第3話 萌咲 天女として迎えられる
“ごめんなさい…”
萌咲は消え入りそうな声で謝った。桶はトモに命中した。おでこを赤くしたトモは困ったように微笑みながら
“もう謝るのはおやめ下さい。驚かせた私が悪かったのですから”
入院患者患者が着るような白い薄手のワンピースに白いガウンを着せられベッドに座る萌咲。
“落花様、お疲れかもしれませんがこれから健康診断と除菌をさせていただかなければなりません”
“あの、らっかさまってなんですか?私の名前は萌咲です。原田萌咲。それにどこもケガなんかしてませんし、消毒の必要ありません。ここはどこなんですか?どうして私こんなところに?家の庭にいたのに”
さすがにのんびり屋の自分でも事態の異常さにじわじわと不安が募ってくる。夢にしては何もかもがはっきりしすぎている。唇と指先が冷たく震える。
“落花様…”
青ざめ震えている萌咲を見るサクとトモは目くばしをして小さくうなずき合う。
“混乱されているようだ”
“神官様とドクターをお呼びしてくる”
と言ってトモが部屋から出て行った。
サクが暖かい飲み物を持ってきてくれた。かすかに柑橘系の香りのするハーブティーのようだ。ありがたくカップを受け取りに甘酸っぱい匂いを吸い込んで少し口を湿らせるとホッと息を吐いた。
“本当は検査と消毒が済むまではお水以外は差し上げられないのですがこの程度でしたら構わないでしょう”
とサクが優しく微笑む。
その笑顔にじんわりと涙が浮かんできた。
“ありがとうございます…”
サクはやや目を見開くと少し顔を赤らめ、そして困ったように微笑んだ。
“あなた様は少し違うようですね”
と小さな声でつぶやいた。
“え?”
聞き返そうとして時トモが中年の男を連れて戻ってきた。萌咲が目を覚ました時にいた神父の様な恰好をした男だ。サクは丁寧に頭を下げると‟神官様こちらへ“と言って場所を開ける。神官はベッドの傍の椅子に腰を掛けると萌咲に状況を説明し始めた。。
それは萌咲にとってとても信じられない、受け入れがたい話だった。
この世界にはもう長い事、何百年単位で女性が生まれていないこと。世界各地で定期的に天女(あま)乞いが行われ不定期で若い女性が天から降ってくる。本日この地でも天女乞いの儀式が行われたばかりで萌咲はその儀式によって召喚された天女であること。天女の使命はこの世界の種の存続に協力すること。天女達のおかげで人類は何とか存続し続けており、天から降ってきた女性は総じて“落花様”あるいは“天女様”と呼ばれ丁重に迎えられること。
“そんな…私そんなこと知りません。どうして私なんですか?私は家に帰れないの?”
‟天女が…あなた様がどこから来たのか、それは私どもも知らないのです。ただ、神が遣わされたとしか。そして戻る方法もわかりません”
神官は丁寧な口調で、しかしきっぱりという。
‟私の知る限り、この世界に来られた天女様でお戻りになった方はここ数百年一人もおりません”
体の震えが止まらない。目からは涙があふれてくる。今にも叫びだしそうになるのを手を口に当てて必死でこらえた。
“落花様、まだお心が静まらないのに申し訳ないのですが、ドクターが到着されました。お体の検査と除菌をさせていただきます”
と、先ほど言われたことをもう一度繰り返された。
“…”
何をされるのか不安だったが、ショックのあまり思考が止まってしまい抵抗することもできずに検査室のようなところに連れていかれた。先ずシャワーブースのようなところに入りそこから霧が出てきた。顔や首筋など素肌にあたるとヒヤッと冷たい。これが‟除菌”なのだろう。その後柔らかそうな長い栗色の髪を結わえた眼鏡のドクターを紹介された。若い男だが穏やかそうな雰囲気なのが救いだった。小ぶりなレントゲンや超音波のような検査、血液検査などされ一時間ほどで解放された。自分の置かれている状況を思い悩む暇もなく、いろいろ調べられ元居た部屋に戻ってきたときにはぐったりと疲れてしまっていた。
部屋にはサクとトモが控えていて
“落花様、この服にお着換えください”
“その間にお食事をお持ちします”
とてきぱきと萌咲の世話を始める。
“あまり食欲はないんで気にしないでください”
正直言って一人になりたかった。
力なく首を横に振りそう言うとサクは少し思案した後で
“ではスープのような軽いものをお持ちします”
と言って部屋から出て行った。
残されたトモが
“ではお着換えを”
と、萌咲のガウンに手をかけたので萌咲はぎょっとする。
“え!じ、自分でできます。あの、少し出て行ってもらえますか”
慌ててガウンの襟元を握りしめるとトモはまたも困ったような顔をしたが、
“では少し外します”
と言って部屋から出て行った。
な、なんなのなんなのなんなの???
言葉遣いから着替えの手伝いまで、まるで本とかで読んだお姫様のような扱いだ。男の人に着替えを手伝ってもらうなんて、信じられない。
また誰かがいきなり部屋に入って来そうでベッドの反対側に移動し急いで着がえた。シンプルだが非常に肌触りのいい長袖のゆったりしたワンピース。白と淡いピンクを基調にした上品なものだ。
あんまり私っぽくない…
こういうおしとやかな格好は慣れていない。もともとおしゃれよりも活動しやすい格好を好む。肩を超す髪も普段ポニーテールや三つ編みにしているが、それは動くのに邪魔にならないので、という理由からだ。
萌咲の家は大きな農家で両親と兄がいつも忙しく、年の離れた妹と弟の世話と家事のほとんどは萌咲の担当だった。彼女自身大学生で勉強と家事でいつも忙しくしていたのであまりおしゃれに気を使ってはいなかった。
着替えた後、脱いだガウンを畳んでいるとノックがしてトモがドアの陰からそっと顔をのぞかせた。
“あの、落花様、もう入ってよろしいですか?”
“あ、すみません、大丈夫です”
サクが小さめのテーブルにスープとゼリーのようなものを置いて、椅子に座るように促される。
食欲がないと言いながら、スープの香りを嗅ぐとお腹がきゅるるっとなり、顔が赤くなった。
思えば食事の支度をしている最中に裏庭に出て、そのままここに来てしまったのだ。あれからどれ位の時間が経ったのかわからないがずいぶん長い時間何も食べていない気がする。
スプーンでスープを口に運ぶと薄めだがまろやかな塩味が口の中に広がる。
“おいしい”
暖かい喉越しにほっと一息つくと心配そうに見守っていたトモも安心したようにほっと息を吐きだした。このトモという人はずっと萌咲の反応を気にしているようで申し訳なくなる。
“お口にあったのでしたらよかったです”
“あの、すみません、取り乱してしまって。私まだ何がなんだかわからなくて…”
“…落花様は何もご存じないのですね…”
“先ほど、神官という方に説明してもらったこと以外は何も。そんな話も聞いたこともないし信じられなくて”
“落花様、今はお気持ちが落ち着くまでゆっくりお休みください。ここの生活に慣れればまた受け入れられることもあるかと思います”
サクは無表情ながら穏やかな口調で言う。
“あの、私のこと落花様って呼ぶのはやめてもらえませんか?萌咲っていう名前なんです”
“モ、エ、様?”
“もえいづる、の萌に花が咲くで萌咲です”
“もえいづる?”
首をかしげる二人。
意味が分からないのだろうか?
萌咲を休ませるためにサクとトモは退室したが、部屋から出るなりトモがはーっとため息をつく。
‟何というか、話に聞いていた落花様と随分違いますね”
”私もあんな落花様は初めて見た”
トモがフフッと小さく笑う。
”でも、とても可愛らしい感じの方ですね”
”そんなことを口にするんじゃない。とにかく問題のないようにお世話するだけだ”
小声で会話をしながら二人は部屋から離れた。
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