KHM153 / 第五章 煌華祭
第1話 裏庭の魔女
アンナ・ビルツは、議会に戻った。
かつての革命家が
アンナ・ビルツが議会の決定に口を出すようになったからだ。
彼女は議案の
彼女は議員の私欲を
彼女は革命の頃の罪人を裁きの場に立たせ、何人かに死刑を言い渡した。
純黒のドレスに、真っ黒なレースの手袋。胸元に黒銀の
だが、実際はどうだ。
アンナ・ビルツの冷たい青の目に
かくして議会は、アンナ・ビルツを追放することに決めた。彼女をのぞく満場一致で、彼女を罪人として
アンナ・ビルツは、国に
彼女は
王政から決別し、我らの国が正しい歴史を刻むためには、革命という戦を起こした人間もまた、罪に問うべきだ。
ゆえに、アンナ・ビルツの死刑を求める。
円卓に響く実に民主的な宣告を、アンナ・ビルツは表情一つ変えずに聞いている。
*****
「ありえないよ」
ティカが開口一番に言った。その言葉はしかし、宿の一室に虚しく響くばかりだった。
未明の火事に見舞われ、ビルツ
火事の日以来、神経を
燃えさかる屋敷から、アンナとアルヴィムは姿を消した。それで終わりにすればよかったのに、自分はこうしてまだ、生きている――まるで
生き残った理由に、不思議な点など一つもない。
あの場所から逃げたからだ。
火の手を
彼女を追いかけることもせずに、ただただ
「ねぇ、聞いてるの」
「アンナが処刑されるんだよ。このままで良いわけ?」
「……良いもなにも」ルーは暗い声で言った。「そう決まったんだろう。なら、
「それがおかしいって言ってんの」ティカは
「それだけ、革命の頃の彼女の行いが悪だったということだろう」
「革命は終わってるでしょ。もう三年も前に」
「だが、殺された人間は戻ってこない。その恨みが消えるわけでもない」
「っ、あのねえ! ボクが言いたいのは、そういうことじゃなくて、」
がたん、と音がした。
ディエンの双子の片割れ――赤毛のヴィナが、
「そうよ」片割れの気遣いを無視して、ヴィナは暗い目つきで言った。「ダディは帰ってこないの。レイモンド・ラメドが殺したから」
ベッドに浅く座ったレイモンドは、顔をうつむけたまま、ぴくりとも動かなかった。
ヴィナが何かをこらえるように顔をしかめ、小走りで部屋を出ていく。ニケも慌てて、彼女の後を追いかけた。
重苦しい沈黙が落ちた。午後の日差しが、卓の上の
ティカは
悪名高き革命家の素顔――そんな見出しの下に、引き伸ばされた
何人かの議員に混じって、アンナ・ビルツが
ティカの指先が、写真を
「これを
「つまり君は、フラウ・ライゼンを助けたいと考えている。アンナ・ビルツではなく」ルーは静かに言った。
「両方だよ」ティカが返した。「でも、ボク一人でできると思う? 無理でしょ。そんなことは、分かってるんだ……だからボクは、君をその気にさせたいわけ。ねぇ。本当にアンナを助けたいと思わないの?」
ルーは、アンナ・ビルツの凍りついた眼差しから目をそらした。別れ
彼では、私を殺せないわ。
「――助けられることを、アンナ・ビルツは望んでいない」ルーはゆっくりと言った。どこまでも落ち着きをはらっていて、
「……そうだけど」
「君の指摘は正しい。だが、アンナ・ビルツの仕組んだことであるというのなら、納得がいく。彼女は、死にたがっているんだ。だから表舞台にもどった。自身が人殺しであることを強く印象づけるような行動をとった。人々が自分を悪だと思うよう、仕向けてみせた。実際、彼女の起こした革命で、多くの人間が死んだのだから……アンナ・ビルツを殺すための材料は、十分に
「なにそれ。意味分かんないよ」ティカが顔をしかめた。「自分で自分を殺す準備をする? なんでそんな回りくどいこと……」
「たったひとつ――自分の死だけでは、不足なんだ。彼女にとって」ルーは言った。「彼女のせいで、多くの人間が死んだ。それに見合うだけの罰を、アンナ・ビルツは求めている」
きっと、それを与えられるのが先代――アルヴィムだったのだ。だからアンナ・ビルツは、彼を選んだ。かの男は、アンナ・ビルツへの
そして、僕はそれができなかった。ルーの心が沈む。
だから選ばれなかった。
簡単なことだ。
あまりにも、簡単すぎる。
不意に、腕を強く
顔をあげたルーは、ティカが
「君がそんなに
レイモンドが
ティカは二人を引き連れて、宿の外に出た。道中で宿の主に話をつけ、木製の棒を二本調達する。長さはちょうど、広げた両腕くらいだ。訓練用の槍に、似ていなくもない。ルーの
宿の裏手――
「体に、棒が触れたら負け」ルーに向かって棒を投げてよこしながら、ティカは言った。「あるいは、どちらかが降参するまで。降参する気なんて、ボクはさらさらないけどね。ルー、君が負けたら、ボクの言うことを聞いてもらう」
審判役のレイモンドが、
「本気なのか」
「はっ。もしかして、馬鹿にしてる?」
「そういうつもりでは、っ」
不意にティカが、ルーの眼前に棒の先端を突きつけた。ルーが言葉を切って沈黙すると、彼女はふん、と鼻を鳴らす。
「今のはおまけだよ」木の棒を鮮やかな手つきで引き戻して、ティカは鋭く目を細めた。「でも、次はない」
開始の合図もなく、ティカが再び踏み込んでくる。ルーは
いいや、それも違う。
ティカは、勢いを殺さず地面を
しなやかに伸びたつま先が狙う先は、ルーの右目。
ルーは右手の甲で、ティカの蹴りを防いだ。
数瞬で状況を判じた。ルーは棒を右手から左手に素早く持ち替え、下からすくいあげるようにして、ティカの木の棒を絡め取った。かんっ、と軽やかな音がして、ティカの棒が宙を舞う。顔をこわばらせた彼女が気の毒になり、ルーはつま先で土を
舞いあがった
「終わりにしよう」ルーはため息をつき、自身の武器の切っ先を下げる。「分かっただろう。これ以上は無駄だ」
「……嫌だ」
「ティカ・フェリス、」
「じゃあ、あんたが
怒りを爆発させたティカの
「最初に言ったでしょ。どちらかが降参すれば、こんなおままごとみたいな戦いは終わるんだ。あんたに言わせれば、くだらない、
「……そ、れは……」
「ボクは、アンナを救わない」
突き放すような宣告に、ルーの心臓がずきりと痛んだ。
ティカは
「当然でしょ。ボクは天才じゃない。英雄でもない。武人でもない。だからきっと、一つしか守れない。アンナもフラウも大切さ。でもね、どちらか一方を選べと言われれば、ぜったいにフラウを選ぶ」
「……なぜ」
「笑わせんな」武器をルーへ向けながら、ティカは不敵に笑った。「ボクがフラウのことを、諦めてないからだ」
木の棒を手に、ティカが再び突進してきた。まっすぐな軌道だ。
そして――そうやって
ルーはようやくティカの怒りを理解して――木の棒を握りしめた。
ティカの
ティカが顔を歪めて、半身をのけぞらせる。ルーの攻撃が空を切る。けれどそれさえも、予想できたことだ。
ルーは足払いをかけた。ティカがバランスを崩して地面に倒れる。その手から武器が離れた。
紫の
「僕の勝ちだ」
ルーは静かに宣言する。
ティカはしばし呆然としていたが、やがて
「……最初から、そうしろっての」
不機嫌極まりない声で呟いて、ティカが木の棒を払いのけた。ルーがなにか言う前に、彼女はさっさと身を起こし、宿に戻ってしまう。
ルーは彼女を追いかけようとして、やめた。木の棒を握ったままの手を眺め、目を伏せる。
「――これで、良かったんだと思うよ」
レイモンドの声がした。ルーが顔をあげれば、右肩に痛々しく包帯をまいたままの青年が、気弱な笑みを浮かべる。「ティカも、馬鹿じゃない。思ったことはすぐに口にするけど」
「分かっている」ルーは、己の
「どうかな。案外、好き勝手言えて、すっきりしてるかもしれない……なんて、俺なんかが、何かを言う権利もないんだけどさ」
つかの間、沈黙が落ちた。重苦しくはないが、互いになにかの答えを探すような沈黙だった。
レイモンドは宿のほうを見やり、それからもう一度、ルーへ視線を向ける。「アンナさんを助けるのか?」
ルーはゆっくりと息を吸って、
「……まだ、分からない」
「……そうか」
「〈
レイモンドが暗い面持ちになった。「ルー。君は、俺を
ルーは驚いて、目をしばたいた。
「なぜ、そんなことを?」
「君がアンナ・ビルツへの恨みを思い出したのは、俺が原因だ。そうだろ? 俺が
こんなこと、という言葉の中には、はかりしれない悲しみがこめられていた。
レイモンドは思い詰めた表情をしていて――夏の庭で別れる直前の、正しさにこだわる彼とはまったくの別人だ。強さはなく、悲嘆がある。うまく息つぎができずに、
レイモンドは本当に、なにもかもが自分のせいだと思っているのだろう。裏庭の
そうだ。ルーは、ふと、気がついた。僕は……僕のせいだと思っていたのだ。〈
アンナ・ビルツ。あなたと再会しなければ、僕は一生、僕を許せなかっただろう。あるいは、すぐにでも命を絶っていただろう。
けれど、僕たちは再会した。そしてあなたは、言ったのだ。私が〈
だから僕は、あなたのせいにした。それで、ようやく、生きることができるようになった。
でも、たぶんそれは、正しくなかった。
もっと、できることがあったはずなのだ。
「……僕は」ルーは、ゆっくりと言った。「すべてが君のせいではないと、思う」
レイモンドが、はっとしたように顔をあげた。ルーは、青年の赤銅色の目を見る。あの頃の自分と、同じ目をした彼を見て――あの頃の自分が欲しかった言葉を、あるいは、彼女に伝えるべきだった言葉を、探す。
「君の言うとおり、あの裏庭は
「でも……俺のせいで、君とアンナさんの仲は、良くない方向にいったんじゃないのか」
ルーは、はっきりと首を横にふった。
「その一点については、断言できる。君のせいじゃない……僕と、アンナのせいだ」
夏の一件で、自分とアンナの仲が良くない方向に
まさか、そんなはずがない。
すべてを忘れた君が、楽しげに笑っていて。仲間の死の真実から目を
けれど、やはり、正しくはなかった。
だからこうして、消えてしまったのだ。
それは自分たちの責任であって、他の誰のせいでもない。
「レイモンド」不安げな顔をする青年の名を呼んで、ルーは表情を
レイモンドの目が揺れた。そのことに、彼自身も気づいたのだろう。恥じるように顔をうつむけ、鼻をすする。「……君は人たらしだな」
レイモンドの返事は八つ当たりのようでもあり、冗談めいてもいる。ルーはほっとしながら、小さく笑った。
「それは初めて言われた」
「まぁ……うん、そうだね。たしかに君は、アンナさん以外にはよそよそしいから」
「そうなのか」
「そうだよ」レイモンドはさりげない動作で目元をぬぐって、ルーのほうを見た。「君は、アンナさんのことを、ほんとうに大切にしてた。君がどういう結論を出そうと――それに対して世界中がなんと言おうと、その一点だけは、俺たち魔女が保証できる」
何気ないけれど、力強い言葉だった。結局、励まされているのは自分のほうだ。そんなことに気がついて、ルーは苦笑する。「ありがとう、レイモンド」
ルーたちは口を閉じた。それは互いに、自分の考えを整理するための時間で――やがて三度目の沈黙は、心地よい秋風に溶けて、消える。
地面に転がった木の棒を拾いあげて、レイモンドが言った。
「俺、ティカを探しに行ってくるよ」
「僕も行こうか」
ルーから木の棒を受け取りながら、レイモンドは肩をすくめた。
「いや、いい。君は君で、どうしたいか考えるべきだ。後悔しないように」
「……後悔か」
「俺が言えた義理じゃないけどさ」寂しさと優しさを
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