第48話 萌咲、出産する

 

“いた…”


 膨れた腹が引きつるような感覚。直感的に“来た”と思った。キュウ―っと絞られるような痛みが続く。陣痛に違いない。


 すぐにサクが傍に来てトモがサカキに連絡を入れる。彼らの顔は緊張でこわばっている。もちろん萌咲も不安はあるが彼らの顔を見ていたら逆に落ち着いてきた。


 大丈夫、お母さんが桃たちを産んだ時も傍にいたし、牛の出産も見たことあるし。準備は万端。


 萌咲はシャワーを浴び、着替えをする。トモが軽食を運んできた。サカキも到着しナースも含めてもう一度分娩の流れをおさらいする。


‟ケーイチさん達もこちらに向かっているそうです”


 出産に必要な器具や万が一のための応急処置の準備はできている。萌咲が分娩に入ると同時に中央の方にも連絡が行くらしい。


 なんだかすごい大ごとなんだけど。


 陣痛の間隔はまだ長い。さすがに疲れてソファの背に体を預ける。


 不意に紗月を想った。


 お母さんが傍に居てくれるとよかったな。


 何といってもまだ十九歳。元の世界にいたら大学生で結婚出産など考えることなどない。



 萌咲は手を握りしめ祈るように目を閉じる。ふと、自分の手を別の暖かい手が包んだ。


“あなたは”


 そこにマリエが立っていた。


“何かお手伝いができないかと思ってきてしまいました。あまり役には立たないかもしれないけど”


 萌咲はマリエを見上げる。母と顔かたちは違うがマリエの微笑はまさに母親のそれなのではないかと思えた。


“ドクターのお話だとまだ時間はかかりそうです。今のうちに少し休んでおかないと赤ちゃんが生まれるときまで体力が持ちませんよ。ふふ、私も少し勉強してきたのよ”


 マリエは自然分娩の経験はないが子供は数人いる。萌咲には心強い。

 サクとトモが控えていて育児書を開いていたがサクはマリエの訪問にお茶を入れる。



 それから数時間後。萌咲の最初の陣痛が始まってから一晩立っていた。陣痛の間隔は短くなってきた、ということでサカキややナースたちはバタバタし始めた。萌咲が分娩室に入る。中央の医師から分娩への立ち合いを要望されていたが映像で記録し仔細な記録とデータを提供することで承諾してもらった。分娩室からは絶え間なく萌咲の息み声とサカキの声が聞こえてくる。隣室ではボーヨウ始め、ケーイチ、コーキ、ジュン、リョウも立ち上がったり座ったりと落ち着きなくその時を待っていた。


 萌咲は汗びっしょりで荒い呼吸を繰り返している。


 ‟汗を拭いてあげて”


 サカキが今入ってきたナースに声をかける。

 冷たいタオルが萌咲の額をぬぐい、同時に手を握られる。短い陣痛の合間に萌咲はほっと息をつく。


‟萌咲”


 低く響く声が耳元でささやいた。


 ハッとして顔を向けるとマスクで顔の半分は隠れているがそれは紛れもなく風芽だった。


‟記録用のマイクを切りました。長い時間は無理ですが”


 サカキがささやく。

 思いがけないことで萌咲は一瞬呆然としたが、次の瞬間引き絞られるような痛みに呻き握られた手に力を込めた。


 ‟もう一息です!”


 サカキが声をかける。彼の声も上ずっている。

 それから間もなく下半身にひときわ大きな圧迫感を覚えた直後、ずるりとした感触がして解放された。


“う、生まれました!”


“こちらへ”


 ナースとサカキが生まれた赤ん坊をチェックする。

 大きく息を吐いてぐったりした萌咲の頭を風芽は抱きしめる。


‟萌咲、よく頑張った”


“ふ、うがさん”


 その時


 ‟んあ、なあー”


 という声が響いた。

 萌咲の目から涙があふれる。


 ‟ありがとう、萌咲、ありがとう”


 風芽の声も震えている。

 タオルでくるまれた赤ん坊をサカキが風芽にそっと渡す。

 風芽がこわごわと受け取りその頭に唇を寄せた。

 その時、外で見張っていたナースの一人が声をかける。


 ‟中央からの医師がこちらに向かっています。風芽様、そろそろ”


 医師たちも待ちきれなかったのだろう。だが、風芽と鉢合わせすると大変なことになる。マスクとガウン姿でも風芽は目立つ。

 名残惜しそうに手を放す萌咲が風芽につぶやいた。


 ‟あなた、待っていて”


 それは前に風芽が萌咲に言った言葉だ。萌咲の意図するところがはっきりわからないまま風芽が部屋を出て行った。


 サカキが赤ん坊をタオルでくるみ、萌咲に渡す。


 ‟最初の母乳が大事、なんですよね”


 萌咲は頷き恐る恐る赤ん坊を自分の胸元に引き寄せた。

 萌咲の腕の中、今ここが赤ん坊にとって一番安全な場所だ。


‟中央の医師たちに赤ちゃんをいじくりまわされるのだけは避けないと”


 サカキが片目をつぶった。後はマリエが医師たちを追い返してくれるだろう。


 フニャフニャの赤ん坊。萌咲の肌にふんふんと鼻を擦り付けてくる。風芽と自分の子供だなんて信じられない。愛しさがこみあげてくる。男だろうが女だろうが元の世界だろうが女児の生まれない世界だろうが、これが奇跡でなくて何だというのだろう。

 

この子を守るために強くなってみせる、と萌咲は誓った。


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