第44話 萌咲、再び異世界へ


 その日の夕食後、家族みんなが居間に集まった。萌咲がソファーに座り、紗月と桃が両隣に座る。正樹と颯真、拓は向かい側のソファに腰を掛けた。

 萌咲が話始めた。


 異世界にいきなり移動していたこと。

 そこには女性が生まれず萌咲は天女として扱われたこと。

 天女の役割。

 そこで出会った人々。

 風芽の事。

 想いは通じ合ったけど、向こうの世界のルールでそれは許されないこと。

 強制的に入院させられそうになって抵抗したときにまたこっちに戻ってきてしまったこと。


 萌咲が話し終わっても誰も声を出せなかった。


 ‟やっぱり信じられないよね、こんな話”


 萌咲が苦笑する。


 萌咲の作り話かもしれない。萌咲は頭がおかしくなってしまったのかもしれない。誰かに強姦されたうえに薬を盛られて妄想を刷り込まれたのかもしれない。

 それぞれの頭の中でいろんな思いがぐるぐる回っていた。

 萌咲は恐る恐る皆の顔を伺う。


“信じるよ”


 最初に口を開いたのは桃だった。


 ‟だって、私、萌咲ちゃんが目の前で消えるところ見たもん”


 大人たちは気が付く。

 そうだった。桃はずっとそう言っていたけど誰も信じなかった。

 桃はこてんと萌咲に寄りかかりのお腹をなでる。


“ねえ、萌咲ちゃん、どうして帰ってきたの?”


“え?”


 皆が驚いて桃を見る。


“な、何言ってるの?桃。萌咲が帰ってきてくれてうれしくないの?あなただってあんなに泣いてたじゃない”


 紗月が慌てて言う。


 ‟うれしいよ、桃はとっても嬉しい。でも赤ちゃんのパパは向こうにいるんでしょ?赤ちゃん、きっと会いたいよ”


 ‟あ…”


 ハッとして萌咲が口に手を当てる。桃の余りにもシンプルな指摘。自分の想いばかりに沈んでいて風芽や赤ん坊の気持ちは考えていなかった。最近緩み切っている涙腺がまた決壊しそうだ。


“そうだね、そうだよね。赤ちゃん、パパに会いたいよね”


‟萌咲ちゃんも会いたいでしょ?”


“うん、うん、会いたいよ”


頷くたびにこぼれ出るのは涙だけではなく、風芽への想いだ。


“じゃあ。向こうに帰らなくちゃね”


“桃!”


 桃を止めようとする紗月の肩を父がそっと抱く。


‟だって萌咲ちゃんずっと元気がないもの。よく夜に一人で泣いてるよね。桃も赤ちゃんと赤ちゃんのパパに会いたいけど、きっと桃より赤ちゃんのパパの方が赤ちゃんと萌咲ちゃんに会いたいよ”


“うん、そうだね。桃の言う通りだね。うん、帰るよ。きっと帰る”


 萌咲は桃をぎゅっと抱きしめた。この世界に戻ってきて初めて笑顔になった。




 そうは言っても、どうすればいいのか皆目見当がつかない。だが萌咲にもう迷いはなかった。

 懐かしい我が家での生活を心残りがないように満喫しつつ、とにかく妊娠出産育児の本を読み漁り、検診時には医者に質問しまくり、紗月には体験談やアドバイスを聞き準備は万端にしておくことにした。そしていつ向こうの世界に戻ってもいいように家族の写真を肌身離さず身に付けていた。親しい友人達には妊娠したことを告げ、遠方で出産するかもしれないからと大学は休学した。




 最近は気候もいいので萌咲は毎日昼過ぎには庭に出る。正樹が用意してくれた大きな藤の椅子にクッションを置いて本を読み、まどろむ。


 そうしてこの世界に戻ってきていつの間にか四か月経っていた。萌咲は妊娠二十六週になった。体調もいい。

 萌咲の頭にあるのは向こうの世界では妊娠二十週で赤ん坊を取り出すということ。萌咲が理解するところでは向こうの感覚では二十六週の今、帝王切開してまで赤ん坊を取り出すのはリスクが高くなると考えるはずだ。


 何となく符丁を感じる。そしてここ数日萌咲はまた誰かに呼ばれている気がするのだ。


 もしかしたら…

 今なら…




 今日も家族の写真の入ったロケットペンダントを身に着け椅子に座る。一緒に庭に出てきた紗月が


“ちょっと風があるからブランケット持ってくるわ”


 と言って家の中に戻る。とってきたブランケットを萌咲の体に巻き付けていると萌咲が不意に抱きついてきた。


‟お母さん、ありがとね。私、この家に生まれて皆が家族で本当に幸せだった“


 その言葉に紗月は泣きそうな顔で答える。


“なに急に改まって。おかしな子ね。でも、私達も萌咲がこの家に生まれてくれて本当に幸せよ。あなたは私達のかわいい自慢の娘だわ”


 紗月もそう答えて萌咲を抱きしめ返す。

 その時キッチンに置いてきた紗月の携帯が鳴った。


“誰かしら、ちょっと出てくるわね”


 紗月が照れたように萌咲をそっと離して立ち上がる。

 その時、突風が拭いた。一瞬体のバランスを崩すほどの強い風だった。


 ‟萌咲、やっぱり家の中に入りなさい”


 紗月はそう言って振り向いたがそこには空の藤の椅子とブランケットだけが残されていた。



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