第9話 今度こそ、私は悪い魔女になれるわ

 リリアの夢は、もう見なかった。


 アンナは、ゆっくりと目を覚ます。階段の踊り場は、ひんやりとした薄青の空気に包まれている。寒くはなかった。ルーが抱きしめてくれていたからだ。アンナとルーは、壁に背を預けるようにして座りこんでいる。


 ささやかな雨の音が、ひっそりと響いていた。


 痛む右肩に力を入れないようにしながら、アンナはぎこちなく、ルーの胸元に頬ずりした。眠る彼からは、規則正しい鼓動の音が聞こえる。それから、じわりと染みるような、去りがたいぬくもり。アンナはそうっと、彼の指先に触れた。その皮膚は冷たくて、ところどころに古傷がある。


 鼻の奥がつんと痛くなって、アンナは目をせた。白銀の薔薇十字ロザリオが、アンナの胸元でひっそりと輝いている。


 無垢むく薔薇十字ロザリオこそが、望みを叶える唯一のしるべ。古書に記された一文を思い出しながら、アンナはぎこちなく右手を動かした。十字架に刻まれた薔薇ばら紋様を、指先でなぞる。


 ルーが目を覚ます気配があった。


「……アンナ」


 おずおずとアンナの名前を呼んだきり、彼は口を閉じた。必死に言葉を探している沈黙が愛おしい。


 そうよ。私は彼のことが好きなのよ。アンナは不意に、はっきりと自覚する。こんなふうになってもまだ、あなたのことが好きだって、子供みたいに思っている。


 薔薇十字ロザリオを手放し、アンナはルーと手を重ねた。『おはようございます、眠りの君さま』と伝えられたら、どれだけ良かっただろう。


 けれど、それを望んではいけないことも知っている。


「こうしていると」アンナはゆっくりと言った。「まるで冬の日に戻ったみたい」

「……あのときほど、寒くはないだろう」ルーがほっとしたように言った。

「まぁ。あのときだって、寒くはなかったのだわ。ルーさまが、そばにいてくれたもの」

「分かりきったうそをつかなくても、」

「嘘じゃないわ。本当よ」不安げな顔をする彼へ、アンナは微笑んだ。「ルーさま、あなたが私にくれたもののなかに、嘘なんて一つもなかった」


 アンナは、ルーの手を引いて立ち上がった。階段をくだり、すりきれた絨毯じゅうたんいた廊下ろうかを歩く。ひっそりと降る雨が、裏庭バックガーデン草木くさきを濡らしているのが見えた。空気は白み始めている。暁前の、最後の時間だ。


 そして繋いだ手の間にだけ、二人分のぬくもりがある。

 まるで、いつだったかの夏の夜のように。


 ルーが足を止めた。ちょうど、図書室ライブラリにさしかかったところだった。


「……なにもかも、やりなおせればいいのに」


 ぽつりと、彼が言う。


 アンナは立ち止まった。たっぷりと時間をかけてまばたきをし、無理矢理に顎先あごさきをあげる。


 つないだ手をほどいた。薔薇十字ロザリオを外して、アンナは振り返る。


「方法なら、あるわ」アンナは、彼の手のひらに、白銀の煌めきを落とした。「ご存知かしら? 薔薇十字ロザリオに祈れば、願いは叶うのよ」


 窓辺にたたずんだルーが、薔薇十字ロザリオとアンナを見比べた。道に迷った子供のような表情だった。それに泣きたくなって、けれど、アンナは微笑む。


「信じられない?」

「言い伝えかなにか、だろう。それは……」ルーが歯切れ悪く言った。「ただの夢物語ゆめものがたりで……」

「でも、魔女の力は存在するでしょう? 大切なのは、信じることだと思うわ」

「だが……」

「ふふ。ルーさまったら、うたぐぶかいのね。じゃあ、こうしましょう。ルーさまは、ここで待ってらして。証拠を持ってきてあげる。図書室にね、薔薇十字ロザリオについて書かれた本があるの」

「……アンナ、」

「お願い」ルーの言葉をさえぎって、アンナは彼をじっと見つめた。「ここで待っていて」


 のぼり始めた太陽の、最初の一欠片ひとかけらがルーの横顔を照らした。物憂げで、美しい顔立ち。夜明け色の髪と、灰をまぶした炎色の目。アンナの大好きなすべてが、ささやかな光のなかにある。


 やがてルーは、薔薇十字ロザリオを握りしめて、うなずいた。


「分かった……ここで、待っている」


 胸がいっぱいになるのを感じながら、アンナはうなずきかえした。「……ありがとう、ルーさま」


 アンナは図書室ライブラリへ入る。とびらを閉めれば、部屋は薄暗くなった。窓から差し込む光は、すぐ手前のものづくえをぼんやりと照らすばかりだ。床に散らばった本は闇に沈み、立ち並ぶ書架しょかは、夜の森のように黒々としている。


 ほこりと、乾いた紙の匂いのただよう空気を吸い込んで、吐き出して――アンナは耐えきれずに、涙をこぼした。


 薔薇十字ロザリオに祈れば、願いが叶うなんて。

 嘘つき。そんなことありえないって、私が一番よく分かっているくせに。


 アンナは涙をぬぐいながら、書き物机へ近づいた。黒鉄くろがね拳銃けんじゅうを手に取って、こめかみにあてる。


「……でもね、後悔はないのよ」泣き笑いしながら、アンナは引き金に指をかけた。「だってこれは、必要なことなんだから」


 あなたをあきらめきれないを殺すために。

 とらわれたあなたを自由にするために。


「大丈夫よ。今度こそ、私は悪い魔女になれるわ」


 そう誓う。目を閉じる。

 そしてアンナは、拳銃の引き金をひく。


 *****


 何かが倒れる、鈍い音が響いた。


 嫌な予感にかられて図書室ライブラリへ飛び込んだルーは、立ちすくむ。


 書き物机のそばだ。アンナが力なく倒れている。投げ出された手のすぐそばに、黒鉄くろがねの拳銃があった。まるで彼女が、自ら命を絶とうとしたかのようだ――そんなふうに想像して、ルーは腹の底が冷える。


 ありえない。発砲音は聞こえなかった。ルーは慌てて否定して、アンナの元へ駆け寄ろうとした。けれど、できなかった。


「駄目だよ。お前は選ばれなかったのだからね」


 耳元で、面白がるような男の声がした。


 ルーは体をこわばらせ、振り返る。誰もいない。当たり前だ。とっくの昔に、その男は移動していた。


 ルーの頭上を飛び越え、図書室ライブラリの奥――アンナのそばへ。ありえない動きを、軽々とやってのける。そんな人間は、ルーの知る限り、一人しかいない。


「……先、代」


 ルーが呆然と呟く。真っ白な外套がいとう羽織はおったアルヴィムは、若緑色の目をほがらかに輝かせた。


「やぁ、ルー。ずいぶんと久しぶりに感じるね」

「どうして、ここに……」


 ありきたりすぎるルーの質問に、アルヴィムは笑った。「俺の生存そのものから疑われなくてよかったよ」そう言ったあと、冗談めかした声で付け加える。「まぁ、ずぶの素人しろうとに殺されてやるほど、俺は優しくないんだけどね」


 ルーは困惑した。アルヴィムの性格は承知している。どんな状況でも落ち着きをはらっていて、他者を安心させる言葉を使う人だった。無謀むぼうではなく、冷静に戦況を見極めた上で、仲間を鼓舞こぶする――ルーにとっての〈王狼おうろう〉の長は、そういう人間だったのだ。


 けれど今、目の前にいる彼はどうだろうか。

 こんなふうに、場違いな笑い方をするような人だったか。


「アンナ・ビルツと俺は、共犯なんだよ」アルヴィムは身をかがめて、拳銃けんじゅうを拾い上げた。「レイモンドくんは正しかったと、そういうわけさ」

「……魔女を殺して、薔薇十字ロザリオを手に入れる、と」

「そうだ。ただしそれも、計画の一部でしかない」


 アルヴィムは書き物机に浅く腰かけた。銃を手遊びしながら、のんびりと言う。


「アンナ・ビルツの目的は二つだ。ひとつめは、薔薇十字ロザリオを手に入れて、殺してしまった親友を生き返らせること。もうひとつは、生き残ってしまった自分にふさわしいばつを与えて、命を絶つこと――特に俺は、後者に興味があってね。だから、拳銃けんじゅうを用意して、ここに置いた」

「アンナを、殺すために?」ルーは血の気がひくのを感じながら尋ねた。

「はは、まさか。楽に死なせないために、さ」アルヴィムは不意に笑みを消し、冷たい声で応じた。「復讐ふくしゅうとは、そういうものだ。この程度の苦しみじゃあ、リリアの死に少しだって釣り合わない」


 リリアとは、誰だ。問いを口にするよりも早く、ルーの封じられた記憶が、答えを返す。


 アルヴィムが〈王狼おうろう〉にいた頃の記憶だ。任務の帰り、珍しく酒場にアルヴィムが姿を見せなかった。『とうとう恋人ができたらしいんですよ』と向こう見ずな子犬テメリテ・シオが得意げに言っていた。『でもまあ、もの好きと言わざるをえないですよね』と隠れ鴉カシェ・フルーがすまし顔で付け足す。なんといっても、相手はリリア・ロレーヌという令嬢れいじょうで……国王の末娘とも親しい、将来有望な才女なんですよ?


 それで? 図書室ライブラリの片隅で、記憶に尋ねたルーは、奥歯を噛む。そうだ。どうして忘れていたのか。


 革命のさなかに流れた、リリア・ロレーヌの訃報ふほう――ちょうどその頃に、アルヴィムが〈王狼おうろう〉を出奔しゅっぽんしたから。


「知っているかい? ルー。体を生かしたまま、心だけを殺す方法なんて、いくらでもある」アルヴィムが言った。「たまのこめられていない拳銃もその一つだ。銃弾があると信じて引き金をひけば、心なんてたやすく死んでしまうのさ。だからアンナ・ビルツは、この方法を選んだ。自分のなかの、弱い心を殺すために――なぁ、そうだろう?」


 アルヴィムの呼びかけに応じるように、地面に投げ出されていたアンナの指先がぴくりと動く。


 彼女は、ぎこちなく立ちあがった。のろのろとした動きで壁に背を預け、右肩の傷口を押さえて息をつく。アルヴィムは満足げにを揺らしながら、彼女の様子を眺めていた。


 やっぱり、どうかしている。ルーはそう思う。けれど同時に、ならば僕はどうなんだ、とも思う。


 僕だって、眺めているだけだ。彼女を痛ましいと思う気持ちと、これこそが彼女にふさわしいばつなのだという気持ちの狭間はざまで、身動きできずにいる。


「はしゃがないでちょうだい、アルヴィム。たかが私の心ひとつ殺したくらいで」冷めきった声で、アンナが言う。

「おや、勘違いしないでほしいな。アンナ・ビルツ」銃を持ったほうの手を、アルヴィムはひらひらと揺らした。「勤勉きんべんな俺は、次の君への罰の準備をしているだけだよ。こうやって真実を伝えておけば、今度こそ君の大切なルーが、君を殺しに来てくれるかもしれないだろう?」

「ルー・アージェントが? 私を?」


 アンナと視線がまともに絡み、ルーはぎくりとする。


 乱れた灰色の髪の隙間から、彼女の目が現れた。深い青色だ。容赦ないほどに澄み切っていて、凍りついて、底がしれない。


 それは、魔女を殺すための目だ。

 あるいは、人の命を容易たやすはかりにかけて切り捨てる、為政者いせいしゃの目だ。


「まさか」アンナは視線を外し、幻滅げんめつしたように言った。「彼では、私を殺せないわ。行きましょう、アルヴィム。もうこの裏庭バックガーデンに、用はない」


 アルヴィムは、たからかに笑った。「いいねえ。そうこなくちゃ」そういいながら、彼は拳銃けんじゅうを地面に投げ捨てる。「なにもかも、計画どおりだよ」気安い声をかけながら、白銀の髪の男は、どこからともなく燐寸マッチの小箱を取り出した。


「とっても楽しい悲劇をありがとう。ルー」


 アルヴィムは最後にそう言って、炎の灯った燐寸マッチを床に投げる。


 *****


 焦げくさいにおいに飛び起きたティカは、困惑した。そこが、ビルツていの自室ではなかったからだ。


 がたがたと規則正しく揺れる馬車だ。布張りの座椅子が、向かい合わせでしつらえてある。小窓にひかれたカーテンが揺れるたび、真っ暗な馬車に、不自然に赤っぽい光が差しこんだ。


 それから、何かが燃えるような、におい。


「……起きたのね、ティカちゃん……」


 ティカの心臓が飛びはねた。よくよく目をらすと、向かいにフラウが座っている。白と黒の、ださい魔女の正装を着ていた。えない室内帽しつないぼうもいつものとおりで、これまた、陰気な笑みを浮かべてみせる。


「うふ……ふふふ……大丈夫だよ……もうちょっと寝てても……」

「いや、なに? どういうこと?」ティカは馬車のなかをさっと見回した。「なんで、馬車なんかに乗ってるわけ……?」

「んふ、だってねえ……逃げなくちゃ……」

「逃げる?」

「火事は危ないもんね……」


 フラウのにこにことした返事に、ティカは耳を疑った。火事? 火事だって?


 カーテンを押しやり、窓を乱暴に開けた。奇妙な臭いがぐっと強くなる。鼻の奥を焦がすような炎の臭いと、雨の日特有の、湿った土の香りが混ざっているのだ。そして、あぁ、なんてことだろう。


 夜明け空の下、ビルツていが炎に包まれ、燃えている。


 ふらりと倒れ込んだティカを、フラウが抱きとめた。心配そうな声が降ってくる。


「大丈夫……? ティカちゃん……」


 ティカはぶるりと体を震わせた。


「ちょっと待ってよ、フラウ……なにこれ……? なにが起こってるっていうわけ……?」

「……火事、だよ……見れば分かるでしょ……?」

「っ、そうじゃなくて! なんで、火事なんて起こってるのかって聞いてるの!」


 ティカは、フラウと向き合った。猫背ねこぜのフラウは何度かまばたきし、不思議そうに小首をかしげる。


「なんでって、そういう計画だからだよ?」

「……は?」

「アンナ・ビルツと、あの人の計画なの。裏庭バックガーデンは、薔薇十字ロザリオを手に入れるための場所で、もういらなくなった。だから燃やすの。いらない魔女と一緒にね……あ、でも、安心して。ティカちゃんは大丈夫だよ。私があの人にお願いしたの。なんといっても、彼は私の力を必要としているから……んふ……ちゃんと言うことを聞いてくれて、ティカちゃんが逃げるための馬車を用意してくれた。だから、私たちはこうやって……」


 途中から話についていけなくなって、ティカは背を向けた。計画? 要らない魔女? 分からない言葉が多すぎて、泣きたくなった。


 いいや、違う。泣きたくなった一番の理由は、怖くなったからだ。


 ティカの知らない事情を、恍惚こうこつとした顔で話す――そんなフラウが見知らぬ人間に思えて、怖くなった。


「ティカちゃん?」フラウはやっぱり、不思議そうな声で尋ねる。

「あの人って、誰」ティカは振り返らずに尋ねた。

「え?」

「君に妙なことを吹きこんだ男は、誰?」


 一拍の沈黙があった。いぶかしむような、疑うような――まったくもってフラウらしくない沈黙のあと、彼女は言う。


「アルヴィム・ハティ、だけど」


 ティカは、全身が震えるような冷たい怒りを感じた。そうか。そいつが何もかもを滅茶苦茶にしようとしてるってわけ。


 怒鳴り散らしたい気持ちを飲みこみ、ティカは馬車の扉を開ける。


 フラウの制止を無視して、外に身を投げ出した。泥道に転がり落ちたが、幸いにして、すぐに体を起こすことが出来た。全身泥だらけで不快だし、左腕がずきりと痛む。それでもティカは、燃え盛る屋敷に向かって走り始めた。ほどなくして、ディエンの双子ふたごの姿を見つけられたときは、心底ほっとした。


「ヴィナ! ニケ!」


 ティカは、生意気なまいきな子どもたちの名前を呼び、正門の近くへ駆け寄る。うずくまった二人を抱きしめた。


 赤毛のヴィナは、炎をあげる屋敷をぼんやりと見つめている。金髪のニケが、涙とすすだらけの顔をあげて声を震わせた。


「どうしよう、お姉さん……ヴィナがぜんぜん動かないんだ……さっきから……返事もしてくれなくて……」

「っ、ボクがかかえるから!」ティカは泣きわめきたい気持ちをもう一度飲みこんで、ヴィナを抱えた。震えるニケと目線をあわせ、言い聞かせるように確認する。「ニケは? 怪我はない? もう少し歩けるよね? よし、じゃあ行くよ」


 体を引きずるようにして、ティカたちは杉並木すぎなみきの道まで戻った。馬車の姿はない。今ばかりは、ティカはそのことに安堵あんどする。こんな状態で、さっきのフラウと言い争う気分には、到底とうていなれない。


 でも、じゃあ、いったいどうなれば、フラウと話ができるのだろう。

 そもそも、もう一度フラウと会えるわけ?


 不安がぐっとふくらんで、ティカは唇をんだ。足が止まる。ニケがおびえたような顔をする。そんな顔しないでよ、と怒鳴りつけたくなって、けれどそれが八つ当たりであるということも、ティカは自覚する。


 三人の背後で、どさりという鈍い音が響いた。


 ゆっくりと振り返ったティカは、凍りつく。目の前に、血まみれの男が倒れていたからだ。


 赤銅色しゃくどういろの髪は乱れていて、その隙間から、見覚えのある青白い顔がのぞいている。ありえない。どうして? ティカは呆然ぼうぜんと思った。さっきまで、君はここにいなかったじゃないか。


「……レイモンド……」


 ティカの震える声に反応したのは、二人だった。


 レイモンドのまぶたが震え、開けられる。

 ぼんやりとしていたヴィナが突然身をよじって、ティカの腕から抜け出す。


 赤毛の少女は、まろぶようにレイモンドへ近づいた。地面に両腕をついて、レイモンドが苦しげに咳き込んでいる――そのすぐ近くに立って、ディエンの養い子は問いかける。


「ダディはどこ」


 レイモンドがぴたりと動きを止めた。石像にでもなったかのような沈黙のあと、彼はヴィナを見上げたまま、かすれ声でつぶやく。


「……俺が、殺した」


 ニケが息をのむ音がした。ヴィナは目を見開いて全身を震わせ――、レイモンドの頬をたたく。「っ、大っ嫌い……! レイモンド・ラメドのことなんか……!」


 ヴィナが大声で泣き始めた。深い溜め息をついて、レイモンドがうなだれる。


 たぶん、自分は慰めるべきなのだ。ティカはぼうぜんと思ったが、体が動かなかった。誰を慰めるべきなのかも分からなかったし、慰める方法だって、思い浮かばなかったからだ。


 だって、ねぇ。なんなんだよ、これは。


「いったい、どうなってるんだよ……」


 ずるずると地面に座り込んで、ティカはつぶやく。

 けれど返事は、ひとつだって、ない。





 *****




 かくしてビルツてい裏庭バックガーデンで、晩夏が終わる。


 つたおおわれた東屋ガゼボ格子棚パゴラが、赤々と燃えた。花原メドウ草木くさきは見る影もなく灰になり、朝焼けの空に伸びる高木ツリー低木シュラブは、悲しげに枝葉を揺らすばかり。炎をともした野生薔薇オールドローズは、儚い香りを残しながら、はらはらと花弁を地面に落とす。


 年に一度、国中から選ばれた魔女によって守られてきた裏庭は、こうして静かに役目を終え――その主人と、魔女たちは、最後の季節を迎える。




 花を炎にくべ、死者をとむらう、煌華祭ファルヤードの季節を。

 あるいは、悪い魔女が断頭台にのぼる、秋の季節を。

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