第18話 萌咲、台風の接近を予測する



 あの人、とても悲しそうだった。ジュンさんも本当はまだ好きなんじゃないかな―

 このままじゃだめだ。


 目に涙をためたアキの顔、かたくななジュンの様子が頭から離れない。


 萌咲は覚悟を決めてジュンと話してみることにした。こういうの柄じゃないんだけどな。人様の恋愛事情に口を出すなんて。しかもきっとジュンはいい顔をしないに違いない。


“そうは言っても私もこういうの得意じゃないんだよね…”


 独り言ちして、麦わら帽子を脱いだ。風が汗で湿った首筋をなでていき、ひんやりとした感覚が気持ちいい。


 ずっとしゃがみ込んでいて足がしびれてしまったので立上がって伸びをする。大きく両手を伸ばして空を見上げると空が真っ赤になっている。


“うわーすごい色。怖いくらいきれいなんだけど”


 萌咲の独り言に近くにいた男が反応する。


“きれいですね”


“うん、確かにとってもきれいなんだけど”


 あ、今って夏?日本だったら台風の季節なんだけど、こっちにもあるのかな?


 農夫に聞いてみると


“ああ。台風は来ますよ、今の季節は少なくないですね。予報が正確なのでそこそこの対策はできますが、外に植えている作物を完全に守るのは難しいですから大きいのが来ると大変ですよ”


“今日の空って嵐の前触れみたいな雲ですよね”


“え?そういうのわかるんですか?ちょっとチェックしてみますね”


 男は端末でチェックすると


“あ、もうすぐきますね。このままだと、明日の夕方から明後日の夜明け前にはこの辺りを通りそうだ。結構大きいな。離れてるからまだアラートがついてないけど、スピードが速いんだな。天気がいいからチェックしてませんでした。すごいですね、落花様。台風の前触れとかわかるんですか”


“うちの地方は台風はそれほど大きなものは経験したことないけど、嵐とかはあったからなんとなく。今のうちに何か対策できますかね?”


“俺たちはシェルターに入れば大丈夫だけど野菜や果物は厳しいな。今のうちに収穫できるものをしといたほうがいいか”


 "じゃぁ、早速できるだけしちゃいましょう!”


 萌咲が張り切って言う。もちろん自分も手伝うつもりだ。


“でも、落花様、そろそろ館の方にお戻りになる時間じゃないですか?”


“うーん、でもまだ明るいし、フーガさんも何かお仕事してるようだし…”


 と言っているところに


“モエ、そろそろ帰るぞ”


 と、声がかかった。


“…”


 タイミング悪…


 萌咲がジトっとした目つきでフーガをチラッと見るとフーガはきょとんとして


“ん?なんだ、目が座ってるぞ”


“フーガさん、今日はもう少しここでお手伝いしていっちゃだめですか?”


 眉間にしわを寄せるフーガに男が台風のことを説明すると、


“もうすぐ日が暮れる。今から作業してもあまり大したことはできないだろう。それより収穫できる作物とその割り当て、保存する場所をリストにして明朝早くから一斉に作業できるようにしておいたらどうだ”


 と、アドバイスしてくれた。

 なるほどと思い、責任者のノリアキも呼んできて、フーガとともに農場を回って収穫できそうなものをピックアップして保存場所、担当を決めていく。

 ノリアキ達ををフーガの小屋に招き、みんなで明日の段取りの話をしながら軽食を食べると


“これで少しでも作物を無駄にせずに済みそうです”


 彼らは頭を下げながら帰って行った。


 男たちを見送りフーガと萌咲も館に向かう。陽が落ちてしまったのでライトは持っていても暗い道を歩くのは少し心もとない気がした。雲が出てきて満天とはいかないが空には星が光っている。

 これは本物の星なのだろうか。それとも作り物?国都で見た時も同じことを考えたことを思い出した。フーガに聞こうと思った時小さな小石か何かを踏んづけてバランスを崩す。


“きゃ!”


 そのとたんに大きな腕に体を支えられ、萌咲はほっとするとともに急にドキドキしてきた。思わずしがみついてしまったたくましい腕が離れていくのを名残惜しく感じてしまう。


“この辺りは一区と違って道に石ころもゴロゴロしている。上ばかり見てると危ないぞ”


“す、すみません、ありがとうございます”


 暗くて良かった。私、きっと顔が真っ赤だ。何事もなかったように歩き出したフーガの服の裾をそっと握りしめて萌咲は俯いて歩き出した。


 服を引っ張られる感じがして、また躓いたのかと思ったがどうやら万が一の時の支え替わりらしい。気が付かないふりでそのまま、少し歩調を緩めてフーガは歩き続けた。


 明日あたり台風が来るらしい。予報はかなり正確なのでよほど大きな土砂崩れや洪水、その他の二次災害などが起こらない限りけが人や死者が出ることはめったにない。作物も収穫量に響けば他国から輸入することで補填できるが損失は少ないに越したことはない。二区は建物も一区ほど頑強ではないため災害が起これば被害はそれなりに出るし、天災というものはそもそも予想を超えることがある。明日は朝から総出で作業すればかなりの量を収穫をすることができるだろう。嬉しそうに帰って行った男たちの顔を思い浮かべる。当たり前のことのように作物のことを心配したり、男たちに食事を振舞ったりする萌咲は本当に変わった天女だ。


 この世界は歪だ。


 フーガは思う。


 女が生まれなくなったことだけでなく、抵抗力が無くなった人類を守るためとはいえ一区は完璧に保護されている。しかし、それだけでは農業や他の産業が行えず生活が成り立たないために二区という場所を設け、そこに住む人間が割り当てられ、一区と分けられた。労働者階級だ。彼らは虐待されているわけではないが、一区との格差は明らかだ。生活様式、教育全てにおいてだ。法律上人権も保護されているが、一区に住む支配階級は二区のことを下に見ているのは否めない。今回のように台風が近づいていて情報はあっても具体的な対処は二区任せで被害があってから初めて動く。それも、作物の被害など一区の生活に影響が及ぶという理由からだ。それでも幼いころから二区とはそういうものだと教育されてきたので一区の人間のみならず二区の人間も不満は感じても疑問をを持つことは少ない。


 そういうことを考えながら歩いていると憤りに近い感情が湧き上がりかけるが、その時ふっと、体を引っ張られる感覚に思考が途切れた。

 斜め後ろを歩いている娘が少し遅れたのだろう。また口でも開けて星を見ながら歩いているのだろうか。

 頼りなげでおどおどしていたかと思えば、思いがけず積極的に行動する。体は小さいのに包容力がある。二区の労働者たちを気にかけ、彼らの生活に寄りそう。彼女にしてみればこちらの方が居心地いいだけのようだが、二区に住む男たちは彼女を女という性的な目で見るよりも母のような目で見ている気がする。


 こんな小娘なのにな。


 くすっと笑みがこぼれた。



‟モエ様、フーガ様、お帰りなさい!”


 サクに遅れることは連絡してあったが、オーダライの屋敷に着くと待ちかねたように出迎えられた。理由を説明してフーガは自分で消毒室に行った後自室に引っ込んだ。明日は忙しくなる。


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