第15話 萌咲、国都で洗礼を受ける


“あれが例のオーダライ領の天女だそうよ”


“ああ、あれが…噂通り随分…”


 ひそひそとあちこちで声がする。はっきりと聞こえないが途切れ途切れに耳に入ってくる言葉や口調、彼女たちの視線で好意的でない内容なのはしっかりわかる。


 うー覚悟はしていたけど痛い痛いー。


 国都に来る前にサクとトモから心の準備をするようには言われていた。


『モエ様、いいですか。顔見せの時には二十人から三十人くらいの天女が集まります。名目は総領主と他の領主たちへの紹介や新しい天女たちの交流の場なのですが、実際は品評会のようなものです。このように言うとモエ様は気を悪くなされるかもしれませんが、色々言われると思います。ですが!くれぐれも深刻に受け止めず、軽―く聞き流してください』


 トモが続ける。


『実は怖いのはそこじゃないのです。天女たちも自分の配偶者や婿候補がどこの領主よりも格上だと確認したいのです。そして、モエ様。このオーダライ家の方々ははっきり言ってどの方もトップクラスです。ですからモエ様にやっかみの視線やいやみが飛んでくると思うのです。どうかどうか、気になさらず軽ーく流してください』




 総領主とその配偶者である天女が来るまで広間では立食式のランチが開かれていた。美男美女が大勢集まった広場は皆シンプルな装いをしていてもキラキラしい。

 サクの言った通り、この世界に来て初めて見る女性たちが約二十人ほど、おそらく各地の領主とその家族、親戚にあたる婿候補者が百人は超えるだろう。ボーヨウは他の領主たちと挨拶している。ケーイチ達四人は広間に入るなり早速たくさんの人に囲まれてしまった。


 トモ君が言ったようにケーイチさん達はこういう場でも素敵なんだなぁ。


 この場にいるどの男性も萌咲の目から見ると平均値を超えて整った顔をしてるがケーイチ達はその容姿、立ち居振る舞い、醸し出す雰囲気などひと際華やかで目立っていた。容姿に関しては二百年程前まではよく行われていた遺伝子操作の賜物でその後禁止されたのだがオーダライ家ではその優れた遺伝子を濃く受け継いでいる運のいい家系なのだそうだ。


 そういえば、フーガさんはここにはいないんだ。


 建物に入ってからフーガの姿を見ていない。何となく心細くなり、きょろきょろと周りを見回して、ついうっかり近くにいた天女の一人と目が合ってしまった。


 萌咲より少し年上っぽいさらさらした栗色の髪を肩まで伸ばしたきれいな人だ。にっこり笑って近づいてくる。慌ててお辞儀をすると、頭の上でふふんと笑われた。顔を上げると、


“こんにちは。私はカタヒラ領の天女でユーナというの。あなたが最近オーダライ領に落ちてきた天女ね。もうこちらには慣れた?”


 ユーナは萌咲よりも五センチくらい背が高く目線を上にあげなければいけない。

 見下されているように見えるのはこっちのひがみだろうか…


‟私はオーダライ領の…”


 萌咲も自己紹介をしようと口を開いたとき、別の天女も近寄ってきて


“初めまして。トージョーのリアよ。あなた、泥まみれだったんですってね。よく無事で。私だったらきっと病気になっちゃってたわ”


“あなた、見た目も少し私たちと違うわね”


“ご自分の事何もご存じないって本当?記憶喪失なの?”


“いえ、そうではなくて…”


“でもうらやましいわー。オーダライ領の候補の方々って皆様すごく素敵で、もったいな…”


“しー!失礼よ”


 聞いてない、聞いてない。いろいろ質問してくるけど、私の返事なんて聞いちゃいない。っていうかどんどん集まってくるんですけど!こわい!みんなにこにこしてるのに目が笑ってないよ。


 自分より背の高い天女たちに囲まれて萌咲はパニックになった。


 その時力強い手に肩を抱かれて引き寄せられる。


“モエ、こっちにおいで。まだ何も食べてないだろう?ここの料理はどれも絶品なんだよ”


 柔らかな声に顔を上げるとケーイチが萌咲を優しく見下ろしていた。萌咲の周りにいる天女たちには目もくれない。

 近くのテーブルのところでリョウが手招きする。


“モエ、ここにチェリーパイがあるよ。モエの作ったのとどっちがおいしいか食べ比べてみようよ”


 ジュンがカップを手に声をかけてくる。


“モエはお茶でいい?砂糖いらないんだよね”


 コーキも萌咲をみて手招きしている。


“え?あ、はい”


 しどろもどろになり萌咲がケーイチとテーブルに近づく。残された天女たちはあっけにとられてみている。彼女たちはどの領においても非常に丁重に扱われ欲しいものや要求はほぼ叶えられる。まるでお姫様のように扱われ、また彼女たちもそれに慣れていてそのようにふるまうのだ。しかし、オーダライの青年たちのように彼らの方から親密に世話を焼いたり可愛がったりするのは珍しい。


 そこへよその領の青年も近づいてきて


“なになに?お宅の天女はパイを焼いたりするの?”


“あ、でもあれは失敗作で、すごく焦がしちゃって”


 萌咲は慌てて手をふる。


“でもフィリングはすごくおいしかったよ”


“僕はこの前作ってくれた甘い芋のおやつは好きだったな”


“へぇー君、面白い子だね。でもちっちゃくてかわいいな。モエちゃんていうんだ”


 青年は少し前かがみになって萌咲の顔を覗き込んでくる。


“ちょっと君近づきすぎ”


 とリョウに肩を押さえられる。

 今度は男性たちが集まってくる。


 え?今度は何?男の人たちが集まってきた!


 彼らも盛んに萌咲に質問してくるが誰も返事は聞いていない。


 この人たちって、私と違う世界の人たちだ、いろんな意味で。


 萌咲はもともとこういう社交の場は得意ではない。ポンポン気の利いた会話ができないのだ。

 顔を真っ赤にしたまましどろもどろするしかなかったが、そんな萌咲を他の天女たちは嫉妬の目で見ているのには気が付かなかった。


 その後総領主とその天女が参加した、あいさつをしていった。今日は各領地から集まってきたということで正式な予定は入っていない。夕食もビュッフェ形式で各自適当に取り、自由解散となったが食堂になっている広間にはまだ人がたくさん残っていた。

 萌咲は疲れて早めにコーキに自室まで送ってもらった。疲れは感じていても気が昂っているのか、それとも少しだけ飲んだワインの所為か顔が火照っていた。窓の外を見ると庭にはいくつか明かりが見える。警備の者も巡回しているしまだそれほど遅い時間ではないから庭に出るのは問題ないだろう。サク達ははまだ萌咲が食堂にいると思って自室にいるのだろう。


 少しくらい、一人でも大丈夫だよね。


 少し涼もうと部屋からそっと出てみた。宿泊棟はホテルのような作りになっていてたくさん部屋が並んでいる。今廊下には人影は見当たらない。ほとんどの男性たちは夕食後に飲んでいるようだ。他の天女たちは何をしているのかはわからないが、できれば会いたくなかったのでほっとする。

 庭への扉を開けると一歩踏み出すと、少し甘い花の香りがした。何よりもその静けさにほっとする。

 日中はまだ暑いが夜は涼しくひんやりとした空気が火照った顔に気持ちいい。空を見上げると煌めく星が見える。この夜空が人工のプラネタリウムだと言われたとしてももう驚かない。


 ぼんやりしていると、少し離れたところで話し声が聞こえ、声のする方に目をやると男女のカップルの影が目に入った。木の陰に隠れるようにしてその場から立ち去ろうとするも、そちらの方から人が近づいてくる。はっとして振り向くと若い男が立って萌咲に微笑みかける。これまたイケメン。おそらく今日のお茶会に参加したどこぞの天女の婿候補の一人だろう。自信ありげな立ち居振る舞いはどこの領の候補者にも共通したものだ。


“こんばんは。君が噂のオーダライ領の天女だね”


 息を飲む。少し離れた先、青年の肩越しに天女の姿がみえる。こちらに向けられる目は怒りの色を含んでいた。彼女はモエを睨むと踵を返して離れて行った。


 一人になりたくてここに来たのに、この状況は…?


 青年は数歩で傍まで来ると萌咲の顔を覗き込む。


“昼間は君の周りがうるさくて挨拶できなかったから、こんなところで会えるなんでラッキーだな”


“あの、彼女さん、行ってしまいますよ?”


“彼女?ああ、大丈夫だよ。君に近づけるチャンスはめったにないからね”


 男は悪びれもせずニヤニヤして近づいてくる。


“で、君は何がそんなに特別なの?あのオーダライのエリートどもが君を囲い込んで他の男たちを牽制するなんて”


 近い近い近い!


 一歩後ろに下がると、背中に木が当たってそれ以上以動けなくなってしまった。


“小さくてかわいいけど…確かに他のすかしたわがまま天女たちとはずいぶん感じが違うけど”


“な、何を…?”


“君、もしかして顔に似合わずすごく、イイのかな。どう、僕と試してみない?”


 片手で腕を掴まれ、もう片方の手で顎を掬われ顔を近づけられる。

 ザワッと怖気がして萌咲は一歩後ずさる。


“やだ…離して”


 手を振りほどこうとするも優しい気な顔に似合わず掴まれた手首はびくともしない。


 こわい!


“大丈夫、怖がらなくていいよ。君も楽しめばいい”


 顎を更にきつく捉えられキスをされそうになって顔をそむけたとき


“そこで何をしているの?”


 凛とした女性の声が聞こえてきた。萌咲の手を掴んでいた男ははっと声のする方を振り返る。


“ユリエ様、こ、これは…その”


“その手を放しなさい。同意の上でのことには見えないわね”


 少し離れたところに立っているのは初老の女性だった。眼もとがとても美しく凛としている。口調は穏やかだが青年を見る目は厳しい。

 青年は慌てて手を放して退いた。萌咲はまだ体がこわばっていたが、女性が数歩近づいてきて


“いらっしゃい”と萌咲に向かって手を伸ばすと萌咲は夢中で縋りついた。萌咲の体はまだ震えている。


“今のは見なかったことにします。時と場所をわきまえて、あまりはめを外さないようになさい”


 青年は礼をして足早に立ち去った。


“怖かったでしょう。少し私の部屋に寄ってらっしゃい。暖かい飲み物を用意させるわ”


 萌咲の背中に優しく手を当てて促す。その手の暖かさに萌咲は緊張がゆるみ涙ぐんですまう。

 一緒に歩き始めてから女性は萌咲の背後に視線をやり


“あなたもいらっしゃい。護衛ならもう少し近くに居なくてはね”


 と声をかけた。


“…”


 護衛?


 萌咲が振り向くとそこにはフーガが立っていた。息を切らし、走ってきたかのようだ。


 フーガさん、なんで。


 目を見張る萌咲。返事を待たずに女性は自分の部屋へ萌咲を誘った。フーガは黙って少し離れてついてくる。二人を部屋に招き入れると女性は侍女に飲み物を頼んで自分もソファに座った。


“私はユリエ。総領主ガモンの配偶者よ。あなたはモエね”


 総領主。ランチの時顔は見たが会話はしていない。

 お二人とも六十歳くらいと聞いたけど、ずっと若く見える。上品できれいな人。


“あ、ありがとうございました。私どうしていいかわからなくて”


ユリエはため息をついた。


“降下してきた女性たちは天女などと呼ばれてるけど、現実の話はそんなきれいなものではないわ。昔のように卵製造機や出産マシーンなんて扱いは受けなくなったけど、基本は卵子提供をしてくれればいいと思われている点は一緒よね。今は処女であることが求められているわけではないし昔ほど厳しくはなくなったけど、女性たちの方でも贅沢はさせてもらえても制約だらけの生活にうんざりしているのは同じ。当人同士が納得していれば複数の男性と関係を持つこともあるし、配偶者候補として認められた人が相手で妊娠さえしなければそれほど非難されるわけじゃない。もちろんそんな女性ばかりではないし、配偶者と誠実に付き合っていく人もいるけど。こういう機会にいろんな出会いを求めて火遊びをする人たちは結構いるわけ。決して歓迎されることではないけど、黙認されてるわね”


 なんというか…まあ、元の世界でも一生のうちにたった一人の人に純潔を捧げるなんてことはめったにないだろうけど、どこにも自由人というのはいるのもなんだ。というか、私があんな風に迫られた経験がないだけで、慣れてる人は軽く流したりできるんだろうな。


 ユリエから説明を受けて冷静になると子供っぽい自分の反応を恥ずかしく思った。


“だからと言って、無理やりっていうのは許されることじゃないし、天女の望まない行為を強いた場合は通常よりも重い罪には問われるわ。見たところ、あなたはそういうタイプには見えないし、怖い思いをしたでしょう。私はたまたま近くを通りかかったからよかったけど、一歩遅かったら…”


 と言ってフーガの方を見て品のある顔に似つかわしくなく意地悪くニヤリと笑う。


“あなた、殴りかかっていたんじゃない?”


 そのフーガは憮然としていたが、


“ご迷惑をおかけしました”


 と頭を下げる。


 私の所為でフーガさんにも迷惑をかけちゃったんだ。


 申し訳なさと羞恥の思いで首をすくめると、ユリエがくすくす笑う。


“かわいらしい方ね。私ね、昔あなたの様な女性にあったことがあるのよ。タイプは違うんだけど、でも他の天女とは全く違う雰囲気をまとった人でね。感情豊かで、そのために苦しい思いをして、残念ながら病気で亡くなってしまったけど。あの人もいわゆる「規格外」だった。私が会う時はいつも悲しそうにしていたけれど、それでもとても美しい人だった”


 ユリエは懐かしむように話し続ける。


 どうしてそんなことを私に話すんだろう。ああ、私が「ハズレ」天女だからか。


 でも嫌な感じはしなかった。ほかの人に言われる時の様な呆れや侮蔑の響きがなかったから。

 ふと横を見るとフーガは表情を変えずに黙ってユリエの話を聞いているがその瞳にはなぜか揺らいでいるような気がしてこちらも切なくなった。



 ユリエの部屋を辞した後フーガが部屋まで送ってくれた。


 さすがにもう散歩っていう気分じゃなくなったし、もう大人しくベッドに行こう。

 部屋のドアを開けた時


“…お前は…”


 それまで一言も話さなかったフーガが何か言おうとしたが、萌咲が振り向くとそれ以上言葉を続けなかった。


“いや、何事もなくて良かった。ゆっくり休め”


 萌咲はその濃い茶色の瞳を見つめ、なぜかいたたまれなくなり頭を下げる。


“ご迷惑をかけてすみませんでした。おやすみなさい”


 その頭に一瞬暖かい手が触れてすぐに離れる。萌咲が頭を上げた時にはもうフーガは背中を向けて去って行った。その後ろ姿を少しの間眺めていたが、萌咲はそっとドアを閉めた。


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