第29話 萌咲、秘密の村へ行く
“煙の臭いがすると思って来てみれば、天女か?なんでこんなところに…”
それはこっちのセリフだ。三区で人に会うなんて。
二区にいる人よりもさらにワイルドな格好をしている。年のころは三十台か、四十代だろうか。ひげをはやして長い髪を束ているせいで、はっきりした年はよくわからない。こちらを警戒している様子はありありとわかるが萌咲たちを誘拐した男たちとは雰囲気が異なっている。
萌咲には選択肢はなかった。
“助けてください。怪我人がいるんです”
男を案内してフーガのもとに戻った。フーガはすでに意識も朦朧としているようだ。フーガを一目見るなり男は眉をしかめた。
“こいつは随分具合が悪そうだな。怪我がひどい。連れて帰っても助からないかもしれないぞ”
“そんな…お願いします!”
萌咲は必死に頼む。男はしばらく逡巡していたがさすがに放っておくのは気が咎めたのか、彼の住処に連れていくことにした。
“本当は動かすのもよくないんだろうが、ここには何もない。手当をするなら早い方がいい。賭けだがな”
あくまでも萌咲に期待を持たせないようにか、そう言うとフーガを背負った。
大柄なフーガを背負うとさすがに男も歩くのがきつそうでペースはゆっくりで萌咲は問題なく後をついていくことができた。
良かった。こんなところに人がいるなんて、ラッキーだわ。
男はゆっくりだが迷う様子もなく藪の中を歩き続ける。
“え?”
上り坂をしばらく歩いたと思ったら、急に眼下が開け集落のような、村の様なものがあった。
‟こんなところに人が住んでる…?”
“ここが俺の住む村だ。どうせ来た道は覚えちゃいないだろうが、ここは秘密の村だということは覚えておけ”
萌咲は黙って頷いた。
男と萌咲が村の中に入って行くとそこにいた男たちの視線が一気に集まりざわめきが起こった。
“女だ”、“天女か?”
という声が聞こえてくる。男は構わずどんどん進んでいき、この村中では比較的大きな一軒の家に入った。
‟兄貴、今戻った”
‟ファン、いったいなんだそりゃ”
‟川沿いでこいつらを拾った。男は背中の傷がひどい。あと、左腕が折れてるな”
‟お願いします!手当をしてください”
男がフーガを寝台に横たえる。
‟厄介なもんを拾って来たな”
ファンと呼ばれた男は顔をしかめる。
‟だが、天女付きだ“
そのもの言いに嫌な感じがしたが今はそんなことに構っていられなかった。
頭を下げて
‟このままでは死んでしまう!お願いします!”
‟服を見りゃ軍のお偉いさんみたいじゃないか。そんな人間がここに入っるていうのも驚きだが…俺達にゃ助ける義理はねえよ”
男はすでに意識を失っているフーガを見おろして冷たく言う。
‟傷薬や点滴、特に抗生物質っていうのはここでは貴重なもんだ。見ず知らずのしかも助かるかどうかもわからない人間には使えない”
‟そんな…じゃあ、どうすれば”
そこで男はにやっと笑う。
‟貴重と言えば、この世界で天女より貴重なものはねえな。あんたが俺たちの言うことを聞くんだったらこいつを助けてやってもいいぜ”
萌咲の血の気が引く。男の意味するところはいやでも理解できた。だが、もうピクリとも動かないフーガを見て迷ったのは一瞬だった。
‟わかりました。よろしくお願いします”
萌咲は頭を下げた。その決断の速さに二人の男は目を見開く。
‟あんた、意味わかってんのか?俺たちのもんになれって言ってんだぞ”
‟わかってます。それより早く!”
この村には医師のような役割をしている男もいるらしく、ファンが呼んできた中年の男は手際よくフーガの手当をした。傷を洗い消毒をして薬を塗り、ガーゼで覆う。骨折した腕は固定して包帯でぐるぐる巻きにした。レントゲンなどというものはないからどの程度の骨折かはわからないが無事にくっついて後遺症が残らないでくれることを祈る。何日か待てばギプスの材料が手にはいるかもしれないという。点滴をして抗生物質を投与した。こうした作業を萌咲も手伝う。お湯で体を拭いて何とか寝衣を着せたところで医者のが感心したように言う。
“あんたは手際がいいね”
‟こういうことは慣れてるんです”
萌咲は小さく微笑んだ。その理由を聞きたげな様子だったが萌咲に説明している余裕などなさそうなのを認めて医師はフーガの容態の説明をする。
‟熱が高い。抗生物質が効くか効かないかはこの男の抵抗力と体力次第だ。見たところ軍で体を鍛えてるようだから普通の一区の人間よりは望みがありそうだが。ここ二、三日が山だね”
‟フーガさんならきっと大丈夫です”
萌咲は頷いて冷たいタオルをフーガの額に当てた。寝室からでてキッチンへ行くと二人の男が酒の様なものを飲んでいた。萌咲は近づいていき丁寧に頭を下げた。
‟手当をしていただき、本当にありがとうございました”
その姿に男たちはまたしても意外そうな表情をする。
‟約束は、守ります。ただフーガさんの容態が落ち着くまで看病させていただけませんか”
必死の表情で言う萌咲に二人も顔を緩ませる。
‟わかってるよ。俺たちだって鬼じゃない。お前さんも疲れてるだろうし、あちこち傷だらけだ。しばらくはゆっくり休むといい。いろいろ話も聞かせてもらいたいしな”
ファンがタオと呼んでいた男が顎をしゃくった。
その言葉をありがたく受け取って萌咲は湯を使い、貸してもらった男物の服に着替え、温かいスープの貰うと、フーガのベッドサイドに座り込んでその顔を見つめた。包帯をしていない方の手にそっと触れるとまだ燃えるように熱い。タオルを水で絞って額に当てながら今日起こった出来事を振り返る。
まるで映画か何かを見てるようだ。今朝、邸の庭で誘拐され、車で連れ去られ、そこから逃亡。フーガが追いかけてきてくれたが二人で崖から落ち、こんな山奥の秘密の村にいる。今の状況が楽観的なものではないにしても、それでもこうしてフーガの安らかな寝顔を見て、手に触れられることが幸せだった。
フーガさん、どうか頑張って。
ベッドに頭を持たせかけてそっと目を閉じた。
‟なんだかな…”
寝落ちてしまった萌咲を見下ろしてファンはつぶやく。
‟商売柄天女は何人も見てるが、こんなのにはお目にかかったことがない”
‟確かに毛色が変わってるな。かわいいじゃねえか”
兄であるタオが後ろから覗き込む。
‟こいつら、駆け落ちでもしてんのか”
‟そんなことは俺らが知ったこっちゃない。どうせこの男も助からねえよ。なまっちょろい一区の男が”
タオがフン、と鼻を鳴らして手にしているグラスの中の液体を飲み干した。
ファンはゆっくりと萌咲を抱き上げると隣の空き部屋へ運んでベッドに寝かせ毛布を掛けてやる。
顔にかかった髪をどけてやり、部屋を出て行った。
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