第7話 だから、本当に困ったときは助けてと言ってね
*****
「じゃあ、リリア。あなたは何になりたいの」
お姫様になりたいと言ったわたくしを笑っていたリリアは、「そうね」と考え込むような素振りを見せた。
雪が降るというだけでも珍しいのに、その日は夜になっても降り止まなかった。窓には
肌寒さに身震いして、わたくしはベッドの毛布にくるまった。向かいのベッドに腰かけたリリアも、肩のストールをなおして口を開く。
「私は私でありたいかな」
「貴族のままで良いということ?」
「それが私らしさであるというのなら」
「……先に答えて損したわ」
頬をふくらませながら背中を向ければ、くすくすと親友が笑った。
「相手の出方をしっかりと探って質問すべきということね。いい教訓になったんじゃなくて? アンナ王女様」
「わたくしは王女にはならないわ」
「なる、ならないという話ではないでしょう。生まれた時から今まで、それにこの先も、あなたは王女よ。陛下が死なない限りはね」
火かき棒で灰をかく音がしたあと、部屋がふっと暗くなった。隣のベッドが
ルーさまは寒くないかしらと、ビルツ
少し迷って、結局わたくしは体の向きを変えた。向かいのベッドで、同じように毛布をかぶったリリアと目があう。
寄宿舎で出会ったルームメイト、聡明で思慮深い貴族の令嬢、学園に入ったばかりのアンナ・ビルツの幼稚な自尊心を粉々にした好敵手。
だからこそ、何者にも代えがたい親友は、にこりと微笑んだ。
「一番最初の返答が、きっとアンナの本心だもの」
「……王子様に助けを求めるお姫様になりたい、って?」
「そう。助けを求めることは、大切なことだから」リリアは穏やかに目を閉じた。「だから、本当に困ったときは助けてと言ってね。私も助けてと、あなたに言うから」
*****
ささやかなぬくもりに目を覚ましたアンナは、息を
くすんだ布のはられた天井は客間のものに違いない。けれど重要なのは、穏やかな陽光に照らされて、夜明け色の髪をもつ青年が自分を見下ろしているということだ。文字どおり、目と鼻の先で。
黒シャツ一枚で、胸元のボタンは二つほど空いていて、そこから白い包帯がのぞいていて、その影で首筋と鎖骨がよく見えて、隆起する
いや、待って。そんな、しどけない姿なんて。
えっ、つまりそういうこと? どういうこと?
「起きたか」
「わっ……わたくし……」
「? どこか具合でも悪、」
「わたくし、頑張ってあなたの子供を産むわ」
両手を握りしめて宣言すれば、何をいってるんだと言わんばかりに青年――ルーが半眼になった。
アンナは首を傾げる。
「ちっとも記憶に無いけれど、子作りしたのよね? わたくしたち」
「……するわけがないだろう」
「えっ。眠りの君さまったら、そんなに大胆な格好をなさってるのに?」
「これは傷の手当のせいだし、僕は君に指一本だって触れてない」
「嘘ね。少なくとも、
アンナはにっこりと笑った。わかりやすい沈黙のあと、ルーは渋い顔をして身を離す。
「君はどこまで冗談なんだ」
「まぁ! 全部本当よ! ルーさまが運んでくださったことは感謝してるし、子供は男の子と女の子を一人ずつと思ってるし、まぁそのまえに夜を共にするというか、ベッドの上で触れあうというか、その、きっ……きっ……んんん、せっ、
「妄想で盛り上がるな……」
噴き出すような笑いとともに、明るい声が響いたのはその時だ。
「いやあ、ずいぶんと楽しそうだね!」
アンナたちは入り口を見やる。
来訪者を端的にあらわすなら、白であり、優男だ。
限りなく白に近い銀の髪を緩く束ねてはいるものの、ふわふわとあちこちから毛先がこぼれている。ローブにも似た緩やかなシルエットの服装もやはり白。アンナの記憶がたしかなら、自称・永遠の二十九歳だったか。
そんな陽気な男は、若葉色の目を二度瞬かせて、「あれっ」と首をひねった。
「反応が薄くない? ここは喜んだり驚いたり泣いて感謝したりするところじゃない?」
「……アルヴィム先生」いつもとちっとも変わらない男の名前を呼び、アンナは
アルヴィムは待ってましたと言わんばかりに、満面の笑みを浮かべた。
「やぁやぁ! いい質問だね、
「僕が連絡した。怪我の手当と
アンナは
「アルヴィム先生は、メレトス様の屋敷の
「なるほど」
「ちょっとちょっと、なるほどじゃないよね!?」
屋敷からビルツ邸にたどり着くまでの道中の様子を語っていたアルヴィムは、聞き捨てならないと言わんばかりに顔をしかめた。
「最後のほうは俺の悪口だよね。良くないよ、そういうのは」
「事実を言っているだけよ。アルヴィム先生」
「本当のことでも、言っていいことと悪いことってのがあるじゃないか。俺の
まったくもう、と
飲み物でもとってこよう、と言いおいて、ルーが部屋を出ていく。ぴんと伸びた背中も
なにより、彼は狂っていないのだった。彼は魔女で、アンナの目は魔女を壊してしまう目なのに。当たり前のそれは嬉しいことで、でもいつか駄目になってしまうんじゃないかというささやかな不安もある。
アンナがじっと背中を見つめていれば、アルヴィムが再び笑った。
「心配しなくても大丈夫さ。なかなかに体に優しくはない傷だけどね、大人しくしてれば春までには
「それって、あと
「不満そうな顔をするね。まぁまぁ、のんびりするのも大切なことだよ。
う、と言葉に詰まって、アンナは目をそらした。アルヴィムが面白がるように言う。
「君にしては珍しく、わかりやすい反応だね」
「……落としたのよ。たぶん、地下牢にあるはずだわ」
「素晴らしい、正解だ」
アルヴィムはローブのたもとからひしゃげた
「さてさて、じゃあどうして眼鏡はこんなに壊れてたんだろうね。まるで誰かさんに乱暴されたみたいだ。それにあの狩人姿の男! まさか今年の魔女の生き残りが、まだ屋敷に残っているなんて思いもしなかったなあ」
「い、色々あって」
「そうだね、色々あるよね。人生だもんね」
上機嫌な返事のあとには、回答を待つような沈黙が落ちた。当然のようにルーはまだ帰ってこないし、穏やかな朝の時間の流れはじれったくなるくらいゆっくりだ。
胸元で、白銀の
アンナは根負けして隣に目を向けた。微笑んだままの男に白状する。
「……メレトス様と
「危険な遊びだ」
「うまく逃げ切れてたのよ」
「そうだろうね。去年の春に比べれば、君はずいぶんとうまく、自分の目を使えるようになっている」アルヴィムは穏やかに言った。「それでも、どうだろうな。やはり危険なことに変わりはなかった。例えば、メレトスが現れたら? 君が狩人を直接見ることを強要されたら? あるいは、狩人以外の人間が、君の命を狙うような状況になったら?」
並べられた仮定はすべて事実だ。アンナは観念して、しおしおと頭を下げた。
「ごめんなさい。なにも相談せずにいて悪かったわ」
「うんうん。素直に謝れて、えらいえらい」アンナの頭をくしゃりと
「君、ルーとキスをしたんだって? ね。その時の様子、ぜひじっくり聞かせてほしい、ぶっ」
アンナは顔を真っ赤にして、先生の頬を思い切りひっぱたいた。
*****
コーヒーと紅茶を用意して戻ってきたルーを待っていたのは、へらへらとソファで笑うアルヴィムだけだった。何事かと問うまでもない。部屋を飛び出したらしいアンナとすれ違ったし、男の頬には真っ赤な手形が残っている。
アルヴィムが
「いやあ、女心って難しいなー」
「また何か余計なことをしたんですね」
「またとは失礼な。俺のやることにはすべて意味があるんだよ」
ルーは答えず、アルヴィムにコーヒーを押しつけた。紅茶はアンナの分だが、さてどうしたものか。追いかけたところで、面倒な絡みをされそうだ。
斜め上の妄想で盛り上がるアンナを思い出す。急に面倒くさい気持ちになったし、実際それは微妙に顔に出ていたのだろう。コーヒーを一口飲んだアルヴィムはのんびりと言った。
「追いかけるがいいよ。なんだかんだ言って、お前は昔からアンナ・ビルツのことが好きだろう」
「殴られたいんですか」
「わぁ、相変わらずお前も俺に
ルーはため息とともに、手元の紅茶を見やった。
「はい、分かっています。先代」
*****
三年前、この国は革命を迎えた。
国を二分する争いは王女率いる革命軍が勝利し、王族のほとんどは
霜で覆われた
これは、そんな二人が魔女たちと過ごす四季の記録。
あるいは、悪い魔女が処刑台にのぼるまでの物語。
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