第24話 萌咲、焼きもちを焼く


 サラはそれからも萌咲に声をかけてきた。気やすい性格で国都に行った時に会った他の天女たちのように嫌味も一言も言わないし、萌咲を見下すようなこともしない。


“いい人なんだよな―”


 萌咲はつい独り言をこぼした。


“でも、またお茶に誘われるのかな”


 正直言って気が重い。その理由は、サラがフーガの事を頻繁に話題にするからだ。


“あの人って、私のイメージしていた男性と全然違う。もっと,精悍で、素敵だわ。あまりしゃべらないけど、気使いはしてくれるし、基本的に紳士よね”


 きれいな長い指でつやのある明るめの茶色の髪を弄びながら話始める。


 紳士らしく接してもらったことはないけど、優しいのは知ってる


“立ち居振る舞いも、エスコートの仕方もスマートだし”


 抱っこされたり、頭をぐしゃぐしゃされたことならあるけど


“ケーイチさんも素敵だけど、やっぱりフーガさんね。他の領に移動になるとしてもその前に一度は抱かれてみたいわ”


 うっとりと言う。


 お茶を吹き出しそうになる萌咲を怪訝にみてサラは首をかしげる。


“あら、あなたもしかしてまだ誰とも試してないの?”


‟な、な、なんですか、それ”


 試すってまさか。


“やっぱりあなた変わってるのね。仮にも配偶者になる人のことだもの、よく知りたいじゃない?生理的に受け付けないようだったら最初から問題外だし。それに、私たちの人生ってすごく制約されてるでしょ。少しぐらいわがまま言ったって許されるってものよ。それに向こうだって女性に遭遇するチャンスなんてそうあるもんでもないし。お互いメリットはあるわけよ”


 そういえば前に国都に行った時もそんな話を聞いた。オーダライの四人は本当に紳士だから誰もそんなことを口にしてこなかったんだ。


 自分の感覚と大きく外れたところにあるこの世界の常識?に久しぶりにおののいたのだった。

 いや、元の世界でももう少し奔放な人はいるだろうけど、私にお試しは無理だ…



~~~



 ここ数日萌咲はフーガの姿を見ていない。フーガが仕事とサラの相手で忙しいのもあるだろうが、萌咲が部屋に引きこもりがちになっているのである。一人になるとうつうつと考え込んでしまうのに何もする気にならない。


 サラさんはこのままオーダライの領にいるのかな、それとも他所に行くのかな。

 心の中で、サラが他所に行けばいいのに、と思っている自分が嫌になる。

 いい人なのに。


 自信があって気さくで物おじしない彼女の傍でうじうじしている自分がみっともなく思える。


 今日も何もする気にならなくて居間から何となく窓の外を眺めていると、見慣れた背の高い人の後姿が庭先に見えた。


 フーガさん!


 窓を開けて声をかけようか、庭に出て行こうか一瞬考えた時、もう一つの人影がフーガの傍で動くのが見えた。


“!”


 白くしなやかな腕がフーガの首にかかり、二人の顔が近づいて重なった。

 慌てて窓に背中を向けてずるずるとしゃがみ込む。


 フーガさんと、サラさんがキスしてる?


 口を手で覆う。心臓がキリキリ痛む。

 こんなに胸が苦しくて切なくなるような思いをしたことがない。


 私、フーガさんのことがあきらめられない。

 こんなに好きだと今頃気づくなんて。

 違う、ずっとわかってた。でも、だからどうすることができるっていうんだろう。


フーガは配偶者候補ではない。


 だいたいフーガさんが私の事恋愛対象とは見てないもの。いつもからかわれたり、頭をくしゃくしゃされたり、よくて妹、じゃなきゃ犬か猫扱いだ。


 萌咲は両手で顔を覆って泣き始めた。


“モエ、そんなところに座り込んでどうしたの?”


 そこに入ってきたのはコーキだった。人づきあいが良くて萌咲とのデート以外はしょっちゅう家を空けているが今日はめずらしく家にいたらしい。泣いている萌咲をみてぎょっとして駆け寄ってきた。


“モエ!どうしたの?泣いてるの?”


“な、なんでもな…”


 大丈夫と言おうと思ったが声が続かない。

 

コーキは窓辺まで来て外をチラッとみて


“フーガさんと天女か”


 何となく察したのか萌咲の隣に一緒に座り込む。


“コ、コーキさん”


“あの二人がいちゃいちゃしてるの見ちゃったんだ?”


“キ、キスしてて”


 萌咲の答えにふーんと気の抜けた声を出す。


“いくら奥手のモエでも他人がキスをしてるところを見てショックで泣き出すってことはないよね。僕の推理ではフーガさんがキスをしてたのがショックだったんだ?”


“…”


 萌咲は両手で顔を覆ったまま固まる。

 コーキは冗談ぽく言いながらも優しく萌咲の肩に手をまわしてくる。こつんと頭をぶつける。


“ねぇ、モエ。僕はモエが好きだよ。モエが僕のことを選んでくれたらすごくうれしい。でも、君がケーイチやジュンやリョウを選んでも構わないって思ってるんだ”


 コーキの言わんとしてることがわからず泣くのをやめてコーキの顔を見た。


“モエがオーダライの誰かを選んでくれたら僕はずっとモエの家族だよ。そしたら僕はモエにいっぱいハグしてキスしてモエの子供のこともうんとかわいがるよ。別に僕はモエとセックスしたいわけでも、自分の子供が欲しいわけでもないんだ。モエが幸せで笑っていてくれて、この家に住んでいてくれたらそれでいいんだよね―”


 萌咲をみて、キラキラと笑う。


“で、モエはフーガさんのことが好きなんだね。誰ともキスしてほしくないし、セックスして欲しくない”


 じーっとコーキが話しているのを見ていたがいきなりの言葉に息が詰まる。止まっていた涙がまたぽろぽろとこぼれてきた。


“そっか、フーガさんか。彼はいい人だけど…”


 よしよしと萌咲の頭をなでながら、コーキも口を噤んだ。






 首に回された腕をそっと引きはがす。不意を突かれた上に天女相手に手荒な真似は出来ないのであくまでもゆっくりと体を離す。


“あん…”


 残念そうに、でもたいしてショックな様子でもなくサラはされるがままに一歩退いた。キスをしてそのまま甘い雰囲気にもっていこうと思ったが、フーガの表情は変わらず、怒るでもなく照れるでもなく、ましてや誘いに乗ってくるようには見えなかった。


“私は魅力ない?”


“女性として魅力的かと聞かれれば、もちろん魅力的だが”


“でもあなたにとっては興味の対象にはならないのね”


“…”


 こういうやり取り自体が苦手なのだ。


 フーガはため息をつき


“屋敷に入ろう。俺も仕事に戻る”


 と、踵を返した。


 忙しいのは確かだが、ここにいるとこの天女に捕まるから仕事を理由に逃げ回っていた。

 そのせいで…

 最近二区でのんびり過ごすことができなくなっている。

 二区で力仕事を手伝ったり、のんびり本を読んだりするのがいい気晴らしになっていたし、萌咲が来てからはくるくると動きまわり労働者たちと楽しそうに話している姿をみて、彼女のつくる飯を食べて…


 そこまで考えながら無意識に唇をぬぐっていた。

 フーガとて健康な成人男子だ。正常な欲求はある。真剣に付き合っていた恋人はいなかったが適当な相手は今までに何人かいた。外見もステータスも一流のフーガには今でも言い寄ってくる者たちは何人もいる。だが最近はまったくそんな気にならない。


 あいつが現れたせいでバタバタしてたからな。それとも、俺ももう年ってことか…?

 それとも…


 気が付くと最近ゆっくり顔を見ていない少女の顔を思い出してばかりいる。ふと、屋敷の二階の一部屋の窓を見上げる。今は部屋にいるのか。部屋を訪れる理由も見つからず、ため息をついた。




 数日後


 萌咲がベッドに入ろうとした頃ノックがしてサクが部屋に入ってきた。


“モエ様、ボーヨウ様が二、三日中に戻られるようです。そうしたら、新しくいらした落花様がどうされるかお話があると思いますよ”


“でもそんなこと、私に関係ないし”


 萌咲はすねたように言う。


 サクはわかってますよ、というように頷きながら萌咲の着替えを準備し始めた。

 一応公式なことなので家族全員が集まりボーヨウが話をするらしい。

 ということはフーガも帰ってくるのだろうか。

 また考えてもどうしようもないことを考えてしまい、萌咲はため息をついた。




 翌日、することもないので花壇で土いじりでもしうかと階段を下りていくと長身の男が目に入った。


‟フーガさん、帰ってたんですか”


 久しぶりに会えてうれしいはずなのに顔がこわばるのがわかる。萌咲がもやもやしているのに気が付かないのかフーガは軽く微笑み、


‟ああ、今さっきな。お前は外に行くのか?”


“はい、フーガさんはお忙しいようなので私は二区に行けないんで暇なので花壇の手入れでもしようと思って”


 いつになく口調がきつい萌咲にフーガは怪訝な顔をする。


 ‟ああ、確かに忙しかったな。台風の被害が思った以上に大きくて追加の物資の請求やら”


 ‟それだけじゃないでしょう?デートでも忙しそうだったし。今日だってその為に帰って来たんじゃないですか?”


 ‟モエ”


 ‟私のお守りをするために二区に行くよりサラさんとシティに行った方がずっと大人の会話もできて楽しいですよね”


 さすがにフーガもむっとする。


‟仕事で忙しいって言っただろう。お前だって俺がいなくたってリョウと一緒に二区に行けばいいじゃないか。若いものどうして話も合うだろう”


‟だってそれじゃあ、二区の中でゆっくりできないもの”


‟お前のわがままにいつも付き合ってられるか”


 ついフーガの声も大きくなる。


 帰ってくるなり絡まれて、いったい何だって言うんだ。今日こそは一緒に二区に行けるかと思ってたのに。萌咲に告白され気まずい雰囲気が二人の間にあるのは確かだが、そういうのも二区に行けば解決されるのでは、と期待していたのだ。


 人の気も知らないで。


 と、そこまで考えて、さすがに大人げないと思い、大きく息を吐いて気持ちを落ち着ける。


‟悪い。それで、今日は二区に行きたいのか。お前がどうしても行きたいんだったら…”


 萌咲は大きく目を見開いて泣きそうな顔をした。そして


“行きません!フーガさんのバカ!”


 というなり自分の部屋に駆け込んだ。二人のやり取りをあっけにとられてみていたトモはフーガに頭を下げて萌咲を追いかけていった。







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