第16話 寂しくなるね
「というわけで大会お疲れ様でした。残念ですが俺たち3年生は本日が最後の地区大会参加となります。改めてになりますが、長い間大変お世話になりました」
終了後のミーティングで、俺は部員たち全員に挨拶をする。
それに合わせて、3年生──もちろん向中野を含む──は全員頭を下げる。
本当に色んな人にお世話になった。
ここにはいないが先輩方、同級生や目の前にいる後輩たち。
そして何より顧問の先生…………今俺の真向かいで、人目を憚らず号泣している福地先生だ。
(何も、生徒より泣かなくてもな……)
それほどまでに俺たちと向き合ってくれたということだろう。
細かな技術やフィジカルだけではなく、精神的な面だったり、人間として大事なことだったりととにかくたくさんのことを教わった。
改めて、本当に感謝しかない。
「個人戦では3年生は全員敗退してしまいましたが、女子は団体戦優勝、次の大会への出場が決まりました。俺たち男子の悔しさも背負って……3年生と、まだ一緒にバドミントンができる喜びを噛み締めて戦ってくれると嬉しいです」
はい、と女子の引き締まった返事が聞こえてくる。
女子は団体戦で地区大会優勝。
団体戦というのは、ダブルス2試合、シングルス3試合で行うチーム戦だ。
うちの女子はとにかく強いメンバーが揃っているため、無事に勝ち進むことができた。
男子は、ほとんとが1年生──特に未経験者が多い──であるため、団体戦はあっさりと1回戦負けだった。
「それから、個人戦では勝ち残った1、2年生もいます。先の大会でも、悔いの残らないよう全力で挑んでください」
はい、と4人分の返事が聞こえてくる。
勝ち進んだのは広瀬、藤島、弦田、それに千冬だ。
千冬はあの後、準々決勝でかなりの大差をつけて勝利した。
相手は前回大会のベスト4、第3シードの選手だった。
そんな選手を相手取りそこまでの試合ができたのだから、本当にすごいことだ。
結局シングルスは広瀬が優勝、藤島が準優勝。千冬は準決勝で広瀬と当たりベスト4止まりだったが、それでも1年生ということを鑑みても十分すぎる成績だ。
……それを本人に伝えたら、いつものごとく「そんなことはないです」って謙遜されるんだろうけどな。
ちなみにダブルスの方では、広瀬・藤島のペアが優勝。準優勝は弦田と千冬。
表彰台のほとんどを陽陵女子が独占することになった。
──余談だが、広瀬は団体戦、シングルス、ダブルスの全てで優勝を果たしているためいわゆる『三冠』を勝ち取ったことになる。
これは地区大会では2年ぶりの快挙だ。
前回達成したのはこちらも陽陵の生徒、それは俺の目の前で達成された記録だった。
俺は、3年間で2度も同校の女子が三冠を達成する瞬間を目撃したことになる。
……うちの女子、マジで強いな。
「明日からは、2年生が最上級生として部活を引っ張っていくことになります。代が替わってから弱くなった、などと言われないようしっかりと部活動に励んでください。それから……広瀬」
名前を呼ぶと、真剣な面持ちで話を聞いていた広瀬が「はい」と強く返事をする。
「次の部長は、広瀬です。明日からは広瀬の指示をしっかり聞いて、陽陵の伝統を守っていってください。前部長として、応援します。……以上です、ありがとうございました」
改めて深々と頭を下げると、部員たちから万雷の拍手を贈られる。
挨拶を終え、部員たちが整列している中に並び直す。
「……お疲れ様です、佐倉殿。……寂しいでござるな」
真顔のままの向中野が、ぽそりと囁いてきた。
「……そうだな」
特に長い話はしなかった。
できなかったというのが正しいかもしれない。
俺は、二の句が継げなかった。
ああ、終わったんだな。
挨拶を終えるとふつふつと実感が湧いてきて、また涙が溢れそうになった。
☆☆☆★★★☆☆☆
会場を後にして、バスに乗り込む。
目的地はもちろん学校だ。荷物を学校に置き、それぞれ解散……という流れになる。
帰りの車内はみんな静かだった。
疲れて寝ている者、悔しさや寂しさから啜り泣く者、あるいは……俺のように、感傷に浸る者。
隣の席に目をやると……すぅ、すぅ、と寝息を立てる千冬が座っていた。
目元にはまだ赤みが残っており、先程まで泣いていたんだなというのが見て取れる。
(────俺のために泣いてくれたのか、なんてな)
俺が負けた時──つまり、俺の引退が決まった時、千冬は誰より泣いてくれた。
それだけ、俺や向中野含め──先輩方への尊敬や、想いがあったのだろう。
そんなに想ってくれていたことが、とても嬉しかった。
(……ありがとな、千冬)
心の中で小さく呟く。
あとで、千冬が目を覚ましたら直接言おう。
俺は、千冬にとっていい先輩になれていただろうか。
他の部員にとっても、いい部長でいられただろうか。
後悔は、全て終わってから襲ってきた。
もっと頑張れたのではないか。
もっと全力を出せたのではないか。
もっと真剣に挑めたのではないか。
どれだけ考えても、もしも、は尽きなかった。
悔しいな。ああ、本当に悔しいよ。
外の景色を見ようと窓の方を向いた瞬間、俺は気づいた。
────鏡のような暗い窓には、はらはらと涙を流す俺が映っていた。
☆☆☆★★★☆☆☆
「春也兄さん、改めて……お疲れ様でした」
「ああ、ありがとう」
学校に着いて荷物を下ろし、各自解散になった後……俺と千冬は、帰路についていた。
全て終わった。終わってしまったのだ。
開放感と寂寥感……どちらもが、俺の胸中に渦巻いている。
「……春也兄さんともう部活できないんだなって思うと、すごく寂しいです」
「……俺も寂しいよ」
「1ヶ月ちょっと、本当にお世話になりました」
「こちらこそ。いつもありがとうな」
「あ、いえ……春也兄さんに感謝されるようなことは」
「それ」
「え?」
「最後の部長命令だ。自分を卑下するな。自信を持て。お前はお前が思っているより……なんなら、周りが思っているよりすごい。だから、あんまり悪く言ってやるな」
「え、その……はい、わかりました。がんばってみます」
「その意気やよし! 頼んだぜ、未来のエース」
「い、いえ、私はそんな……あっ」
しまったとばかりに口元を押さえる千冬。
その様子を見て、思わずクスリと笑いが溢れてしまった。
「そうそう、そういうとこ」
「が、がんばります……」
「いきなりは難しいかもだけどさ。とりあえず、褒められたら否定する前にありがとう、だ」
「いえ、褒めてくださるのは春也兄さんだけで……」
「……今のもダメだ」
……わかっていたつもりだったが、千冬の自己否定は根強い。
一朝一夕でどうにかなるものではないとわかっているが、だからこそなんとかしてあげたいのだ。
「……で、では、ペナルティを作るというのはどうでしょう?」
「ペナルティ? そこまで考えてなかったなあ」
「はい。ペナルティがあったら意識的に変えられるのでは、と……」
なるほど、その案はなかったな。
ペナルティか。作るとしたら……。
少し考えてみたが、すぐにあることに思い至った。
「……いや、ダメだな」
「ダメ、でしょうか」
「ああ。千冬が褒められるたびにペナルティのことが頭を過っちゃうわけだろ? そうなると、せっかくの嬉しいはずの言葉が嫌な言葉になっちゃうんじゃないかなって」
「あ……」
「そうそう。まあ、俺も無理やりなんとかしろって言いたいわけじゃないから。ゆっくりでいいから、受け入れられるようになったらいいなって」
「は、はい……ありがとうございます」
春也兄さんはやっぱり優しいですね、と千冬は笑った。
控えめながら、写真に収めたくなるような……素敵な笑顔だった。
笑うとこんなにかわいいのにな、と少し、思ってしまった。
普段この笑顔を周りに見せないことが、もったいないな、と感じてしまうのは、俺の勝手な押し付けだろうか。
そんなことをひとり考えていると、千冬が再びあの、と口を開く。
「私……部活終わりに春也兄さんと一緒に帰れなくなるのは、寂しいです」
「ああ、それなら大丈夫」
「えっ?」
「3年生は夏休み明けから夕方の時間に講習が始まるんだ。だから、一緒に帰れるよ」
「本当……ですか!?」
ぱあ、と千冬の顔が明るくなる。
うんうん。確かに一人で夜道を帰るのは不安だよな、なまじ家と学校が近い分歩き通学になっちゃうし。
その点、男の子がついていたら少なからず安心できる部分はあるだろう。
千冬は、そういう点で喜んでいるんだろうな。きっと。
「あ、でも……夏休み明けから、ですもんね……」
明日からすぐにという訳ではないことに気づき、しゅん、とする千冬。
感情の変化が著しい。
「まあでも、来週からはテスト前で部活動禁止期間だし、それが終わったら学校祭だからな」
「そういえばそうでした……。部活の大会ですっかり忘れていましたね」
「それに、夏休みも俺は夏期講習漬けだ。だから、まだしばらくは一緒に帰れるぞ」
「……は、はい! うふふ、嬉しいです」
笑って、凹んで、笑って。今は、にこりと微笑んでいる。
今日、俺のためにあんなに泣いてくれた少女が、俺の言葉でこんなにも感情が動いている。
それが、なんだか愛おしかった。
この時間が、ずっと続けばいいのに。
そう思えば思うほど、今日の悔しさが滲んできて。
あはは、と笑う顔の裏で、俺は胸がちくりと痛むのを感じた。
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