第8話 萌咲、自重する


“本当にごめんさない”


 萌咲は消毒をしたのちシャワーを浴び着替えを済ませた後サクたちに謝った。


“モエ様、本当は二区まで行かれたのですか?”


“…”


 嘘がつけず、小さく頷く。サクは、はーっとため息をつき、


“ご無事で良かった”


“ごめんなさい。フーガさんの後を追いかけていって、ついうっかり”


“…このことはボーヨウ様達には報告いたしません。短時間ですから除菌のみで大丈夫でしょうし。ですからもう二度とあそこには近寄らないと約束してください”


 ドレスを両手で握りしめ萌咲は小さく頷いた。



 部屋で一人きりになってから二区での出来事を振り返ってみる。


 あそこにいた人たちはなんか、普通だったよな。腕を掴まれて怖かったけど、いろんな顔や体つき、日に焼けてがっしりした体つき。うん、普通の人たちだった。萌咲が居た世界の人間たちに近い。

 そしてフーガ。不愛想だけど、きっと優しい人だ。父親や兄、農場で働いている人たちとも違う、あんな人身近にいなかった。

 頭をポンポンしてくれた大きな手。大きな胸。


 なぜかフーガのことが頭から離れなかった。



~~~


 萌咲の脱走?騒ぎがあった二日後、いつものようにトージが萌咲の部屋を訪れたが案内してきたのはサクでもトモでもなくタカという見知らぬ男だった。サクたちと同じ制服に中性的な雰囲気。「侍女」だと直感した萌咲は嫌な予感に身を固くした。


“サクとトモは配置換えをしました”


“どうして…”


 膝の上に置いた手を握りしめ萌咲が尋ねると、


“彼らは大きな失態を犯しました。先日のことは一歩間違えば取り返しのつかない事になりかねませんでした。もともとサクはともかくトモはまだ経験が浅く落花様のおそばに置くには早すぎたようです”


 どうやらボーヨウにばれてしまっていたようだ。フーガやサクたちが言わないでいてくれたとしても屋敷の中を探し回っている姿を見れば萌咲が居なくなったことはすぐわかってしまう。数いる使用人の中の誰かの口からあっさりばれたのだろう。


“でもあれは私が悪いんです。サクさんにもトモさんにも何も言わずに外に出て迷子になってしまったんです”


“だとしてもそれを未然に防ぐのが彼らの仕事です”


 事務的に答えるとトージはタカを紹介した。


“タカは優秀な侍女です。あなたをしっかりお守りするでしょう”


 タカは萌咲に向かって一礼すると


“失礼します”


 と言って萌咲の手を取り左手首にブレスレットの様なものを取り付けた。


‟これは…?”


“これであなた様の居場所が常に確認できます”


“!”


 GPS…


“ああ、何もあなたを監視しようとする目的ではありません。じつは天女の誘拐は重罪でありながらも決して珍しい事ではないのです。万が一のためです。暗証番号か専用のキーでなければ取れないようになっておりますし、もちろん簡単には切ったり壊したりできません”


 無表情でタカに説明され背筋が寒くなるような感覚を覚えた。



 ~~~


 タカは萌咲に対する態度は一貫しており声を上げることもなければ慌てることもない。そして笑いかけることもない。表情を変えず、必要なこと伝えるが、“雑談”ができない。それなのに慣れてくるにしたがって言葉の端々からタカは萌咲にイラついているのが感じられた。


 嫌われている?なぜ?私がハズレだから?



 タカが侍女になってから一月が過ぎようとしたある日の午後、萌咲がすることもなく自己学習もかねて大きなスクリーンを眺めているとタカが部屋に入ってきた。


“落花様、明日のケーイチ様とのお出かけ用にこちらの服をお持ちしました。外も歩かれるようですのでこちらの上着も”


“また新しい洋服ですか?そんなに毎度新しい服を作らなくてもいいのに”


“落花様にふさわしいお召し物でお出かけください。それでなくともあなた様は…小柄でいらっしゃいます。ケーイチ様をお並びになった時これくらい華やかなドレスとの高めヒールがあったほうがバランスよく見えます。シティに出かけるとたくさんの人の目がありますから”


 それって、私がチビで地味だから着るものでバランスを取らないといけないってこと?


 一瞬言いよどんだタカに皮肉で心の中で言い返す。ケーイチは確かに四人の候補者の中で一番年上で華やかな容姿をしていた。背も高く萌咲と並んでいるとまるでつり合いが取れないのは萌咲も自覚していた。それはケーイチに限ったことではないのだが。だから彼らと人目のある所に出かけるのは気乗りがしないのだ。

 彼らは気にする様子もなく萌咲にとてもやさしく接してくれるのだがシティに出かけるととにかく注目を浴びる。天女というだけでなく「ハズレ」という意味でも。オーダライ家の青年たちに釣り合わない容姿、おどおどした態度、天女としても自覚なければこの世界の事も理解していない言動。面と向かっては言わないけれど、オーダライの人達も使用人達も自分の事をハズレだと思っている。


 黙り込んだ萌咲にタカはため息をつく。


“あなたはご自分がどれだけ恵まれているかご存じない”


 はっと、タカを振り向いたがその後彼は説明を続けるつもりはないようで萌咲も聞き返すことができなかった。


 もともとこの世界に来てから窮屈な思いをしていたのだがサクとトモが居なくなってから本当に息が詰まるようだ。


 二人ともどうしてるかな。私の所為で罰とか与えられていないよね…二人に会いたい。


 そしてなぜかもう一人会いたい人の顔が浮かんできた。私を天女と呼ばずただの女の子(子供)のように接してくれたあの人に。不愛想なのに、あの大きな手で頭をなでられたらこのこわばった気持ちがほぐれる様な気がするのに。


 しくしくと痛む胃のあたりをさすりながら萌咲はぼんやりとスクリーンを眺めていた。



~~~



 翌日リョウが萌咲の部屋に向かうとドアが開いてタカが出てきた。


‟モエの準備できてる?ケーイチ兄が仕事でどうしても来られそうにないから俺が代わりに出かけることになったんだけど”


 リョウは明らかに面倒くさそうだ。


‟あ、リョウ様、落花様は今…”


 めずらしくタカが困惑気味に答えるが


‟なに?まだ準備できてないの?”


 眉をひそめてリョウがドアノブに手をかけ、勢いよく開けた。

 サアっと風が通ってカーテンが揺れる。窓際の椅子に腰を掛けた萌咲は眠っていた。

 一歩萌咲に近づきリョウはその寝顔に見入った。


 滑らかな頬には風で乱れた黒髪がかかっている。いつもキョロキョロさせている瞳は今は閉じられ濃い睫毛が影を落としている。そして、頭を右に傾けているために右の頬にだけ一滴の涙が伝っていた。


 泣いてる…?


 無言で立ち尽くすリョウに後ろからタカが声をかける。


“あの、お起こししましょうか…?”


“いや、いいよ。俺が起こすから下がっていい”


“はい”


 とタカは下がって行った。

 リョウはゆっくりと萌咲に近づいて行った。

 夢を見ているのか。涙はこぼしているが表情は穏やかだ。

 陽の光に涙が輝いて


 きれいだ…


 自分はどれくらいそこに佇んでいたのか。

 ハッとしてさらに萌咲に近づいてその頬にそっと触れ、親指で涙をぬぐった。


 ‟ん…”


 すりっと萌咲が頬を寄せ、睫毛が震える。

 リョウはドキっとして手を放す。


 ‟…リョウさん?”


 萌咲が目を覚ました。パッと体を起こす。


“え?私寝てました?”


‟あ、ああ、がっつりとね”


 リョウは赤らんだ顔を隠すようにフイっと背ける。


“ごめんなさい!お待たせしちゃって”


‟今日はケーイチ兄は忙しいから俺が代わった。準備できたんなら行くよ“


 と、部屋から出ていき、萌咲は慌ててその後を追った。


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