第2話 でも、は不要だ

「離れて、くださいっ!」


 アンナはルーと少女――ティカの間に割って入った。あからさまに不満そうな顔をするティカをきっとにらみつける。


礼儀マナーをわきまえてくださらない? こんな公衆の面前で」

「ただの挨拶あいさつだって言ってるでしょ。変な意味で考えてるのはそっちのほうじゃん。おばさんは引っ込んでてよ」

「わたくしはおばさんじゃ……!」


 勢いのまま返事しかけたアンナは、他の魔女たちの視線に我に返った。


 いけないわ。せっかくいろいろと準備したのに、こんな子供のせいで台無しにされるなんて、そんなこと。


 そうよ、ティカは子供なの。うんうん、裏を返せば、わたくしが大人っぽいということのはず。断じておばさんとか、そういうことではなくて!


「……こほん」わざとらしく咳払いをし、アンナは引きつった慈愛の笑みとともに、ティカの腕をつかむ。「ティカ・フェリス。この場は魔女同士、はじめての顔あわせの場所でもあるの。どうぞ席について。それから順に、お名前を確認させてちょうだい」

「はあ? なんでボクがあんたの言う事なんか……あっ! 力ずくとか卑怯ひきょう、もごご」


 小柄なわりにはしっかりと筋肉のついたティカの体をなんとか席に押し込める。


 かしゃり、という薄い金属をり合わせたような音がした。アンナが隣の席を見やれば、真四角の箱を両手に持った猫背の女が陰気に笑う。


「で、へへ……ぐへへ……可愛い女の子……怒ったところも……かわいいね……ね……」


 久しぶりに声を出して、ものすごく無理やりに愛想笑いを浮かべてみた。そんな調子っぱずれの笑い方は結構どころかかなり不気味だ。アンナが面食らった間に、するりと腕から抜け出したティカが不機嫌そうに言う。


「下手くそな笑い方するなよ。フラウ。さっさと自己紹介すれば」

「そ、そう……? でもティカちゃんみたいに、一芸とか……」

「ボクのは一芸じゃないし、百歩譲ったとしても、ボク以外みんな前座ぜんざみたいなもんでしょ」

「それもそっか……ティカちゃん、世界で一番可愛いもんね……」


 血色の悪いそばかす顔に、女はでれでれとした笑顔を浮かべる。ティカがため息をついて、仕方なしと言わんばかりにあごで女を示した。


「フラウだよ。フラウ・ライゼン」


 知り合いなのか、と問いかけて、アンナは引き継ぎ資料を思い出した。


 人は、罪の名前を言い当てられて魔女になる。特に魔女の素質がある者は、相手の罪の名前も見えやすいらしい。だから、二人の人間が同時期に魔女になる事例は珍しくない。


 ティカとフラウの関係性も、まさに資料のとおりということね。アンナが納得したところで、おりよくティカが尋ねる。


「で? そっちの細かそうなおにーさんの名前は?」


 赤銅色の髪の若い男が、不愉快そうにテーブルの上の紙束を引っかいた。


「細かいは余計じゃないかな」

「貧乏ゆすり、テーブルを何度も指で叩いてる、ため息の数がやたらと多い。おにーさん、ぜったいに計画どおりにいかないと苛々いらいらするタイプでしょ。じゃあ細かいじゃん」

「レイモンドだ」指折り数えあげたティカに渋面を作って、若い男は答えた。「レイモンド・ラメド。学生で、来年は役所の試験をひかえてる。これでいいだろ」

「学生? 意外だな。おにーさん、もうちょっとけて見えるけど」

「……あのな、ティカさんだっけ? 自分より年上の人間を老けてるとか言うのは適切じゃないと思、」

「ディエンだ」


 レイモンドの文句をさえぎって、低い声で禿頭とくとうの男が言った。どう見ても治安の悪そうな顔つきに鋭い眼光で、ティカとレイモンドがぴたりと口を閉ざす。


「それから」男はゆっくりと膝の上のくったりとした人形を持ち上げた。「これはわんちゃん」


 沈黙が落ちた。これはわんちゃん……わんちゃん? なにか裏社会の暗号だったりする……? あっ、ちがう、普通に犬の人形だからってこと……? 様々な無言の疑問が飛び交った挙げ句、ティカとレイモンドがそろってアンナのほうへ視線を向ける。


「そ、そう! ワン・チャン! とってもかっこいい名前ね!」


 アンナはぱんと両手を叩いて、なんとか明るい声を出した。


「ワンってことは、弟や妹さんはニ・チャンってことかしら!」

「ふむ? 弟分なら、にゃんちゃんがいるが?」

「そうね、そうよね、ニャン・チャンよね! センスが抜群にいい! 最高! ああっと、もうこんな時間! それじゃああとは、わたくしたちの自己紹介ね! わたくしの名前はアンナ・ビルツというのだけれど!」

「うわ、話の進め方が強引」ティカが呆れ顔でテーブルにひじをついた。「びっくりするくらい下手くそな演技じゃん……痛っ」

「それから! そこにいる、のは……」


 ティカの小さな頭をぽすりと小突き、アンナは入り口のほうへ目を向ける。ルーを紹介するための言葉はしかし、途切れてしまった。


 ずっと沈黙を守ってきた青年は、端正たんせいな面持ちをわずかばかりの影で染めながら何事か考え込んでいる。


 長い指先が触れるのは頬だ。

 そこは紛れもなくティカが口づけしたところで。


 え、嘘、待って。そういうことなの?


 *****


 思えばおかしかったのよ。だって、ルーさまはずっと喋ってなかった。それどころか、部屋に入ったあと、一歩も動いてないんじゃない?


 なによりあの、真剣な眼差し。それなのに、吹き消されてしまいそうな灯火のごとく物憂げではかない横顔。


「んんんんんっ……そういうお顔は……っ、ほんとに大好きだけれど……っ! 明らかに恋……! 恋の顔……っ! ううううう……っ」


 午前中の出来事――かれこれ十回も思い返している――に悲鳴を上げながら、アンナはぐるぐると歩き回る。


 昼食もそこそこに、彼女は裏庭バックガーデンに逃げ込んだ。とにかく人目のつかない場所、ルーの来ない場所と歩いていけば、丸池ポンド近くの薔薇ばら園までたどり着いてしまった。


 池の周りを彩るのは、小さな白い花をつけた野草。澄んだ水面に映った青空を泳ぐのはミモザの黄花。手入れを待つ生け垣は伸び放題だが、青々とした葉を春風にそよがせている。


 薔薇ばらのつぼみの膨らみも順調だ。赤、薄紅、白。ドレスのようにふっくらしたシルエットが、サテンのリボンのような薄緑の葉で包まれていて。


 庭の片隅に座り込んだアンナは、ふくれっ面でつぼみをつついた。


「……一緒に見ましょうって言ったのに」


 もしもルーさまに好きな人が出来てしまったら、誘いづらくなっちゃうわ。

 ううん、まだ好きな人って確定したわけじゃないけれど……でも、どんな物語だって、恋は突然に始まってるし……。


「ゔ……ぅ……」

「おや」


 考えすぎて変な声が出た。そんなタイミングで声をかけられたものだから、アンナは思わず飛び上がる。


 生け垣を揺らして現れたのは、禿頭とくとうに強面の男だ。腕の中のくったりとした人形……ええと、なんだったかしら……そうだ、ワン・チャンの頭には葉っぱが一枚ついている。


「こんなところで出会えるとは、アンナ嬢レディ・アンナ

「……こんにちは、ディエンさん」アンナは慎重に頭を下げた。「あの、どうしてこんなところへ……?」

「散歩が趣味でな」


 アンナが曖昧あいまいに頷けば、ディエンは唇の端を斜め上に動かした。なかなかに治安の悪い表情が笑顔らしいと気づいたときには、彼が一歩分だけ距離を詰めている。


 ディエンがひょいと身をかがめ、アンナの頬へ手を伸ばした。


「なるほど。あなたは相変わらず、人気者らしい」

「人気者……?」


 不思議な言い回しに、アンナが小首をかしげたときだった。


「――人目につかない場所で女性に手を出すのは、礼儀マナーがなってないんじゃないか」


 真冬のような青年の声が響き、ディエンがぴたりと手を止めた。

 生け垣が揺れ、ルーが現れる。禿頭の男は両眉を大げさに動かして手をひらりと振った。


「ふむ。それは俺に下心があると言うことか?」

「君の気持ちなんて、僕が知るわけないだろう。用がないのなら、さっさと戻れ」

「なるほど、そうだな」ディエンはちらと庭の奥を見やって肩をすくめた。「どうにも、それで良さそうだ。では、アンナ嬢レディ・アンナ騎士ナイト殿。また後ほど」


 池のそばの道を通って、ディエンの姿が春の花影はなかげのなかに消えていく。


 ルーが振り返った。


「君も君だ。こんな場所に、一人きりでいるべきじゃない」


 とがめるような一言に、アンナはぽかんと口を開けた。


「こんな場所、なんて」アンナは戸惑いながら言う。「ここはビルツていよ。わたくしがいるべき場所だわ」

「ここは屋敷の中じゃないだろう」

「裏庭だって……いいえ、裏庭こそ、ビルツ邸そのものじゃない」


 ふいと顔をそむけて歩きはじめたルーの背中を追いかけて、アンナは屋敷へ戻る道をたどる。


「ねえ、ルーさま。怒ってらっしゃるの?」

「怒っていない」いつも以上にそっけない声音でルーは言う。「君はディエンに近づくな」

「どうして」

「あの男は妙だ。いいや、それを言うなら、魔女は全員そうだが」

「人を見た目で判断するのはどうかと思うわ。たしかに、ディエンさんは、その、ちょっと変わっているけれど……きっとなにか事情があってのことなのよ」


 罪を暴かれた人間は魔女になって、人ならざる力を得る。裏を返せば、魔女とは罪を犯した人間だ。他者からの理解があるかないかに関わらず、彼らの人生は平坦ではなく、そうであるがゆえに心に傷を負っている人間もいる。


 ルーさまなら、きっと分かってくださるわ。アンナはそう期待したのだが、どうにも反応がかんばしくない。


 夜明け色の髪を揺らして、ルーが立ち止まった。ため息をつく、振り返る、両腕を組む。その全てに「こんなに簡単なことを言わせるな」といわんばかりの不機嫌さが滲んでいる。


「感情論の話は結構だ。僕は事実に基づいて判断している」


 あまりにもそっけない一言にアンナは眉をひそめた。ルーが「いいか」と言って、まるで子供にそうするように指折り数える。


「歩き方、立っている時の重心の位置、筋肉のつきかた。ディエンの外見は軍人のそれだ。だが僕は、あの男を知らない。それが問題なんだ」

「そんなの、当たり前でしょう。彼らは今日来たばかりで、わたくしだって初対面なのよ」

「〈王狼おうろう〉の人間が把握はあくしていない兵士なんて、この国にはいない。こう言えば分かるか? アンナ嬢レディ・アンナ


 傭兵ようへいか、あるいは兵士ですらない荒くれ者の集団か。どうにもそういうことを言いたいらしい。理解はできたが、どうにも納得できなくて、アンナは唇を尖らせる。


「……そんなに上から目線で言わなくてもいいじゃない……」


 ルーの視線に、呆れの色が混じった。


「僕のほうが年上なんだから当然だ。特に君は危機意識に欠ける」

「ルーさまに言われたくない。ティカにキスされてたでしょう」

「……アンナ、ふざけないでくれ。僕は真面目な話をしていて、」

「わたくしだって真面目よ。大真面目」アンナはむっとして返した。「ルーさまはティカに近づくべきじゃないわ。目線も、立ち居振る舞いも、言葉遣いも。あの子は絶対にルーさまのことを狙ってるんだから」


 ルーがため息をついた。大人が面倒な子供を持て余した時の反応だ。子供扱いしないで、とアンナが文句を追加する前に、ルーが口を開く。


「ティカ・フェリスに近づかないのは無理だ」


 アンナは唖然あぜんとした。言葉の意味を理解するために、やっとの思いで三回ほど呼吸をして、ゆっくりと繰り返す。


「ティカに……近づかないのは、無理……?」

「調べる必要があるからだ。口づけをしてきた時、僕は動けなかった。拘束こうそくされているわけでもないのに。なにか妙な……それこそ魔女の力のせいかもしれない」


 魔女、あぁそうね。そういう考え方もあるわよね。アンナはなんとか自分を納得させようと試みるが、わずかに目を伏せて考え込むルーの姿がどうにも気になってしまう。


 まるで、こいしがってるみたいじゃない。本当に、ルーさまは魔女の力のせいだって思ってらっしゃる?


「情報が少なすぎるのが困りものだが」何事か結論がまとまったらしく、ルーが灰をまぶした炎色の目を上げて言った。「いずれにせよ、違和感の正体を探るなら僕がティカ・フェリスの近くにいたほうがいいだろう」

「駄目」


 アンナはすかさず反対した。ルーの表情は微動だにしない。まるでお見通しということらしい。


 そんなちょっとしたことが気に食わなくて、アンナは早口になる。


「こうしましょう。わたくしがティカの正体を探るわ。ルーさまはディエンさんのことで忙しいでしょう」

「却下だ。なんの力か分からない以上、君にティカを任せるのは危険すぎる」

「でも、」

「でも、は不要だ」食い下がるアンナを見すえて、ルーはぴしゃりと言う。「君はディエンとティカ・フェリスに近づかないこと。以上」



 *****



 アンナ・ビルツの写真は記者を喜ばせたが、もっと情報をよこせとも言われたらしい。


「目の色に髪の色、性格に好き嫌い」ざっとリストを読みあげたあと、ティカは紙切れを放り投げた。「報酬ほうしゅうはこれらを調べた後だって? あーやだやだ、絶対こっちを下に見てるじゃん。童貞どうてい男のくせにさ」

「どうするの、ティカちゃん」

「どうもこうもないでしょ」


 床に落ちた紙切れを拾うフラウへ肩をすくめて、ティカは窓辺に腰かける。


 夜もふけたビルツ邸、その一室。ティカは春の夜風に素肌をさらして、伸びをする。


 古臭い魔女の正装はとっくの昔に脱ぎ捨てた。さっきまで着ていた汗まみれのシャツとズボンは床の上だ。


 おかしなことは何もない。ティカ・フェリスは魔女である前に舞台女優で、土仕事なんかより復帰作の成功に全力を注がなくてはならない多忙たぼうの身だ。だから夕食が終わると同時に屋敷を抜け出し、夜の街で舞台の練習をこなし、その足で再び屋敷へ戻ってきた。


 まぁ、さすがにね。毎日続けるってなると、もう少し移動手段を考えたほうが良さそうだけど。ぱたぱたと襟元えりもとを動かして下着のなかに風を送っていれば、視界の端でフラウの指先が動くのが見えた。


「フラウ」ティカが右足をふって投げつけたくつは、見事にフラウの頭に命中した。「盗撮とうさつは禁止」

「はっ……あ、へへ……えへへ……ごめん……ティカちゃんの肌綺麗で……つい……ね。痛くないから、一枚だけ……どう……? ちょっとだけ……先っぽだけ……」

「駄目。はぁまったく、言い訳も言い方もおっさんなんだよなあ。ボクよりずっと年上なのに、そんなんでいいわけ」

「どうだろうね……ふへ、へ……でもほら、私にはもう、ティカちゃんがいるから……」

「うざ。重すぎなんですけど」


 そこでベッドのきしむ音がした。


 魔女の正装を揺らして立ち上がったのは、だ。アンナ・ビルツが見れば二重の意味で驚くに違いない。


 まずもって、魔女は二人で一つの部屋を使うので、三人目はありえない。


 そして、ティカとフラウの前にいる三人目は少女なのだった。肩のあたりで切りそろえた黒髪、愛らしい顔立ち、いくぶん低い身長。人の目を惹きつけてやまない紫水晶アメジストの瞳にいたるまで、ティカと瓜二うりふたつ。今は魔女の正装を着せているから、余計に本物らしく見える。


 けれどもちろん偽物だ。

 少女は、ティカが魔女の力で作った。


 まったく自分は幸運だ、とティカは思う。ビルツ邸に到着する数日前という土壇場どたんばではあったが、こうして一番役に立つ力を手に入れることができたのだから。


「ねえ」少女は、ティカとまったく同じ声音で問いかける。「この女、いらない?」

「いるに決まってるでしょ。さっきのリストに写真を追加でってこいって書いてあったんだからさ」

「うん」


 素直にうなずく少女へ、ティカは微笑む。


「いい? 記者の連中が欲しがってるのは、革命家アンナ・ビルツの情報。彼女の私生活は少しも知られてないからね。これをあばくのがボクとフラウの仕事で、舞台の練習で忙しいボクの代わりに、記者へ情報を渡すのが君の仕事」

「それから、舞台を成功させるために記者に協力してもらう、でしょ」

「そう。この前みたいな、記事の切れ端じゃ駄目なんだ。もっと大きく宣伝してくれって要求して」

「うん」

「大事な復帰作なんだ。失敗は許されない」


 いささか芝居がかった仕草で、ティカは目を細めた。少女は同じように頷くばかりだったが、フラウのほうはれとした表情を浮かべている。効果ありだ。


 ――人々が望む姿を、まとうのよ。


 優しくも懐かしい声を思い出す。無惨な最後ではなく、華々しく眩しい彼女の姿だけを強く心のうちにとどめて、ティカは決然と言う。


「絶対に、ティカ・フェリスの舞台を成功させるよ。ここにいる魔女全員を利用してね」

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