第43話 萌咲、実家で静養する

 


 翌日萌咲は帰宅した。行方不明になっていたことで警察にも届けていたので、いろいろ落ち着くまでは大学も休むことにした。携帯には友人たちからたくさん連絡が入っていたが、質問されたり、それに返答したりするのはまだ億劫なのでごく親しい友人には体調が思わしくなく落ち着いたら連絡すると約束して、後は放置しておいた。


 久しぶりの家と裏庭は萌咲が最後に見た時とそれほど変わりなかった。季節が半年分移り替わっていて、まだ汗ばむ季節だったのに今はようやく春の兆しが見えてきた頃だ。萌咲は庭先にあるポプラの滑らかな木肌をなでながら見上げる。


 最後に見たあの大木はこのポプラとは比べものにならないくらい太い幹を持っていた。そういえばあれは何の木なんだろう。あんまりじっくりと葉を見たりしなかったし花が咲いているところも見なかったな。

 あちらの世界で見た植物はほとんどこちらのものと同じだったがそれでもすべて同じではなかった。

 あれは、どこの世界だったんだろう。こうしていると今まで長い夢を見ていたかのようだ。ただ一つ、萌咲のお腹にいる赤ん坊の存在があれは現実だったと萌咲に教える。


 最後にあの大木を見たのは風芽と一緒だった。

 風芽さん…


『必ずお前と子供のもとに帰ってくる』


 風芽はそういった。

 途端に涙があふれ出した。


“萌咲?!”


 萌咲を探して庭に出てきた紗月が口に手を当てて嗚咽をこらえている萌咲の姿を見てぎょっとする。


“どうしたの?どうして泣いてるの?何があったの?萌咲!お願い!教えて。何があったの?”


 萌咲を抱きしめながら紗月も不甲斐なさともどかしさで視界がゆがんでくる。


 ‟お母さん”


 それ以上言葉にならず紗月にしがみついて萌咲は泣き続けた。


 妊娠初期の所為か、それとも行方不明の間にショックなことがあったのか、明るくはつらつとしていた萌咲は別人のように塞ぎこんでいた。家族と接しているときは努めて普通にしているのだが一人になるとボーっと景色を眺めていることが多い。


 今日も庭のベンチに座っていると珍しく父の正樹が萌咲の隣に腰を掛けた。


‟萌咲はいつもこの木を眺めてるね。小さいころからあったけど、前はそんなに好きって程じゃなかったよね”


 それは…この木が向こうの世界につながっているような気がするから。

 私はあっちに帰りたいのかな。シングルマザーだとしてもこっちで出産、子育てしたほうが家族のサポートもあるしきっとこの子は普通に穏やかに生きていける。

 向こうのみんなは心配してるだろうな。萌咲がいなくなったことは風芽に連絡は行くのだろうか。

 だけど、私がいなくなってからお母さん達だってきっとすごく心配した。あっちの人達も心配してくれるだろうけど、半分は私が天女だから。あっちで子供が生まれたら子供とも引き離されちゃうかもしれないのに。


 一人で考え込んでる萌咲のとなりで正樹は黙ってポプラを見上げている。


‟ねえ、お父さん。お父さんとお母さんの結婚って反対されたんだよね?”


 いきなりの萌咲の質問に正樹は内心戸惑う。


 やはり、萌咲の子供の父親はただの恋人ではないのか?まさか無理やり?いろいろと頭の中を疑問が駆け巡ったが問いつめたいのを押し殺して努めて穏やかに答える。


‟そうだね…お母さんは都会育ちで僕よりも年上だったからおじいちゃんたちも初めはいい顔はしなかったね。農家に嫁いでくるなんて無理だって。お母さんの家は裕福というほどではなかったけど、教育レベルの高い家族で、お父さんは高校出て家の仕事を始めたろう?向こうのご両親もいい顔はしなかったね”


“どうやって説得したの?どうやって許してもらったの?”


 すがるような萌咲の様子に、ああやはり萌咲の恋愛は訳ありか、と頭を抱えたくなるのを堪えて話を続ける。


‟そうだね。結局実力行使かな。お母さんは半ば家を飛び出すようにこちらに来て一緒に住み始めた。次の日から仕事を手伝うって頑張ったよ”


‟それで認めてもらえたの?”


‟いやいや、まさか。そんな簡単にはいかなかったよ。お母さん頑張ったんだけどね、失敗ばかりだったし戦力にはならなかったんだよ。しかも体がきつくて一週間持たずにダウン”


“でも、じゃあ、どうやって?”


‟ただただあきらめなかったんだよ、僕もお母さんも。最初から、価値観の違う相手に自分の言い分を通そうとしても一朝一夕でいくもんじゃない。特にどちらも間違っていない場合はね。おじいちゃんたちだってお母さんが苦労するのがわかっていたから反対したんだろうし、実際にうまく行かなかった夫婦も見てきていたしね。あっという間にお兄ちゃんが生まれたことも説得のプラスにはならなかったし。でも、僕たちはとにかく粘ったんだよ。お母さんは農業の事をいっぱい勉強して仕事を覚えていった。そして何より大事だったのは二人でいることが幸せなんだって自分たちが信じることだったと思う”


‟二人で…”


 萌咲が呟く。

 正樹は萌咲の頭をくしゃくしゃとなでた。今まで正樹はそんな風にしてくれたことがあっただろうか。それよりももっとなじみのある手を思い出す。


 風芽さん…


 萌咲は両手で顔を覆う。涙が指の間からあふれてきた。

 正樹は何も言わずに黙って萌咲の頭をなで続けている。


‟お父さん、私ね”


“うん?”


“好きな人がいるの”


 正樹は優しく萌咲を見守る。


‟おなかの赤ちゃんはその人の子供で”


“うん”


‟だけど…”


‟相手の人はなんて言っているんだい?”


‟とても喜んでくれた。でも”


“うん?”


“周りの人たちは、間違ってるって”


 やっぱり…


‟…その人は結婚してるのかい?”


 声が上ずるの感じながら正樹は尋ねる。

 萌咲は首を振る。


 ならどうして?今の世の中、そんなにも周りが反対されるような恋愛が思いつかない。不倫か、よほど立場が違うか。そうでなければ年の差?


“その人はいくつなの?”


‟…三十八”


‟…”


 さすがに正樹も一瞬言葉に詰まった。


 自分と同い年…

 だがそれだって別に法に触れるわけでも倫理に反しているわけでもない。


‟周りの人に反対されたから萌咲は戻ってきたのかい?”


‟わかんない。帰ってきたかったのは本当だけど、こんな形では…彼と引き離されてすごく悲しかった”


 黙り込んでしまった正樹に萌咲が伝える。


‟みんなに聞いて欲しいことがあるの。信じてもらえないかもしれないけど、私が行方不明になっていた間にいた場所の事や起こったこと”

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