間章あるいは少女の断片

Posthumous manuscript -xxxx-

 いくつものベッドが並べられた部屋の片隅で、両足をなくした兵士が息絶えようとしている。


「俺は幸せです」


 古い倉庫を片付け、瓦礫がれきの山から、なんとか使えるベッドを探してきた。最低限の手当もままならない救護棟きゅうごとうの片隅だ。男はしかし、言葉のとおりに幸せそうな表情でもあった。ひたいから右目にかけて、黄ばんだ包帯を巻かれた彼は、熱に浮かされた眼差しをしている。


 ふらりと伸ばされた彼の右手をにぎって、アンナは目を伏せた。

 汚れてくすんだ窓から、じわりとにじむような茜の光が差しこんでいる。


「アンナ様のお役に立てたことは、俺の誇りです」ぼんやりと天井を見上げたまま、兵士は言った。「ここまで駆けたかいがありました……俺の故郷を、助けてくださいますか」


 アンナはうなずいた。男の手をいっそう強く握る。


「もちろんなのだわ。私は、あなたがたのために戦っているのよ。ましてあなたは、東端のヴィゼルから、命をけて来てくれた」

「アンナ様にお会いできるのなら、東から北まで、たいした距離じゃありません……なんといっても、足が早いことだけがで……ほら、見てくださいよ……俺の足、いかにも走るためのものってかんじでしょう……」

「……そうね。私達の誇りよ」

「ははっ……そう言っていただけるなんて……おふくろが喜ぶ……早く帰らないと……そうだ、すぐそこに俺の好きな……あんずの木が……だれか……」


 男の声が途切れた。


 アンナは、息絶えた男の手を離す。静かに祈りを捧げて立ち上がった。


 死んでいるのか生きているのか判別のつかない――墓標のような傷病兵しょうびょうへいたちのベッドを抜けた。入り口に控えていた二人の護衛が壁から背を浮かせて、アンナへ道をゆずる。


 革命軍に加わって半年ほどの青年は、いたましげな顔つきをしていた。古参こさん傭兵ようへいディエンは、たいした感慨も見せず――建物を出るという最低限の礼節を見せてから、アンナへ話しかけてくる。


東の村ヴィゼルは壊滅的だそうだな。村も、こちらの兵士も」


 アンナは小さく頷きながら、粗末な外套がいとう襟元えりもとをかきあわせた。


 三人は、背の低い建物に挟まれた、うら寂しい道を歩く。


 国の北端、花の街ミレイユと歌われた土地は、厳しい冬の季節を迎えている。雪こそ降らないが、乾いて冷たい風が間断なく吹きすさび、夜ともなれば、いっそうひどくなる――ゆえに人々は、寒さをしのぐため、堅牢けんろうな石造りの建物を作った。


 やせた土地でもあり、気候にも恵まれない。だが北側の港と、王都を結んだ直線上にミレイユは存在する。そのことに目をつけた商人たちが、交易の街として盛り立てた。流れ込んだ富が街をうるおし、まちづくりで腕を磨いた石工いしくが、美しい花々の彫刻を街中に施す。これが花の街たるゆえんなのだった。


 されど半月前、国王軍がミレイユへ目をつけた。


 軍略上は、大逆人アンナ・ビルツから、北の土地を守るため。

 政略上は、枯渇こかつしつつあった軍資金を、商家への略奪でまかなうため。

 まつりごと牛耳ぎゅうじる貴族の本音は、長く続く冬の、退屈しのぎの狩りのため。


 三つの動機のうち、もっとも重んじられたのは貴族たちの意向で、だから国王軍はミレイユに進軍した。


 彼らは夜の街へ火をかけ、焼き出された人間の命と、その財産を奪った。日が昇れば一転、なに食わぬ顔で「何者かが火を放ち、盗みを働いた。いやいや、この時勢だ。革命軍の内通者に違いない」とのたまった。反論する人間がいれば――あるいは、彼らが疑わしいと断じた人間がいれば、次々と処刑してまわった。


 アンナたち革命軍が駆けつけたときには、女子供も含めて、百人あまりが命を落としていた。今やミレイユに往時おうじの面影はなく、陰鬱いんうつで重苦しい空気がたちこめている。幾度いくどかの交戦を経て、アンナたちは、国王軍を近くのとりでまで追い返すことに成功した――だが。


 幾筋かに別れた細道を正確に選びながら、アンナは問う。


「ここの戦況は?」

かんばしくないね」ディエンが肩をすくめる。「めだった戦果はなし。こちらの死傷者の数は想定の範囲内。ただし、攻略期限である刻限は過ぎた。やっこさんのとりではいまだ健在だ。こちらの士気が下がるのも、時間の問題だろう」

「国王軍側の兵士の数が、想定以上に多い」アンナは言う。

「だろうな。何者かが、東の村ヴィゼルへの進軍がおとりであることに気がついたか……」

「私達の側の人間が、国王軍へ情報を漏らした」

「裏切り者か」ディエンが愉快そうに片眉をあげた。「いよいよ、大人数の組織らしくなってきたね」

「あるいは、義に厚い人間よ」アンナは淡々と返した。「どちらでも構わないわ。それより、次に打つべき手だけれど」

「アンナ様、我々は東の村ヴィゼルも助けてやらねば」


 青年の進言に、アンナはぴたりと足を止めた。白い息を吐き、振り返る。

 アンナは、護衛になったばかりの青年を見た。


「兵は送らないわ。東は陽動で、本命はミレイユ。何日も前に、そう説明したはずだけれど?」


 青年が小さく口を開けた。「ですが」動揺した己を恥じるように、彼は眉間みけんしわを寄せて、硬い声で言う。「あの時とは状況が違います。我々は助けを求められたのですよ、アンナ様」


「あちらには大半の国王軍が集結しているのだから、そうでしょうね」

「あなたは先ほど、約束されたではありませんか。東の村ヴィゼルを助けると」

「死人には、すべてのなぐさめを与えてやるべきだわ。けれど生きている人間に必要なのは、慰めではない。命を救うための方策よ」

「っ、東の村ヴィゼルの民も生きているでしょう。命の重みは、同じであるはずだ」

「重みは同じ。けれど、数は同じではない。ならば当然、数の多いほうを救える選択肢をとるべきよ」


 青年が押し黙った。「若いね」とのんきな感想を漏らしながら、ディエンがアンナへ紙束を差し出す。


 推測される国王軍の備蓄の量と、とりでにいる人数、ここ数日間で予想される天気――建物の軒先に吊るされた火燈ランタンの明かりを頼りに、アンナは報告書へ目を通した。


 国王軍が拠点と定めたとりでは古い。外壁こそ立派な石造りだが、内側の建物は使い物にならないはずだ。天井てんじょうの抜けた見張り塔がひとつ、倉庫代わりの建物がいくつか、それらを囲うように兵士たちが陣をる。


 攻略法を定めるのに、いくばくも時間はかからない。実にありきたりで陳腐ちんぷだが、確実性の高い案を採用して、アンナはディエンへ紙束を返す。


火攻ひぜめの準備を。とりでの……中央の火薬庫と穀物庫を狙いましょう。あちらの補給路の監視は甘いから、荷馬車にまぎれて、火薬をいれることはできるはずよ」


 青年がぎょっとした。ディエンは平然と問いかける。


「逃げようとするやつはどうする?」

「あのとりでに、裏道はないわ。正門に対して弓兵きゅうへいを三層で配しなさい。射殺いころせなくてもいい。出てくる人間が前へ進めないように射続けて」


 ディエンがうなずいた。ちょっと待ってください、と青年が震える声で言う。


「なにを……なにを言ってるんですか。アンナ様」

「なに」アンナは短く復唱し、首をかしげた。「この戦いに勝つための話だけれど」

「勝てばいいってものじゃないでしょう!」


 青年が声をらげ、アンナに詰め寄った。


「駄目です。おやめください」

「なぜ?」

「なぜ? そんなことも分からないのですか? あなたは敵のただなかに、俺たちの仲間を放りこもうとしているのですよ。逃げ道も用意せずに。それじゃあ、彼らは助からない。火にまかれて死んでしまう。慈悲をお見せください、アンナ様。あなたなら、いくらでも他の策を思いつけるはずだ。才気あふれる、あなたならば」

「兵の忠義を利用するような方法ではなく、ね」アンナは、ふ、と息をいた。「くだらないわ」


 青年が顔をゆがめた。「くだらない……?」


 アンナはあごをあげる。目をあわせれば、たいがいの人間がそうであるように、男がひるんだ顔をした。


「私の見立てでは」アンナは静かに言う。「国王軍とまともにやりあったときの、こちらの損失が五十よ。けが人も含めれば、百は超える。これを火攻ひぜめですませれば、損失は六」

「……っ、俺たちは、数では……」

「数の話はおきらい? ならば、あなたの望む、慈悲ある答えを差しあげましょう。ローラン、私はあなたのことを、よく知っているのよ」


 名前を呼ばれた青年――ローランが、体をこわばらせた。それを無視して、アンナは淡々と言葉を連ねる。


「あなたが私のもとにやってきたのが、半年前。三ヶ月前に兵士たちの長を務めることになったのよね。私の護衛になったのは、二十八日前だわ。模範的で、義に厚く、部下からもたいそうしたわれている。そして、」


 アンナは一度言葉を切り、青の目を細めた。


「あなたは東の村ヴィゼル出身で、さっき死んだ兵士とは親友だった。故郷がおとりだと分かって、腹がたったのかしら? 私達の作戦を国王軍へ漏らしたのは、あなたね」


 不意に、ローランの顔つきが変わった。焦りと怒りがないまぜになった表情だ。青年はアンナにつかみかかろうとする。けれどそれより早く、ディエンが彼を取り押さえた。


 ローランの手がむなしく空を切り、地面に投げ出される。憎悪ぞうおの眼差しを向けられ、しかし、アンナの心は揺らがない。


 男を一瞥いちべつし、アンナはきびすを返した。何事かわめいているようだが、ディエンの勝ちは目に見えている。そのあとの処遇しょぐうも、ディエンならば、いつもどおりに遂行すいこうしてくれるだろう。裏切り者への死刑は、絶対の規則だった。


 アンナは、作戦本部代わりに使っている宿屋に戻った。食堂にいた兵士たちが、逃げるように視線をそらす。その数で、アンナは彼らの心情をはかった。次はしおらしい一面でもみせようか、とも考える。どこぞの女役者みたいに、美しく情感たっぷりに泣いてみるとか? ぞんがい悪くないかもしれない。


 狭い廊下を抜け、自室の扉を開けたアンナは、足を止めた。


 簡易ベットと書き物机、小さな庭に面した窓。なにもかもが夜の闇に沈んでいる。ここまではいつもどおりだ。


 されど暖炉前だんろまえに置かれた木椅子きいすに、男が一人座っている。


 白銀の髪に若緑色の目を持つ男だ。動きやすそうな白の服に、短剣を一つたずさえている。彼は組んでいた足をゆっくりとほどき、にこりと笑った。


「やぁ、アンナ・ビルツ。元気そうだね」

「……なんの御用かしら、〈王狼おうろう〉のおさ

「いやだな。、だよ。君も、それくらいは知っているだろう? あるいは、俺の今の名前も、俺がここにいる理由も、知っているのかもしれないけれどね」

「リリアの復讐ふくしゅう


 アンナがぼそりと呟けば、男がくちびるに笑みをきざんで、椅子から立ち上がった。ゆったりと――けれどすきのない所作で、アンナの手からドアノブを奪い、扉を閉める。


「感心しないな、アンナ・ビルツ」アルヴィムという名の初代〈王狼おうろう〉のおさは、ほがらかに言った。「秘密の話をするのに、扉を開けっぱなしなんて」

「私を殺しに来たのね」

「君がそれを望むのなら、楽には殺してあげないさ。これは復讐だよ」


 アンナは唇を引き結んだ。アルヴィムが彼女の肩に触れ、ささやく。


「ところで、〈王狼おうろう〉をうまくわなにはめたそうだね」


 心臓がどきりと鳴った。

 無遠慮ぶえんりょな男の手をはらい、アンナは振り返る。おどけたように手を振る男をにらみつけた。


「彼らの処遇しょぐうは、私が決めるのだわ。手出しはしないで」

「心配せずとも」アルヴィムは言った。「俺はしがない脇役なのだから、勝手に動いたりはしないさ。でもねえ、まさか〈王狼おうろう〉になさけをかけるつもりじゃないだろうね?」


 アンナは返事ができなかった。「おや」と、アルヴィムがおおげさに首をかしげてみせる。


「違うのかい? おかしいな。彼らは君にとっての敵だ。〈王狼おうろう〉は一人も死ななかったが、君は二十八もの兵を失った……数に重きをおくというのなら、決して無視できない事実だ。まして、〈王狼〉は命ある限り、国王の命令に従い続けるのだからね。彼らを生かしておく理由がどこにある? ないね。あるはずがない。」アルヴィムが言葉を切った。若緑色の目が意地悪そうに細められる。「ねぇ、ルーだけでも助けてあげようか?」


 アンナは息をのんだ。胸がぎゅっと締めつけられる。すがるような細い声で尋ねた。「……できるの?」


 男が、声をたてて笑った。乾いて、虚ろな笑い声だ。それから、つ、と笑みを消して、アルヴィムは吐き捨てるように言う。


「お前がそれを望むなんて。救いがたいほどに傲慢ごうまんだな、アンナ・ビルツ」


 目を見開いたまま、アンナは立ちつくした。


 必死に押し隠していた弱さを、眼前に突きつけられたからだった。その傲慢ごうまんさを理解して、じて、なかったことにしようと決めた――そのはずだったのに、希望を目の前でちらつかされただけで、すがってしまった。そんな自分の弱さに、失望したからだ。


「わ、たしは……」息が、うまくできない。アンナは気づかぬうちに、顔をうつむける。「……わたし……」


 私は、どうすればいいんだろう。

 私は、どうすればよかったんだろう。


 視界に影が落ちた。ぼんやりと顔をあげた先、アルヴィムが奇妙なほど満ち足りた表情で言う。


「大丈夫さ。俺が、ルーを助けてあげよう」


 その言葉は、たちの悪い酒のようだった。飲み干せば後悔する。仮初かりそめの喜びのあとには破滅が待っている。


 きっと、誰も幸せにならないだろうと、アンナは思う。

 そう思うのに、震える唇は勝手に動いている。


「……助けて、くれるの……」

「もちろんだとも」アルヴィムの若緑色の目が、酷薄こくはくに輝く。「でも、それ以外は殺さなければ駄目だ。分かるよね? アンナ・ビルツ」

「……それは……でも、無理よ。私の兵士では、彼らを殺せない、」

「馬鹿なふりをしないでもらいたいね。〈王狼おうろう〉に対して、一番いい武器がなにか。とっくの昔に、分かってるんだろう?」


 図星をさされて、アンナはくちびるの裏を強くむ。そうよ、私はちゃんと分かっている。


 一番確実で、最悪の方法を、理解している。


 喉元のどもとに、熱いなにかがこみ上げた。揺れそうになった息を必死で止めた。熱が消えて、すっかり冷え切って、それを飲み下せるようになるまで。


 夜の空気を吸い、アンナは暗い声で言う。


「――〈王狼おうろう〉同士を、殺しあわせましょう」


 *****


 アルヴィムが出ていったあと、アンナはへたりこんだ。ずきずきと痛む手のひらをぼんやりと見て、そこではじめて、自分が強く手を握りしめていたことに気づく。


 白い肌に、ぽつぽつと赤い血が滲んでいた。ささやかな光景に、しかし、アンナは不意に、泣きたくなる。


 外套がいとうを引きずるようにして、アンナはひざをかかえた。


 私はいったい、何をしてるんだろう。


 こんなにもたくさんの人を殺して。死にに行けと命じて。死ぬことが名誉めいよであると、うそぶいて。大切な人を助けるために、大切な人の仲間を殺すように命じて。


 死ぬべきなのは私なのに。

 あの時、火をかけられるべきは私で、生き残るべきは親友リリアだった。


 ――でも、じゃあ、ここで立ち止まるの? アンナは自問する。たくさんの人を犠牲ぎせいにしておいて? まだ生きている人たちを放り出して? 国王から民を救うと決めた。そこに寄せられた期待を、いまさら裏切るつもり?


 私が死ねば、私の側についた民は全員殺されるのよ。


「っ……」


 アンナは痛いほど強く、まぶたを閉じた。


 弱気で泣き虫な自分を思い浮かべる。それからすぐに、幻の自分の胸に、短剣を突き刺すところを想像した。幻は、当然弱い。だから悲鳴をあげて、暗闇のなかに消えていく。暗闇でひとりきりになったアンナは、再び殺したい自分を思い浮かべる。短剣を突き立てる。あとはもう、その繰り返しだ。


 誰も死なせたくないと泣きわめく自分を殺した。

 誰も見捨てたくないと義を訴える自分を殺した。

 誰にも嫌われたくないとおびえる自分を殺した。


 殺して、殺して、殺して。


「……殺してよ、誰か……」


 ぽつりとつぶやく、弱い自分を、殺す。


 扉を叩く音がする。アンナは、ゆらりと立ち上がった。


 夜の窓に映るのは、灰色の髪と、冷たい青の目をした女だ。扉を開ければ明かりが差しこんで、窓に映った彼女は美しくも絶対の指導者になる。


 訪ねてきたのは、革命軍のなかでも、とりわけアンナへの信奉しんぽうあつい兵士たちだった。若い少年が二人と、壮年の男が四人。


 華やかで慈悲深い微笑みを向けて、アンナは部屋へ招き入れる。


「ごきげんよう、みなさん。今日は私が信頼するあなたたちに、名誉めいよある任務を頼みたいの。これが成功すれば、私達は国王軍に勝利することができる……まぁ、ありがとう。協力してくださるのね」


 私は幸せ者だわ。

 あなたたちのような民を、部下に持つことができて。

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