第20話 萌咲、こじれたコイバナを聞く


“ジュンに会ったのは五年前。学校の上級生だったんだ。ジュンはすごく素敵で学校でも人気があって。僕は初めて会った時からジュンにあこがれてて、まさか付き合えるなんて思ってなかった。付き合い始めてからもう二年になるけど、僕たちはうまく行ってた。このままずっと一緒人られると思ってた。あんたが来るまでは”


テーブルの反対側に座りお茶のカップを握りしめたアキにじとっと見つめられる。


 はいはい…


 もう何回これを繰り返しただろう。アキはジュンとのなれそめから、いろんなエピソード、どんなにジュンが優しいかなど萌咲に説明して、そしてここに戻ってくるのだ。


“ひどいよ。突然現れてオーダライのいい男たちを独り占めして、一人に決められないからっていつまでもだらだら引き延ばして。このままだったらジュンがあんたの配偶者になっちゃうの知ってる?”


 また鼻声になるアキにティッシュを渡しす。


“それは聞いたけど…”


“僕ははじめ、配偶者がいてもいいから恋人のままでいてって言ったんだけど、ジュンはそういうのはどちらにも誠実じゃないからそんなことできないって”


 それって本妻と妾、正室と側室?っていう?冗談でしょう?ジュンの感覚が自分と同じでよかった。


 でも、ジュンの態度は頑なで彼らしくない。やっぱり二人でもう一度話し合った方がいいんじゃないかな。余計なお世話かもしれないけど、アキは納得していないのに一方的に別れを言い渡されるのはさすがにかわいそうだ。


 サクにアキを見ててもらうことにして萌咲は思い切ってジュンの部屋に赴いた。ジュンとは話をしようと思ってたけど、台風騒ぎで忘れていた。

 ノックをするとドアを開けてくれたジュンが困ったような笑顔で萌咲を部屋に入れてくれた。一緒についてきてくれたトモは萌咲の後ろに控える。


“まいったね。アキがこんなとこまで来るなんて。で、あいつは今モエの部屋にいるの?”


 萌咲が頷くと、しかたないやつだな、ごめんね、と言う。


“ジュンさん、本当にこのまま別れちゃっていいんですか?”


“僕たちにとってはね、天女の伴侶を迎えるっていうのは君が思ってる以上に名誉で大切なことなんだ”


 ジュンは萌咲の目をまっすぐ見つめてまるで言い聞かせるように話始めた。


“この世界は君にとってどう見える?歪で、僕たちの常識は君にとって理解しがたいものじゃない?でも、僕が生まれた時には既にこういう世界だった。女性が生まれなくなって数百年。人類は何とか生き延びてきた。どういう原理になっているのかはわからないけど、天から女性が降ってくる。天女に選ばれた者だけが子供を育て、自分の家族を作ることができるんだ。いつの、誰のものともわからない卵じゃなくて人間としての女性と結ばれてね。たとえそれが人工受精であったとしても親がいる、家庭がある、そこには大きな意味がある。天女の配偶者になるためには家柄だけじゃなくて健康や頭脳その他のいろんな面で優れていなくちゃいけない。僕たちは小さなころから努力してきたんだよ。昔は遺伝子操作をもっと気軽にやっていたけれど、それによる弊害が大きくなって今では安易には行われないから個々人が自分の価値を証明しなくちゃいけなくなったんだ。そうやって努力してきて、そして天女が自分の適齢期に降下してくるのは本当に運なんだ。このチャンスを逃すことなんかできない”


 ジュンの言うとおり、萌咲には理解できなかった。天女に選ばれることはまるで生まれてきたときから、配偶者としてのポジションを得るためのオーディションを勝ち抜く様な感じだ。それか女性たちが王子様の花嫁に選ばれるための修行みたいな。どちらにしても萌咲には想像のつかない話だったし、何か違うような気がしたが、その違和感こそが萌咲が”理解できない”この世界の常識なのだろう。


“誤解しないで欲しいんだけど、僕はモエのことが好きだよ。この領に降下してきてくれたのが君で本当によかったと思ってる”


 真摯に見つめてくるジュンに戸惑う。


“でも、アキさんは?恋人同士だったんでしょう?彼の事嫌いになったわけじゃないでしょう?”


“アキのことは今でも好きだよ。でも君に対する思いとは違う。なんて説明したらいいのかわからないけど、甘い子供の恋だったと思う。君のことは大切に守りたいし責任も負う覚悟がある”


“そんな…”


 ジュンは手を伸ばして萌咲の頬に手をやる。萌咲はジュンの目を見上げて懇願する。


“ジュンさん、せめてもう一度アキさんと話し合ってくれませんか。彼は納得してません。それに私は…”


“わかってるよ。君はまだ決めることができないんだよね。それは僕らの誰の事も好きじゃないのかもしれないし”


“そ、そんなことはありません!”


 慌てて否定する。それにくすっと笑いをもらす。


“僕らみんなの事を同じくらい好きなのかもしれないし”


 だめだ、説得なんて私には無理だ。コミュニケーション能力そんなに高くないし。


 眉を八の字にして困り果ててしまった萌咲の心中を見抜いたのかジュンは萌咲を安心させるように言う。


“わかってるよ。心配しなくてもアキにはもう一度話をする”


 話し合う、ではなく話をする。それってもうジュンの心は変えられないってことなのか。

 悄然として萌咲が部屋を出て行ったあとジュンは一人つぶやく。


“モエ、君は優しいからきっと僕らの中から一人を選ぶことはできない。その時は僕が第一候補として君の配偶者になるんだ。決して君を逃しはしないよ”


 ~~~


 萌咲が部屋に戻ろうと廊下を歩いていると、外はまだ日が暮れる時間ではないのに真っ暗になり風が強くなっていた。大粒の雨が窓を叩いている。

 フーガはもう帰宅したのだろうか。それとも職場で緊急時に備えて待機しているのだろうか。こんな時にフーガがこの屋敷にいないことに何となく心細さを覚えた。別に台風でこの大きな屋敷がどうこうなるとは思えないのに。


 逆にこんな時に移動している方が危険よね。


 そう思っていると、バタン!とドアが開閉する大きな音が聞こえた。階下で話声がする。あわてて階段の方へ駆け寄るとずぶぬれになったフーガが玄関に立っており召使の一人が濡れたジャケットを受け取っていた。


“お、お帰りなさい”


 思わず出した声が上ずっている。萌咲の声掛けに顔を上げたフーガがわずかに微笑んだ。


“ああ”


 タオルで濡れた顔を拭きながら大股でゆっくり居間の方へ向かうのを見て萌咲は階段を下りて小走りで後を追う。


“何か暖かい飲み物持ってきますね”


“私がお持ちします”


 傍に居たトモがキッチンの方へ向かったので萌咲はそのままフーガの後ろについて居間へ向かった。

 振り向いたトモはその姿を見て、モエ様はフーガ様の前だと足元にまとわりつく子猫か子犬のようだな、とひそかに笑いをこぼした。


“ずいぶん濡れてしまったんですね”


“職場からここまでは乗り物を使ったんだが家に戻る前にちょっと二区によって来たんだ”


“そうだったんですか。皆さん大丈夫でしたか?”


“ああ、いつもよりスムーズに作業が進んだと言って喜んでたぞ。お前の差し入れもな”


“よかった。今日は調理場の皆さんとリョウさんが手伝ってくれたんでたくさん作れたし、運ぶのも助かりました”


“リョウが?”


 驚くフーガに萌咲がくすくす笑う。


“おにぎりとか作ったことないのに一生懸命作ってくれたんですよ。これ、内緒ですけど、つまみ食いしたりして”


“腹壊さなきゃいいけどな”


 肩眉を上げて言うフーガに萌咲はドキリとする。

 この世界ではつまみ食いも冗談では済まされないこともあるのだ。


“りょ、料理長さんも見てたので大丈夫かと思います”


‟わかってる。料理長は誰よりも厳しいから、彼が見て見ぬふりをしたんなら大丈夫だろう”


“フーガさん、おにぎり食べますか?帰ってくるかどうかわからなかったのでたくさんはないんですけど”


“それはうれしいな”


 その返事に萌咲はいそいそとキッチンに向かっていった。


 萌咲が用意したおにぎりにお茶、カップケーキをフーガがあっという間に平らげるのを見ながら


“台風結構大きいのが通過しそうなのでフーガさんが早めに帰ってきたので安心しました”


“恐いのか”


“いえ、慣れてますから。でも私、そんなにひどい被害が出る様な台風にあったことないんですよね。こんなこと言うと不謹慎ですけど子供の頃はわくわくしたりして。お兄ちゃんと二人で窓の外ずーっと眺めてたりしたんですよ。木がゆさゆさ揺れるのがおもしろくて”


 萌咲が懐かしそうに話すのを見てフーガは問う。


“元の世界が恋しいか”


 問われて萌咲は目を瞬かせる。


 恋しいか恋しくないかと聞かれたらもちろん恋しい。特に家族に会いたい。だが帰りたいかと聞かれたら…


“もちろん恋しいです。でもこの世界が嫌だから帰りたいんじゃなくて皆に会いたいから帰りたい。この世界を離れるとしたらきっとさみしいと思います”


 もし、このオーダライの人たちにもう会えないとしたら、トモやサクにも会えなくなるとしたら、もし二度とフーガの顔を見ることができなくなるとしたら…

 ここに来たばかりの頃家族が恋しくてフーガの前で大泣きしたことを思い出す。あれからまだ数か月しかたっていないのに前ほどここでの生活が嫌ではなくなっている自分がいる。


“そうか…お前向こうに”


 そっと俯く萌咲を見て、むこうに恋人はいるのか、と聞こうとしたが口を噤んだ。この問いは国都での夜に尋ねようとしたものだ。だが、やはり聞けずに飲み込む。


“お前をもとの世界に返してやりたいな”


 そのつぶやきにチクッと胸が痛んだのはつぶやいた本人だったか、つぶやきを聞いた相手だったか。



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