第5話 いやだよ

 ティカは信じられない思いで目の前の男を見つめた。


「……今、なんて言ったの」

「だから、宝飾品ビジューは売ったって言ってんだよ」


 練習を始めるはずの舞台の上で、酒に酔った裏方の男が赤ら顔で返す。まるで出来の悪い脚本の小悪党めいた返事だ。くそったれなことに現実で、だからこそが悪い。


 夜を迎えた小さな劇場である。おんぼろの丸椅子がぽつぽつと並ぶだけの観客席と、凍りついた森の背景を置いた貧相な舞台。それを飾り立てるはずだった宝飾品ビジューはしかし、ティカの手元にない。


 目の前の男がすべて売り払ったからだ。


 怒りがおさまらず、ティカはからになった麻袋を投げつける。男はへらへらと笑った。


「いい金になったよ。おかげで浴びるほど酒が飲めた」

「ふざけんな」ティカは吐き捨てた。「宝飾品ビジューは舞台用だ。あんたの遊びのためじゃない」

「こんな古臭い舞台、誰も来ないだろ」


 ティカはきっと眉を吊り上げ、男の股間こかんを蹴りつけた。悲鳴を無視し、白のワンピースをひるがえして舞台袖ぶたいそでもどる。


 数人の仲間が気まずげに目をそらした。なにそれ。自分は関係ないっていうわけ。説教しかけたところで、最近入ってきたばかりの少年に声をかけられる。


「なに」

「あ、の……」ティカの不機嫌さに気圧けおされつつも、少年が言う。「どうするんですか。舞台、もうすぐですよね」

「なんとかするしかないでしょ。春の祭りのシーンはきらびやかにしないと」

「あっ、いや……その、それもそうなんですけど……冬役の……」

「声が小さい」

「ふ、冬役の人が行方知れずになってて!」

「はぁ!?」


 声をあげたティカに、少年は半泣きになりながら説明した。


 相手役の人間が練習に来なくなった。家を訪ねれば、もぬけのからだった。そういえば、劇の最後をかざる賛美歌。あれを歌う人間も一昨日おとといから見ていない。


「どうするんですか、ティカさん」


 大泣きしながらもう一度尋ねられて、「そんなもの知るか」と怒鳴りつける代わりに、軋んでばかりの床板を蹴って身をひるがえした。


 馬鹿ばっかりだ。ここの役者は。布で間仕切りしただけの個室にはいり、苛々しながらティカは服を着替える。舞台の本番まで日がないのに、どうして役者は消え、宝飾品は売り払われ、客なぞ来るはずがないと笑われるのか。


 ビルツていから渡された支度金はすべてここにつぎ込んだ。アンナをだますことで、貧相な舞台もなんとか見れるものになった。他の役者の演技は下手くそだが、自分さえ完璧に演じれば少しだって問題ない。


 ほら、やれることは全部やってるじゃないか。だったら、お前らだって頭を使って行動しろよ。


 それともこれは自業自得だって言うわけ。誰も彼もを騙してるボクが悪人だって?


「……っ、馬鹿言うなよ」


 失ったものを取り戻そうとすることの、何がが悪いんだ。


 低く吐き捨て、姿見すがたみにワンピースを投げつける。白い布はするりと落ちて、ティカを映した。


 詰め物をはずした胸は薄く、左脇腹の引きつれた傷跡は相変わらずで、それでも似せるために必死で磨いた肌はつややかだ。


 いつも通りだ。不格好で、あがいた跡だらけで、少しだって美しくない。


 こんなもののどこが、ティカ・フェリスだよ。


 がたん、とやけに大きな物音がして、ティカは我に返る。それに続くのは、無遠慮ぶえんりょな足音と、不自然に小さな声でかわされる会話だ。ティカは苛々しながらシャツとズボンを着て、舞台袖に戻った。


 ぎょっとして立ち止まる。役者の姿はすでにない。代わりに、アンナとフラウが、衣装箱や書き物机を物色している。


「ちょっと……! なにしてるんだよ、おばさん!」


 ティカは駆け寄り、抽斗ひきだしを荒らしていたアンナの肩を掴んだ。野暮やぼったい外套フードを着込んだ彼女は、手垢てあかまみれの帳簿ちょうぼを見つめたまま呟く。


「やっぱり」

「はあ?」


 なにがやっぱりなんだ、と問う前に、アンナがゆっくりと振り返った。ださい眼鏡の奥で、青の目が冷たく光る。


「この劇場、まるっきり駄目ね」

「っ……!」


 体の内側が震えるほどの怒りがこみあげて、ティカはアンナの体を突き飛ばした。

 帳簿が床板を滑って止まる。小柄な体が倒れ込む。その胸元をつかむ。


 フラウが悲鳴をあげた。


「ティカちゃん……!」

「帰って」


 ティカが吐き捨てるように言う。アンナはしかし、決然と首を横に振った。


「いやよ」

「なんでだよ。あんたのやりたいことなんて、ここには何一つないだろ」

「わたくしは、あなたに会いに来たの」

「ハッ。もしかして、今さらだまされてたことに気づいたの?」ティカは唇を曲げて笑った。「でもね、残念。返してなんかあげないよ。恨むなら自分の馬鹿さ加減を恨んでよね」

「そんなことはどうでもいいの」


 アンナの声は平坦で、駄目といったときの声音と全く同じだ。ティカは笑みを消した。襟元えりもとを掴んだ手に、ぐっと力をこめる。


「ふざけんな。ボクにとっては、どうでもよくない」


 ティカは手を振り上げた。アンナの顔がこわばった。胸がすく思いがした。このまま殴ってしまえば、きっともっと気分が良くなるだろうと思った。


 けれどその前にぐらりと視界が揺れて、世界が暗転する。


 *****


 倒れ込んできたティカの体を抱きとめたものの、勢いを殺しきれずにアンナは後ろ向きに倒れ込んだ。


 頭を打つ。鈍い音がちょっと間抜けだ。じわりとした痛みを感じつつ、アンナは天井を見上げた。


 宝飾品、衣装、化粧品。ティカが次々と物を要求する意図が知りたくて、フラウに事情を尋ねた。そうして案内されたのがここだ。


 ティカちゃんが作った劇場なんだよ、と誇らしげにフラウは説明した。

 けれど板を打ち付けただけの粗末な天井は、倉庫というほうがしっくりくる。


 こんな場所で、どうして演劇をしようとしているのか。

 

「ティカちゃん……!」


 青い顔をしたフラウが駆け寄ってきた。感じた疑問を一旦は脇に置いて、アンナは身を起こして微笑む。


「気を失ってるだけよ。疲れが溜まってたのね」

「で、でも……」

「そんな顔なさらないで。お屋敷に帰ってゆっくり休めば、元通りになるはずだわ」


 フラウが曖昧あいまいにうなずいて、だらりと垂れ下がったティカの指先を握る。その光景に、ほんの少し安心した。身を案じる人間が近くにいることは、それだけで意味があることだ。


 アンナは体の力を抜く。


「ありがとう、フラウさん。ここに連れてきてくれて。なんというか、いいタイミングだったみたい」

「……アンナちゃん、怒ってる?」

「ティカさんがわたくしをだましてたこと? それなら別にいいのよ。宝飾品ビジューも服も、もう使わないものだったし」

「でも、さっきは怖かった……」

「あっ。それは……ええと……」アンナは気まずくなって、少しばかり目を泳がせた。「その、ね。怒らないで聞いてほしいんだけど、わざとそうした、というか……」


 ちらと向けられたフラウの視線に批難の色が混じっているのが見えて、アンナは慌てて言葉を足した。


「ほんとに、怒ってるとかじゃなくてね……! ほら、ティカさんが毎晩練習してるって、道中で教えてくれたでしょう? 屋敷からここまでの距離と、練習時間。それに日中も起きてたことを考えれば、ティカさんが寝不足なのは分かってたし。さっきの声も、疲れて苛立ってる、ってかんじだったから……その、感情的な強い揺さぶりをかければ、意識が落とせるかな、って思ったの……そういう記述を医学書で読んだことが……あっ待って、戦術書だったかしら……」

「…………」

「……ごめんなさい。良くないわよね。どうであれ、不快な思いをさせたんだから……フラウさん?」


 アンナは首をかしげた。何故か、フラウは驚いたような顔をしている。


「アンナちゃん。あの一瞬で、そんなことまで考えてたの……?」

「あ、えっと、そうね」アンナは頬をかいて、ぎこちなく笑った。「でも、特別なことじゃないわ。知識があれば、誰だってできるもの」


 がらんどうの劇場に、慌ただしい足音がしたのはその時だ。

 暗い観客席の奥から、ルーとディエンが現れた。舞台を見るなり、ルーが苦い声で言う。


「何故、ティカ・フェリスがここにいるんだ」


 アンナの視界の端で、フラウが顔をうつむけた。「あぁ」と、ため息まじりの声で呟く。


「ティカちゃんに、会ったのね」


 *****


 気を失ったティカを連れ帰ってベッドに寝かせ、食堂ダイニングに再集合する。その頃には、静かな雨がビルツていの窓をたたきはじめていた。


「ティカちゃんはね……偽物を、つくることができるの。ティカ・フェリスの偽物を」


 白湯さゆをいれただけのカップを見つめながら、フラウがゆっくりと言った。


 テーブルの上で、燭台しょくだいの炎がゆらゆらと揺れている。フラウの隣にアンナが、向かいにはディエンが座った。ルーはといえば、ディエンのすぐ近くの壁に背を預けている。


 どこか、初日を思い起こさせるような配置だ。

 けれど空気はひどく重い。


 フラウを油断なく見据えつつ、ルーが尋ねる。


「僕たちが公文書館で出会ったのは、偽物のほうのティカ・フェリス……ということだな?」

「……うん」

「なぜ偽物が現れた?」

「知らない」

「見え透いた嘘をつくな。君がティカ・フェリスの罪の名前を呼んだから、彼女は魔女の力を使えているんだろう」

「ティカちゃんのは、魔女の力なんかじゃない」


 フラウはひっそりとした声で、拒絶した。


「私達とは、違うの。ティカちゃんは、罪なんて犯してない。だから、罪の名前なんて、あるはずない。あの力はね、きっと、もっと神聖なものなんだよ。誰からも何からも指図されない、清らかで美しい奇跡の力なの」

「それは……」

「なに、アンナちゃん」


 思わず呟けば、フラウが固い視線を向けてきた。それに面食らいつつも、アンナはおずおずと言う。


「その、ありえない話、なのだわ」

「どうして」

「人ならざる力すべてが、魔女の力と定義されるから」


 魔女が異端の力を持つのではない。異端の力を持った人間を魔女と呼んで、普通の人間と区別する。だからどんな力であれ、それを手にしてしまった時点で魔女なのだ。


 フラウが傷ついたような顔をした。それが気の毒で、アンナは書物の記憶をいくつか手繰り寄せた。魔女が人に混じって暮らすようになった経緯を思い出しながら、「でもね」となんとか明るい声で付け足す。


「罪の名前を見つけることは、決して悪いことばかりじゃないのよ。目に見えない力に名前を与えることで、力を制御できるようになるの。ほら、むき出しのままのナイフよりも、さやに収めたほうが安全でしょう? ちょうど、鞘に当たるのが罪の名前なのね。おかげで魔女は普通の人と一緒に暮らせるようになって、」

「いやだよ」


 ぽつりと響いた声に、アンナは言葉を切った。椅子を引いて立ち上がったフラウが、泣きそうな目でにらむ。


「大事な友だちを、罪人呼ばわりできるわけないでしょう」


 フラウはそのまま出ていってしまった。


 雨音が少しだけ大きくなった部屋で、アンナは肩を落とす。自分の言ったことの正しさは疑いようがない。どの書物を読んでも、そう書かれていたことだから。


 けれど、フラウの気持ちだって、痛いほどに分かる。


 罪の名前を呼ぶということは、魔女が隠したがっている過去を白日はくじつのもとにさらすのと同じことだ。


 それが大切な人であるのなら、なおのこと。相手の秘密を暴いて、傷つける。そんな行為が喜ばしいことのはずがない。


 アンナは息をついた。


「なんとか、すべきよね」

「ふむ。やることは明確だと思うがな」


 ずっと沈黙していたディエンが、クマの人形の頭を撫でながら言った。


「ティカの罪の名前を、誰かが見つければいい。これで魔女の力を封じることができる。そういう道理だろう? アンナ嬢レディ・アンナ

「それは、そうなのだけれど……」

「フラウが嫌がるというのなら、俺が代わることも出来る。もちろん、騎士ナイト殿でも構わないが」

「その呼び方はやめろ、ディエン」

「これは失礼」

「あの」


 アンナは男たちへ声をかけた。二人の視線にいささか緊張しながらも、口を動かす。


「わたくしはね……ティカさんの罪の名前を、呼ばずにすむ方法を考えるべきだと思うわ」


 男たちの視線に冷ややかな色が混じった。それを感じつつも、アンナは背筋を意識して伸ばす。


「落ち着いて考えて。たしかにティカさんの偽物はいるけれど、誰も被害を受けていないでしょう? なら、無理に制御させる必要はないはず」

浅慮せんりょだな」ルーが淡々と言った。「この手の判断は、今の情報だけですべきじゃない。将来的に相手が脅威きょういとなりうるか、その時に僕たちが止められるか。そういう視点で決めるべきだ」

「将来的な危険性だって、結局は今の情報から導きだされるものよ。ルーさま、わたくしたちに必要なのは疑う気持ちじゃない。相手に対する誠意なの」


 アンナは強く言い切って、ルーとディエンを交互に見た。


「ティカさんについて調べるために、公文書館に行ったんでしょう? わかったことを教えて。なにかいい方法がないか、考えるから」


 *****


 女優としてのティカ・フェリスの情報を与えたところで、話し合いはお開きになった。

 アンナが去った食堂ダイニングで、ディエンがのんびりと言う。


「こんなことなら、怪我の一つでもしておくべきだったな」

「馬鹿を言え」

「おや。気を悪くしてしまったか」


 とぼけた返事を無視し、ルーは燭台しょくだいの炎をゆっくりと消して回る。


 雨の音。少しずつ濃くなる暗闇。そのなかで公文書館のことを思い出す。


 アンナの身の危険を匂わせるような発言をしたわりに、ティカ・フェリスの偽物はあっさりと姿を消してしまったのだった。そして彼女が消えたあと、『五月の薔薇マイレースレ』と題された手記もなくなっていた。


 アンナの言うとおり、実害はない。罪の名前以外の方法を探そうとする姿勢も、彼女の優しさの現れだ。


 だが――いや、だからこそ、万が一に備えるのが自分の役割でもある。


「……何か手立てを考えておくべきだろうな」


 最後の炎を消して、ルーが呟く。暗闇のなかで、ディエンが喉を鳴らして笑った。


「お前のほうは腑抜ふぬけていないようで何よりだ。ルー」

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