第53話 終話


 結果的に風芽は一区に戻れることになった。風芽の両親の件は当時の審判員達がすでに他界していたり、役職から退いていたりで個々の責任を追及することはできなかったが、風芽もそれを望んでいたわけではない。父の記録が罪人の名簿から削除され、風芽が萌咲の配偶者として認められた。


 萌咲達は一応国都に留まる形になり、サラはそのままオーダライ領の天女に落ち着いた。驚いたことに彼女も妊娠していた。初めサラも萌咲のように自然分娩をしたいと言っていたが萌咲は彼女の体では耐えられないのではないかと懸念した。実際骨盤が狭すぎて出産は無理のようだった。だが、彼女は自然分娩はあきらめても子供が肺呼吸できるようになったらオーダライですぐ引き取って自分で育てると意気込んでいる。すでに育児体験を済ませたケーイチとその家族がどう思うかはまた別の話だが。


 萌咲は国都、オーダライ領、二区、と未来を連れて忙しく動き回っていた。特に国都では未来を連れて幼児たちがいる施設を訪ねては一緒に遊んでいる。


 風芽は軍へ復帰した。


 萌咲が来てから慌ただしいことが多かったオーダライ領だったが、そんな中でリョウは自分の将来を真剣に考え始めたらしい。


‟萌咲と出会って僕は一区の中でしか生きていけない自分がもどかしくなったんだ。前は労働者である二区の人達を見下したり同情したりしてたけど、籠の鳥で哀れなのは一区にいる僕たちの方なのかもしれない”


 家族にそう漏らした。


 風芽の審判会に来てくれたタオは、萌咲のしたたかな立ち回りに、ファンへのいい土産話ができたと楽しそうにしていたが


“こんな所には長居はしたくない”


 と言い捨ててさっさと秘密の村に帰って行った。去り際


‟かならず、遊びに来いよ”


 と風芽と萌咲に言い残して。


“聖母なんて呼ばれるようになっちゃったけど、結局私は世界を救うことなんてできないですよね”


 タオを見送りながら萌咲は風芽にそう言うと、風芽は


 ‟お前は俺の世界を変えてくれたよ”


 と言ってその肩を抱き寄せた。



 女の子を一人生んだからと言って世界を変えられるわけではない。この世界の在り方に反発も覚えるし、だからと言って今の方法より良い在り方がわかるわけではない。人類が生き残っていくためとはいえ、納得がいかないことの多い法の数々。今回だって審判員達はなんとかつじつまを合わせてやり過ごしただけだ。萌咲がしたことも未来を産んだことを盾にしてのごり押しだった。この世界の歪みの解決策にはなっていない。


“でも、この世界も少しずつ変わっていくような気がします”



 少しづつ変えていきたい。種の保存は大事だけど、そのためにも人間が本来の強さを取り戻すことができるように今生きている人々の幸せも考えたい。先ずは子供たちの意識を。未来はここで生まれてここで生きていく。彼女と共に生きていく子供たちにもっと自由と選択肢を与えたいと思った。






 十年後


≪聖母様と未来様誘拐!≫


 国中にとって驚愕のニュースが走った。

 国都の情報ではすでに犯人のめぼしはついており軍の精鋭部隊が救出に向かっているとのことだ。この部隊は強い。二区だけでなく多くの一区の若者が二区での活動が可能なように長い時間をかけて特殊訓練を受けており、その機動力は群を抜いている。それを率いているのは聖母萌咲の夫でありこの国唯一の少女未来の父親である風芽だ。自分の大切な家族を攫った者たちに彼が容赦するはずがなかった。



 閉じ込められている部屋の窓には鉄格子が嵌められている。そこからつぶらな瞳が一セット覗いている。


“ママ、パパは助けに来てくれるかな”


 部屋のドアの外には見張りがいる。声は自然と小さくなる。


“大丈夫よ、おとなしく待ってましょう未来。あまり窓に近づかないで”


 犯人の目的が何であれ、自分たちに肉体的危害を加えるつもりは低いだろう。そう考えれば恐怖も薄れる。ただ、信じて待っていればいい。


“!”


 未来が声にならない悲鳴を上げ自分の口を押さえる。窓の外で上からするすると黒づくめの男が下りてきて鉄格子を切ろうとしているようだ。顔のほとんどはマスクで覆われていて見えないが切れ長の両目が未来をとらえる。目が合って一瞬二人とも固まってしまったが、黒ずくめの男の目が微笑むように細められ手袋をした手で人差し指を立て“しー”っと合図する。


‟未来、こっちへいらっしゃい”


 萌咲が娘を呼ぶと今度は未来はおとなしく傍に来た。その体を抱き寄せて、男が作業している姿をじっと見守る。音がしないように慎重にしているせいか時間はかかっている。

 その時部屋の外から声がした。


“おい!囲まれてるぞ!”


‟まずい!天女たちを連れて逃げるんだ!”


 怒声に萌咲達はびくっと体をこわばらせる。

 ドアが開いて男たちが二人駆け込んできた。同時にガシャーンと窓ガラスが割れる音がして黒ずくめの男が部屋に転がり込む。すかさず体を起こすと萌咲達に近づこうとしていた男の足を払う。そして腰につけていた棒を取り引き延ばすと思い切り倒れた男を殴りつけた。そしてもう一人には回し蹴りを食らわせる。あっという間に男二人を倒してしまった男はマスクを取ると未来の前に跪き手を出した。


 ‟お怪我はありませんか、お姫様”


 王子様だ


 未来は目を見開く。

 涼し気な目元だが少しだけ悪戯っぽいきらめきを湛えて未来を見ている。

 外ではまだ騒ぎが収まっていないが未来の耳には入ってこなかった。彼女の心臓の音がドキドキ響いているからだ。


 ‟助けに来てくれたんですね、リョウさん”


 萌咲にしがみついていた未来がえっ?と顔を上げる。


“風芽、隊長は正面から突入しました。もうすぐ来るはずです”


 任務中だからか堅苦しい口調で話すリョウ。その顔も体もすっかり大人の男のものだ。


‟ご無沙汰してます”


 萌咲は頭を下げた。そこにバタバタと足音がしてリョウと同じ黒ずくめの男たちが入ってきた。


“萌咲‼未来!無事か”


 先頭は隊長服を着た風芽だった。年齢を増してさらに精悍になった男は射るような眼差しで倒れている男たちを捉えたが、萌咲と未来を見てふっと表情を綻ばせた。


“風芽さん!”


“パパ!”


 リョウに見とれていた未来が風芽に抱きつく。広げられた小さな両腕を掬い取るようにして少女を抱き上げると風芽はその精悍な顔を黒髪にうずめた。


‟ケガしてないか、未来”


“うん!大丈夫”


“早く家に帰ろう。じいじもみんなも心配している。翔と芽衣もな”


‟俺はいったん軍に戻ってからオーダライの屋敷に行くよ”


 と、リョウが風芽に声をかける。


‟ああ、久しぶりだから皆楽しみに待ってる。早く来いよ”


 風芽に抱かれながら未来はリョウをずっと目で追っていた。


 あれはリョウ兄ちゃんなの?小さいころ遊んでくれた。

 未来のこと助けに来てくれた王子様。


 しばらく会っていなかったとはいえ随分変わった。



“萌咲、お前気分は悪くないか?”


 風芽は片手で未来を抱え、もう片手で萌咲の腰に手を回す。


“大丈夫です。特に乱暴もされなかったし。少し疲れただけ”


‟いくら四度目で慣れてるとはいえひどい目にあったんだ。お腹の子に万が一のことがあったら大変だ。帰ったらすぐドクターに来てもらおう”


“それより暁は大丈夫かしら。あの子はお姉ちゃん子だから未来がいないとすぐ泣いちゃうから”


‟いや、大丈夫じゃないだろうな。泣いてると思うぞ”


“えー”


“ちょっと隊長!家族大事なのわかりますけど、一応こっちにも指示出してって下さいよ。廊下にも転がってるやつらがごろごろいるんですから”


 隊員の一人が声をかける。


“全員拘置所に放り込んでおけ。俺は萌咲達を送ったら軍に戻って尋問する”


“いや、こいつらほとんど病院行じゃないですかね、隊長”


‟オーダライの聖母とその娘を誘拐しようなんて自殺行為でしかないな”


 別の隊員もそう言いながら拘束した男たちを引きずって行った。



 こうして聖母誘拐事件は発生から十二時間で解決したのである。

 萌咲がこの世界に来て十二年、リョウのように自ら選択して一区の住人でありながら囲いを出て活動する若者が増えている。それに伴ってケガや感染症で入院する者が増え、病院はてんてこ舞いになったがそれを悲観視せずに積極的に治療し治そう、治ろうとする意志を見せる者達も増えている。萌咲が引き起こす秩序の混乱を嫌い今回のように強硬手段に出る者もいる。


 十年の間にこの世界で生まれた女の子は萌咲の産んだ未来とその後生まれた双子の片割れ芽衣のみ。萌咲が来る前と大きな変化はないように見える。ただ、今までのやり方に疑問を持つ者たちが試行錯誤を始めている。


 変化は、確かに起きているのだった。




 END

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