第46話 萌咲の決意

 

 萌咲の頭の下に腕を置き、髪を梳きながらぽつぽつとこの数か月の事を話す。


‟収容所と言っても監獄というよりは労働者の共同施設の様なものだな。労働時間や行動範囲は決められているがそれほどひどい環境じゃない。収容されている人間もそれほど凶悪犯はいなくてまともな人間は多い。ただ一区から来た人間はやはり体調を崩すとすぐ重症になって命を落とすこともある”


“じゃあ、風芽さんにとってはそれ程ひどいところではなかったんですね”


‟体の方はな。ただ常に監視されているし情報が著しく制限されている”


“それなのに今日はどうしてここに来れたんですか”


“実は向こうに行って二か月ほどした時ファンが連絡を取ってきた”


“ファンさんが?”


“ああ、彼らの情報収集能力は大したものだ。一区で起こった大まかな出来事はほとんど知っている。俺が収容所に送られたことも、お前が消え失せてしまったことも彼から聞いた”


“それで?”


“今回はコーキと連絡を取って俺の身代わりの男を使って俺を一日だけ連れ出してくれたんだ。お前に会わせてくれるために”


“そうだったんですか”


 タオとファンの村の事を思い出す。彼らは本当によくしてくれた。


‟彼らは俺たちを気に入ってくれたらしい。収容期間を終えたらお前を攫って村に連れてきたらどうかと提案してくれた”


“え?”


 驚いて萌咲は風芽の顔を見る。そんなことが本当に可能なのだろうか。


‟あと八カ月したら俺は解放される。お前はどうしたい、萌咲。このままオーダライにいて俺が囚役を勤め上げるのを待っていてくれるか。そしたら一緒にファン達の村に行ける”


 行きたい。もう片時も風芽さんと離れていたくない。子供が生まれるまでも生まれてからも生活は管理され、何よりも風芽は罪人として扱われているので一区には戻ってこられないのだ。ファンたちの村でならのびのびと暮らせるだろうし、萌咲と風芽の子供ならきっと元気に育つだろう。


 でも…


“いけません”


‟萌咲…?”


 萌咲の返事が意外だというように風芽が萌咲を見る。


‟行きたい。今すぐ風芽さんと一緒にあの村に行きたいです。でも、今はまだいけません”


 萌咲がまた姿を消せばボーヨウたちに一層迷惑がかかる。それに風芽は一生お尋ね者のままだ。そして何より、何かが違う、と萌咲は感じていた。何と言っていいのかわからないが、萌咲には今知りたいこと、やりたいことがあった。


‟風芽さん、私、中央に行こうと思ってるんです”


“なんだって?”


 よりによって中央へ。風芽の顔が一層こわばる。


‟私がオーダライ邸にとどまると、サラさんがよその領に行かされてしまうんです。サラさん、せっかくケーイチさんを配偶者にするって決めたのに。子供が生まれてからも私が中央に残ると言えばサラさんはオーダライに留まることができると思うんです”


‟だからお前がオーダライを離れるというのか?しかも中央に”


 萌咲の意図がわからない。中央に行けば完全監視、完全管理下に置かれてしまう。安全は保障されるかだろうが、たとえ風芽が収容所から出たとしても会える確率が著しく減る。


 ‟それだけじゃありません。今のままでは私がオーダライに残った場合子供が生まれた後、すぐ配偶者を選ばなければいけません。今度は猶予は与えられません”


 萌咲はおそらく選べない。ジュンが配偶者に決まるだろう。そのことを失念していた自分に驚いた。

 そんなフーガと対照的に萌咲は冷静に続ける。


“ジュンさんは受精卵を作るだけの配偶者でいいと言ってくれてるけど、やっぱり私にはできません”


 あなた以外は。


‟それに私もこの子もいくら健康だとしても、妊娠出産、新生児の育児にはどんなリスクが伴うかわかりません。やっぱり医療がしっかりして入りことは重要です。それに私ももっとこの国の事を知りたいんです”


“そのために中央に行くというのか”


 萌咲は頷く。


‟こちらに来てから私はずっとこの国の在り方に疑問を感じて、元の世界のように生活したいってそればかり考えていました。そのせいでこの国の事、何も知りません”


 妊娠、出産、そしてこれから自分にとって重要である育児について考えた時萌咲はある事実に気が付いた。この世界に来て一区でも二区でも一度も子供を見たことがない。この国ではどうやって子供を育てているんだろうか。


“だが、お前の自由はなくなるかもしれないぞ”


‟大丈夫です。私、自分の意見を聞いてもらうように頑張ります。自信もあります。その為にはドクターに全面的に協力してもらわなくちゃいけませんが”


 萌咲の目には強い意志の光があった。もともと強さを持つ娘だったが今の強さは目を見張るものがある。風芽は萌咲の顔をまじまじと見つめた。

 萌咲はお腹をなでながら微笑む。


 ‟この子の未来のために、私は頑張ります。そしてまた風芽さんと一緒に暮らすために”



 ‟私、勝算はあるんです。信じてください”


 ‟勝算?”

 

 確かに子供を自分で出産することには大きな意味があるだろうが。


‟それと、もう一つ風芽さんに相談したいことが”


“ん?”


 萌咲の髪を弄りながら風芽は先を促す。


“赤ちゃんの名前です”


 萌咲の言葉に風芽は不意に戸惑いを覚える。急に子供が一人の人間として実感がわく。


“名前か、そうだな”


‟私が考えていたのは、暁とかいてアキラ、または未来と書いてミキというのはどうかな、と思ったんですけど”


‟未来”


 風芽がその響きを噛みしめるようにつぶやく。


‟ミライとそのまま読むのはおかしいか?”


“そんなことないです。ミライでもいいですね”


‟そういえば前にも漢字の話をしたことがあったな。お前のいる世界ではみんな漢字の名前を持っているのか?”


‟みんなではないですけど、多いですね。例えばコーキさんだったら高貴、尊い、ノーブルなイメージかな光り輝くでも似合ってるかも。佳一さんは佳の字が見た目も中身も優れている長男だから一。ジュンさんは純かな、ピュア、リョウさんは亮でも涼でも良い漢字がたくさんあります。皆かっこいいからどんな名前でも名前負けしないですね”


 風芽が一人でしゃべり続ける萌咲の髪を引っ張る。


 ‟いた!”


 ‟あんまり他の男を褒めるな”


 拗ねたようにぼそっと言う風芽を見て萌咲はクスクス笑った。

 数時間はあっという間に過ぎた。萌咲は一区に、風芽は収容所に戻らなければいけない。二人はもう一度しっかりと抱き合うと、迎えに来た人間と共に今はそれぞれの戻るべき場所に戻って行った。


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