第8話 今の君と、僕で、恋をするために
「説明して。何をしていたの」
静かな声でアンナに問われ、ルーは深く息をついて短剣をしまった。
辺りは
ティカとフラウの姿はどこにもない。さりとて今からなら、二人に追いつくこともできるだろう。あれこれと次の手を考えながら、ルーはアンナに向かってぞんざいに肩をすくめる。
「別に。見たままだ。男たちに攻撃されたから、応戦した」
「正しく説明してちょうだい。この人達には、魔女の力が使われていたんでしょう。だからわたくしが、止められたんだわ。誰がこんなことをしたの」
「フラウ・ライゼンだ。彼女の罪の名前を呼んだのはティカ・フェリスだが」
「……ルーさまたちが、ティカさんたちに何かをしたのね」
「魔女の力を封じようとしただけだ」
「いいえ」
「……アンナ」
面倒だな、という舌打ちをルーが飲み込んだところで、ディエンがアンナたちのほうへ近づいた。
彼の表情を見たらしい。アンナの
「悪い
「俺はいつもどおりさ、レイ。言いつけを守らない人間を
「それは、わたくしのことかしら」
「そのとおり。俺たちは忙しいんですよ、
「小娘。なるほどね」少しばかりの沈黙のあと、アンナはディエンを見上げた。「わかったわ。じゃあ、身をかがめなさい」
「は?」
「早く」
ディエンが
「わたくしを
怒りを抑圧したアンナの声音に、ルーは目を丸くした。レイモンドは首をすくめ、ディエンも面食らったような顔をする。
アンナは小さく息を
「わたくしは綺麗事が欲しいのではないの。誰にも傷ついてほしくないのよ。ティカさんだけじゃない。あなたたちだって」
「……俺たちが傷を負うことなど、ないと思うがね」
「ディエン。誰かを殺すことは、自分の心を殺すことと同じだわ。ならばわたくしは、それを
アンナは手を握りしめた。静かな世界で、言葉を続ける。
「ルーさま、ディエン。あなたたちが、わたくしのやり方に不満を持っているのは理解していたわ。だからこそ、わたくしの非はあなたたちを信じようとしたことにある……だから、いいでしょう。あなたたちに最も
強く言い切ったアンナの声音は、ぞっとするほど
ルーは
「ティカ・フェリスの魔女の力を封じるな、と?」
「いいえ。こうなった以上、彼女の力は封じます。フラウさんに、ティカさんの罪の名前を呼ばせるわ」
「どうやるんだ」ディエンが神妙な面持ちで尋ねた。「今のままでは、フラウが協力しないのは目に見えているだろう」
「大丈夫よ。罪の名前を呼ばなければ、ティカさんを殺すと
皮肉まじりのアンナの回答に、ディエンがまごつきながら言葉を続けた。
「……だが、ティカをおびき寄せる
「
「っ、待て。アンナ、それは!」
「ルーさま」思わず声をあげたルーの名前を呼び、アンナは冷たく微笑んだ。「わたくしは命令と言ったわ。あなたたちの意見を聞いているのではないの」
突き放すような
「当面の指示をしましょう」と言って、アンナは再び一同を見回した。
「ディエンさんとレイモンドさんは、倒れている男の人たちの面倒を見て。ルーさまは、わたくしと一緒に来なさい。情報を紙にまとめるから、記者に渡してちょうだい」
アンナが
それに、一瞬でも
「アンナ! 待て!」
彼女の名を呼び、追いかけた。
がらんとした道をたどり、ひっそりとたたずむ門を超え、まっさらな夜闇に包まれた
雲がかかっているのか、月明かりが遠い。
鮮やかな花々の色彩は、どこにもない。
黒々とした草木が、風に吹かれて揺れている。
「やっぱり、駄目だ」振り向かない彼女へ向かって、ルーは厳しく言葉を紡ぐ。「さっきの君の計画は認められない。やるべきじゃない」
「…………」
「分かってるのか、アンナ。あの計画は君が大切にしてきたものを、君自身の手で壊すような計画なんだぞ。フラウ・ライゼンの選択を尊重したいんじゃなかったのか? ティカ・フェリスの愛した舞台ごと、守りたいと思ったんじゃなかったのか?」
「……そうよ。でも仕方ないのだわ。二人が本当に大事にしているものを守るためには、これしかない」
「これしかないって、そんなはずがないだろう。どうして、」
「どうして、って聞きたいのは、こっちのほうなのだわ……!」
アンナが振り返った。涙の
「そこまで分かっているのに、どうしてこんなことをしたの!? せっかくティカさんと仲良くなれてたのに……っ! 罪の名前がなくても、なんとかなるかもって、思えてたのに!」
悲鳴のような声だ。紛れもなくアンナの本音だ。それは待ち望んだもののはずだ。
なのに、彼女の責める眼差しに、痛みを伴った苛立ちを覚えて、ルーは思わず叫ぶ。
「だからこそ、僕が罪の名前を呼ぶ必要があったんだ! 君が、ティカ・フェリスと付き合っていくというのなら、すべての
「そんなの、全然理由になってない!」
「なってるだろう!」一言吐き出すごとに胸が痛んで、その痛みを少しでも味わってほしくて、ルーはアンナの腕をぎゅっと握った。「なってるじゃ、ないか……! 僕は君を守りたいんだ……! 泣いてるところも、傷ついてるところも、見たくない……っ。そのために、君は僕を使うべきだったんだ! なのに、どうしてっ……君は一人で、そうやって……っ、いつも……っ!」
まとまりのない言葉が絡まって、ルーはとうとう何も言えなくなる。
見つめる先でアンナの目から涙がこぼれ落ち、彼は泣きたくなった。
そんな顔を、させたいのではないのに。
それなのに君は、いつだって泣いている。
「……あなたを、使いたく、ないのよ……それこそ、考えれば分かることでしょう……? わたくしは、あなたに、恋をしているの……」子供のように鼻をすすって、何度もしゃくりあげながら、アンナは必死に言う。「なのに、どうしてそんなことを言うの……っ。わたくしを守るというのなら……わたくしが大事だっておもう……全部をまとめて守ってよ……っ。ティカさんたちも……ルーさま自身も……っ……誰も傷つかない方法を、一緒に探して……っ……」
「……ア、ンナ……」
「友情とか、希望とかっ……優しい気持ちとか、嬉しかった出来事とか……っ! どんな暴力が振るわれたって、そういう大切な時間が、最後はみんなを幸せにする、って……っ! そうやって、信じさせてよ……っ!」
ありえないくらいに綺麗事で、まぶしいくらいに真っ直ぐな言葉に、頭を殴られたような気がした。
ルーは泣きじゃくるアンナを抱きしめた。言葉を探す。上手く言えない。そんな自分がもどかしい。それでも何かを伝えたくて、震える
「すまない」
「……謝らないで、よ……きらいになっちゃうから……っ……」
「……っ、そう、か。嫌いか」
「そうよ……怖いルーさまは、きらい……でも、あなたに嫌いって言ってしまう……
幼い嘆きが痛いほどに愛おしくて、ルーはアンナの髪に鼻先を
大切と思ったものはいつだって、自分の手の中には残らなかった。
仲間も、記憶を失う前の彼女も。
だから、この感情に名前をつけられない。その勇気がない。ずっとそうだ。冬の
だからこそ、抱きしめることしかできない自分が、僕は嫌いで。
でも。
「……もう一度、機会をくれ」ルーは祈るように、あの日の地下牢の言葉をなぞった。「君が好きだと言ってくれた、今の僕を信じる機会を。今の君と、僕で、恋をするために」
身を離して、片膝を地面についた。こぼれ落ちんばかりに目を見開いた、アンナの右手をとって、
「計画に、従おう――君に、命じられたからじゃない。君を信じるからこそ……最後まで、君の守りたいものをすべて守って、そばにいる。約束する」
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