第21話 萌咲、台風一過の朝を迎える

 

 風が木々や建物を揺るがす音は一晩中続いたが、台風は夜のうちに通過し、夜が明けると台風一過のさわやかな青空が広がっていた。二区の被害状況を確認しに行くというフーガにわがままを言って萌咲はついて来た。被害状況がわからないのでフーガもケーイチ達もいい顔をしなかったが拝み倒して短時間で戻ってくる約束でついて来たのだった。


 台風は一晩で大きな被害をあちこちに与えていった。直撃する前に少しでも作物を収穫できたことは幸いだったが残された果物などはほぼ全滅。野菜類も泥水にまみれて出荷できるような状態のものは残っていなかった。シェルターに避難していたためにけが人はいなかったが二区住民の住居はダメージを受けて修理が必要なところが多かった。


 被害の報告と処理の手配のためにフーガはいったん一区に戻らなければならず萌咲も仕方なくオーダライ邸に戻る。

 フーガが居なければ、萌咲は二区に行くことはできない。


 せめて、住居の被害を受けた人たちのところに行って何か手伝えることがないか聞きたかったんだけど。


 がっかりしている萌咲の頭に手を置いて


“悪いな。今回は被害が大きいから俺も仕事で駆り出される。お前はしばらくおとなしくしていてくれ”


 言い含めるように言われる。


“…わかりました”


“僕がモエに付き添うよ。短時間の見回りとか食べ物を届けるとかなら大丈夫だろ?”


“リョウさん”


“リョウ、だが…”


“それくらいなら、俺が防御服を着ていけば問題ないでしょ。フーガおじさんが居なくても大丈夫。安心して仕事行ってきてよ”


 パッと表情を明るくした後、フーガの表情を伺うように萌咲に見つめられ、フーガも頷くしかなかった。


“わかった。悪いな、リョウ”


“別にフーガおじさんに謝られることじゃないよ”


“…そうだな”


 真正面からリョウに見据えられフーガは目を伏せて立ち去った。


 フーガの後姿を見送る萌咲に向かってリョウがにっこり笑う。


“さあ、モエ、何から始めようか?”



 ~~~



 台風の被害は予想以上に大きかった。強固なシェルターがあるので人的な被害は深刻なものではなかったが建物や農作物の被害は深刻だった。先ず被害の程度を確認し建物の修復や物資の供給の手配だけでかなりの時間を取られ、丸二日家に帰れていなかった。

 自分の執務室で管轄内の手配をしながらフーガはなぜかイラついていた。いつになく口調がきつくなり彼の指示を受けている者たちが驚きつつびくびくしている。


 忙しく疲れているが、こういう時に感情をコントロールする自信はある。いつもならば。


 帰りたい。

 やはり疲れてるからか。


 部屋から立ち去るときに後ろで聞こえてきたリョウのはりきった声。


『フーガおじさんが居なくても大丈夫』 『さあ、モエ、何から始めようか』


 リョウが申し出てくれたおかげで自分が居なくても萌咲は二区に少しでも行けるのだ。彼女も喜んでいるだろう。なのに…


 もやもやした気持ちを抱えながらなんとか仕事に意識を集中した。


 フーガがようやく職場から解放されてオーダライの屋敷に戻ってきた。久しぶりに二区に様子を見に行こうと思い、萌咲に声をかける。


‟これから二区に行ってくるがお前はどうする?”


“行きます!”


 萌咲の顔がパッと輝き準備をしに部屋へ戻って行った。これを見おくりフーガも自分の準備をしていると


‟フーガおじさん、今日は早いね”


ジュンに声をかけられる。


“ああ、やっと一段落ついたからな。今日は三日ぶりの帰宅だ”


“へえ、そんなに疲れてるのにすぐに二区に行くの?”


‟台風のあとゆっくり見回ってなかったから様子見にな”


‟そんなこと言って、本当はモエと一緒に出掛けたいだけなんじゃないの?”


 冗談めいた口調だがジュンの目は笑っていない。


“何の話をしてるんだ?”


“別に。ただ、萌咲は天女でもうすぐ配偶者を選ばなければいけないんだってことわかってるよね”


“もちろんだ。おれは二区の見回りに行くついでにモエを連れて行くだけだ”


‟その割にはずいぶん楽しそうだと思ってさ”


 ジュンはそのまま踵を返して自室に向かっていった。


どうも最近オーダライの男たちの態度が微妙だ。萌咲を連れまわしすぎたか。


 フーガはため息をつき、萌咲を待った。


 今日は台風後の被害状況と復興状況を見て回るためにノリアキとともに車で移動した。何か所目かに着いたときに一人の若者が走り寄ってきた。


‟フーガ様、よかった。お会いできて”


 若者はほっとしたように言い、萌咲に会釈してフーガに向き直る。


“どうした?”


“実は今朝この先で土砂崩れが起こって、見回りをしてた車が一台半分埋まってしまってたんです。それを引き上げようとしたんですが地盤がまだ緩くてさらに車が滑り落ちて作業をしていた一人がその下敷きになって”


‟救出できたのか?”


“幸い車の下に挟まっていたのは足だけだったのでなんとか車体の下からは引きずり出したのですが両足を痛めていてとても簡単には引き上げられなくて”


‟わかった。すぐ行こう”


 と言ってからフーガは萌咲を見る。


‟私も行きます。戻っていたら時間がかかりすぎるでしょう”


 フーガは躊躇したが、萌咲は構わず車に乗り込みフーガを急き立てる。

 言い合いしてる間に行った方が早いかとフーガは若者を乗せて現場へ向かった。


 フーガと現場に残っていた者達で何とかけが人を引き上げ、フーガの運転してきた車の荷台に乗せ近くの小屋に連れてきた。

 力仕事は男たちに任せ萌咲はてきぱきとベッドの準備をし湯を沸かして泥だらけのためにまだ小屋の外にいるトールという青年に近づいた。意識ははっきりしているが怯えたような表情で震えている。周りにいる男たちも黙ってトールを見下ろしている。彼の左足は歪に曲がっており骨折しているのは素人目にも明らかだ。そして右足は岩か車体のどこかにぶつかったのか肉が裂けて血と泥で無残なありさまだ。


‟こんな大きな傷じゃ…”、‟ああ、まずいな”


 周りにいる男たちが立ち尽くしている。トールは男たちを見上げて


‟俺は…死ぬのか?”


と問いかけるが応える者はいない。


 そんな彼らを見て萌咲は苛立ちを覚えた。


 何をぐずぐずしてるのだろう。

 じれったくなって萌咲はトールの傍に近寄る。


‟落花様、いけません。汚れてしまいます”


“そんなこと言ってる場合じゃないでしょう。早くきれいにして傷の具合を確かめないと”


‟でも、こんなに傷が大きくてしかも泥まみれだ。あっという間に感染してしまう”


 フーガさえ黙り込む。


‟だったらなおさら急がないと”


 あっけにとられてる男たちに声をかけ萌咲はお湯とタオルでトールをどんどんきれいにしていった。二区の医師が駆けつけるとその介助も始めた。幸いなことにトールの右足は折れていないようだが傷は大きくひどく痛むようだった。そのほかにもあちこちにキズがあり医師は今晩は熱が出るだろうと言って解熱剤やら抗生物質やらを置いて次の診療に出かけて行った。


 そうこうしているうちに結構時間が経ってしまい、フーガは萌咲を促す。


‟モエ、そろそろ帰った方がいい”


 周りの男たちも頷く。


“でも、もう少しだけ居させてください。痛み止めが効いてくればトールさん、もっと楽になると思うんです。それまで”


 トールはウトウトしているがまだ脂汗をかき眉間にしわが寄っている。萌咲はベッドサイドの椅子に座り濡れたタオルで汗をぬぐった。掛布団を強く握りしめていた指をそっとほどき、自分の手を握らせた。小声で何かを話しかけている。そうしているうちにトールの呼吸は少しずつ穏やかなものになっていった。それを見守る萌咲を男たちは代わる代わる覗きに行く。


“落花様は天女というより聖母様だな”


‟俺たちよりもずっと若いのに、なんてゆうか、見たことはないけど母親っていうものがいたらあんな感じなのかな”


 ぼそぼそをささやき合うのを聞きながらフーガも胸の中に湧いてくる不思議な感覚に気が付いていた。トールの傷はほぼ間違いなく感染するだろう。そうすれば彼は十中八九助からない。ここにいる者達はそれを知っているから最初からあきらめていた。しかし萌咲は傷を洗い、薬を飲ませ、彼の痛みと不安を取り除くのに必死だった。助けることしか考えていない、そんな萌咲に誰もが心を打たれた。



 萌咲とフーガがフーガの小屋まで戻ってきたときにはすっかり暗くなっていた。車を止めた時、さすがに疲れたのか萌咲は眠っていた。起こそうとして萌咲の肩に手をかけたフーガはその寝顔に見入ってしまった。こうしているとあどけなく年よりも若く見える。なのに少し前はてきぱきとけが人の世話をしていた。くるくると変わる表情は初めて会った時から引き付けられていたが、その中にある優しさと強さに驚かされる。その頬に手を添えてフーガはそっと顔を近づけていった。


“ん…”


 暖かい息が顔にかかるのを感じて萌咲の意識は浮上した。


 この匂い、私の好きな、安心する…


 ゆっくりと目を開けると思いがけなく近くにフーガの顔があった。


‟疲れているところ悪いが、着いたぞ”


“あ、はい!ごめんなさい。私寝ちゃったんですね”


 萌咲が慌てて体を起こす。


 え?今、何?


 何か暖かいものが頬に触れた気がした。


 気のせいよね…?


 フーガを見上げたが彼はフイっと顔を背けて車を降りた。萌咲もあわてて後を追いかけて屋敷の中に入って行った。



 萌咲はそれから毎日トールを訪れ看病した。毎日体を拭き、薬を水分を飲ませ、傷を洗て包帯を交換する。萌咲がいない時の指示も出した。トールの高熱は続き傷の感染はあったが対処が早かったからなのか、奇跡的にトールはゆっくりとではあるが回復に向かっていた。二区の人々はこれを天女の奇跡だと噂し合った。


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