第7話 萌咲、フーガと再会する



“いいか、ここはお前が来ていいところじゃない。それも一人で来るなど以ての他だ”


 小さな家に案内され玄関先の椅子に座らされる。フーガと呼ばれていた男がキッチンで湯を沸かし飲み物を入れて持ってきてくれた。ミルクティーの様な香りがした。


“おっと、お前は飲まないほうがいいか”


 とカップを渡しかけて止める。

 フーガの言っている意味が解らず首をかしげると


“腹壊すかもしれないぞ”


 と言われた。


“どうして?”


“お前たち天女は基本的に一区の人間達と同じだ。ここ、二区には雑菌多く存在する。一区の人間はここには長時間居られないしここの物は飲み食いしない方がいい”


“でも、私自分の国にいた時は泥まみれでしたけど。手洗いとかはちゃんとしたけど無菌なんて言える環境ではなかったです”


“それは本当か”


 驚くフーガに萌咲は初めてにっこり笑い


“これ、いただきますね”


 と言ってカップに口をつけた。

 それを見ながらフーガは思考を巡らせる。

 兄や神官が言っていたのはこのことか、と内心ひどく驚いていた。

 フーガは領主ボーヨウの弟である。天女が現れると先ずその地域の権力者に配偶者候補として優先権が与えられる。だからフーガは、ボーヨウの妻、今は亡きもう一人の兄の妻を含め数人の天女を知っている。どの天女もおおむね見目美しいが似通った容貌で、何よりここに降下してきたときには天女としての役割を理解している。同時にこの世界の第一区に住む者達と同様、健康ではあるが感染に対しての抵抗力が無いに等しい。

 彼女らのこの特性はどの地域に降下してきた天女にも当てはまると聞いてる。


 だが、この娘は…


 確かに何から何まで規格外だ。彼女が降りてきたのを見た者はなく第一区と第二区の境にそびえる大木の根元に泥まみれで倒れていた。彼女は天女の事もその役割も何も知らない。容姿も他の天女のように世間一般の基準で言う美人には当てはまらない。行動も素っ頓狂で、使用人たちやリョウなどは「ハズレ」だとぼやいていた。


 だが表情がくるくる変わり、とても生き生きしていて見ているこっちもつい感情が引きずられてしまうような…

 初めて見た時も思った。そう、さっき泣かれた時などつい手を伸ばしてしまった。


 思考が変なほうに向かってしまい、フーガは慌てて自分の思考の軌道修正をする。そして先ほどこの娘が言ったことを思い出す。平然と二区の物を口にし、自分は無菌環境で育ってきてはいないと言い切った。天女としての知識は全く持っていないが自分が元いた世界の記憶があり、どうやらこことは全く違う世界というもの驚きだ。


 一体どこから来たんだ?


 フーガが自分の考えにどっぷりつかっている間に萌咲はカップを空にしていた。空のカップを両手で包むようにしながらキョロキョロと興味深そうに小屋の中を眺めている。

 そしてフーガに向き直り頭を下げる。


“あの、本当にすみませんでした。フーガ、さんのことお父さん呼ばわりして。フーガさんは私のお父さんよりずっと若いのに。兄のような?”


‟気を使わなくていい。お前の兄ならまだ二十歳くらいだろう?”


“よくわかりますね。二十歳です”


“俺は三十八だ。父親の方に近いのは違いない”


 仏頂面で言う。


“三十八歳…”


 お父さんと同い年…


 萌咲の父は大きな農家の跡取りで高校卒業後進学せずに家業を手伝いはじめた。そこに都会から夏休みのバイトに来た大学生の母と恋に落ち母は大学を卒業してすぐ父と結婚した。姉さん女房である。萌咲は父が二十歳の時の子である。


 年の事は黙っておこう。


 フーガの顔をそっと覗き見る。端正な顔立ちをしているが領主様やその息子たちと醸し出す雰囲気が違う。


 何がどう違うんだろう。まず髪は黒が強く、肌も浅黒い。背は高くがっしりとした体つき。

 萌咲の父も肉体労働者だからがっしりしてるが顔つきはもっとおっとりしている。フーガはもっと研ぎ澄まされた鋭い印象がある。しかも初めて会った時も、今もしかめっ面をしている。


 もっともしかめっ面の原因が私だもんな。


 でも不思議と怖くない。さっき知らない男の人に腕を掴まれたときは怖くて鳥肌が立ったけど、フーガに頭をなでられたときは安心した。優しい言葉をかけられたわけじゃないけど、なぜか一言一言が心地よく響いた。


 私ったら抱きついて泣いちゃったんだ。


 さっきのことを思い出して萌咲は真っ赤になった。萌咲は十八になったこの年までまともに男の子と付き合ったことがなかった。友達はいたし告白みたいなものをされたこともあるけど、毎日の雑事に忙しかったし、そんなに親しくない人に告白されても付き合う気にはなれなかった。だから家族以外の男性とあんなに接触したことはなかったのだ。ここに来てからは手をつないだりハグされたりと異性との身体的接触が多く初体験の連続だがそれはイコール緊張の連続だったのだ。そのはずだったのにフーガには自分からしがみついてしまった。

 一人で赤くなってあたふたしている萌咲をフーガは不思議そうに見つめていたが、自分もグイっとお茶を飲み干すと立ち上がった。


“そろそろ戻ったほうがいい。向こうでは大騒ぎになってるぞ、きっと”


“すみません”


 こんなに自分の行動が制限されているなんて…そしてそれを破ったせいでサクとトモに迷惑が掛かってしまうのだろうか。

 とぼとぼとフーガの後ろを歩きながら気持ちが落ち込んでいくのを止められなかった。


 でも、やっぱりまた来たい。


 くっと顔を上げ


“あの、私また来ても…”


“もう来るな”


 振り向いたフーガに被せ気味に言われた。


“どうして…?”


 ショックだった。ここには懐かしいような風景がある。なじんだ土のにおいがする。もっと見てみたい。シティよりも領主様の屋敷よりも元いた世界に近い気がした。


“お前はさっきのことを忘れたのか?あの男たちがどういう目でお前を見ていたのか。あいつらはお前を、初めて女を見て理性を飛ばしかけたんだぞ?たまたま俺がいたからよかったものの何があってもおかしくなかった。そしてまた同じ状況にならないとは言い切れない。いくら天女に乱暴することが重罪だとは言っても、あいつらにそこまで自制を求めるのは酷というものだ”


 萌咲は何も言い返せなかった。


“お前の行動が制限されているのはかわいそうだとは思うが、それはお前の安全のためでもある。元の世界に戻れない以上お前は守られて生きてくしかない”


 ‟…”


 また、涙があふれてきた。何に対して傷ついているのか、それすらもわからない。ただ、寂しい。悲しい。くやしい。


 頭の上からまたため息が聞こえてきた。いつの間にか近くに来ていたフーガにまたそっと頭を引き寄せられた。


“これでは、俺が泣かせたようなものだな…”


“ごめ、ごめんなさ…”


“謝らなくていい。お前が悪いわけじゃない”


 フーガの服を握りしめ萌咲はえんえんと泣き続けた。


 ~~~


“モエ様!”


 目を腫らし、鼻を真っ赤にしながら帰ってきた萌咲を見てサクとトモは叫んだ。よほど心配したのだろう、二人の顔は真っ青だったが萌咲の無事な姿を見てほっとし、泣き顔を見て仰天した。

 後ろにいるフーガを認め、一瞬眉を顰めたが丁寧に礼をした後


“フーガ様、これはいったい?”


“心配するようなことは何もない。だが大木の近くにいた。念のため「除菌」はしておけ”


 そっけなくフーガは答える。


“しかしそれは…”


“わ、わたしが少し遠くに行きすぎて迷子になってしまったの。心細くなってしまったところをフーガさんにお会いしてここまで連れてきてもらったんです”


 萌咲が慌てて言い訳をする。


 嘘、じゃないよね。かなり端折ってるけど。


“わかりました。フーガ様、ありがとうございます。あの、このことは領主様には…”


“わかっている。何事もなかったんだから言う必要はない”


“ありがとうございます。それでは失礼いたします”


 サクはもう一度フーガに礼をして萌咲の背中に手を添えて屋敷の中へと促す。トモも後に従う。

 フーガはそれを見送りながら、ふと気が付いた。


 あいつら、名前で呼んでいたな。


通常侍女達が天女の事を名前で呼ぶことはない。あくまでも使える立場の者としての教育を受けているからだ。まだ侍女として慣れていないトモはともかくサクまで萌咲を名前呼びするとは。


 モエ、といったか。「ハズレ」なのか、それとも「規格外」というべきか。


 モエ、というその響きがなぜか好ましく思われた。何度か触れた震えていた小さな頭。滑りのいい黒髪。ふっと自分の手を見つめたフーガは自分が微笑んでいることに気づかなかった。

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