第52話 萌咲、審判会に爆弾を投下する
サカキの声掛けに萌咲は頷いて抱いている未来に話しかける。
‟ミラ、ママと一緒に頑張ってくれる?パパを取り戻すために”
タオの予想外の協力だけで十分かもしれない。でも、このままなし崩しになる可能性はまだある。切り札を出すなら今しかない。この時のために今まで取って置いたのだから。
未来は萌咲の顔をみてにこにこ笑っている。
医師のサカキに先導されて会議室に萌咲が入ってきた。腕には生後半年になる未来を抱いている。後ろにサクとトモが続く。
タオに続き、突然の萌咲の登場に審判員達はまたざわめいた。萌咲が‟生んだ”赤ん坊を初めてみる者も多かったのでざわつきはすぐに止み、視線は母子に集まった。真っ白なコットンのジャンプスーツを着て足をパタつかせ真っ黒な瞳をくりくりと動かしている。見知らぬ大人たちのいる場に連れてこられたというのに怯える様子はない。その愛らしさに皆つい目を奪われた。
風芽も驚いて萌咲と未来を見つめる。ボーヨウたちも目を見開いていた。
‟萌咲、なぜここに”
その問いを微笑を返して萌咲は口を開いた。
‟神聖な審判会の場にぶしつけに乱入して申し訳ありません。皆様が決定を下す前にお願いがあってきました”
萌咲の乱入は二度目だ。前回は取り乱していたが、今回は自分で乱入と言いながら落ち着いている。
‟ここにいらっしゃる方々はこの国を代表する方々。誇りを持って正しい決断をされると信じています。私はお恥ずかしいことに、この子を産んで以前よりも感情的になってしまい、サカキ先生には止められたんですが、風芽がこのまま罪人として一区に戻れないような事態になったらと思うといてもたってもいられなくなって”
萌咲は恥ずかしそうに目を伏せる。
‟今はこの子の幸せが何よりも大事です。そしてこの子の幸せがこの世界の未来の幸せになると信じています。ですから、皆様、どうか”
そこで萌咲はいったん言葉を切った。そして抱いている赤ん坊を一度見つめて、そのあと周りにいる男たちを見回す。
‟どうか、私の娘から父親を取り上げないでください”
沈黙
‟天女様、い、いま何といわれましたか?”
ようやく審判員の一人が口を開く。
‟娘、と言われたのか?”
萌咲はにっこり笑って頷く。
‟はい、この子は私と風芽の娘です。未来と書いてミラと読みます。どうぞよろしくお願いします”
ミラを抱いたままお辞儀をする。
“そ、それは本当なのか…”
風芽がゆっくりと立ち上がる。萌咲はそちらに歩み寄るが咎める者は誰もいなかった。
‟ごめんなさい、風芽さん、言いそびれてました。この子は女の子なのでミラと読ませることにしたんです”
風芽は未来の顔をまじまじと見つめる。
“こうやって見ても、男が女かわからん”
風芽は戸惑い気味だ。
“どちらでもいいことです。この子は私たちのかわいい子供ですから”
だが口ではどちらでもいいと言いながらこの爆弾をこの場で投下した萌咲は確信犯だった。
萌咲がさらに風芽に近づくとミラが手を伸ばす。
“あー、たー”
“ああ、ミラ、いい子ね。パパの事がわかるのね。そうよ、パパよ”
萌咲らしくもなく芝居がかった調子でそういうとミラを風芽に渡す。まだそれほど経験のない風芽はあぶなかしい手つきでミラを抱きとった。
ミラは生後まだ六か月。あまり会っていない風芽を父親と認識してるかどうかは怪しいが。
医師の一人が
“そ、それは本当なのですか?女の子というのは”
“はい。でもまさかここで証明しろとは言いませんよね。女の子ですもの。こんな大勢の人の前で裸んぼうになんてできないわ”
萌咲は眉をひそめて女の子の部分を強調する。
‟も、もちろんここでそんなことはさせません”
訊いて来た医師は手を振る。
突然その場はウォー!という歓声に包まれた。信じられずに呆然とする者もいる。まさに何百年ぶりの女児の誕生なのだ。
自力で子供を出産し、母乳で育てている萌咲の発言はすでに無碍には出来ない空気があった。世間では萌咲の事を”聖母“と呼び天女たちの中にも彼女を特別視するものが出てきている。その上”女児”を産んだ天女の望みをないがしろにできるものなどいないだろう。
‟皆さん、私にもミラにも風芽は必要なんです。もし彼といられないなら私達、生きていけない…”
萌咲が悲しそうにそう言って俯いた。サカキが寄り添い
‟モエ様、早まってはいけません。お気持ちはわかりますが生きていけないなどと。せめご実家へ戻られるのはどうかと。ご実家はここよりもモエ様にとって居心地がよいでしょうから”
と、萌咲の背に手を添える。
もちろん萌咲に元の世界に戻る方法などわからない。ただ彼女には前科がある。周りの者たちは慄いた。
“天女様!とりあえず落ち着いてください。決して天女様を落胆させるような結果には致しませんから”
審判員達は口々に萌咲を慰めた。顔を俯けたままサカキをちらっと上目遣いに見た萌咲には強気の光が宿っていた。
風芽は未来を抱いてあっけにとられているし、この茶番に気づいたタオは笑いをかみ殺している。
会議室から退室し結果を待つ間、サカキとサクは別人を見るような目つきで萌咲を見た。
‟計画を聞いた時には驚きましたが、先ほどの萌咲様の様子にも驚きました”
‟私の方が緊張しましたよ”
サカキが額の汗を拭く。
幼い未来を医者や科学者の研究対象にされるのを恐れて発表に二の足を踏んでいた萌咲だったが風芽を取り戻すためにこの切り札を使う決心をした。そして使うなら出来るだけ効果的な場所と時を選んで。
萌咲はふうっと、ため息をつく。
‟緊張はしてたのよ。でもこの子のためならなんだってしなければって思ったんです”
子供が女の子であることは元の世界で検診を受けた時にすでにわかっていた。それ自体は萌咲にとって些細なことだった。だが、こちらの世界では違う。女の子を産むことには大きな意味がある。だから萌咲はこの世界に戻ってくる早々サカキに全面的に協力を頼み、「その時」が来るまで性別を隠していたのだ。
正攻法でもダメなら絡手でも邪道でも使って自分の望みを叶えてみせる。未来が生まれた時、風芽を取りもどすために萌咲はそう決心したのだった。
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