第28話 萌咲、フーガとともに三区で目覚める

 

『萌咲ちゃん、起きて、起きてよ』


『姉ちゃん、ご飯どうなっんだよ』


 双子の弟と妹が心配そうに萌咲を見下ろしている。


『桃、拓…ごめん、待たせちゃって』


ここは?


『そうだよ、いつまでたっても戻ってこなんだから』


 拓が拗ねたように言う。


『萌咲ちゃん、私たちのこと忘れちゃったの?もう帰ってこないの?』


 桃が泣きそうに言う。


『帰るよ!帰りたいよ!』


 萌咲は慌てて体を起こす。


『じゃあ、私たちと行こうよ』


 桃が手を伸ばす。


『うん』


 と、萌咲は桃の手を取りかけたが、ふっと思い出す。


『待って、彼を置いて行けない』


『誰?誰もいないよ』


『ううん。いるよ、大事な人なの』


 萌咲はあたりをキョロキョロ見渡す。少し離れたところに誰かが倒れている。


『彼のところに行かなくちゃ』


『萌咲ちゃん…』


 桃が寂しそうに萌咲を呼ぶ。


『ごめんね、桃、拓、私行かなきゃ』


 萌咲も泣きたくなるのをこらえて、でも迷わずに倒れている男のもとへ向かっていった。傍に跪く。男は青い顔をして目を瞑っている。


『あなたは…』


 そっと、その人の頬に手を当てると予想以上の冷たさに萌咲はびくっとした。





 冷たい濡れた感触で萌咲は目を覚ました。真っ先に目に入ったのは青い空と背の高い木々。軋む体を起こして周りを見渡すと片側には崖、反対側には川が流れていて萌咲は河原に倒れており体は半分水に浸かっていた。

 崖と言っても大小の木が生えており、おそらく上から落ちてきたのだろうが、枝に引っ掛かりながらだったので体を強打することなく済んだのかもしれない。


 そうだ!フーガさん。


 ぐるりと視線を巡らせると後ろの方に人がうつぶせに倒れている。萌咲はよろよろとよろめきながら近づいた。


 体をを支えきれずに座り込みフーガの顔を覗き込んで萌咲は息を飲んだ。

 目は閉じられていて顔は真っ白だ。


“フーガさん…フーガさん!”


 フーガの体を支えようと背中に手をまわして瞬間の濡れた感覚に怖気が走る。自分の手が真っ赤だ。


 フーガさんがどこかに怪我を。


 周りを見ても誰もいない。


 ”誰か!誰か助けてください!”


 叫んでみるも何の応答もなく萌咲の声は澄み切った空気に吸い込まれていった。


‟どうしよう、どうしよう”


 萌咲はフーガの青ざめた頬を震える手でさすり続ける。冷たい頬に自分の額をつけるとあふれ出る涙がフーガの顔に伝い落ちて行った。



 少しの間放心状態だった萌咲がようやく我に返る。


 こんなところで泣いてる場合じゃない。何とかしないと。

 ここはどこなんだろう。男たちの話を思い出すと車を停めたところは限りなく三区に近い二区。三区だとしたら人が住んでるかも怪しいし、助けがすぐ来る可能性も低い。

 他のみんなはどうなったんだろう。無事に保護されていればいいけど。

 フーガが来てくれ男たちを倒してくれた。他の天女達は無事に保護されたと考えていいだろう。今はとにかく自分たちの事を考えなくては。


 萌咲はフーガの傷を確認した。フーガの服はあちこち破れており出血は背中からのようだ。それも今は止まり始めている。切り傷のようだが何か刺さってる様子はなく思ったより浅い。萌咲がフーガの体を動かし傷に触れたせいで痛みを感じたのかフーガがうめいた。


‟フーガさん、フーガさん”


 ”モエ…”


 フーガがゆっくり目を開けた。


‟無事か…?”


 萌咲は何度も頷く。

 萌咲にキズがなかったのは運がよかったからではなくフーガがかばってくれたからだ。


‟フーガさん、体の痛みはどうですか?体、動かせますか?”


 フーガはゆっくりと体を回転させようとしてうめく。


 ‟左腕が…だめだな。折れてるかもしれない”


 それでも右腕を支えにしてゆっくり体を起こすとフーガは萌咲を見つめた。


“お前が無事でよかった”


 そう言うと右腕で萌咲の頭をポンポンと叩く。

 萌咲はこらえきれなくなってフーガに抱きついた。


‟!”


 一瞬息を飲んだフーガだったが右腕を萌咲の体に回し力を込めた。腕の中のぬくもりに安堵を覚えさらに力を込める。少しの間そうしていたが、ゆっくり体を離すと萌咲の目を見て安心させるように微笑む。


‟まず、ここから安全なところに移動しないとな”


 フーガの左腕を拾ってきた枝と破いた服で固定をすると、まず自分たちのいる場所を調べた。


“上から落ちてきたんだな。ここは二区か三区か…どっちにしてもすぐに救助は期待できない。先ずは、天女の保護を最優先させるはずだし、助けに来るとしても準備が必要だ”


 フーガの考えは萌咲が想像した通りだった。


‟フーガさん、背中は痛みますか?”


‟痛むことは痛むが動けないほどじゃない。それよりお前の体が濡れている。暗くなる前に少しでも安全なところを見つけないと”


 フーガの怪我では崖を上るのは到底無理なので、川沿いの林の中に入りとりあえず大きな木の傍に移動した。今はまだそれほど寒くないが夜になればどうなるかはわからない。


‟せめて火があれば”


 萌咲がつぶやくと


‟火ならあるぞ”


 フーガの返事に驚く。


‟フーガさん、なんで?”


‟万が一のためにいろいろ持ってるんだよ”


 というと腰につけていた小さなポーチを外して萌咲に渡した。中には小型のライターやナイフなどが入っている。本当ならこのポーチと一緒に通信機もつけていたのだが、落下の途中で落ちたのだろう。フーガが倒れていた辺りには見当たらなかった。


‟災害時の救助や復旧作業をする時や、二区で作業をしている時こういうものが役に立つんだ”


 萌咲が目を輝かせていると


“火を起こせるのか?”


フーガが訊いてくる。


“まあ、見様見真似ですけど、乾いた葉っぱや木があれば何とかなると思います”


 フーガが木にもたれかかって座ると萌咲は小枝を拾い集めて器用に火を起こした。萌咲は庭仕事をしているときに攫われたのでジーンズに長靴の恰好で動きやすい。この点だけはつくづくラッキーだった。


‟お湯を沸かせないのが残念です。フーガさんの傷を洗いたいのに”


“火を起こせただけでもありがたい”


 ようやく人心地ついて萌咲も自分の服を乾かしはじめた。パチパチと小枝がはじける音を聞きながら二人を包んでいたはしばらく静けさに浸っていたが


“お前は全く無茶をする”


 ふいにフーガが口を開いた。


“自分がおとりになって誘拐犯を足止めするなんて天女どころか、男たちにだってそうそう考えつかないぞ”


“フーガさんが私にくれたGPSが残っているのを思い出したので、時間稼ぎをすれば追い付いてくれるかなって。確信はありませんでしたが他の女性たちを残しても危害は加えないと思って”


“ああ、お前の考えは適格だった。お前が危険であることをを除けばな。現にお前はこんなところにいる”


“フーガさんが来てくれました”


 萌咲は微笑む。だが、すぐ顔を歪めて俯く。


‟でもひどい怪我をさせてしまいました。私のために”


‟お前が無事ならいい”


 その優しい声に萌咲が心臓がドクンと鳴った。顔が熱くなるのを自覚してごまかそうとしたが、ふとフーガを盗み見て顔をこわばらせた。フーガの顔に脂汗が浮いている。


“フーガさん!”


 傍に行って汗をぬぐう。額は燃えるように熱い。苦しそうに顔をゆがめ、呼吸も早まっている。


 怪我の所為だ。

 どうしよう、このままではフーガさんの具合はどんどん悪くなってしまう。


 外は暗くなりかけていた。夜に動くのは得策ではない。


 でも…


 居ても立っても居られないくなり、萌咲は立ち上がり何とかして水だけでも汲んでこられないか考えながら歩き出した。

 河に近づこうとしたとき犬の吠える声が聞こえてきて


“止まれ!”


 という声にビクッと足を止める。

 ゆっくりと振り向くと、犬を連れた男が驚きの表情で萌咲を見据えていた。


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