第9話 萌咲、ストレスで倒れる
体がだるい
萌咲は朝食後、庭に出て花壇の前で大きく息を吐いた。
健康でどんなに忙しくても一晩眠れば疲れは吹き飛ぶような体質なのに。そもそも夜よく眠れていないから気分がすっきりしないのもしょうがないのかもしれない。
‟モエ”
後ろから声をかけられ、振り向いたとたんにめまいが萌咲を襲った。
‟モエ!”
目の前が真っ暗になった。
何を話そうとか考えていたわけじゃない。何となく元気がなさそうな萌咲の後姿を見て思わず声をかけた。そして崩れ落ちる小さな体。
リョウは思わず手を伸ばし、寸でのところで萌咲の体を抱きとめた。力なくリョウの腕に体重を預けてきた萌咲の顔は青白く、その目は閉じられていた。
“モエが倒れた?”
コーキが驚く。
“なんで…?昨日はあんなに元気そうだったのに”
昨日はコーキとのデートの日だった。少し遠出をして美術館に行きその後公園を散歩した。萌咲もずっと微笑んていてどこも具合は悪そうじゃなかったのに。
今朝、庭を散歩中めまいを起こして倒れてしまったのだという。すぐにドクターに来てもらったが体に大きな異常はない。ただ最近食欲は落ちていたようで胃が弱っているのかもしれない。苦しそうにしていたのだが今は鎮静剤の点滴の所為か顔色は悪いが眠っている。
タカがドクターの手配をし、診察や検査を手伝っている間に臨時でサクとトモが呼び戻された。萌咲が目を覚ました時二人の方が気やすいだろうという配慮だった。
二人はベッドサイドで萌咲の顔を覗き込んだ。眉間に少し皺が寄っている。眠っていてもリラックスできていないのだろう。
自分たちがいなくなってからも無理して明るく振舞っていたのだろう。ストレスだというのは予想が着いたがどうすればいいのかわからないがせめて体の世話を精一杯しようと花の香りの精油をたいたり掛布団を軽いものに変えたりとかいがいしく動きはじめた。
萌咲を見舞った後、別室に集まったケーイチ達は浮かない顔をしている。最後まで萌咲のベッドサイドに付き添っていたリョウも部屋に入ってきた。
“モエ、そんなに無理してたのか”
ジュンが爪を噛む。
“ドクターの話では生殖機能が止まっているらしい”
と、ケーイチ。
“どういうこと?病気?”
リョウが首をかしげる。
“いや、検査で体そのものに問題はないが、この場合は精神的はストレスじゃないかって”
“…”
四人とも黙り込む。自分たちなりに優しく萌咲に接してきたつもりだが、それでもここでの生活は彼女にとってそんなにストレスだったのか。ドクターも今までこんなケースは見たことがなく、過去の記録でそういうことがあったと記されているそうだ。
‟俺、萌咲がここに来てからどんな気持ちだったかなんて考えたことなかった…”
リョウがぐっと手を握りしめる。数日前に見た涙を思い出していた。
自分の心無い言葉がどんなにか彼女を傷つけていたかと思うといたたまれない気持ちになった。
~~~
そのころボーヨウとフーガは大神官のところへ来ていた。
大神官は小さな皺くちゃの老人で二人とも実際の年齢を聞いたことはないが信じられないほどの高齢らしい。年中あちこち旅をしていて今回はたまたまオーダライ領の近くに来ていたので彼の滞在場所に訪問したのだ。不思議な人物で第二区どころか第三区まで行ったことがあるとかないとか。神官というよりは呪術師や魔術師、あるいは仙人と言った方がいいような人物だ。
二人は挨拶がてら萌咲の事を相談に来たのだ。
“どうやら今回の天女には手を焼いておるようだな”
声にはいたずらっぽい笑いが潜んでいる。「ハズレ」天女の報告はすでにいっていて二人がなぜ自分に会いに来たのかお見通しのようだ。
“はあ、あの娘は今までとは全く勝手が違いどうしてよいやら…”
ボーヨウを困惑しきって情けない声をだした。
‟お前もそう思うか?”
小さな目をフーガに向けて問う。
フーガは何も言わずに頷いた。そんなフーガの顔を探るように見ていたが
“これだけははっきりしておる。その娘はいつものように「隣」の世界から来たのではない。まぁ、これくらいはお前らでも想像がついてるだろう。しかしのう、問題はそこではない。その娘をどう扱うか、じゃ。わしにも正解はわからん。わしに言えるのは、しばらくその娘の好きにさせるしかないだろう、ということくらいじゃ。いつも天女達の希望は何でもかなえてきたじゃろう?今回もそうするしかあるまい”
‟しかしその希望というのが…そのよくわからず。こちらはできる限りのことはしております。素直な良い娘なのですが無理をしていたようです。それが証拠にとうとう倒れてしまった…医者が言うところではここに来た時は正常だった生殖機能が滞ってしまっていると”
つまり生理が止まっているということだ。
大神官はほっほっほと笑い
“本来人間の体というのは不可思議なものだ。心のありようが体に大きく影響を与える。望まずに、何も知らずにこの世界に来てしまったなら尋常ならぬストレスだろう。こちらの道理を押し付けても頭では分かっていても心では納得していないのだろう。生殖機能が止まってしまっては本末転倒。この世界が欲している卵も採れん。焦らずに彼女の心が安らかになるよう接してやるしかないだろう…どうすればいいのかお前にはわかっているのではないか?フーガ”
とフーガを見やる。名指しされたフーガはどうして自分が、と口を開きかけるが黙り込む。
“フーガ、お前はどうすればいいのかわかるのか”
ボーヨウは大神官を見、そしてフーガを見た。
“確信があるわけではありませんが”
と、フーガはため息をついた。大神官の言葉が何を含んでいるかはともかく、娘の望みそうなことには見当がつく。
‟モエが二区に来た時随分とのびのびしていました。自然を愛で、自然の中で過ごしてきたようです。また来てもいいか、と訊かれてあの時はだめだと答えたのですが…”
“ならば、望みをかなえてやれ。お前がやるしかあるまい”
何もかも見通したような老人はにこにこと笑った。
~~~
二人が去った後大神官は愛用の古めかしいカバンから古い本を出して開いた。
“本当の奇跡が起こるのかもしれぬ”
数百年の間に何百人もの天女が降下してきた。彼女らは子供を産める体を持つために伝説になぞらえて神が遣わした世界を救う天女と呼ばれている。しかし、彼女達は本当の意味での奇跡ではなかった。「ハズレ」とか「規格外」天女と萌咲を揶揄して呼ぶ者は多いが、「規格外」とは特別という意味なのだ。
萌咲という娘はすでに小さな変化を男たちの中に起こしている。萌咲とあまり接触していないボーヨウでさえ、彼女の事を“天女”ではなく“あの娘”と呼び、まるで自分の娘を心配しているような口調だった。フーガにいたっては…あの男はこの短い間に自分の変化に気が付いているのだろうか。
大神官は微笑みながら
“今こそ心から神に祈ろう”
とつぶやくと開いた本を再び閉じるとその表紙を丁寧になでた。
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