第37話 風雅、覚悟の夜
そっと唇を離し、萌咲の体を抱き寄せる。
華奢なうなじから手を滑らせ鎖骨、そして細い肩を辿り腕へと降りてくる。しかしその手は萌咲の腕を掴んで止まった。風芽はまだ躊躇していた。
萌咲は愛しい。自分のものにしてしまいたい。だが、一線を越えてしまった先にあるのは二人だけの問題ではないのも事実なのだ。ファンたちがどう言おうと、一区に戻りそこの一員として暮らしていくのならばその秩序を守るための義務があるのだ。そして恩あるボーヨウと家族として愛情があるオーダライの者たちを裏切ることにもなる。
風芽の躊躇を感じ取ったのか、萌咲がそっとその両手を風芽の頬に伸ばしてきた。
‟私はどうしようもなく風芽さんが好きです。今はそれだけしか考えられない”
そういって自分から唇を寄せてきた。
“このことでもし風芽さんが罪に問われるようなことがあったら私、ちゃんと証言します。わ、わたしの方から風芽さんにせ、迫ったんだって”
風芽は絶句する。そして萌咲はとんでもないことを言った後真っ赤になった。それがたまらなく愛しいくて風芽はフッと顔をほころばせた。
萌咲のそんな証言など実際に取り上げられたりしないだろう。
だが。
たまには年上の男らしく主導権を握らなければさすがに情けないな。
動かせるほうの手で細い手首をぐっと引っ張ると萌咲の体をベッドに押し付けた。
“きゃ”
パフンっとベッドに沈んだ萌咲に大きな瞳で見上げられゾクッと鳥肌がった。
“風芽さん、う、腕が…それに背中の傷も大丈夫ですか”
小さな声で萌咲が聞いてくるが
“問題ない”
と言って華奢は体に覆いかぶさり唇をふさいだ。深い、少し強引な口づけだった。
~~~
大きな腕に包まれながら萌咲が目を覚ました時はもう外は明るくなっていた。風芽の顔がこれまでになく近くにありドキドキする。
“避妊具を使わなかったことがばれればただでは済まないな”
そういいながらも風芽は萌咲の頭や目元、頬、唇にちゅっちゅっとキスを振らせてくる。
“どうしてですか?”
昨夜のことを思い出し萌咲が赤くなりながらも首を傾げる。
“こんな事を話せばまたお前にまたストレスを与えてしまうが、配偶者が決まったら、あるいは天女が希望した場合は先ず卵子の採集を行う。ある一定数の卵子を採取したその後に生殖行為が許可されるんだ。万が一先に妊娠してしまったら卵が採集できなくなるからな。複数の配偶者候補たちと関係を持つのは暗黙の了解とされているが妊娠は厳禁なんだ。だがお前の場合は神官や医者達が先ず検査をするだろうな”
風芽の説明に萌咲が顔をしかめる。
‟それは、私が子供を産めるかどうかですか?”
“ああ、過度のストレスで、ここに来てすぐお前の母体としての機能が止まってしまっただろう?”
数か月前に生理が止まったことを言っているのだ。相変わらずこの世界はそうしたことに神経質だ。だが萌咲はきょとんとして言う。
“私、大丈夫ですよ?”
風芽の顔を見上げてその頬にそっと手を触れてみる。少しひげがざらつく。
“二区で行かせてもらえるようになってから、少ししてまたもどってきました”
風芽はがばっと起きて
“本当か?”
と聞いてくる。
“なぜ教えなかった”
“…”
全く…神経質で過保護で、そのくせデリカシーがない。
“そういうことはものすごくプライベートなことなんです。いちいち他人にしかも男の人に報告しません。それにまだ、不順ですし”
萌咲は少し膨れて言った。全くこの世界の男どもは。
サクとトモはもちろん知っているしドクターにも報告は行っていただろうが萌咲の精神面を慮ってか大っぴら会話に上ることはなかった。配偶者を決める頃には話題になっていただろうが。
“お前にとってはプライベートなことでもここでは、最重要案件なんだ”
風芽はあきれ顔で言った後、一瞬考え込むような顔をしていたが
“こうなってしまっては一度も二度も一緒か”
ニヤッと笑う。今まで見たこともない艶っぽい笑いだ。さわりと手が動いて滑らかな背中をなでた。
“え?”
戸惑う萌咲に風芽が唇を重ねてきた。最初から深く侵略し萌咲を翻弄していたが次第に余裕がなくなってきたのは風芽の方だった。手に力がこもり、吐息が熱い。風芽の意図を察し萌咲は慌てる。
‟ん…ま、待って”
‟待てない”
俺はきっとすごく我慢していたのだ。自分でも気が付かないくらいに。萌咲がもっと欲しい。
“昨夜はお前は初めてだっただろう?加減してやれなかったから今度はもっと優しくする。それにこうやって二人きりになれる時間は当分取れなくなるだろう”
その後甘い刺激が走り萌咲は何も考えられなくなった。
一区への帰還の準備ができたとファンが扉を叩くまで萌咲が風芽の部屋から出てくることはなかった。
箍が外れるとはこのことか、と風芽は自嘲する。萌咲の事はかわいい、守りたい、そして愛しいとは思っていたがそれほど性的な目で意識したことはなかった。ファンやタオが言うように普段の萌咲を見て色気を感じることは正直言ってなかった。初めて覚悟を決めて彼女に口づけしたときも、愛しいという気持ちを表現する手段であり肉体的な欲情とは少し違うと思っていた。それなのに一度触れてしまったその肌の柔らかさと弾力、初めての行為に恥じらいそれでも必死で風芽に応えようとする萌咲の姿態はいじらしいだけでなく、この上なく艶めかしく風芽の頭も体もしびれさせた。
風芽は時間を忘れて溺れていくのを自覚していた。
未だに頭の片隅にある罪悪感すらも風芽を追い立てる要素になっているのかもしれない。
萌咲は萌咲でそんな風芽の変貌に驚いていた。普段はあまり感情を乱さず冷静な風芽が理性をかなぐり捨てていっそ荒々しく萌咲を求めてきた。乱暴ではないが、萌咲の全てを取り込もうとするかのように抱きしめ翻弄していった。萌咲も初めての経験に不安がなかったわけでないが、それ以上に愛する風芽と思いが通じ合った喜びが強かった。
でも…
萌咲は息を切らしながら訴える。
‟もう無理…死んじゃう…”
“遠慮せず眠ってもいいぞ”
と、一応の返事はあるが。
‟でも、手を放してもらわないと”
”そうか…すまない“
申し訳なさそうに、しかし少し残念そうにつぶやくとようやく手を止めて代わりに萌咲の体を後ろからやさしく包み込んだ。
それにほっとしつつ、まだ執拗に耳元に口付けしてくる風芽の無言の懇願に敢えて気がつかないようにして萌咲は目を閉じた。
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