第10話 萌咲、再び二区へ行く

 

 ふわふわ揺れている

 頬をなでる風が気持ちいい

 草の匂いがする。土に匂いがする


(お姉ちゃん、お腹すいた。早くご飯作ってよ)


(桃はねー焼きそばが食べたいの)


“待って、今急いでつくる…”


 目を閉じていても瞼に感じる熱で太陽の光が顔に当たっているのがわかる。瞼を揺らすと、


“目が覚めたか”


 低い耳障りの良い声がする。

 目を開くと畑が目の前に広がっていた。前に見た光景だ。萌咲は毛布にくるまれてなぜかフーガに横抱きにされた状態で小さな家の前のベンチに座っていた。


“なかなか目を覚まさないから少し刺激を与えた方がいいかと思ったが、正解だったな”


 刺激?刺激というなら確かに刺激的だ。厳密に言うと萌咲が座っているのはベンチではなくフーガの膝の上だったからだ。


“え?え?なんで?わたし!”


 急にじたばたし始めた萌咲に顔をしかめながら、それでもそっとベンチに座らせる。


“ここは?前に来た…”


“来たがっていただろう?お前は何も言わなかったが屋敷での生活はストレスだったんだろう”


“フーガさんが連れてきてくれたんですか。前はだめだって言ってたのに”


“心配するな。皆で相談して決めたことだ。体には問題ないようだし俺がここにいて目が届く範囲でならばここに来ることが出来るようになった”


“本当に?”


“ああ”


 目を輝かせる萌咲に、フーガは軽く微笑んで頭をぽんぽんと叩く。

 その瞬間心臓がトクン!と小さくはねた。

 それをごまかすように萌咲はあたふたと続ける。


“じゃあ、私もここで働いてもいいんですか?野菜を植えたり、家畜の世話をしたり”


“お前、働くつもりなのか?”


 フーガがピクっと肩眉を上げる。


“はい!だってこんなに大きな畑があるんだもの”


 キラキラと目を輝かせる萌咲を見て、フーガはため息をつき


“…生活の拠点は屋敷の方だぞ。ここにいる時間は少しづづ伸ばしていく。こまめに検査を受けること。それから「天女」としても役目は果たせ。定期的にジュンやリョウたちと会うこと”


 最低条件を告げる。


“…はい”


 目を伏せ、また暗くなってしまった萌咲の顔を見て、フーガは自分の気持ちも重くなるのを感じた。こんな顔をさせたくはない。ふっと息を吐く。


“屋敷にいてもお前の好きなようにすればいい。無理してすべてジュンたちの行動に

合わせる必要はない”


“そう、なん、でしょうか”


“お前は天女だ。たいていのわがままは聞いてもらえるはずだぞ。何も物を買ってもらうだけがわがままではないだろう。ケーイチやジュンに頼めば使用人たちにも話を通してくれるだろう”


 その言葉を聞いて、一瞬驚いた顔をした萌咲がにっこり笑う。


“そうですね!私わがまま言ってもいいんですね”


 フーガの言葉に一気に気分が上昇した。空を見上げると心なしか一区にいるときよりも陽の光が明るく感じる。


 気の所為かな。


“ここの方がお日様が暖かく感じるんですけど”


“ああ、それは一区の上空は人工的なガスがかかっていて二区よりも紫外線が少ないんだ”


 と、こともなげに言われた。

 本当にいろんな面で一区の人たちは守られてるんだ。

 立ち上がって両腕を伸ばし背伸びをすると、くらりとめまいがした。


“おい、大丈夫か?”


“大丈夫です。最近ちょっと食欲なかったんで”


“簡単なものなら何か用意できるぞ”


“え?ここで料理出来るんですか?だったら私に作らせてください”


 張り切って申し出たのに断られてしまった。


“今日は無理するな。今度な”


 こくりと頷いて萌咲がつぶやく。


‟フーガさん、優しいんですね。天女嫌いだって聞いてたのに”


‟…別に天女が嫌いってわけじゃない。好きでもないがな”


“じゃあなんで”


‟俺は天女に関わるべきじゃないからだ”


“?”


 フーガはそこで口を噤んだ。



 小屋に入ると小さな台所がありフーガが冷蔵庫から調理済みの肉を取り出しサンドイッチを作って缶詰のスープを温めて出してくれた。

 それをありがたく頂きながらフーガが言った“今度”という言葉を噛みしめる。


 またここに来ていいんだ。


 その響きに胸が高鳴る。

 ごちそうさまでした、と手を合わせる。そうした萌咲の小さな行動に一々フーガは目を瞬かせる。それを見返して、気になっていたことを聞いてみた。


“フーガさんの着ているのはお仕事の制服なんですか?”


 彼はいつも自衛隊員の様な服を着ている。


“ああ、これは軍の隊員服だ”


“軍人さんなんですか?”


“軍と言っても主な仕事は災害時の救助や大掛かりな土木作業の手伝いだな。まれに他国からの不法侵入者との小競り合いもあるが”


 やっぱり自衛隊だ。


“だからフーガさんは二区によくいらっしゃるんですか”


“まあな。軍の高官は通常一区にいるが実際に動く奴らのほとんどは二区に住んでいる。俺の様な中間管理職は行ったり来たりだが、どちらかというと二区の方が性に合っている”


“じゃあ、お仕事があるのに私が来たら迷惑ですね”


“なに、平穏時は訓練したりここにいるやつらと一緒に農作業したりしてるから問題ない”


“フーガさんは免疫力が他の人達よりもあるんですか?元もと一区の人ですよね”


“…お前は本当にいろいろ聞いてくるな”


 ちょっと憮然とした顔をされて、慌てた。


“す、すみません。無理して答えていただかなくてもいいです。ただちょっと不思議になって”


“…もう二十年も前のことだが、ちょっと人生に投げやりになっていた時期があってな。自暴自棄ってやつか。屋敷に居たくなくて別に死んでもいいか、くらいの気分で二区に入り浸ってたんだ。もちろん腹を壊したりとかいろいろあったがそういうのを繰り返してるうちに次第に免疫がついてきたんだろう。もともと体は丈夫なほうだったしな。今じゃすっかりなじんでいる。幸いここ二十年大きな感染症は二区で流行らなかったし運がよかったのもある”


“他の人はそういう風に免疫をつけられないんですか”


“ここにいる人間の抵抗力は低い。命がけなんだよ。実際二区にいるやつらも一区の人間よりは抵抗力はあるが寿命は短いし病気にもよくなる。小さな怪我でも命取りになることもある。そして一度菌やウイルスに感染すると致命的だ。抗生物質があっても追い付かないことが多い”


“そうなんですか”


 フーガが二区に来ることができるのはやはり特別なことなのだ、と納得したが、この世界の現状は信じられなかった。



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