うことなど、ないと思うがね」

「ディエン。誰かを殺すことは、自分の心を殺すことと同じだわ。ならばわたくしは、それを看過かんかできない。わたくしを理由に殺しをなそうとするのなら、なおのことよ」


 アンナは手を握りしめた。静かな世界で、言葉を続ける。


「ルーさま、ディエン。あなたたちが、わたくしのやり方に不満を持っているのは理解していたわ。だからこそ、わたくしの非はあなたたちを信じようとしたことにある……だから、いいでしょう。あなたたちに最も馴染なじみのある言葉を使わせてもらうわ。必ず、わたくしの言葉に従いなさい。これは命令よ」


 強く言い切ったアンナの声音は、ぞっとするほどめている。感情を伺わせず、他者の反対も許さない。革命家アンナ・ビルツそのものの空気が、あっという間に場を支配する。


 ルーは呆然ぼうぜんとしながら尋ねた。


「ティカ・フェリスの魔女の力を封じるな、と?」

「いいえ。こうなった以上、彼女の力は封じます。フラウさんに、ティカさんの罪の名前を呼ばせるわ」

「どうやるんだ」ディエンが神妙な面持ちで尋ねた。「今のままでは、フラウが協力しないのは目に見えているだろう」

「大丈夫よ。罪の名前を呼ばなければ、ティカさんを殺すとおどせばいい。そういうの、お得意なんでしょう?」


 皮肉まじりのアンナの回答に、ディエンがまごつきながら言葉を続けた。


「……だが、ティカをおびき寄せるえさは? 逃げ隠れされれば、どうしようもない」

大衆紙タブロイドに、とびきりの醜聞ゴシップを渡しましょう。情報は二つ。女優ティカ・フェリスを殺して、成り代わった弟がいること。そして、偽物の正体を暴くために、革命家アンナ・ビルツが舞台にあがるということよ」

「っ、待て。アンナ、それは!」

「ルーさま」思わず声をあげたルーの名前を呼び、アンナは冷たく微笑んだ。「わたくしは命令と言ったわ。あなたたちの意見を聞いているのではないの」


 突き放すような物言ものいいに気圧けおされて、ルーの喉奥のどおくに言葉が引っかかる。


「当面の指示をしましょう」と言って、アンナは再び一同を見回した。


「ディエンさんとレイモンドさんは、倒れている男の人たちの面倒を見て。ルーさまは、わたくしと一緒に来なさい。情報を紙にまとめるから、記者に渡してちょうだい」


 アンナがきびすを返す。それ以上言葉を重ねずに屋敷へ向かって歩き始める。他者を威圧する重苦しい空気が途切れる。


 それに、一瞬でも安堵あんどする――そんな己の弱さに気がついて、ルーは強く拳を握りしめた。


「アンナ! 待て!」


 彼女の名を呼び、追いかけた。


 がらんとした道をたどり、ひっそりとたたずむ門を超え、まっさらな夜闇に包まれた裏庭バックガーデンでやっと、彼女の腕を掴む。


 雲がかかっているのか、月明かりが遠い。

 鮮やかな花々の色彩は、どこにもない。

 黒々とした草木が、風に吹かれて揺れている。


「やっぱり、駄目だ」振り向かない彼女へ向かって、ルーは厳しく言葉を紡ぐ。「さっきの君の計画は認められない。やるべきじゃない」

「…………」

「分かってるのか、アンナ。あの計画は君が大切にしてきたものを、君自身の手で壊すような計画なんだぞ。フラウ・ライゼンの選択を尊重したいんじゃなかったのか? ティカ・フェリスの愛した舞台ごと、守りたいと思ったんじゃなかったのか?」

「……そうよ。でも仕方ないのだわ。二人が本当に大事にしているものを守るためには、これしかない」

「これしかないって、そんなはずがないだろう。どうして、」

「どうして、って聞きたいのは、こっちのほうなのだわ……!」


 アンナが振り返った。涙のまった目をゆがめる。


「そこまで分かっているのに、どうしてこんなことをしたの!? せっかくティカさんと仲良くなれてたのに……っ! 罪の名前がなくても、なんとかなるかもって、思えてたのに!」


 悲鳴のような声だ。紛れもなくアンナの本音だ。それは待ち望んだもののはずだ。


 なのに、彼女の責める眼差しに、痛みを伴った苛立ちを覚えて、ルーは思わず叫ぶ。


「だからこそ、僕が罪の名前を呼ぶ必要があったんだ! 君が、ティカ・フェリスと付き合っていくというのなら、すべてのうれいはつべきだ! 制御できない魔女の力が、君を傷つける、その前に!」

「そんなの、全然理由になってない!」

「なってるだろう!」一言吐き出すごとに胸が痛んで、その痛みを少しでも味わってほしくて、ルーはアンナの腕をぎゅっと握った。「なってるじゃ、ないか……! 僕は君を守りたいんだ……! 泣いてるところも、傷ついてるところも、見たくない……っ。そのために、君は僕を使うべきだったんだ! なのに、どうしてっ……君は一人で、そうやって……っ、いつも……っ!」


 まとまりのない言葉が絡まって、ルーはとうとう何も言えなくなる。

 見つめる先でアンナの目から涙がこぼれ落ち、彼は泣きたくなった。

 そんな顔を、させたいのではないのに。


 それなのに君は、いつだって泣いている。


「……あなたを、使いたく、ないのよ……それこそ、考えれば分かることでしょう……? わたくしは、あなたに、恋をしているの……」子供のように鼻をすすって、何度もしゃくりあげながら、アンナは必死に言う。「なのに、どうしてそんなことを言うの……っ。わたくしを守るというのなら……わたくしが大事だっておもう……全部をまとめて守ってよ……っ。ティカさんたちも……ルーさま自身も……っ……誰も傷つかない方法を、一緒に探して……っ……」

「……ア、ンナ……」

「友情とか、希望とかっ……優しい気持ちとか、嬉しかった出来事とか……っ! どんな暴力が振るわれたって、そういう大切な時間が、最後はみんなを幸せにする、って……っ! そうやって、信じさせてよ……っ!」


 ありえないくらいに綺麗事で、まぶしいくらいに真っ直ぐな言葉に、頭を殴られたような気がした。


 ルーは泣きじゃくるアンナを抱きしめた。言葉を探す。上手く言えない。そんな自分がもどかしい。それでも何かを伝えたくて、震えるのどを、なんとか動かす。


「すまない」

「……謝らないで、よ……きらいになっちゃうから……っ……」

「……っ、そう、か。嫌いか」

「そうよ……怖いルーさまは、きらい……でも、あなたに嫌いって言ってしまう……我儘わがままなわたくし自身が、一番きらい……」アンナはぶるりと体を震わせた。「あなたがあなたのままで、好きになってくれるような……わたくしが、そんな人間であれば良かったのに……」


 幼い嘆きが痛いほどに愛おしくて、ルーはアンナの髪に鼻先をうずめた。このまま、抱き潰してしまいたいとさえ思った。手放しの好意は、それほどまでに嬉しいものだ。けれど同時に恐ろしい。


 大切と思ったものはいつだって、自分の手の中には残らなかった。

 仲間も、記憶を失う前の彼女も。

 だから、この感情に名前をつけられない。その勇気がない。ずっとそうだ。冬の地下牢ちかろうから今まで、自分は少しだって成長していない。


 だからこそ、抱きしめることしかできない自分が、僕は嫌いで。

 でも。


「……もう一度、機会をくれ」ルーは祈るように、あの日の地下牢の言葉をなぞった。「君が好きだと言ってくれた、今の僕を信じる機会を。今の君と、僕で、恋をするために」

 

 身を離して、片膝を地面についた。こぼれ落ちんばかりに目を見開いた、アンナの右手をとって、ひたいをつける。


「計画に、従おう――君に、命じられたからじゃない。君を信じるからこそ……最後まで、君の守りたいものをすべて守って、そばにいる。約束する」

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