第11話 大切な友達なのだもの

 考えに考えて渡したというのに、硝子瓶ガラスびんをちらとのぞいたリリアは、やれやれと言わんばかりに両眉りょうまゆを上下させた。


「子供みたい」

「ちょっと、リリア」親友の名を呼び、わたくしは唇をとがらせる。「おびの品よ。もっと、ありがたがったらどうなの」

「そういう言い方もねえ。反省がないというか」

「もう!」


 明らかに含みのある視線に、わたくしは両腕を組んでそっぽを向いた。


 ベンチに座り、寄宿舎の中庭をにらむ。間の悪いことに、野次馬らしき女学生が、二階の窓から慌てて顔をひっこめたのが見えた。


 面白くない。

 ちっとも、面白くない。


 わたくしは仕方なく目を閉じた。あれこれ考えてみようとするが、結局はここ数日の懸案事項のほうへ思考が引っ張られてしまう。


 すなわち、リリアとの大喧嘩おおげんかだ。

 語学の授業の、ちょっとした解釈の違いが原因だった。


 いいえ、これは正しくないわ。わたくしはもやもやとしつつも、訂正する。意見の対立はいつものこと。問題は、自分がリリアに対して失礼な言葉を使ってしまったことにある。


 貴族は王族に黙って従えなんて、間違っても言うべきではなかった。これじゃあ、大嫌いなお兄様やお父様と同じだ。そうやって苦い気持ちで反省したからこそ、今がある。


 ベンチの反対側で、リリアが大げさにため息をついた。


「まったく、たし状なんて渡されるから、何のことかと思ったら」

「果たし状なんかじゃないのだわ。れっきとしたお誘いの手紙でしょう」

「『昼どき、中庭にて待つ』なんて物騒極まりない文面だし、矢文やぶみで出すべきじゃないの」リリアが呆れ声で言った。「で? ここに来たら来たで、何も言わずに薔薇ばらの砂糖漬けだけ渡される、と」

「お、美味しいわよ……」

「ただの好物じゃない。しかもあなたの」

「……詫びの品と言ったわ」

「まぁ。姫様ったら、私達の関係は、物で解決できるようなものとお考えなのね」


 白々しい嘆きの声に、わたくしはぐっと唇の裏をんだ。


 明らかにの悪い沈黙に、小鳥のさえずり。けれど結局根負けして、わたくしは、首をきしませながら顔を横に向けた。


 リリアと目があう。栗色くりいろの髪の少女は、明らかに面白がっていた。されども、冗談ですませる気がないことだって明らかだった。さらにもう幾ばくかの沈黙を挟んで、わたくしはやっと頭を下げる。


「……ごめんなさい。わたくしが悪かったわ」

「ん、よく言えました」


 明るい声とともに、リリアが頭をなでてきた。ねぇちょっと、それは流石に子ども扱いしすぎじゃないかしら。親友は、けれど、そんな照れ隠しの文句さえ予期していたらしい。


 わたくしの唇が、砂糖をまぶした薔薇ばらの花弁でふさがれる。


「ありがとう、アンナ」同じように砂糖漬けを口に含んで、リリアは幸せそうに言った。「私は、あなたのそういうところが好きよ」


 *****


「むにゅ……そう……砂糖漬け……ううん……果たし状……」

「……アンナ・ビルツ」

「んふ……思ったより、あったかくて……」

「アンナ・ビルツ!」

「ふえっ!?」


 鋭い声で名前を呼ばれて、アンナは飛び起きた。


 薔薇ばらの花弁を透かしたようにしっとりと色づいた夕陽、カーテンを閉め忘れた窓、空箱やら本やらが散らばった寝室の床。眠る前と一つも変わらない光景だけれど、おかしい。なんだか手元が……んんん、というより足元も微妙に安定していないというか……。


 なんだろうと思って、目線を下げた。それからアンナは固まった。


 ベッドの上で、見目麗みめうるわしい夜明け色の髪の青年が組み敷かれている。


 誰にって、それはもう、わたくしに、というか。

 わたくしが、押し倒しているというか。

 え、うそ。わたくしが?


「……ま、」混乱のすえ、アンナはぐっと拳を握りしめた。「任せて、ルーさま。初めてでも痛くないように、わたくし頑張って優しく、もご」

「妄想で話すな」


 ルーは疲れ切った様子で、アンナをベッドに転がした。さっさと立ち上がった彼へ視線だけで問いかければ、心底面倒くさそうな顔をされる。


「昨日の夜、ここで僕と一緒に酒を飲んだことは?」

「もちろん覚えているわ。えっと、コップ一杯くらい……」

「薬草酒をだな」ルーは、テーブルの上の空瓶からびん一瞥いちべつした。「前後不覚になった君を運ぶだけのつもりだったのに、ベッドについた途端に君に引きずり込まれたんだ。気づいたら君は夜着に着替えていたし、少しだって目を覚まさないし」

「……ううん? それってやっぱり、わたくしが押し倒したってこと?」

「君の寝相の悪さに、僕が巻き込まれた」

「でも、わぷ」


 それってやっぱり同じことでは、と首をかしげたところで、頭の上から毛布が降ってきた。


 茜色あかねいろの日差しが遮られ、一足先に温かい暗闇に包まれる。


 くぐもったルーの声が聞こえた。


「思い詰めるほど悩むのなら、ティカ・フェリス達への謝罪は不要なんじゃないのか」


 硝子ガラスがくだけて終わったティカたちの舞台。そこからの一週間と、深酒をするに至った原因の話だ。


 アンナは毛布をどけようとしていた手を止め、「いいえ」とはっきりと返す。


「それは駄目よ。わたくしは、ティカさんたちを傷つけたもの」

「彼女たちも君を傷つけただろう。大衆記事タブロイドの件もそうだし、君の服や宝飾品ビジューだってそうだ」

「それが謝らなくていい理由にはならないわ。傷つけたら傷つけかえす、は悲しいだけで平等ではないの。なによりね、春は終わりの季節ではなくて、始まりの季節であってほしいから」

「……どういう意味だ」

「なにもかも壊れてしまっても、種さえあれば始められるわ。優しい時間も、今までのつながりも」


 アンナはそっと毛布を押しのけた。整った冷たい顔立ち、けれど灰をまぶした炎色の目に案じるような感情をにじませてくれている青年へ、そっと微笑む。


「だから、やっぱり謝りたいの。許してもらえるか不安で、怖いけれど、大切な友達なのだもの」


 ささやかな沈黙があった。言葉を探すような沈黙だ。けれど、一番言いたいことは見つけられない。そんなたぐいの、優しい静けさだった。


「君は、ずるい」ルーが目を伏せ、ぽつりと呟く。「そういう言い方をされれば、全部叶えてやりたくなる……僕は、君を失うのが、怖いのに」


 ぽかんとしたアンナの手から毛布が滑り落ちた。


 彼のそれは、子供のようにすねた物言いだ。貴公子のごときうるわしい見た目との落差もあいまって、なんというか、破壊力がすさまじい。危うくて儚い色気があるというか。


 これが少女小説ならば、きっと黄色い悲鳴をあげて何度も何度も読み返していたと思う。


 けれど、どうしてだろう。そうじゃなかった。


 甘さと寂しさの中間のような痛みに、胸がぎゅっと締めつけられる。アンナは戸惑った。彼が好きだ。その気持ちは、冬の地下牢ちかろうから今まで、ずっと変わらない。なのに、今まで感じたことがないくらい、苦しい。罪悪感とは違う。なにか全く別の理由のせいで。


 息が苦しい。今すぐに抱きしめて叫びたいほど、あなたのことが好きで。

 心臓が痛い。その一欠片ひとかけらでもいいから、あなたに好きと、思って、ほしい。


「……わ、たくし……」


 震える唇が勝手に動く。ルーがはっとしたようにこちらを見て、もう一度目があった。


 夕焼け色の目の美しさは鮮烈だ。

 愛おしくて、あなたが欲しいのと幼子おさなごのように請い願いそうになる。


 けれどそこで、指先が冷たい何かに触れた。

 胸から下げた、銀の薔薇十字ロザリオだった。


「っ、よっ、良くないのだわ……!」


 アンナは我に返って、頭をぶんぶんと振った。両腕を突き出せば、ルーが面食らったような顔をする。


 そんな仕草も、あどけない少年のようだ。

 かわいい。

 ああんんん、そうではなくてっ!


「わたくしは、ルーさまのことが好きだけれど!」アンナはぐるぐると空回りする思考の手綱たづなをなんとか握って、きっぱりと言った。「ルーさまはルーさまの自由意志で生きるべきと思っているのだわ! しばりつけたいわけではないの! これは本当の本当でっ!」

「アン、」

「だからっ、ルーさまがティカさんと付き合うとかでも、ぜんっぜん大丈夫だからっ!」

「……は?」


 ルーの声音が一段低くなったような気がしたが、それを深く問い詰める余裕はない。


 目くらましに毛布を投げつけ、アンナは部屋を飛び出す。


 *****


 屋敷に鳴った電話を取り上げて応答すれば、『わぁ……』という引きつった返事があった。


『びっくりするほど不機嫌じゃないか、ルー』

「切りますね」

『待って待って!? 俺なにも悪いことしてないだろ!? ほら、アンナ嬢レディ・アンナの先生にして、永遠の二十九歳、謎めいた美貌びぼうと知性を兼ね備えたみんなの頼れるお兄さん、アルヴィ、』


 前口上まえこうじょうの途中で、ルーは受話器を置いた。

 間髪入れずに呼び出しのベルが鳴ったので、仕方なく取り上げたが。


『ほんっと、君』開口一番、電話の向こうから小言が飛ぶ。『歳上に対する敬意の示し方がなってないよね……昔はもうちょっと、可愛げがあったのになぁ……』

「要件はなんですか、


 ルーがぶっきらぼうに尋ねれば、電話口の青年――アルヴィムはやれやれとため息をついた。


『俺が電話する理由なんて一つだろう? アンナ嬢レディ・アンナは元気かな、ってそれだけさ』

「今日も元気に、訳の分からない勘違いをしてますが?」

『あっはは! びっくりするほど苛ついてるし、とっても早口ぃ!』

「……切っていいですか」

『まぁまぁ、ちょっと待ちなよ。どうせ、君に関することで勘違いされたんだろう? ならばここは、俺が君たちの間を取り持ってだね』

「不要です」


 そうだとも、不要のはずだ。ルーはもやもやとした苛立ちを抱えながら、乱暴に壁へ背を預ける。


 なぜ、と問われるまでもない。恋をする約束をした。舞台の上で共に戦った。なんならさっきまで、ベッドの上で一緒に眠っていた。


 いや、彼女は深酒していたから、文字通り、眠っただけだが……とにかく、ただの男女の関係で、そこまでするだろうか。


 しないだろ。普通に考えて。


『でもほら、君は致命的に言葉が足りないから』


 ルーはぐっと唇を引き結んだ。受話器を床に叩きつけないようにするのに相当の苦労を要したのだが、もちろん電話口の向こうのアルヴィム・・ハティは気づきもしない。


『ま、安心しなよ。ほら、俺、旅行に行ってただろう? 実は、帰りにダナン公に会ってね』

「ダグラス・ダナン公爵ですか」ルーはため息をつきつつ、受話器を持ち替えた。「アンナの叔父君の?」

『そうさ。先王の弟君、薔薇抱く血竜ロジエ・ドラゴ不敗の戦騎士ロード・オブ・ナイト――まぁ、この言い方は本人が嫌がってるけど。とにかく、だ。彼は今、俺と一緒にメレトスの屋敷に滞在してるのさ。だから今度、そっちにつれてきてあげるよ。なんといっても、ダナン公はアンナ・ビルツの育ての親だ。彼に認められれば、アンナ嬢レディ・アンナとの関係も、一歩前に進むってもんじゃないかな』

「……はぁ。一歩進む、ですか」

『そうだとも!』


 半信半疑のルーの返事をとがめることもなく、アルヴィムは誇らしげに言った。


『なんといっても、俺は恋の仲介役が大得意だからね! ほら。眠り猿エイル・グノンの結婚は俺のおかげだし、隠れ鴉カシェ・フルーのときはまぁちょっと失敗したけど、あれはあいつの性格がねじ曲がってたせいだからさ。いやあ、いよいよルーの番かと思うと、感慨深いなぁ。きたる夏! ちきちき波乱の恋愛競争レースってタイトルでぜひ、後世にまで残し、』


 調子良く続く話にうんざりして、ルーはアルヴィムの電話を切った。

 

 彼の話の半分も、本気ではないだろう。そもそも、ダナン公に会ったというところから疑わしい。


 されども、だ。


 「……致命的に言葉が足りない……」


 ぼそと呟いて、ルーは顔をしかめる。

 そのまましばらく悩むことになったものの、どうすればいいか、という肝心な答えは、さっぱり出てこなかった。

 

 *****


「ね、……ティカちゃん……」日の傾き始めた裏庭バックガーデンで、フラウがぼそぼそと言った。「……ほ、本当に仲直りするの……」

「するよ。当然でしょ」

「で、でも……」


 花束、潰れてるけど……。フラウの控えめな指摘に視線を下ろしたティカは、げ、と声をあげた。


 包み終えたばかりの花束の包み紙がひしゃげている。


「あぁもう!」東屋ガセボに飛び込んだティカは、小さな作業台に花束を置きながら椅子に座った。「やっと終わったと思ったのに! どうしてすぐに駄目になるわけ!?」

「……それは……ティカちゃんが強く握るから……あっ、リボンはそうじゃないよ……右手で輪っかを作って……ほら……」

「待って。どうして蝶結ちょうむすびの先が、そんなに綺麗に、くるっ、てなるのさ? もう一回……えええ……意味わかんないだけど……?」


 光を透かす真白の包み紙を整え、フラウが手本として結んだレースのリボンをほどいては結びを繰り返し、どうにも微妙な出来ばえに文句を言うことしばし。


 ティカの悪戦苦闘を見守っていたフラウが、控えめに呟いた。


「……やっぱり謝るの、やめようよ……」

「駄目」

「どうして」

「迷惑かけたでしょ」

「……舞台のことなら、アンナちゃんたちにも責任がある、よ……ティカちゃんを傷つけようとしたもん……」

「そうじゃないってば」


 絡まったリボンを放り投げ、ティカはため息をついた。


 東屋ガゼボに落ちる濃い影のむこう、西日に輝く裏庭バックガーデンを見やる。葉が風に揺れる音、鳥の羽ばたき、さかりをすぎた春の花が花弁を散らす――そんなささいな音でさえ聞こえそうなほど静かだ。


 それもこれも、街の人間がビルツていを囲んで騒ぐことに飽きてしまったからだった。けれど、一度広まったうわさが消えることはない。


 目に見える暴力がなくとも、アンナの悪口が書き殴られた紙切れは投げ込まれる。

 直接の害意は隠れても、街を歩くアンナへ向けられる視線は冷ややかになった。


 そのきっかけを作ったのは、自分だ。

 動機どうきがなんであれ。


「あの舞台に後悔はないよ。そうじゃなきゃ、ティカ・フェリスの名前は誰にも知られず終わってた」ティカはリボンを取り上げた。「でも、ボクの考えが甘かったせいで、余計な被害も生んだでしょ。だから謝るの。そうじゃなきゃ、ずっと終わらないじゃないか」

「……終わらないって、なにが……?」

「冬が」


 十度目の挑戦にして、緑青色ミントブルーのリボンが綺麗に結ばれる。姫金魚草リナリアの淡紅色と、矢車菊コーンフラワーの目の覚めるような青色。花原メドウから集めたばかりの春を眺めて、よし、とティカはうなずいた。


「採点するなら八十点かな」

「ええ……ティカちゃんなら、なにやっても百点だよう……リボンの結び目、ゆがんでるけど……」

「……めてるのか、けなしてるのか、微妙な感想だよね……まぁいいや。ちょっと雑なほうが春の乙女っぽいでしょ」

「……ん、ふふ……ティカちゃんって、意外と不器用だもんね……」

「その一言は余計」


 釘をさしたところで、フラウが撮影機カメラのシャッターを切った。ちょっと、隠し撮りはやめなよ、とティカが言いかけたところで、「あ」とフラウが呟く。


 つられて屋敷のほうを見やったティカも、目を丸くした。


 裏口から飛び出して、猛然もうぜんとこちらへ駆けてくるのはアンナだ。

 いやそれはいい……っていうか、全然、心の準備的にはよくないんだけど……それはまぁ、百歩譲るとして、だ。


「なんでそんなに薄着なのさ!?」

「は、わ、ティカさんっ!?」


 驚いた顔をしたアンナが道端の石でつまずくのが見え、ティカは慌てて東屋ガゼボの外に出る。


 *****


 花咲きほこる裏庭バックガーデンは、黄昏たそがれの光を浴びていっそうまぶしく輝いた。


 それは春の終わり。記憶喪失の彼女は、魔女との仲直りのための一歩を踏み出す。

 それは季節の狭間。かつての地下牢ちかろうの青年は、彼女への想いに向き合いはじめる。


 そして。





『無垢の薔薇十字ロザリオこそが、望みを叶える唯一のしるべ


 机の上に重ねた参考書の隙間で、レイモンドは、もう何度読み返したか知れない手紙の文言を目でなぞる。


 開け放した窓から風が吹き込み、目を伏せた青年の赤銅色しゃくどういろの髪をささやかに揺らした。




 その風は、夏の嵐を思わせるような、少しばかり湿った空気をはらんでいる。


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