第2話 正義の味方のお仕事ってやつだよ

 裏庭バックガーデンから呼び戻されたアンナは、とりあえず食堂ダイニングのテーブルについたものの、なんといって会話を始めるべきか考えあぐねていた。


 傾き始めた日差しが差しこむ窓際に立つのは、ルーとアルヴィム。アンナの隣に座るのはレイモンド。そして彼女の目の前には、ディエンが椅子に腰掛けている。


 禿頭とくとう強面こわもての大男は、赤毛の女の子を肩車し、金髪の男の子を膝にのせているのだった。男の子はくたびれた犬の人形を抱えているから、なんと四対よんついの視線がアンナに向けられていることになる。


「ええと……」迷いに迷ったすえ、アンナは結局、無難な質問を口にする。「この子たちは……?」


 土汚れまみれの双子ふたごたちが、すかさず言った。


「わたしの名前はヴィナ」

「ぼくの名前はニケ」

「わたしたちはダディの子供なの」


 二人の子供がそろって締めくくり、アンナはぱちぱちと目を瞬かせる。


「……子供……」

「そうだとも」ディエンがにやっと凶悪な笑みを浮かべて応じた。「俺の子供だ」


 アンナは助けを求めてルーを見やった。夜明け色の髪の青年はため息をつく。幸いなことに、いつもどおりの声音――いささか迷惑そうながら、落ち着きのある声音で答えてくれた。


「ディエンの申告のとおりだ。フラウ・ライゼンが言うには、屋敷の外で見つけたらしい。状況を聞きたいのなら、呼んでくるが」

「そう、なのね……いいえ、大丈夫よ。フラウさんも、ティカさんも、双子さんたちのためにお風呂の準備をしてくれてるわけだし……」アンナはちらりとディエンを見やった。「その……お父さん? が、もう少し説明してくれるはず、よね」


 ディエンがひょいと片眉かたまゆをあげたが、金髪の男の子のほう――たしか、ニケだったはずだ――が彼の口元を人形でふさいだ。双子たちはアンナのほうをじいっと見たあと、まるで絵本を読むように言う。


「わたしたちは遠路えんろはるばる歩いてやってきたのです。ダディとマミィに会うために」

「……母親マミィ?」

「そう」双子はこくんとうなずいて、アンナを指さした。「あなたがわたしたちのマミィでしょ? だって、ダディの好きな人なんだから」


 アンナはぎょっとした。この手の話題に目がないアルヴィム・・ハティが、白銀の髪を弾ませて身を乗り出す。


「えっ、なになに? 俺が旅してる間に、そんなに面白くて複雑な関係ができ、っ!?」

「どういうことだ」すねを押さえて地面に沈んだアルヴィムを一瞥いちべつもせず、ルーが氷のような声で言った。「ディエン。返答次第では相応の怪我も覚悟してもらうぞ」

物騒ぶっそうなことだ」


 穏やかに言って、ディエンは口元から引きはがした人形をニケへ持たせてやった。ヴィナの赤毛をくしゃりとでて、言葉を続ける。


「心配はいらん。いかにも子供らしい勘違いってやつさ。ヴィナたちは孤児こじだから、家族に対する憧れが人一倍強くてな……俺が手紙で、この屋敷のことを話したから、寂しくなって訪ねてきたんだろう」


 いくぶん安心して、アンナは尋ねた。


「孤児ってことは、あなたも本当の父親ではないということかしら?」

「そのとおり」そこでディエンは手を止め、いかにも今しがた気づいたと言わんばかりの顔をしてみせた。「ふむ。だが、俺があなたに好意を抱いているのも本当だ。その意味では、俺が父親で、あなたが母親という未来もありうると思わないか? アンナ嬢レディ・アンナ

「ディエン!」


 ルーがうなるように名を呼んだ。アンナは戸惑いながらも、首を横にふる。


「ええと、お気持ちは嬉しいけれど……そういう未来は、こないんじゃないかしら」

「なぜ」

「なぜ?」


 アンナがおうむ返しに尋ねると、ディエンは面白がるように目を光らせて、「俺は諦めの悪い男でね」と言う。


「可能性があるかどうかを知っておきたいのさ。すなわち、今のあなたが色恋そのものに興味がないのか、他に思いを寄せる相手がいるのか、ということを教えて欲しい。後者ならばどうしようもないが、前者ならば俺の努力次第だからな。どうだ、好きな人はいるのか?」

「すっ……好きな人って……!」


 アンナは赤面した。視界の端でルーの顔つきが変わった気がして、慌てて視線を手元に落とす。


 今日何度目かわからない手の強襲をうけたワンピースは、またもやしわくちゃになった。


「そっ、そんな人は……あの……」もちろん、ルーさまよ。そうに決まってるじゃない。だってかっこよくて、優しくて、素敵な男の人なんだから。心のなかの自分はそうやって大合唱してるのに、どうにもそれを言葉にできなかったアンナは、しどろもどろに答えた。「い、いないわ……だってその、色々と集中しなくちゃいけないでしょう……? あなたたち魔女のこととか……裏庭バックガーデンのこととか……っ。ねぇ、そうよね。レイモンドさん」


 とにかく無関係の誰かに助けてほしくて、アンナは必死に隣へ目を向ける。


 ずっと黙り込んでいた赤銅色の髪の青年は、びくっと体を震わせて目を泳がせた。


「あー……ええと、うん……そう。そうだね……」

「レイモンド・ラメド」珍しく、双子のうちの赤毛の少女のほうだけが不機嫌そうに言った。「ダディの邪魔をしないでよ」

「邪魔しにきたのはそっちのほうだろ、ヴィナ! あっ」


 歳の離れた兄妹きょうだいのような反論をしたところで、レイモンドがしまった、といわんばかりの顔をした。


 アンナは「もしかして」と尋ねる。


「レイモンドさんは、双子さんたちと知り合いなの?」

「知りあいなんて」気まずそうに首をすくめるレイモンドに代わって、双子がそろって返事をした。「居候いそうろうだもん。ダディとわたしたちの、愛あるおうちを邪魔してばっか」

「居候してたのは、君たちのほうだろ……」


 レイモンドがため息をつき、部屋を見回してから、渋々と言葉を続けた。


「その……ここに来る前は、同じ場所に住んでたんだ。そこの二人と……まぁ、うん。ディエンと一緒にさ」

「まぁ」アンナは目を丸くした。「ディエンさんとも、昔からの知り合いだったの? それにしては、春の頃は、ずいぶんとよそよそしかった気がするのだけれど」

「……それにも色々と事情が」

「せいぎのみかただもんね」


 双子が得意げに言い、レイモンドが縫い針を百本まとめて飲み込んだような顔をする。


 その時、廊下が騒がしくなった。窓ガラスが割れる音、ティカの驚いたような声、ばたばたというせわしない足音。


 明らかに何かがあった不協和音に、アンナたちは顔を見合わせて食堂ダイニングを飛び出した。日差しが絨毯じゅうたんを染める廊下を進み、屋敷の端、バスルームの隣に設けられたリネン室に足を踏み入れる。


 アンナは息をんで立ち止まった。


 ほうきを構えたティカが、警戒するように部屋の奥をにらんでいる。彼女の足元に倒れ込んでいるのはフラウで――すかさず駆け寄ったアルヴィムが「気を失ってるようだね」と呟くのが聞こえた。床もひどい有様だ。洗いたてのタオルと、大小様々な硝子ガラスの破片が、嵐のあとのようにもみくちゃになって散らばっている。


 そう、硝子ガラスよ。窓の破片。アンナは大きく息を吸って、ティカの視線の先へ目を凝らした。裏庭バックガーデンに面した大きな窓は割れ、レースのカーテンは引きちぎられて風に揺れている。


 そこに、真っ黒な獣がいた。野犬にも似た――けれどただの獣と称するには、体が大きく、血走った目つきが異様な獣だ。


「君はティカ・フェリスたちを」


 耳元でルーの声がした。アンナが頷いた時には、軽やかな足音一つを残して、夜明け色の髪の青年が獣に切りかかっている。


 短剣の一閃は獣の右脚みぎあしを裂いたが、切りとばすには至らない。獣が咆哮ほうこうとともに左脚ひだりあしをふるったからだ。


 ルーが素早く短剣を引いて、肩に触れる寸前の獣爪じゅうそうを刃で受け止める。ティカを廊下へ移動させようとしたアンナは、目を見開いた。


 獣の右足からは血の代わりに黒いもやが吹き出し、細長い筒のような何かの形をとろうとしている。


 いいえ、あれは猟銃りょうじゅうだわ。真冬の屋敷で見慣れた形と、目の前の黒いもやの形がぴたりと一致して、アンナは顔を青くして叫んだ。


「ルーさま、」


 けて、とアンナが警告する前に、視界の端をかすめて何かが投げ込まれた。


 綿を飛ばして獣のそばに着地したのは、人形の手足だ。レイモンドが鋭い声で言う。


「ディエン、第一章三節!」

四天の白翁Es werde Licht.


 ディエンが聞き慣れない言葉を紡ぐと同時、人形の手足が一斉にぜ、細い光の鎖となって獣の体躯たいくを絡め取る。


 ルーが身を引いた。何事かを知っているというよりは、反射的にそうすべきと判断したからのようだ。果たしてそれは正解で、今度はレイモンドが獣へ向かって淡金色に輝く小瓶を投げつけて言う。


塵芥に帰せZertreten dir den Kopf.


 小瓶が割れ、光る液体が獣に降りかかって。そう、炎だ。獣の身体をまるごと囲むだけで周囲を一切燃やさず、熱さえも感じさせない、厳格なまでに制御された金の炎。


 獣は悲鳴をあげたが、あっという間に黒いもやごと燃やし尽くされて姿を消した。からん、と何かが床に落ちる音がする。


 アンナはそろりと息を吐いた。明らかに事情を理解している様子のレイモンドとディエンを交互に見比べる。


「……今、のは?」

「悪者退治」アンナの問いかけに応じたレイモンドは、床に落ちた何かを拾い上げて、ため息をついた。「ヴィナとニケの言葉を借りるなら、正義の味方のお仕事ってやつだよ」

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