第33話 風芽、出生の秘密を打ち明ける
‟そろそろ約束を果たしてもらおうか”
夕食の後片付けを手伝っていた萌咲のところにタオがやってきた。
ハッとタオを振りむいた萌咲の顔がこわばる。
‟あんたらがここに来てもうすぐ三週間になる。フーガもだいぶ回復してきた。もうすぐ一区に戻ることができるようになるだろう。その為に俺たちはまた一つ面倒な手配をしなけりゃなんねぇ。そろそろ報酬を貰ってもいいころだよな”
萌咲は唇を噛みしめ一瞬目を閉じたが、覚悟を決めたようにうなずいた。
‟明日の夜、伺います”
“いい覚悟だ”
タオはにやっと笑って立ち去って行った。
萌咲は風芽の寝支度を手伝いながら物思いに沈んでいた。
約束を守らなければいけないことはわかっている。でも、それがこんなに辛いとは思わなかった。だけどせめて心残りがないようにしたい。
こんな時だから、こんな場所だからこそ言えるかもしれない。
‟風芽さん”
いつものように風芽に薬を飲ませたり着替えをさせたりと世話をした後、脱いだ服を畳みながら萌咲は口を開いた。いつもと違う萌咲の様子と口調に風芽は怪訝な顔をする。
‟私は風芽さんを選びたい”
突然の萌咲の言葉に目を見開く風芽の顔を見ると胸も胃もキリキリと痛むが思い切って言い切った。
‟わかってます。前に風芽さんの気持ちは聞いてます。でも私は風芽さんが好きなんです。この先、誰を選ぶことになっても私の本心は、あなたの子供が生みたい”
敢えて“生みたい”という言葉を使った。この世界ではほとんど使われることのない言葉。
ああ、言ってしまった。たとえ受け入れてもらえなくてもこれが私に言えることの全部。
しばらくの沈黙の後、風芽が絞り出すような声で言った。
‟すまない。萌咲、俺は…だめだ”
萌咲の目から大粒の涙が零れ落ちた。
わかってる。風芽はかわいがって守ってくれるが私を受け入れることはない。そして私も結局は彼を選ぶことはできない。それどころか一区に戻って配偶者を選ぶことすらできないのだから。でも、だからこそ伝えたかった。
萌咲の涙を見て風芽が動揺を見せ萌咲に手を伸ばしかけたが、気を取り直し言葉を選ぶように話始めた。
“俺は罪人の子供なんだ”
‟…?”
思いがけない風芽の言葉に萌咲は驚く。
罪人?って言った?
“俺の父親は別の国の二区で働く労働者だった。四十年前そこに予告なしに天女が降下してきた。初めて見る女性への欲望に抗えず無理やり自分のものにして産まれたのが俺だ”
“そんな…”
息を飲む萌咲から目をそらしフーガは淡々と話し続ける。
“天女の存在はしばらく隠されていたが、当然隠しおおせるわけもなく領主に見つかり男は逮捕され天女は保護された。天女の意に染まない性行為をしたこと、そして妊娠させること、それはこの国では殺人よりも重罪だとお前も知っているだろう。だから男は処刑された。その後、母である天女は俺を産んだんだ。乱暴されたためか、望まぬ妊娠出産のためかその後精神に異常をきたし、そして体をも壊しそのまま死んだ。俺の存在はその国では厄介なものだったが、総領主夫妻のおかげで出生の秘密を隠してこの国に来てオーダライ家が引き取ってくれたんだ。先代領主は相当の人格者で、オーダライの兄も俺のことは全て知っているが弟同然にかわいがってくれた。だから、俺は表向きはオーダライの人間だが婿候補になる気はなかった。罪人の子というだけでなく、母を苦しめた男が憎かったし、恩ある正当なオーダライの子供たちを差し置いて自分が天女と結ばれるなど、許されることではないと思っている”
淡々と話していた風芽だったが最後の方は苦痛に顔がゆがんでいた。
胸が苦しい。悲しい。風芽の痛みと自分の胸の痛みで息ができなくなる。
本当にどうすることもできないんだ。
溢れてくる涙をぬぐうこともせずに萌咲は風芽を見つめていた。
それでも、と萌咲は思う。
それでも私はあなたを愛してる。私の告白があなたの傷を抉ることになってしまったけれど、あなたが何者でも私の想いは変わらない。
決して届かないであろう言葉を胸の中にしまって萌咲はそっと目を伏せた。
風芽の部屋を出たところにファンが立っていた。
“本当にいいのか”
“そういう約束です”
萌咲は顔を伏せたまま返事をした。そして頭を下げて自分の部屋に入って行く。
ファンは閉じた萌咲の部屋のドアをしばらく眺めていたが、
‟バカが…”
とつぶやいて立ち去った。
翌日萌咲は昨夜の会話はなかったかのように普段通り振舞っていた。かいがいしく風芽の世話をし、村人と雑用をこなしながら笑い合っている。気まずい思いをしているのは自分だけかと思うと何となく不満はあるが、そんなことを言えた義理ではないので風芽も普通に接していた。
夕飯を食べ片づけをした後
‟今日は早めに休ませてもらいますね”
風芽の顔を見ずにてきぱきをベッドを整えて萌咲は部屋を出て行った。いつもなら夕食後のお茶を持ってきて風芽のベッドサイドに座りながらとりとめのない話を少ししてから自分に与えられた寝室に行くのだが、やはり気まずいんだろうな、と思う。
思いのほか長い夜になりそうで、眠くなるまでどうしようかと思案していると、ノックがして扉が開く。見るとファンが戸口に寄りかかっている。
片手に酒の入ったカップを持っている。中身は見えないが彼の様子から何となく酒だとわかる。すでに酔っているのか。
‟あんた、なんで昨夜あの娘を抱いてやらなかったんだ”
いきなりファンがとんでもないことを言う。
“は?”
‟あいつの精一杯だったんだよ、あれが”
“何を言ってるんだ?”
‟あんたの事情なんか俺は知らん。罪の子?そんなもん俺にとっちゃくそくらえだ。あんただってあいつが好きなんだろう?”
‟盗み聞きか”
風芽がファンを睨む。
だがその鋭い視線にひるむ様子もなくファンは話し続ける。
“あいにく育ちが悪いんでね。盗み聞きなんて情報収集の初歩の初歩だ。だけど自分に正直には生きてるぜ。知りたいことは知りたい。言いたいことは言う。欲しいものは手に入れる”
“何が言いたいんだ”
それに答えずファンは急に話題を変える。
“あんた、もう歩けるだろう。明日にでも二区の境界まで送ってってやるよ”
‟それは助かるが…”
ファンの話には脈絡がなく風芽は困惑する。
“一つだけ約束してもらいたい。あんたの命を助けた礼に、この村の事は決して他言しないでもらいたい”
“もちろんだ。何とかばれないように俺が使った抗生物質や薬を返せるように手配する”
‟そんなもん必要ない”
‟これだけ世話になってなんの礼もしない訳にはいかない”
この村がどういう村かは風芽には想像がついている。おそらく天女の誘拐を請け負ったり違法な物資を売買して生活をしてるのだろう。そんな奴らが何の見返りもなく人助けをするわけがない。風芽の中で疑念が生まれる。
“物はいらん。秘密さえ守ってもらえればな”
“もちろん、萌咲にも口止めはする”
“ああ、それは必要ない”
“なに?”
‟あいつはここに残る”
“なんだと?”
なんとなくファンの口ぶりにもやもやしていた風芽の疑念がここに来て一気に爆発した。
“どういう意味だ!”
風芽の動揺を予測していたように、そしてそれを楽しむようにファンはぐびりと酒を飲む。焦らすようにカップを弄り回しながら言葉を続ける。
“言葉通りだ。あいつはここに残る。だから口止めは必要ない。初めからそういう約束であんたを助けたんだ”
意味が解らない。
フーガは困惑と同様で必死に考えるが頭が上手く回らない。
“あんただってわかってるだろう?こんな土地で抗生物質や薬がどれだけ貴重か。それ以上に一区から来た人間を助けることがどれだけのリスクを伴うことか。それに見合う代償が一区から外に出ても生きていける女だ。これほど価値のあるもんはそうそうねえ。あいつは承諾したよ。俺と兄貴のモノになるってな。昨夜があんたと過ごせる最後の夜だったんだ。あんな初心な娘が勇気を出して誘ったのに、それを無下にするなんて馬鹿なことしたな”
‟そんな…ことは許されない”
フーガが拳を握り、顔をゆがめる。
‟バカバカしい。許されない?一体誰の許しがいるっていうんだ。俺達には一区の法は通用しねえんだよ。ま、どっちにしてももう手遅れだ”
ハッとフーガがファンを見る。
‟萌咲はどこだ”
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